信州上田の・・・六文銭の写真帳
3月12日・・・信州伊那の谷の駒ケ根市の名刹光前寺へ。今年続けている信濃10三重塔の最後の三重塔詣でです。天台宗別格本山宝積山無動院光前寺・・・天台宗座主円仁の弟子本聖が860年開山と伝えられるが戦国時代の武田・織田の戦いで被災し古記録が残っていないため検証不能。武田・豊臣、江戸期に入って徳川幕府から庇護を受け、朱印地60石。
天台宗信濃五山のひとつ・・・戸隠神社(明治時代以前は戸隠山勧修院顕光寺)、長野善光寺、千曲市八幡の更科八幡神宮寺(明治期に廃寺)、立科町山郷の慧日山修学院津金寺、駒ケ根市の宝積山無動院光前寺。
※写真はWikipediaより。
仁王門から入山、三門、本坊、鐘楼・・・本堂(1851年再建)。本堂から左に下りると鬱蒼とした杉林の中に・・・
三重塔・・・1808年再建。
古刹(こさつ)という言葉にふさわしい堂々たる風格です。
「刹」は仏舎利塔の心柱のことをいい、「古刹」は古寺のことをいうのだそうです。
三重塔・・・1808年再建。
古刹(こさつ)という言葉にふさわしい堂々たる風格です。
「刹」は仏舎利塔の心柱のことをいい、「古刹」は古寺のことをいうのだそうです。
※撮影日は3月12日。
★高校生のころのむかしの話しです。仁王門から参道。三重塔の脇を抜ける道は木曽山系空木岳への登山道でした。★中学生の三年間で世話になった担任の先生は光前寺の次男坊でした。卒業以来、ご無沙汰したが社会人を卒業したころの同級会でお会いし、そのあとお手紙をいただいた。その文中に「教え子を戦場に送ってはいけない、送らないでよかった・・・」と記されていた。はじめて聞いたホンネかも知れない。むかしの話しである。
★日本の近世以前の三重塔は102基、うち長野県に10基。1月から上田市安楽寺の八角三重塔、前山寺の三重塔、青木村大法寺の三重塔、上田市国分寺の三重塔、御代田町真楽寺の三重塔、佐久市新海三社神社の三重塔、佐久市貞祥寺の三重塔、大町市若一王子神社の三重塔、今月、駒ヶ根市光前寺の三重塔を尋ね、これで9基。10基めの長野県上水内郡小川村の高山寺の三重塔は過去に尋ねています。いつかある日に再訪して見たいと思います。
駒ヶ根市の古刹光前寺シリーズはこれでオワリです。
木曽駒ケ岳ロープウエイのシャトルバスターミナル駒ケ根高原、中央高速道駒ケ根ICのすぐ近く、ぜひ訪ねてみてください。
※コメント欄オープンにしています。
・URL無記入のコメントは削除します。
・URL無記入のコメントは削除します。
木組みはずれるがもとに戻る。木造建築の匠です。
この技の継承は難しいでしょうね。
何年の一度かの修復ということがないと。
この組み立てで 釘を使わず
法隆寺や興福寺の五重塔、或いは 三重塔(薬師寺)で 塔の建設おそらくこの塔屋も釘を使ってないと言うこの塔屋も釘を使ってないであろう。
ただ驚くばかり!地震で塔屋が崩れたという事を聞かない。