比企の丘

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晩秋の塩田平で・・・嚮善学校の正門・・・明治の夜明けの教育熱を見た

2015-11-30 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
11月28日、晩秋の信濃路、塩田平を尋ねました。

上田市小泉の上田市立第六中学校の一隅にこんな建築物が遺されています。
1879年(明治12年)建築の「嚮善学校」正門です。

近代教育の夜明けを見つめてきた教育遺産・・・
136年前の学び舎「嚮善学校」の門。
嚮善」とは「善きことに向う」という意味か。

1868年明治政府が成立、近代国家、中央政権のはじまりです。まず明治4年に戸籍法、明治5年に学制、明治6年地租改正など・・・忙しい。この中で地租改正より学制が早いということにビックリ。学制はそのご改正を重ねていきます。この近辺の上室賀、下室賀、町小泉、日向小泉、山口、半過、福田、吉田に1873年(明治6年)から有新、中和、篤信、通義の4つの尋常小学校が次々とつくられました。
1878年(明治11年)、4校の合併案が申請され許可を得て1879年小泉村高田に統合校舎が建築されます。その名は嚮善学校
そのご嚮善学校の建物は増改築、移築などで解体。正門のみが1816年小泉村吉田区に払い下げられ吉田集会所に移築され維持されてきて2001年吉田集会所の改築に伴い、現在の地に。
この遺構を保守・維持してきた地域の皆さんに感動です。「信州は教育県」とはこんなことからいわれるのでしょうか。


※この地点より、北東に数100m、浦野川に架かる木造の人道橋「醤油久保橋」・・・見に行きましたが見当たりませんでした。散歩中の老婦人にお伺いすると老朽のためかすでに無くなっているとのこと。老婦人も残念がっていました。


※このあたり・・・オコジョの散歩道」さんのブログ 2011年2月27日の「東山道 上田 千曲川西岸あたり 醤油久保橋から 上田原」が詳しいクリック

※今年の冬に逢ったコウノトリの[ユキちゃん]がまた来てくれているらしいので探しに行きます。


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