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夏の信州…塩田平・・・上田市下之郷の農道を跨いで建つ生島足島神社の大鳥居。その向こうに雲に隠れて塩田平の象徴・・・独鈷山。
ここは生島足島神社から北東(鬼門)の方向。御旅所社、山宮社、小牧山地の東山(694m)とを結ぶ御柱街道とも呼ぶ神の道。
ここは生島足島神社から北東(鬼門)の方向。御旅所社、山宮社、小牧山地の東山(694m)とを結ぶ御柱街道とも呼ぶ神の道。
※撮影は8月15日。
※説明書によれば・・・この大鳥居は明治時代中期に建立されたもの。1974年に農業構造改革計画により道路が付け替えられ、現在の地に移転、1985年老朽化により建替え、1987年浅間テクノポリス開発計画でさらに道路計画が進められ再度移転することになり、従来の木造から鉄筋コンクリート製で1990年に再建された・・・だそうだ。説明板の文字がかすれていてよくワカラナイ。
※信州塩田平の生島足島神社(イクシマタルシマ)・・・延喜式(967年発行の六法全書、税務台帳、地名事典みたいなもの)に記された式内大社。主祭神は生島(生みの神)、足島(満たす神)の2柱。出雲系の建御名方神を祭神とする摂社諏訪神社がある。 建立は定かではないが延喜式に記されているということは大和王朝時代から律令制時代?。神橋を渡って神池の中の本殿に。この形式を「出雲式池心宮園」という。本殿は床板もなく土間だけ。大地そのものが霊であるという哲学。
※信州塩田平の生島足島神社(イクシマタルシマ)・・・延喜式(967年発行の六法全書、税務台帳、地名事典みたいなもの)に記された式内大社。主祭神は生島(生みの神)、足島(満たす神)の2柱。出雲系の建御名方神を祭神とする摂社諏訪神社がある。 建立は定かではないが延喜式に記されているということは大和王朝時代から律令制時代?。神橋を渡って神池の中の本殿に。この形式を「出雲式池心宮園」という。本殿は床板もなく土間だけ。大地そのものが霊であるという哲学。
※撮影日は2008年8月15日。
台風9号の被害はありませんでしたか。
随分降りました。
紅い鳥居の配置が絶妙ですね。
何故だろうと思案していると解答が導き出されました。
そう、道の捉え方と背景の山並みにあったんです。
遠近感は当然ながら、この先に何があるのだろうと好奇心を駆り立てます。
深遠な画像。
流石ですね
いよいよ今週は東松山の花火です。
コメントありがとうございました。
ここの祭神は、昔からの八百万の神0様です。
塩田平・・・盆地です。別所温泉、信濃デッサン館、無言館、そしてこのお宮様、美しい田園です。