比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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四月「上高地開山祭」・・・梓川右岸・・・ウエストン広場・ウエストン碑あたり

2019-07-18 | 山が好き 北アルプス
信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月27日の「上高地開山祭」の1日後の4月28日の上高地です。
釜トンネルを抜けてすぐ、大正池バス停から遊歩道を抜け大正池、田代湿原、田代池、田代橋・・・そして梓川左岸の岸辺を散歩。
梓川左岸から田代橋・穂高橋を渡ってウエストン広場へ。

ウエストン広場の前の梓川の清流です。


山側に自然石にはめ込まれたウォルター・ウエストンのレリーフ像。
★1937年ここ上高地の梓川右岸、清水屋と上河内温泉の間の広場にレリーフが設置されます、1942年太平洋戦争中に敵国人の像として撤去、日本山岳会が保管、1945年空襲により一部破損。1947年6月修復して再設置。再設置した6月にちなんで毎年6月の第一日曜日にウエストン祭が開催されます。


日本アルプス・上高地を世界に紹介した登山家ウォルター・ウェストン・・・
山を愛し日本を愛した登山家ウォルター・ウェストン・・・
※撮影は4月28日。

ウォルター・ウエストン(1861~1940年)・・・イギリス人の宣教師で探検家。1888年(明治21年)にイギリス国教会の宣教師として来日、1895年に帰国、1896年「日本アルプスの登山と探検」という著書で日本の山を世界に紹介しました。1902年(明治35年)再び夫人同伴で来日。このときも山に登りまくり1905年に帰国、1910年日本山岳会の名誉会員に、三度目は1911年に来日、山行を重ねて1915年(大正4年)帰国します。日本の近代登山に影響を与えた人です。この人、古き時代の礼儀正しい日本人が大好きでした。ピークハンターでもなければ山ヤでもありません。心から自然を愛していました。日本アルプスという名前を世界にはじめて紹介した人と思われがちですが・・・
日本アルプス・・・日本地理学会で定めた呼称の三つの山脈(飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈)の俗称。明治時代に日本政府のお雇い技術者の英人ウィリアム・ゴーランドが観光案内書「日本についてのハンドブック」(1881年刊)でヨーロッパアルプスにちなんで記述したのがはじめ。ウエストンが著書「日本アルプスの自然と探検」を発表したのは1897年。そのご日本山岳会初代会長小島烏水が三つの山脈の俗称を北アルプス、中央アルプス、南アルプスと名づけました。

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