NHK朝のテレビ小説・・・作曲家古関裕而の伝記的ドラマ・・・『エール』が終わりました・・・
古関裕而(1903~1989年)・・・昭和の時代に主にポピュラー音楽の世界で活躍した生涯5000曲といわれる作曲家。楽器を使わず作曲して譜面を書き、一度に3曲ぐらいの曲想を浮かべていたという伝説もあります。
明治時代の後半、福島市の呉服商の家に生まれ、少年時代から青年時代、作曲を独学で学び、福島ハーモニカソサエティーで作曲、編曲、指揮などを。そのころ仙台に在住した金須喜之進(リムスキーコルサコフに師事)に作曲法を学びました。山田耕作の推挙によりコロンビアの専属になり、クラシックから大衆音楽に作曲を転換。太平洋戦争中は文化人は軍に協力する立場をとり、古関も多くの軍歌を作曲しました。この活動により戦後、精神的に打撃を受けた様子がドラマでは描かれています。
戦争協力者という批判を多くの文化人が受け、高村光太郎は岩手県花巻市郊外のあばら家に隠棲、火野葦平はのちに謎の自殺をしています。
戦中、戦後の作曲で特に私の心に残っている曲を三曲選んでみました。
★「暁に祈る」・・・二節目と三節目です。劇中でこの歌の生まれた経過が描かれています。作詞の野村俊夫は古関の同郷の友人、7回の提出でようやく軍部に認められたというが・・・あゝ堂々の輸送船・・・どれだけ多くの兵隊さんが戦いに向かう途中で敵潜水艦に沈められ海の藻屑になったであろうか。悲壮感漂う三節目の歌詞は軍が認めたのは疑問。野村俊夫はのちに「湯の町エレジー」「東京だヨおっ母さん」のヒット曲を。
★NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌です・・・敗戦後の大都会・・・空襲で家や父母、身寄りを失った戦災孤児、浮浪児たちが街に溢れていました。そんな子どもたちの収容施設の物語り。人々はこのドラマから浮浪児と呼ばれた戦災孤児たちに温かい目を向け心を寄り添わせました。
★原爆被曝した長崎大学永井隆博士の著書「長崎の鐘」を映画化する際に作られた主題歌の二節目です。永井博士が原爆投下後の廃墟で見た奥様は黒い塊と化しロザリオの鎖のみ残っていたといいます、サトウハチローは永井博士からこの本を贈られ全霊を込めて作詞。古関は長崎を訪れイメージをまとめ前半の短調から後半の長調に変調してゆく祈りをこめた鎮魂歌にし、クラシックと大衆歌謡を融合させた格調高い藤山一郎の絶唱はこの歌を100年200年、この世に核兵器が無くならない限り歌い継がれる名曲にしました。
古関裕而(1903~1989年)・・・昭和の時代に主にポピュラー音楽の世界で活躍した生涯5000曲といわれる作曲家。楽器を使わず作曲して譜面を書き、一度に3曲ぐらいの曲想を浮かべていたという伝説もあります。
明治時代の後半、福島市の呉服商の家に生まれ、少年時代から青年時代、作曲を独学で学び、福島ハーモニカソサエティーで作曲、編曲、指揮などを。そのころ仙台に在住した金須喜之進(リムスキーコルサコフに師事)に作曲法を学びました。山田耕作の推挙によりコロンビアの専属になり、クラシックから大衆音楽に作曲を転換。太平洋戦争中は文化人は軍に協力する立場をとり、古関も多くの軍歌を作曲しました。この活動により戦後、精神的に打撃を受けた様子がドラマでは描かれています。
戦争協力者という批判を多くの文化人が受け、高村光太郎は岩手県花巻市郊外のあばら家に隠棲、火野葦平はのちに謎の自殺をしています。
戦中、戦後の作曲で特に私の心に残っている曲を三曲選んでみました。
暁に祈る
作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而 歌:伊藤久男 1940年
あゝ堂々の 輸送船
さらば祖国よ 父母よ
遙かに仰ぐ 宮城の
空に誓った この決意
あゝ傷ついた この馬と
飲まず食わずの 日も三日
捧げた命 これまでと
月の光で 走り書き
作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而 歌:伊藤久男 1940年
あゝ堂々の 輸送船
さらば祖国よ 父母よ
遙かに仰ぐ 宮城の
空に誓った この決意
あゝ傷ついた この馬と
飲まず食わずの 日も三日
捧げた命 これまでと
月の光で 走り書き
★「暁に祈る」・・・二節目と三節目です。劇中でこの歌の生まれた経過が描かれています。作詞の野村俊夫は古関の同郷の友人、7回の提出でようやく軍部に認められたというが・・・あゝ堂々の輸送船・・・どれだけ多くの兵隊さんが戦いに向かう途中で敵潜水艦に沈められ海の藻屑になったであろうか。悲壮感漂う三節目の歌詞は軍が認めたのは疑問。野村俊夫はのちに「湯の町エレジー」「東京だヨおっ母さん」のヒット曲を。
とんがり帽子
作詞:菊田一夫 作曲:古関裕而 歌:川田正子、ゆりかご会 、1947年
緑の丘の麦畑
おいらが一人でいるときに
鐘が鳴りますキンコンカン
鳴る鳴る鐘は父母の
元気でいろよという声よ
口笛吹いておいらは元気
作詞:菊田一夫 作曲:古関裕而 歌:川田正子、ゆりかご会 、1947年
緑の丘の麦畑
おいらが一人でいるときに
鐘が鳴りますキンコンカン
鳴る鳴る鐘は父母の
元気でいろよという声よ
口笛吹いておいらは元気
★NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌です・・・敗戦後の大都会・・・空襲で家や父母、身寄りを失った戦災孤児、浮浪児たちが街に溢れていました。そんな子どもたちの収容施設の物語り。人々はこのドラマから浮浪児と呼ばれた戦災孤児たちに温かい目を向け心を寄り添わせました。
長崎の鐘
作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而 歌:藤山一郎 1949年
召されて妻は天国へ
別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの
鎖に白きわが涙
なぐさめはげまし長崎の
あゝ長崎の鐘は鳴る
作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而 歌:藤山一郎 1949年
召されて妻は天国へ
別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの
鎖に白きわが涙
なぐさめはげまし長崎の
あゝ長崎の鐘は鳴る
★原爆被曝した長崎大学永井隆博士の著書「長崎の鐘」を映画化する際に作られた主題歌の二節目です。永井博士が原爆投下後の廃墟で見た奥様は黒い塊と化しロザリオの鎖のみ残っていたといいます、サトウハチローは永井博士からこの本を贈られ全霊を込めて作詞。古関は長崎を訪れイメージをまとめ前半の短調から後半の長調に変調してゆく祈りをこめた鎮魂歌にし、クラシックと大衆歌謡を融合させた格調高い藤山一郎の絶唱はこの歌を100年200年、この世に核兵器が無くならない限り歌い継がれる名曲にしました。
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奥さん役が津島恵子、恋人役が月岡夢路さんだったことを今も覚えています。
古関さん・・・音楽家として・・・立派な音楽を残してくれました。
学校で先生が紙芝居をしてくれた。
空襲、お父さん、お母さんが焼け死ぬ・・・信州の山の中でそういうことを知らなかったのですが、紙芝居が教えてくれました。
「長崎の鐘」は学校の巡回映画会で見ました。
戦争の恐ろしさを教えられた世代です。
オリンピックに合わせたかもしれない「オリンピック・マーチ」も素晴らしいと聞いておりました。
最終回他を録画して何回も聞いたり見たりしております。
後は紅白の司会のご活躍、何かサプライズのあることを祈っております。
私たちにの世代にとってドラマに中で歌われた歌はどの歌も知っているものばかり・・・特に「長崎の鐘」は今もよく口ずさんでいます。
野球狂の息子はもちろん「栄冠は君に輝く」が一押し。
家族みんなで楽しませて頂いたドラマでした。いつかきっとコロナとともに思い出すドラマだと思います。
昨日新聞一面に、国民的作曲家として作曲した曲名が載っていた。
その曲名やジャンルの多さにびっくりしています。
幼少の頃は、父親の買った蓄音機でレコードを聴き、10歳の時卓上ピアノで作曲をした。
これらの遍歴をを読んで、天才的と言うのか幼少期の見・聴き・学ぶ・体験・努力の開花と言うのだろうか。
…・・・・そうですか、「一度に3曲ぐらいの曲想を浮かべていた」・・・・・。
作曲家・古関裕而 ・生誕100年。