比企の丘

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青天を衝け」・・・澁澤栄一の妻「千代」と・・・権妻「大内くに」のこと

2022-02-21 | 本・テレビ、ドラマ・映画・スポーツ
              、
2021年、NHK大河ドラマ「晴天を衝け」・・・面白く見ていました。新一万円札の顔、わが埼玉県の生んだ近代資本主義経済の父澁澤栄一の伝記。
日本が近世封建主義から明治維新に、欧米列強に対抗しうる国の体制づくりを模索しているとき、近代経済体制の基礎を作り上げていった男、国立第一銀行をはじめに、金融、鉱業、製鉄、建設、など500余の会社の立ち上げを演出した男・・・ドラマは余すことなくそれを語っていましたが・・・

ドラマではあまり語られなかった栄一の妻千代と愛妾大内くにについて・・・の話しです。


澁澤栄一の孫敬三(第一銀行副頭取、日郡総裁、大蔵大臣)が1956年に出版した「柏葉拾遺」という写真集に収録されている写真集から。澁澤栄一が大蔵省に任官してるころの1873年に神田の写真館で撮影されたもの。

前列の右から尾高くに(千代の妹)、澁澤千代(栄一の妻千代)、澁澤てい(栄一の妹)、大内くに(栄一の愛妾)。後列で抱かれている子どもは栄一の長男篤二。
何とも奇妙な写真です。
栄一の愛妾大内くにについてはドラマ「青天を衝け」では・・・栄一が大蔵省大阪造幣局に出向中、鳥羽伏見の戦いで夫を亡くし料亭で働いていたくにと懇ろになり身重になったくにを東京に連れて帰り妻妾同居の生活に・・・というシナリオでした。

くには千代と三人の子どもと仲良くく暮らし、二人の子どもを産み、千代の死後、栄一の友人で漢学者の織田完之の後妻に、栄一の長女歌子の嫁いだ穂積陳重(東京帝国大学法学部長)の牛込の邸宅の隣に引っ越し歌子と親しく付き合ったといいます。歌子は膨大な日記を残しており澁澤栄一の研究の貴重な資料になっていますが・・・くにに対するわだかまり、憎しみの感じられる記述はないそうです・・・千代とくに、歌子、琴子、篤二、ふみ、てるの異母妹たちの奇妙な生活はどうだったのでしょうか。栄一の長男篤二の後の放蕩三昧の生活になる温床であったかもしれません。
くにの二人の娘、ふみは栄一の従兄で千代の兄の尾高新五郎の次男次郎(初代武州銀行頭取)に嫁ぎ、六男の尚忠、孫の淳忠、忠明は音楽界の重鎮に。てるは尾高新五郎の妹、千代の姉みちの嫁いだ大川家の子の大川平三郎に嫁ぎ、大川平三郎は栄一の起した王子製紙の製紙の技術者として海外技術を研究、藁の抄紙、木材パルプの抄紙を技術開発、王子製紙専務、そのご四日市製紙、九州製紙、中之島製紙、木曽興業。樺太工業。富士製紙に関わり「日本の製紙王」と呼ばれました。JR貨物の鶴見線大川駅は大川氏の姓を冠せられたもの。

現代人には理解に苦しみますが明治の上流社会では不思議な話ではなかったようです。
栄一の妻妾同居はくにだけでしたが・・・友達(アミ)として生涯面倒を見たのは詳細は不明ですが20人は下らないといわれています。

雄気堂々・・・お見事・・・なんていうとご婦人方に叱られるかな。

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4 コメント

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今はとても・・・ (こきおばさん)
2022-02-22 06:50:42
 私の子どもの頃でさえ、「妾を持つのは男の甲斐性」などと言われ、男の勲章のようでしたから、今考えると女性には人権なんてありませんでした。
妻と妾が仲良く同居していて・・・なんてことは戦後引き揚げてきてからも聞きました。中国では当たり前のことでしたが、日本でも?と不思議に思ったものでした。
とんでもない時代でした、
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戦前までは普通に見られたようですね (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2022-02-22 15:17:34
不道徳だといわれるようになったのは戦後社会になってからでしょうか。
NHKのドラマですからあまり突っ込んだ扱いにしませんでしたが、澁澤栄一を知るうえで、明治、大正、昭和のの社会ではこれが当たり前であったのだと知るうえで、大事なこととして紹介しました。
         、         
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澁澤栄一の妻 (oko)
2022-02-23 12:52:05
「現代人には理解に苦しみますが・・・」↑
誰も不幸になった人はいないそうですのですべてに幅広いご活躍?でしたね。
久しぶりに「晴天を衝け」に思いを致しました。
姪の子供がオンド・マルトノ演奏に出演しましたので思い出の大河ドラマになりました。
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雄気堂々 (okoさんへ…ヒキノ)
2022-02-23 20:21:32
妾数十人、すべて生涯を面倒見たといいます。
庶子数十人、お下げ渡しで身内の人に娶せ、優秀な人材を輩出しています。ただ嫡男篤二さんは栄一の悪いところだけ継いで廃嫡に。妾宅で反省を過ごし、亡くなります。
孫の敬三さんは渋沢財閥を財産税、財閥解体で潔く破産させて没落していきました。

コメントありがとうございました。
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