信州上田の・・・六文銭の写真帳
厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、19日は塩田平の古刹巡り、20日は上田市街地の国分寺に。
信州上田の国分寺・・・奈良時代の「天平年間」・・・信濃国上田に建立された信濃国分寺です。
平安時代中期の「承平の乱」(平将門の乱)で焼失したと伝えられ、そのご再興され現在に至っています。
平安時代中期の「承平の乱」(平将門の乱)で焼失したと伝えられ、そのご再興され現在に至っています。
本堂・・・江戸時代末期1860年に竣工。入母屋妻入り、屋根の下に庇があるので二層に見えますが一層です。
国指定重要文化財三重塔・・・建立年代は不確か・・・建築仕様から室町時代の建立といわれます。
日本の近世以前の三重塔は102(うち国宝が13)。信州には10(うち国宝が2、重要文化財が3)あります。
残存の理由は戦乱が少なかったからです・・・信州にお出での際はぜひ見に来てください。
国指定重要文化財三重塔・・・建立年代は不確か・・・建築仕様から室町時代の建立といわれます。
日本の近世以前の三重塔は102(うち国宝が13)。信州には10(うち国宝が2、重要文化財が3)あります。
残存の理由は戦乱が少なかったからです・・・信州にお出での際はぜひ見に来てください。
※撮影日は1月20日。
信濃国国衙上田と国分寺の話し・・・奈良時代のむかし、上田は信濃国の国衙(国府)があったと伝えられています。ヤマト中央集権の地方行政機関です。いまの県庁みたいなのです。国司(官選県知事みたいなもの)が派遣されていました。国衙には国分寺、国分尼寺がセットになっていたようです。東から国道18号線に沿って上田市街地に入る手前に国分寺跡、国分尼寺跡といわれる国史跡があります。地名もそれに合わせて国分(こくぶ)。いつの年代か国衙は上田(小県郡)から松本(筑摩郡)に移ったと伝えられます(なぜ国衙が移転したかも謎です)。。国衙がどこにあったのか、上田においても松本においても不明です。それを比定する遺構も文書もないようです。※コメント欄オープンしています。
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