比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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2022年・・・信州古刹巡り・・・天平時代の面影偲ばせる・・・信濃国分寺

2022-02-10 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳

厳しい寒さが続いています。小正月も終わった15日、19日は塩田平の古刹巡り、20日は上田市街地の国分寺に。

信州上田の国分寺・・・奈良時代の「天平年間」・・・信濃国上田に建立された信濃国分寺です。
平安時代中期の「承平の乱」(平将門の乱)で焼失したと伝えられ、そのご再興され現在に至っています。

本堂・・・江戸時代末期1860年に竣工。入母屋妻入り、屋根の下に庇があるので二層に見えますが一層です。

国指定重要文化財三重塔・・・建立年代は不確か・・・建築仕様から室町時代の建立といわれます。

日本の近世以前の三重塔は102(うち国宝が13)。信州には10(うち国宝が2、重要文化財が3)あります。
残存の理由は戦乱が少なかったからです・・・信州にお出での際はぜひ見に来てください。
※撮影日は1月20日。
信濃国国衙上田国分寺の話し・・・奈良時代のむかし、上田は信濃国の国衙(国府)があったと伝えられています。ヤマト中央集権の地方行政機関です。いまの県庁みたいなのです。国司(官選県知事みたいなもの)が派遣されていました。国衙には国分寺、国分尼寺がセットになっていたようです。東から国道18号線に沿って上田市街地に入る手前に国分寺跡国分尼寺跡といわれる国史跡があります。地名もそれに合わせて国分(こくぶ)。いつの年代か国衙は上田(小県郡)から松本(筑摩郡)に移ったと伝えられます(なぜ国衙が移転したかも謎です)。。国衙がどこにあったのか、上田においても松本においても不明です。それを比定する遺構も文書もないようです。

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