WEBニュースで・・・アフガンで・・・井戸を掘ったドクター「中村哲」がアフガニスタンの東部ナンガルハル州の州都ジャガルバード近郊で、仕事で現場に向かう途中、武装集団に銃撃され負傷、病院に収容、その後亡くなったことが伝えられています。
★2011年4月25日のブログ「アフガンで・・・井戸を掘ったドクター「中村哲」」・・・をコピー、少し訂正したものです。
この話を始めようとすると冒頭からたいへん長い話になります。気になる方はどうか飛ばしてください。
2007年5月20日、たいへん重くて辛い話をブログで文章にしました。
「トマサ・サリノグさん・・・からの手紙」です。太平洋戦争中に日本軍によって慰安婦にされた当事15歳のフィリピン女性(78歳)の話です。なぜかわかりませんが日に日に閲覧者が増えていきました(数千人)。あとから山梨のある団体がトマサ・サリノグさんのことをテーマにしたミュージカルを2008年5月に予定していることを知りました。ミュージカル主宰の事務局が私のブログをトマサ・サリノグさんを知るためのテキストとしてリンクしてくださったのです・・・この話は以上で省略します。カテゴリーに「トマサ・サリノグ」として3編残してあります。
ミュージカルの名前は「ロラ・マシン物語」・・・このとき山梨の関係者からたくさんのコメントをいただき、その熱気に感動しました。いまも拙ブログを熱心に応援してくださってるかたがいて、今年5月にアフガニスタンで医療支援を続けておられる中村哲医師の活動をテーマにしたミュージカルをされることをブログで知り何かお手伝いしようと思っていました。
アフガニスタン・・・難しいですね・・・。
わたしだけかも知りませんが何一つ知りません。知っているのはタリバン、イスラム原理主義、オサマ・ビンラディンという言葉だけぐらいでしょうか。怖いテロ国家という感じがしますね。
少しにわか勉強しました。アフガニスタン・・・中東アジア、地図で見るとパキスタンはじめ6国と国境を接しています。国土は日本の1.7倍、人口2800万人、80%が農業、10%は林業、遊牧蓄業。
画像クリックすると地形図が・・・80%以上が山です。しかも国土の真ん中に最高峰ティリチ・ミール(7708m)のあるヒンズークッシュ山脈が横たわっています。年間降雨量は日本の10分の1、極端に乾燥した国ですが6~7000mの高峰の万年雪が夏に融けて谷間を流れてわずかな農地を潤していました。
19世紀末イギリスの植民地に、
1978年ソ連軍が侵攻、そして
1989年ソ連軍撤退からタリバンの台頭、世紀の大旱魃、国連決議の経済制裁、
2001年9月11日のアメリカの同時多発テロからアメリカはアフガニスタンをオサマ・ビンラディン率いる悪の枢軸として爆撃を開始。
西欧列強に翻弄され内戦を繰り返してきた悲しい国家です。
さしたる資源も生産もない国がなぜ・・・わかりません。
タリバン・・・アラビア語で「学生たち」の意味。ソ連軍侵攻で避難したパキスタンで育った若者たちが学ぶ神学校の生徒たちで組織された勢力。故国を知らずに他国で育った純粋な若者たちです。この純粋さが・・・。
中村哲さんについて・・・
1946年福岡県生まれ、母の兄(伯父)が若松港の沖仲士の組長の祖父を主人公にした小説「花と龍」を書いた火野葦平。プロテスタント系バプテスト派のキリスト教徒。大牟田労災病院の勤務医、1982年日本キリスト教海外医療協力会から派遣医(任期3年)の話が持ち込まれたのは1982年、1983年パキスタンに避難したアフガニスタン難民の医療実態を下見、親しい友人知己により1984年NPO法人BMS(べシャワール・メディカル・サービス)が福岡で発足。84年赴任、以来今日までに至る。
ベシャワールはアフガニスタンに近いパキスタンの町です。最初はハンセン病患者の救済から。ソ連軍の撤退とともにアフガニスタンにも入っていくようになります。山奥深く無医地区を回ります。学生時代から昆虫を追いかけて登山をしていたようで体の丈夫なかたのようです。電気もない、水道もない、ガスもないアフガニスタンのことを知るようのなります。そして2000年夏に襲ったユーラシア大陸中央アジア一帯の地球環境の激変ともいうべき未曾有の大旱魃(かんばつ)です(この報道は世界的にはあまりされなかったそうです)。
ソ連軍の撤退、タリバン政権と規制勢力との衝突、西欧列強の経済封鎖、このへんのところはドロドロしていて魑魅魍魎ですので省略。アフガニスタンの田舎は中央政治とまったく関係ない社会。旱魃と経済封鎖、破壊された設備、地雷原、無差別爆撃(タリバン勢力だけ狙うなんてできません)、それでも生きていかねばなりません。
中村医師の飢餓との戦いがはじまります。「まず生きることから」・・・自給自足農業のための井戸掘リが始まりました。まともな飲料水がないと赤痢が蔓延するそうです。砂漠にはむかしからカレーズという縦井戸を地下水路で繋いでいく用水方式があります。ソ連軍の侵攻と内戦で破壊されたカレーズの再生にもかかります。
2005年までに1400本の井戸を掘ったそうです。井戸掘りは近代的な器械を使ったものではなく古来からの伝統技術で、用水路は蛇篭など日本でもむかし見られた技術を。そうしないとあとから彼らだけのメンテナンスができないからだそうです。用水路に沿って柳、ユーカリの木を植えます。
何が彼をそこまで駆り立てたのでしょうね。
中村医師はタリバンでもイスラム教徒でもなく過激派でもなく、敬虔なクリスチャンです。むしろ古風な九州人気質、若松の沖仲士の親分の祖父の血を継いだ侠気の人のようです。
2001年10月、衆議院で参考人として出席し「自衛隊派遣が取り沙汰されているようだが,当地の事情を考えると有害無益である」と陳述します。
参考に読んだ本です。
「医者井戸を掘る」
中村哲著、蓮岡修(現地報告)
「タリバン」
田中宇著(光文社 2001年刊)
「アフガニスタンで考える」
中村哲著(岩波ブックレット 2006年刊)
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」
中村哲著・澤地久枝(聞き手)(岩波書店 2010年刊)
下の写真は「アフガニスタンで考える」(岩波ブックレットから)
イスラム教の国アフガンで異教徒で異民族で民衆の中に入っていける人、不思議な人です。目線を同じに置ける人、人柄でしょうね、それが彼らにわかるのでしょう。ヘンな帽子、ヘンな髭は彼らと同じに付き合うためのようです。
戦争をしない国の日本人として見られてきたそうです。そのごの情勢はそうではなくなったようです。日本も戦争を仕掛ける国に追従して協力国になったのです。
「眼には眼を」の国です。自分の妻や子どもが無差別爆撃(ピンポイント攻撃なんてありえません)でやられたら復讐を誓うのがコーランの教えだそうです。それでも彼はこの仕事を続けるでしょう。
1988年外務大臣賞、2002年若月賞(長野県佐久総合病院名誉院長若月俊一記念)、2002年沖縄平和賞(沖縄県主催)、2003年マグサイサイ賞、2004年イーハトーブ・宮沢賢治賞(岩手県花巻市主催)、2016年旭日双光章(叙勲)、2018年アフガニスタン国家勲章・・・など26の受賞。2019年アフガニスタン名誉市民権授与。
中村医師の活動をテーマにしたミュージカル「ドクター・サーブ」 は2011年5月8日甲府市で公演。
わたしのコメントフレンド山梨のこきおばさんの→中村哲医師に関するブログです。
★2011年4月25日のブログ「アフガンで・・・井戸を掘ったドクター「中村哲」」・・・をコピー、少し訂正したものです。
この話を始めようとすると冒頭からたいへん長い話になります。気になる方はどうか飛ばしてください。
2007年5月20日、たいへん重くて辛い話をブログで文章にしました。
「トマサ・サリノグさん・・・からの手紙」です。太平洋戦争中に日本軍によって慰安婦にされた当事15歳のフィリピン女性(78歳)の話です。なぜかわかりませんが日に日に閲覧者が増えていきました(数千人)。あとから山梨のある団体がトマサ・サリノグさんのことをテーマにしたミュージカルを2008年5月に予定していることを知りました。ミュージカル主宰の事務局が私のブログをトマサ・サリノグさんを知るためのテキストとしてリンクしてくださったのです・・・この話は以上で省略します。カテゴリーに「トマサ・サリノグ」として3編残してあります。
ミュージカルの名前は「ロラ・マシン物語」・・・このとき山梨の関係者からたくさんのコメントをいただき、その熱気に感動しました。いまも拙ブログを熱心に応援してくださってるかたがいて、今年5月にアフガニスタンで医療支援を続けておられる中村哲医師の活動をテーマにしたミュージカルをされることをブログで知り何かお手伝いしようと思っていました。
アフガニスタン・・・難しいですね・・・。
わたしだけかも知りませんが何一つ知りません。知っているのはタリバン、イスラム原理主義、オサマ・ビンラディンという言葉だけぐらいでしょうか。怖いテロ国家という感じがしますね。
少しにわか勉強しました。アフガニスタン・・・中東アジア、地図で見るとパキスタンはじめ6国と国境を接しています。国土は日本の1.7倍、人口2800万人、80%が農業、10%は林業、遊牧蓄業。
画像クリックすると地形図が・・・80%以上が山です。しかも国土の真ん中に最高峰ティリチ・ミール(7708m)のあるヒンズークッシュ山脈が横たわっています。年間降雨量は日本の10分の1、極端に乾燥した国ですが6~7000mの高峰の万年雪が夏に融けて谷間を流れてわずかな農地を潤していました。
19世紀末イギリスの植民地に、
1978年ソ連軍が侵攻、そして
1989年ソ連軍撤退からタリバンの台頭、世紀の大旱魃、国連決議の経済制裁、
2001年9月11日のアメリカの同時多発テロからアメリカはアフガニスタンをオサマ・ビンラディン率いる悪の枢軸として爆撃を開始。
西欧列強に翻弄され内戦を繰り返してきた悲しい国家です。
さしたる資源も生産もない国がなぜ・・・わかりません。
タリバン・・・アラビア語で「学生たち」の意味。ソ連軍侵攻で避難したパキスタンで育った若者たちが学ぶ神学校の生徒たちで組織された勢力。故国を知らずに他国で育った純粋な若者たちです。この純粋さが・・・。
(地図はWikipediaから)
中村哲さんについて・・・
1946年福岡県生まれ、母の兄(伯父)が若松港の沖仲士の組長の祖父を主人公にした小説「花と龍」を書いた火野葦平。プロテスタント系バプテスト派のキリスト教徒。大牟田労災病院の勤務医、1982年日本キリスト教海外医療協力会から派遣医(任期3年)の話が持ち込まれたのは1982年、1983年パキスタンに避難したアフガニスタン難民の医療実態を下見、親しい友人知己により1984年NPO法人BMS(べシャワール・メディカル・サービス)が福岡で発足。84年赴任、以来今日までに至る。
ベシャワールはアフガニスタンに近いパキスタンの町です。最初はハンセン病患者の救済から。ソ連軍の撤退とともにアフガニスタンにも入っていくようになります。山奥深く無医地区を回ります。学生時代から昆虫を追いかけて登山をしていたようで体の丈夫なかたのようです。電気もない、水道もない、ガスもないアフガニスタンのことを知るようのなります。そして2000年夏に襲ったユーラシア大陸中央アジア一帯の地球環境の激変ともいうべき未曾有の大旱魃(かんばつ)です(この報道は世界的にはあまりされなかったそうです)。
ソ連軍の撤退、タリバン政権と規制勢力との衝突、西欧列強の経済封鎖、このへんのところはドロドロしていて魑魅魍魎ですので省略。アフガニスタンの田舎は中央政治とまったく関係ない社会。旱魃と経済封鎖、破壊された設備、地雷原、無差別爆撃(タリバン勢力だけ狙うなんてできません)、それでも生きていかねばなりません。
中村医師の飢餓との戦いがはじまります。「まず生きることから」・・・自給自足農業のための井戸掘リが始まりました。まともな飲料水がないと赤痢が蔓延するそうです。砂漠にはむかしからカレーズという縦井戸を地下水路で繋いでいく用水方式があります。ソ連軍の侵攻と内戦で破壊されたカレーズの再生にもかかります。
2005年までに1400本の井戸を掘ったそうです。井戸掘りは近代的な器械を使ったものではなく古来からの伝統技術で、用水路は蛇篭など日本でもむかし見られた技術を。そうしないとあとから彼らだけのメンテナンスができないからだそうです。用水路に沿って柳、ユーカリの木を植えます。
何が彼をそこまで駆り立てたのでしょうね。
中村医師はタリバンでもイスラム教徒でもなく過激派でもなく、敬虔なクリスチャンです。むしろ古風な九州人気質、若松の沖仲士の親分の祖父の血を継いだ侠気の人のようです。
2001年10月、衆議院で参考人として出席し「自衛隊派遣が取り沙汰されているようだが,当地の事情を考えると有害無益である」と陳述します。
参考に読んだ本です。
「医者井戸を掘る」
中村哲著、蓮岡修(現地報告)
「タリバン」
田中宇著(光文社 2001年刊)
「アフガニスタンで考える」
中村哲著(岩波ブックレット 2006年刊)
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」
中村哲著・澤地久枝(聞き手)(岩波書店 2010年刊)
下の写真は「アフガニスタンで考える」(岩波ブックレットから)
イスラム教の国アフガンで異教徒で異民族で民衆の中に入っていける人、不思議な人です。目線を同じに置ける人、人柄でしょうね、それが彼らにわかるのでしょう。ヘンな帽子、ヘンな髭は彼らと同じに付き合うためのようです。
戦争をしない国の日本人として見られてきたそうです。そのごの情勢はそうではなくなったようです。日本も戦争を仕掛ける国に追従して協力国になったのです。
「眼には眼を」の国です。自分の妻や子どもが無差別爆撃(ピンポイント攻撃なんてありえません)でやられたら復讐を誓うのがコーランの教えだそうです。それでも彼はこの仕事を続けるでしょう。
1988年外務大臣賞、2002年若月賞(長野県佐久総合病院名誉院長若月俊一記念)、2002年沖縄平和賞(沖縄県主催)、2003年マグサイサイ賞、2004年イーハトーブ・宮沢賢治賞(岩手県花巻市主催)、2016年旭日双光章(叙勲)、2018年アフガニスタン国家勲章・・・など26の受賞。2019年アフガニスタン名誉市民権授与。
中村医師の活動をテーマにしたミュージカル「ドクター・サーブ」 は2011年5月8日甲府市で公演。
わたしのコメントフレンド山梨のこきおばさんの→中村哲医師に関するブログです。
※コメント欄オープン。
昨夜から悲しみに打ちひしがれています。
何で中村氏が命を落とさなければならないのか!一番平和を愛した方でしたのに!!
日本人は9条があるから守られている、と直接お聞きしたあの講演会は、私の宝物になりました。
覚悟を決めて活動されていたと思いますが、やっぱり犠牲になると悔しい気持ちになります。
ただただご冥福を祈りたいです。
詳しく取り上げて頂いてありがとうございます。