1月7日、秩父長瀞の不動寺にお詣り今年1年の息災を祈り、七草粥をいただきました。
帰りは寄居に出て深谷市田中字貴船の荒川中流域の河川敷で白鳥に逢ってきました。
白鳥に餌をやらないでください。自然の中で過ごしているのを黙って見守ってやるのが生き物に対する優しさです。
《脱線ですが》
※六堰頭首工・・・1602年、江戸幕府の初代関東郡代伊奈忠次が新田開発のためにここに六つの堰(頭首工)を設け、時が流れ昭和の始め1939年に六つの堰をまとめて一つの取水ダムを建設、老朽化のため平成になって2006年新六堰頭首工が完成しました。6つの堰があるわけでなく今は1つの堰ですがむかしの名前で呼んでいるわけです。過去ログ→クリック
重忠橋は一般道路でもあり取水堰の管理用橋です。橋の名前になった重忠とは中世鎌倉時代の郷土の武将畠山重忠公のこと。この橋の右岸は明治初期まで武州男衾郡畠山村、畠山重忠の本拠地だったといわれ墓所もあります。過去ログ→クリック
帰りは寄居に出て深谷市田中字貴船の荒川中流域の河川敷で白鳥に逢ってきました。
100羽を越えるコハクチョウの大群です。下流に見えるのは植松橋。
大群の中にオナガモが1羽だけいました。
頭がグレイのはコハクチョウの若鳥。嘴もまだ完全に黒と黄色のツートンカラーになっていません。
上流側にもコハクチョウの群がいます。アーチ橋は水管橋、その向こうに新六堰頭首工の堰と重忠橋。
大群の中にオナガモが1羽だけいました。
頭がグレイのはコハクチョウの若鳥。嘴もまだ完全に黒と黄色のツートンカラーになっていません。
上流側にもコハクチョウの群がいます。アーチ橋は水管橋、その向こうに新六堰頭首工の堰と重忠橋。
※カメラは Panasonic LUMIX DMC-GH2 14~140mm。
※いつの間にか川本の白鳥飛来地は鹿島古墳群の近くから植松橋の上流に移ったようです。観察しているとたえず水中に首を突っ込み採餌しています。ここは水中の餌が豊富なのでしょうか。それでも明戸の堰から旧飛来地にもいますから分散したといってもイイでしょう。この川原に行くには植松橋の左岸の下流側から橋の下をくぐって石ころ道を辿ります。白鳥に餌をやらないでください。自然の中で過ごしているのを黙って見守ってやるのが生き物に対する優しさです。
《脱線ですが》
※六堰頭首工・・・1602年、江戸幕府の初代関東郡代伊奈忠次が新田開発のためにここに六つの堰(頭首工)を設け、時が流れ昭和の始め1939年に六つの堰をまとめて一つの取水ダムを建設、老朽化のため平成になって2006年新六堰頭首工が完成しました。6つの堰があるわけでなく今は1つの堰ですがむかしの名前で呼んでいるわけです。過去ログ→クリック
重忠橋は一般道路でもあり取水堰の管理用橋です。橋の名前になった重忠とは中世鎌倉時代の郷土の武将畠山重忠公のこと。この橋の右岸は明治初期まで武州男衾郡畠山村、畠山重忠の本拠地だったといわれ墓所もあります。過去ログ→クリック
こうして見て居るだけが一番いいことなのでしょうね。
人間の眼には優雅に見えても、白鳥たちはそれぞれ大変な想いを持って生きているのかもしれません。
地上のの生物が皆健康で、健康に生きられる環境でなければ!汚染されてしまった東日本、子どもたちだけでも守らなくては!と思うのですが・・・・
想像以上にたくさんの数、そして皆のびのびイキイキしているように見えました。
やはり一様に嘴を水の中に入れてゆらゆらと流れに身をまかせており。逆立ちしなくても餌を採れるのですね。
鳴き声もかわいらしく、若鳥はなんと愛くるしいのでしょう~
毎年、荒川に出かける楽しみになりそうです。
綺麗なお写真見てまた思いだしちゃいました・・・
チェルノブイリやマーシャル群島の人たちはいまも苦しんでいます。
鳩山町在住の福島県楢葉町の人で川越でお蕎麦屋さんをやっていた人は娘さんやお孫さんのために、鳩山に土地を求め家を建てお蕎麦屋さんを開業します。
人の心は読みとれませんが、辛いでしょうね。
人が来ても寄ってきません。
人が餌やりをしていないからかもしれません。
植松橋の少し下の右岸にカモ類が密集しているところがあります。ことによるとミコアイサのツガイがいるかもしれません、さらにその下流にホオジロガモがいます。
白鳥も鴨も3月までいます。
また尋ねてください。
コメントありがとうございました。