2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の大地震が三陸海岸、仙台湾、福島浜通りから茨城の鹿島灘など太平洋岸に起こり、その約50分後に大津波が押し寄せました。
3月12日15時36分、福島第一原発メルトダウン水素爆発。
2011年11月8日福島県相馬港から、11月9日、仙台から石巻、気仙沼と震災のあとを歩きました。
石巻市日和山の上で呆然と瓦礫の町を見ていました。隣の人になぜか「ありがとう」といわれました。
帰りたい・・・帰れない Home is where the heart is 故郷は遠きにありて思うもの
《福島県の公式HPより》
・双葉町人口7140人(避難写6838人)・大熊町人口10287人(避難者8937人)・富岡町人口12645人(避難者12341人)・浪江町人口17200人(避難者16100人)
★常磐線が3月14日全開通する・・・震災以後9年ぶり。
★3月11日、NHKBSプレミアム「篠山輝信ー震災9年の東北の旅」を見ていた。相馬市から双葉、富岡、大熊へ。かつての豊穣な畑はよみがえりつつあるが、汚染土の処理袋が積まれている、時がたつと場所を変えて積みなおされる。
★鎌田實先生が双葉小学校を尋ねるレポートをテレビで見た。靴箱に震災時そのままに子供たちの靴が置かれ、教室にはランドセルがそのままに、子供たちは何も持たずに上履きのまま避難・・・あれ以来そのままなのだ。
★汚染水も汚染土も・・・どうしていいかわからない・・・ノーベル賞級の原子物理学者もわからないそうだ・・・「アンダーコントロール」なんて嘘のまた嘘だ・・・
★復興オリンピック・・・福島から聖火リレーが始まる・・・ここ福島浜通りで聖火リレーが走る・・・。
☆「クリンの広場」さんの2020年3月10日の『フクシマ50(映画感想)』です・・・クリック
3月12日15時36分、福島第一原発メルトダウン水素爆発。
2011年11月8日福島県相馬港から、11月9日、仙台から石巻、気仙沼と震災のあとを歩きました。
石巻市日和山の上で呆然と瓦礫の町を見ていました。隣の人になぜか「ありがとう」といわれました。
2011年11月、福島県相馬市相馬漁港の様子です。右はメルトダウン後の福島原発のテレビニュースから。
天災には・・・悲しみがこみあげる
人災には・・・怒りがこみあげる
天災に対しては自助努力で人々は立ち向かえます。
人災・・・放射能に対して人はどう立ち向かえばいいのでしょうか。
人災には・・・怒りがこみあげる
天災に対しては自助努力で人々は立ち向かえます。
人災・・・放射能に対して人はどう立ち向かえばいいのでしょうか。
帰りたい・・・帰れない Home is where the heart is 故郷は遠きにありて思うもの
《福島県の公式HPより》
・双葉町人口7140人(避難写6838人)・大熊町人口10287人(避難者8937人)・富岡町人口12645人(避難者12341人)・浪江町人口17200人(避難者16100人)
★常磐線が3月14日全開通する・・・震災以後9年ぶり。
★3月11日、NHKBSプレミアム「篠山輝信ー震災9年の東北の旅」を見ていた。相馬市から双葉、富岡、大熊へ。かつての豊穣な畑はよみがえりつつあるが、汚染土の処理袋が積まれている、時がたつと場所を変えて積みなおされる。
★鎌田實先生が双葉小学校を尋ねるレポートをテレビで見た。靴箱に震災時そのままに子供たちの靴が置かれ、教室にはランドセルがそのままに、子供たちは何も持たずに上履きのまま避難・・・あれ以来そのままなのだ。
★汚染水も汚染土も・・・どうしていいかわからない・・・ノーベル賞級の原子物理学者もわからないそうだ・・・「アンダーコントロール」なんて嘘のまた嘘だ・・・
★復興オリンピック・・・福島から聖火リレーが始まる・・・ここ福島浜通りで聖火リレーが走る・・・。
☆「クリンの広場」さんの2020年3月10日の『フクシマ50(映画感想)』です・・・クリック
※コメント欄開いています。
確か比企野さんは、3,11後被災地を訪れた、と聞きました。
そして人生観が、頭を殴られたような、そんな気持ちで帰って来た。
考え方が全く変わり、人生観も大きく違った…とメールを頂いた。
縄文人は、残念行ってないのです。
実は別件お願いごと。
以前ブログの本記事の下に、
「画像を自由にお使いください…と記してありました。
今「秩父事件の一部分を書き綴って」います。当方手持ちの画像があまりない。
そこで、ヒキノさんの「道を行く・秩父事件」の画像を使わせてもらいたい。
ぶしつけ、勝手なお願い相すまないです。
、
カテゴリー」秩父事件を追って」
二つのカテゴリーがあります。
光栄です。どうぞご自由に使ってください。トリミングも自由に。画像の出所説明不要です。
改めて自分でも見ています。写真の出来はともかく、積み重ねだったなあと思います。秩父人の縄文人さんの励ましのお蔭です。
椋神社、乘峯山。乘峯神社・・懐かしく思い出します。
堂々川の砂留の1部の写真を載せています。
詳しいことはメールをください。
砂留の権威である自然さんに別所砂留のことを広く全国に語ってもらいたかったのです。
私だけが知っても仕方がありません。
堂々川の砂留のことはもう10年以上、自然さんおブログで教えてもらっています。
桃李言わず、下自ずから溪を成す・・・といいます。美しいものは美しいなんて自分から言わなくても人々は愛でるものです、
コメントありがとうございました。