1945年3月26日太平洋戦争において沖縄県慶良間諸島に米軍が上陸。
1945年4月1日沖縄本島に米軍上陸。
1945年6月23日沖縄南部摩文仁において日本帝国陸軍第32軍司令官牛島満中将自決、この日をもって太平洋戦争の日本(唯一の)国内における組織的地上戦は終結します。
沖縄の本土復帰にまつわる日米秘密協定・・・その報道にかかわり、すべてを失った主人公の新聞記者がやがて沖縄に辿りつく。そして沖縄の現実をつぶさに知っていく・・・最終回はこのテーマが中心になっています。敗戦時の集団自決、米兵による少女暴行事件、ヘリコプター墜落事件、小説とはいえ沖縄のことがわかってきます。終章では主人公と少女暴行事件の当事者の女性との交流を追って、すべてを失いこころに深い傷を負った女性が必死に生きていく姿を描いています。
最後に主人公はこうつぶやきます。
「沖縄を知れば知るほど、この国の歪みが見えてくる。それにもっと多くの本土の国民が気付き、声をあげねばならないが・・・」
沖縄少女暴行事件・・・1995年、3名の米兵が12歳の女子小学生wを監禁、暴行した事件。これが元で日米地位協定の見直しの声が上がり85,000人の大集会が開かれる。基地沖縄の現実そのもの。このことを知らない本土の人は政治家をはじめ多い。
NHKのテレビで池上永一の小説をドラマ化した「テンペスト」を放映していました。江戸時代末期の琉球王朝、清国と薩摩との二元外交、やがて日本国に併合されていく。そんな時代背景のドラマです。
沖縄のことを知ってるつもりで何も知りません。ドラマを見てから図書館で小説を借り読んでいます。
67年前の6月23日、沖縄では戦争状態が終結しました。負けたのです(終戦ではありません)。日本国全体が敗戦を迎えるのはその53日後の8月15日です。そして米軍の占領統治下から本土並みの復帰を果たすのは27年後の1972年のことです。
それから40年、本土並み復帰を果たしているでしょうか。
沖縄のこと何もわからないままに・・・カテゴリー「沖縄のこと」・・・を書いてきて29編になりました。
古いエントリーで今でもほとんど毎日、見ていただいているブログがあります。見ていたければと思います。
2007年4月1日のブログ・・・沖縄戦・米軍上陸・集団自決
2009年9月20日・・・命どぅ宝・・・白旗の少女
↓クリック・・・遥かカナダ在住の方からトラックバックいただきました
「白旗の少女」のことです。
※カテゴリー「沖縄のこと」…クリックして読んでいただけたら…。
1945年4月1日沖縄本島に米軍上陸。
1945年6月23日沖縄南部摩文仁において日本帝国陸軍第32軍司令官牛島満中将自決、この日をもって太平洋戦争の日本(唯一の)国内における組織的地上戦は終結します。
6月23日は沖縄において太平洋戦争の戦闘状態が終結した日です。
この戦闘において沖縄県民の1/3が死亡したといわれます。沖縄県では県条例で《慰霊の日》としています。
・・・・・・・・・黙祷・・・・・・・・・・
今年の1月15日から始まった山崎豊子の小説をドラマ化した「運命の人」。小説は前に読んでいましたがドラマも録画してずっと見ていました。
写真は第10話(最終回)の冒頭のシーンです。
この戦闘において沖縄県民の1/3が死亡したといわれます。沖縄県では県条例で《慰霊の日》としています。
・・・・・・・・・黙祷・・・・・・・・・・
今年の1月15日から始まった山崎豊子の小説をドラマ化した「運命の人」。小説は前に読んでいましたがドラマも録画してずっと見ていました。
写真は第10話(最終回)の冒頭のシーンです。
沖縄の本土復帰にまつわる日米秘密協定・・・その報道にかかわり、すべてを失った主人公の新聞記者がやがて沖縄に辿りつく。そして沖縄の現実をつぶさに知っていく・・・最終回はこのテーマが中心になっています。敗戦時の集団自決、米兵による少女暴行事件、ヘリコプター墜落事件、小説とはいえ沖縄のことがわかってきます。終章では主人公と少女暴行事件の当事者の女性との交流を追って、すべてを失いこころに深い傷を負った女性が必死に生きていく姿を描いています。
最後に主人公はこうつぶやきます。
「沖縄を知れば知るほど、この国の歪みが見えてくる。それにもっと多くの本土の国民が気付き、声をあげねばならないが・・・」
沖縄少女暴行事件・・・1995年、3名の米兵が12歳の女子小学生wを監禁、暴行した事件。これが元で日米地位協定の見直しの声が上がり85,000人の大集会が開かれる。基地沖縄の現実そのもの。このことを知らない本土の人は政治家をはじめ多い。
NHKのテレビで池上永一の小説をドラマ化した「テンペスト」を放映していました。江戸時代末期の琉球王朝、清国と薩摩との二元外交、やがて日本国に併合されていく。そんな時代背景のドラマです。
沖縄のことを知ってるつもりで何も知りません。ドラマを見てから図書館で小説を借り読んでいます。
67年前の6月23日、沖縄では戦争状態が終結しました。負けたのです(終戦ではありません)。日本国全体が敗戦を迎えるのはその53日後の8月15日です。そして米軍の占領統治下から本土並みの復帰を果たすのは27年後の1972年のことです。
それから40年、本土並み復帰を果たしているでしょうか。
沖縄のこと何もわからないままに・・・カテゴリー「沖縄のこと」・・・を書いてきて29編になりました。
古いエントリーで今でもほとんど毎日、見ていただいているブログがあります。見ていたければと思います。
2007年4月1日のブログ・・・沖縄戦・米軍上陸・集団自決
2009年9月20日・・・命どぅ宝・・・白旗の少女
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「白旗の少女」のことです。
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友人に沖縄出身の奴がいるのですが、朴とつしたいいやつです。
付き合い長いけど、沖縄であったこのような話したことなかったな~今度色んな話してみよ。
それを聞いていて野田総理の挨拶にはがっかりしました。基地移転の件は勿論のこと、いま問題になっている事故ばかり起こしているヘリの配置にも、何一つ触れずおざなりの挨拶で済ませていました。何のために沖縄に行ったのでしょう。
高校生の詩や流れていた「サトウキビ畑」の曲が沖縄の人の気持ちを伝えているように思えました。決して大声で怒りを表さないで、でも心の奥深くから、押し殺すようにしながら出てくる恨みを感じ取っていました。
戦後67年、私たちは沖縄の人の犠牲の上でぬくぬくとしていたのですね。
判ったようなことを言いながらも、沖縄県民の気持ちをよく理解出来ていない自分が居ます。
沖縄の現実は政治的なもので一般人には解決できないもの・・・語っても本土人には理解できないも、そう思ってるかもしれません。
問わず語りに聞き出すことはいいのですが・・・
友達がいるって幸せですね。
常に目線を同じにして付き合いたいものです。
沖縄の人の前で基地問題をどういうか・・・
「沖縄の皆様に精神誠意丁寧にご説明したい・・・」と抽象的な記者会見をして。仲井間知事にも合わず、慰霊の日の挨拶では何一つ具体的なことに言及しませんでした。
自分では沖縄であった悲惨な事実を半分も知りませんでした....恥ずかしい限りです。
これを機会に、色々な沖縄に関する本を読んでみたいと思います。
そんな話をしなくてもこの人はわかってるとわかるのでしょう。個人的には親しくつき合わせてもらいました。
福島と沖縄とダブって見えます。