5月31日、上野界隈をぶらりぶらりしましたが、6月6日、急に用事ができてふたたび東京の町に。用事をすませてから、今度は浅草界隈の散歩。
「どぜうの飯田屋」・・・合羽橋から国際通りに行く途中にある。どぜうといえば「駒形のどぜう」ですがこの店もまた明治35年(1902年)創業というシニセです。たかがドジョウ・・・高級料理ではありませんから普通のどじょう鍋屋さんです。
店構えの雰囲気ががいいですね。大正、昭和の香りがします。
小説家永井荷風の愛した店だったそうです。
《合羽橋》19世紀初めの文化年間、江戸時代後期、合羽屋喜八という人が私財を投じて湿地だったこのあたりの掘割の整備をしたそうです。それでこのあたりが合羽橋と呼ばれ、1912年、数軒の店が料理道具の問屋を開業。以来いまのような料理道具屋街に発展した。料理の道具、食器、食品サンプル、刃物、厨房設備・・・料理人の使うものなら何でもあり、一般個人にも販売、いまや外国人のプロの料理人、観光客も訪れる日本一の道具街です。
こういう町をぶらぶらするのが好きな変な私です。
合羽橋です・・・河童橋ではありません。それでも河童の看板や河童の金の像があります。
なぜかこの町は歩くだけで面白いのです。
合羽橋から浅草国際通りのほうに歩いていきます。この通りの正面に東京スカイツリーが見えてきます。
そうだ東京スカイツリーに行こう。
なぜかこの町は歩くだけで面白いのです。
合羽橋から浅草国際通りのほうに歩いていきます。この通りの正面に東京スカイツリーが見えてきます。
そうだ東京スカイツリーに行こう。
「どぜうの飯田屋」・・・合羽橋から国際通りに行く途中にある。どぜうといえば「駒形のどぜう」ですがこの店もまた明治35年(1902年)創業というシニセです。たかがドジョウ・・・高級料理ではありませんから普通のどじょう鍋屋さんです。
店構えの雰囲気ががいいですね。大正、昭和の香りがします。
小説家永井荷風の愛した店だったそうです。
《合羽橋》19世紀初めの文化年間、江戸時代後期、合羽屋喜八という人が私財を投じて湿地だったこのあたりの掘割の整備をしたそうです。それでこのあたりが合羽橋と呼ばれ、1912年、数軒の店が料理道具の問屋を開業。以来いまのような料理道具屋街に発展した。料理の道具、食器、食品サンプル、刃物、厨房設備・・・料理人の使うものなら何でもあり、一般個人にも販売、いまや外国人のプロの料理人、観光客も訪れる日本一の道具街です。
こういう町をぶらぶらするのが好きな変な私です。
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