信州上田の・・・六文銭の写真帳
紅葉狩り・・・軽井沢方面に・・・プチドライブ・・・
軽井沢町・・・旧中山道・・・追分宿・・・油田旅館・・・
旧脇本陣「油屋旅館」・・・1937年火災により焼失、再築したもので江戸期からの建屋ではありません。
昭和期に芥川龍之介、堀辰雄、立原道造ら文人が逗留し執筆活動をした旅館です。
2012年改修・・・「文化磁場油や」に・・・二階は4月~11月営業の旅館、一階は本、アート、音楽など文化発信の場に。
追分宿を散歩・・・茅葺きの家が見えます・・・
※撮影日は11月8日。
★追分・・・元々は牛馬を追い分ける場所が地名に、それが道路の分岐点の地名に。各地にあるようです。ここでは中山道と北国街道の分岐点といわれていますが江戸時代初期の中仙道整備前からいわれていて古代東山道がここで関東と東北方面に分かれたことからという説が・・・だそうです。★追分宿・・・江戸時代の幕府直轄五街道の宿場、軽井沢三宿(軽井沢、沓掛、追分)の一つ。中山道、北国街道の分岐点。元禄期の記録によれば旅籠71軒、茶屋18軒、商店28軒、飯盛り女200~270人の大きな宿場だったといいいます。
※コメント欄閉じています。