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埼玉県比企郡嵐山町の槻川渓谷の紅葉の物見遊山です。
嵐山といえば京都、京都といえば嵐山(あらしやま)・・・ですが・・・埼玉県にあって嵐山町?・・・ランザンです・・・モドキ名ですが・・・これには訳が・・・
1928年この地(前埼玉県比企郡菅谷村)を訪れた・・・「近代林学、造園学の父」といわれる本多静六博士(埼玉県久喜市菖蒲町出身、北海道大沼公園、会津若松鶴ヶ城公園、明治神宮内苑、日比谷公園、秩父羊山公園、須坂臥竜公園、金沢卯辰山公園、福岡大壕公園などを手がけた)が槻川渓谷の美を絶賛して・・・「武蔵の国の嵐山なり」と叫んだとか・・・のちに1935年東武東上線菅谷駅が武蔵嵐山駅に改称、1967年菅谷村が町制施行の際、嵐山町に改称。
アクセスは嵐山町遠山の駐車場から・・・静かな山道を落ち葉を踏みしめ歩くこと10数分・・・
埼玉県比企郡嵐山町の槻川渓谷の紅葉の物見遊山です。
嵐山といえば京都、京都といえば嵐山(あらしやま)・・・ですが・・・埼玉県にあって嵐山町?・・・ランザンです・・・モドキ名ですが・・・これには訳が・・・
1928年この地(前埼玉県比企郡菅谷村)を訪れた・・・「近代林学、造園学の父」といわれる本多静六博士(埼玉県久喜市菖蒲町出身、北海道大沼公園、会津若松鶴ヶ城公園、明治神宮内苑、日比谷公園、秩父羊山公園、須坂臥竜公園、金沢卯辰山公園、福岡大壕公園などを手がけた)が槻川渓谷の美を絶賛して・・・「武蔵の国の嵐山なり」と叫んだとか・・・のちに1935年東武東上線菅谷駅が武蔵嵐山駅に改称、1967年菅谷村が町制施行の際、嵐山町に改称。
アクセスは嵐山町遠山の駐車場から・・・静かな山道を落ち葉を踏みしめ歩くこと10数分・・・
★1939年この地を訪れた与謝野晶子の歌碑。
比企の溪
槻の川 赤柄の傘を さす松の
立ち並びたる 山の しののめ
槻の川 赤柄の傘を さす松の
立ち並びたる 山の しののめ
★しののめ・・・古日本語、夜明け前に東の空が茜色に染まる様をいう。
※撮影日は11月25日。
※コメント欄オープン。
ナショナルトラストは英国発祥で国により法的保護がされていますが日本ではまだまだのようです。
小川町から槻川に沿って旧分校から嵐山渓谷までの道は強行軍ですね。
よく歩きましたが今はクルマだけです。菅谷館跡は野鳥と蝶と山百合の王国です。埼玉県を愛していただきありがとうございます。
コメントありがとうございました。
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さらに下流の丸木美術館あたりもよい景色ですね。