8月14日朝、NHKテレビ「おはよう日本」の中で・・・不世出のプロ野球選手・・・張本勲氏が語っていた。
張本 勲(1940年~)・・・元プロ野球選手、通算安打3085本、通算打率.319、通算本塁打504本、通算盗塁数319・・・比類なき大打者・・・
原爆被爆者としての張本勲・・・5歳の時、原爆の爆心地から2㎞東の広島市段原で被曝、標高70mの比治山の東側に家があったため山が壁となって熱線を直接浴びることなく助かったが、学徒動員中の姉が被爆して、数日後に亡くなったという。
※張本 勲・・・在日韓国人二世、韓国籍。王 貞治も中華民国(台湾)籍、日本の社会は他国籍の人、日本国籍に変えた人、さまざま。そのことは人格には何の関係はない。日本という国は有史以前から南の海から、大陸から、北の国から、いろいろな民族が渡ってきて形成されている日本語という特殊言語(アルタイ語系というが定かにされていない)の黄色人種の国。他国籍の人もやがては同化して日本国籍になっていく。
※プロ野球人として・・・新人の時からレギュラー、4番バッター、人一倍の努力、闘魂、個性が強すぎてチョッとネだったが、記憶にも記録にも超一流選手であったことは間違いない。
張本 勲(1940年~)・・・元プロ野球選手、通算安打3085本、通算打率.319、通算本塁打504本、通算盗塁数319・・・比類なき大打者・・・
原爆被爆者としての張本勲・・・5歳の時、原爆の爆心地から2㎞東の広島市段原で被曝、標高70mの比治山の東側に家があったため山が壁となって熱線を直接浴びることなく助かったが、学徒動員中の姉が被爆して、数日後に亡くなったという。
被爆して全身に火傷を負った姉のことを・・・
被爆者健康手帳の持ち主です。
現役時代は年に1度の健康診断では結果に怯えていたという。
2005年ごろテレビで見た若者たちのトークを聞いて愕然として・・・
以後、被爆者としての経験を語るように。
5006年朝日テレビの「徹子の部屋」、2009年NHKテレビ ドキュメント「わたしが子どもだったころ」に出演。
被爆者健康手帳の持ち主です。
現役時代は年に1度の健康診断では結果に怯えていたという。
2005年ごろテレビで見た若者たちのトークを聞いて愕然として・・・
以後、被爆者としての経験を語るように。
5006年朝日テレビの「徹子の部屋」、2009年NHKテレビ ドキュメント「わたしが子どもだったころ」に出演。
※張本 勲・・・在日韓国人二世、韓国籍。王 貞治も中華民国(台湾)籍、日本の社会は他国籍の人、日本国籍に変えた人、さまざま。そのことは人格には何の関係はない。日本という国は有史以前から南の海から、大陸から、北の国から、いろいろな民族が渡ってきて形成されている日本語という特殊言語(アルタイ語系というが定かにされていない)の黄色人種の国。他国籍の人もやがては同化して日本国籍になっていく。
※プロ野球人として・・・新人の時からレギュラー、4番バッター、人一倍の努力、闘魂、個性が強すぎてチョッとネだったが、記憶にも記録にも超一流選手であったことは間違いない。
広島の地理はワカリマセンが「駅から南、爆心地から2㎞離れた比治山公園の下のトタン屋根のバラック小屋に住んでいたそうです。
高校は不良ということか市内の高校で引き受けるところがなく離島の定時制へ。紹介する先生がいて大阪の浪速商業に、甲子園は部員の不祥事で✕。東映フライヤーズに入団。弱小球団ですぐレギュラーに。広島の高校でなかったこと、甲子園球児でなかったことが広島ではあまり知られていない原因かも。
プレイやーとしては超一流。
原爆被爆者であることは語るようになったのはここ10年だそうです。
10年くらい前にNHKのドキュメント番組で知りました。
被爆走りませんでした。
同じ広島県でも東と西では100kmも離れています。
今回の記事については感謝です。
実際は原爆症の発症におびえていたといいます。
日本画家の平山郁夫さん(学徒動員で広島で就業中被曝)も原爆症の発症に生涯怯えていたそうです。
張本さんはいまは積極的に講演会で語っているそうです。
「われわれが語り継いでいかなきゃ」〈次の世代がそれをバトンタッチしてもらいたい」
イイ言葉です。
現役時代も、いつ原爆症が発症するか夜悪夢にうなされたそうです。
選手としての張本選手、生意気であまり好きじゃなかったです。王選手の紳士的なところと正反対。でも実績は超一流。すごい選手でした。東映フライヤーズのころ何回か試合を見ています。
思想的にはやや右派でしょうね。でも平和を願う心は誰でも同じです。
8月14日朝、NHKテレビ「おはよう日本」見ませんでした。
↓下記の放送は、
NHKラジオ深夜便(8月15日4時から)放送されたものです。
被爆体験ですから多分内容は同じかもしれませんが。
インタヴュウ形式で進んだ。
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2017/08/blog-post_15.html
いつも「あっぱれ」とあまり言わない厳しい人だと思っていましたが・・・・・
貧乏していたから、グローブが買えなくて苦労したという話は聞いていましたが、被爆者手帳を持ち、「いつ・自分が・・・・」と不安を抱いて生活していたことは知りませんでした。
日本の今に危機感を持っての発言だったと思います。
良い発言をしてくださったと嬉しく思います。