比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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秋の信州・松本城を訪ねる②・・・松本城に登城して・・・松本平を俯瞰する

2020-10-13 | 古城・城址・陣屋・館跡
・・・彩風人の写真帳・・・

9月3日朝・・・松本城散歩・・・
松本城の天守閣に登城して・・・松本平を俯瞰しました・・・

黒門から本丸に入城・・・本丸御殿跡の芝生広場を直進します。大天守をはさんで左に辰巳櫓、月見櫓、右に乾小天守

大天守乾小天守の間の渡櫓の下にに大手口

東の方向・・・正面に松本市役所・・・美ヶ原・・・王ヶ頭が雲の合間に・・・
本丸御殿跡芝生広場・・・1727年本丸御殿焼失、以来再建することなく二の丸御殿にて藩政を行った。

南の方・・・市内中心・・・
松本の地名由来・・・古くは深瀬の郷と呼ばれた・・・女鳥羽川扇状地末端の深い瀬の畔、変じて深志に、戦国時代の守護大名小笠原氏が居城深志城を武田氏に追われ、武田氏の滅亡後、旧領に戻ったとき深志城松本城と改名したという。よくある瑞祥名。松はめでたい・・・全国によくある地名。
松本藩・・・江戸幕府になり松本藩として、小笠原、石川、松平、堀田、水野、松平と10万石~6万石。石川氏を除けば譜代。
松本市・・・1889年明治の大合併で松本町、1907年松本市、2010年平成の大合併で槍・穂高の頂上まで、面積978.77k㎡(全国で33位、ただし森林率81%)、人口240000人。長野県のほぼ中央に位置し県庁でない町、県庁でもないのに日本銀行支店、国立信州大学の本部がある。戦災にあわなかった町。古くから交通の要衝(糸魚川からの塩の道、飛騨高山からの鰤の道、古東山道上田への道、善光寺への信仰の道、中山道から都への道などなど人流、物流の道)で市場町が栄えた町。
※「学都、岳都、樂都」・・・日本でも指折りの古い小学校「開智学校」、日本で9番目にできた旧制高等学校「松高」のあった町、北アルプスの高峰の槍・穂高岳の位置する市、世界的に有名な音楽の英才教育「鈴木メソード」発祥の地。

西の方角・・・北アルプスは雲に隠れて・・・
★南から西に大きな内堀が、外堀は埋め立てられて一般住宅に、市が買い戻して・・・外堀開削計画があるが・・・

北の方角.・・・善光寺の方角です。
※撮影日は9月3日。


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