JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

町を元に戻して 富岡町長の談話 

2011年03月30日 | Weblog
今日の「赤旗」に福島富岡町長の談話が出ていました。
 考えさせられる談話でした。

 東京電力福島第2原発が立地する福島県富岡町は同県郡山市に役場機能を移し、町民も4地域に分かれ避難しています。県原子力発電所所在町協議会会長でもある遠藤勝也町長に今の思いを聞きました。(柴田善太)

福島・富岡遠藤勝也町長原子力エネルギーを推進するという国策に協力して町づくりを進めてきました。
福島第1原発の事故で、その町づくりが全部だめになりました。
原発の津波への対応ができていなかったと思います。防水機能を高め、電源を確保し冷却機能がまひしないようにすることはできたのではないか。危険性を指摘する声もあったのに経済効率優先、原発稼働優先で進めました。
 事故後、東京電力は情報を小出しにする。それを国がコントロールできないでいます。 エネルギー問題は国の根幹なのに国が専門性と責任を持たずに事業者にゆだねてしまっている。福島第1原発は廃炉にするしかありません。第2原発の方は、私は見込みが残っ
ているとも思いますが、県民は稼働再開を許さないでしょう。
 県原子力発電所所在町協議会として神山さん(悦子、日本共産党福島県議)のところにも要請によくいきましたが、原発の危険性についていつも一番厳しい意見をいただいた。それが現実のことになってしまった。私なりに一生懸命勉強したつもりでしたが、いまとなっては(神山さんに)頭が上がりません。
 できれば、これからは安全な自然の中で細く長い町づくりをしたいとは思います。
 国と東京電力に元の富岡町に戻してくれと言いたい。

チリ地震津波思い出しました。 一宮川・瑞沢川周辺住民の方

2011年03月30日 | Weblog


 チリ地震津波を思い出した 一宮川・瑞沢川沿いの方のお話
 津波発生時のお話を、一宮川・瑞沢川沿いの方に聞きました。津波が来たとき「ゴーという音が聞こえた」「3時過ぎに一度水が退き、そこが見えそうなくらいになったら、その後15分ぐらいして逆巻く感じの津波が押し寄せた。大変早くと追いつけない位だった」 「その時は、高さがそうでもなかった。チリ地震の時の津波を思い起こした」など体験をお聞きしました。

東日本大震災 町の対応を報告 議員全体会議 28日(月)に睦沢町議員全体会議が開かれ、町が「東北関東大震災の対応について」報告がありました。
 これによると、3月11日2時46分の地震直後町に対策本部を設置し、4時30分に川島・寺崎区に避難指示。午後8時40分の満潮時を過ぎて、水位計の動向を見て避難勧告を解除した。 
 避難は公民館に122人、改善センターに67人、地元の公共施設にも若干の避難があった。
 直接被害は、民家との低い境界ブロック1カ所の倒壊、道路や外壁損傷など3カ所。
 3月14日防災行政無線の計画停電など聞きづらさの改善(ライブから事前の録音の方式に)。新たな宅内子機の注文が在庫を越え、一時的に修繕品を配布。
 3月15日 自家発電能力が長時間に対応できないため、停電中の諸証明書発行できず。各種イベント中止、義援金箱設置。
 3月19日 義援金箱区長宅にも設置。役場の宿直体制の強化。
 3月24日 支援物資の受け付け、千葉県指定の新品を自衛隊駐屯地を経由する。
広域水道の乳児影響から6Lの水を配給。
 3月25日水道水から放射能検出されず。現在1日おきに検査を行っており。異常があれば知らせる。
 町は、県内の被災地に震災状況の査定などへ、4月に技術者を1~2名派遣する予定。
 公民館など公共施設の避難民受け入れを決定。
 空きやバンク登録の個人から利用の申し入れがある。
 などの報告がありました。

 議員一人1万円の義援金を決定
 また、その後、議員として自費で一人1万円の義援金をまとめることを決めました。