季節の日課=ケヤキの枝払いをする
結婚した頃に、女房殿の実家に植えられていたケヤキと思われる大きな樹のそこから、こぼれた種から芽生えた小さな芽を土ごと、自宅の車庫の脇に、移植したところ、あっという間に、巨木となり、秋の黄色い紅葉を、毎年、楽しませてくれる。しかしながら、やっかいなのは、その樹木の旺盛な生命力で、農家の実家のように、広い敷地であれば、放っておいても、問題がないが、都会の狭い敷地では、その縦横無尽な枝の拡がり、落ち葉の処理、等、毎年、12月中旬には、冬支度で、枝を払うことが、季節の日課にいつしか、なっている。今年も又、その季節がやってきたが、年々、頭でっかちになり、又、お向かいさんからは、程々に、切り詰めて、殺さないように、来年も、黄色い紅葉が楽しめるように、御願いしますと、言われてしまった。脚立で、ブロック塀によじ登り、交代で、枝を払ったが、その後の葉っぱ取りと、枝を短く切る作業とそれを、紐でくくる作業など、結局、午前中一杯、掛かってしまった。たった1本で、この始末だから、大きなお屋敷だったら、職人の手が必要になるだろう。そこは、エコだから、自前の労働力で、趣味と、堆肥作りの実益もかねて、、、、。我が老犬は、手伝いもせずに、いつもの午睡ならぬ、朝食後の爆睡中である。残るは、姫リンゴの樹の剪定だけである。
結婚した頃に、女房殿の実家に植えられていたケヤキと思われる大きな樹のそこから、こぼれた種から芽生えた小さな芽を土ごと、自宅の車庫の脇に、移植したところ、あっという間に、巨木となり、秋の黄色い紅葉を、毎年、楽しませてくれる。しかしながら、やっかいなのは、その樹木の旺盛な生命力で、農家の実家のように、広い敷地であれば、放っておいても、問題がないが、都会の狭い敷地では、その縦横無尽な枝の拡がり、落ち葉の処理、等、毎年、12月中旬には、冬支度で、枝を払うことが、季節の日課にいつしか、なっている。今年も又、その季節がやってきたが、年々、頭でっかちになり、又、お向かいさんからは、程々に、切り詰めて、殺さないように、来年も、黄色い紅葉が楽しめるように、御願いしますと、言われてしまった。脚立で、ブロック塀によじ登り、交代で、枝を払ったが、その後の葉っぱ取りと、枝を短く切る作業とそれを、紐でくくる作業など、結局、午前中一杯、掛かってしまった。たった1本で、この始末だから、大きなお屋敷だったら、職人の手が必要になるだろう。そこは、エコだから、自前の労働力で、趣味と、堆肥作りの実益もかねて、、、、。我が老犬は、手伝いもせずに、いつもの午睡ならぬ、朝食後の爆睡中である。残るは、姫リンゴの樹の剪定だけである。