何年か前に、叔母が、脚を骨折し、手術が失敗して、寝たきりになり、嚥下が、不調になるに及んで、結局、胃ろうを実行したところ、見る間に、元気になったが、逆に、胃は丈夫になったものの、まだら呆けが出てきてしまった。その後、食べる実感がないせいか、食事をしていないとか、もっと、食べたいということを口走るようになったと、従兄弟は、言っていた。病状が回復するのであれば、胃ろうも人工栄養補給の選択肢の一つではあるが、結果として、「尊厳の無い延命」につながり、自分の死期までもが、肉体の自然な衰えすらも、ママならぬようになってしまうのでは、生前から、意識のしっかりした時から、事前に、選択するかどうかを、しっかりと、取り決めておかなければ、本人も、家族も、たまったものではない。医療技術が、進歩するにつれて、こうした難しい問題が、考えも及ばなかった事態が、生じるものである。何とも、皮肉である。脳死の問題や臓器提供のように、本人の意思が、きちんと、反映されるような仕組みが、たてられることを望みたいものである。90歳近くになっても、寝たきりで、本人の意思もはっきりしなくなってくると、この先、どのような判断が、下されるのであろうか?難しい課題である。少なくとも、自分は、胃ろうが、「尊厳の無い延命」になる場合には、行わない意思を事前に、確認しておこうと思う。