小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

特報首都圏、「フード・ロス」を考える

2012年06月02日 | 映画・テレビ批評
子供の頃は、必ずと良いほど、米粒の一つを残そうものならば、眼が、つぶれるとか、お百姓さんに、感謝が足りなくて、罰が当たるとか、諭されたものである。今や、食の安心・安全という神話によって、年間500-900万トンもの商品が、生産・流通・消費の各段階で、食べられることなく、廃棄処分の運命にあると言われている。その原因が、複合的なものであるが、その一つに、流通での期限の3分の1ルールという自主規制というものが関係している。消費者が食べるであろう時間差を事前に計算して、販売期限と賞味期限とを同一視することなく、短めに、前倒しにしているそうである。或いは、パッケージや、輸送・流通過程で、生じるところの外装の不良、容器のへこみ、傷、中身が、品質的に良品であろうが、見かけだけで、不良品あつかいとなってしまい、没になる。中身を保護するためのパッケージが、逆に、作用している。更には、生産段階でのオートメーション化や、包装ロット単位の端数などにより、余分に、どうしても、ロス率込みで生産せざるを得ないことも、一因であると、言われている。又、消費者の段階では、タイムセールとか、売り切れ御免等という消費心理に、誘われて、必要のないものまで、購入して、冷蔵庫の肥やしに、したりと、、、、、、。フード・バンクなどの努力により、78万人にも及ぶ生活困窮者や、養護施設等に、配られるのは、僅か、1600トン(金額にして、9億6千万円)もの製品のうちの1%にも満たないというが、、、、、、。何とも、飽食の一方で、豊かさと貧困とが、デフレ下に、共存しているという奇妙な構図が、浮かび上がってくる。ただ単に、MOTTAINAIという意識の改革で、単純に、解決される問題だけではなさそうである。そこには、エネルギーの節約意識も同様、これまで、あまりの豊かさにより、麻痺してきた日本人のライフ・スタイル、或いは、産業界の大量生産・大量消費、或いは、多品種小ロット生産という構造自身が、今や、「食育の教育」だけでなく、複合的に、根本的に、「消費期限・賞味期限・販売期限」とかも、或いは、「消費行動の自己変革」、量り売りとか、パッケージ、ポリ袋の見直しなど、大所高所から、改善しなければならない喫緊の課題でもある。それにしても、以前、フード・ロスを、堆肥や肥料に転用できないか、バイオマスに使用できないかなど、各種試行錯誤がなされてはきたが、もっと、省庁の枠を越えた形で、具体的に、変革の方向へ、向かわなければ、いずれ、近い将来来るであろう「食糧安保」という危機には、耐えられなくなるのではないだろうか、、、、、。考えされられる問題である。