うたの旅人、「鉄腕アトム」
我々の世代は、鉄腕アトムや鉄人28号という雑誌、「少年」を読んで育った世代である。流石に、のらくろの世代ではない。この歌が、テレビ・アニメとして、放映された1963-1966年には、もう、既に、アメリカの大手テレビ・ネットワークのNBCで、「アストロボーイ」の名の下、放映されていたとは、全く、知らなかった。又、どうして、作詞家が、詩人の谷川俊太郎だったのか?更に、どうして、手塚治虫は、作詞を、谷川に依頼したのか、子供の時も、今に至るまで、知らなかった。真相は、こういうことだそうである。手塚治虫は、既に、アメリカで、英語で、作詞が出来上がっていて、日本語の作詞を、新たに、作らなければならず、谷川の「20億光年の孤独」のタイトルにもなった詩を読んでいたそうである。そして、放映が暫く始まってから、この縁により、直接、依頼してきたそうである。又、歌詞の中に、繰り返し出てくる、ラララ、というフレーズは、何と、詩の中の言葉と言葉の「音の隙間」であるらしい。何とも、このうたの背景には、奧が深いものがある。そんなことも知らずに、子供心に、この主題歌を、唄っていたとは、、、、、、、。今度、聞くときは、心して聞かなければならない。アトムという名も、妹のウランという名も、原子力と、密接に関わった名前である。未だ、科学に対して、楽観主義というか、肯定的、且つ、信頼感を以て、将来に希望を託し、未来が輝かしいものであることを実感しえた頃の話である。今や、それが、福島原発事故という未曾有の惨事以降、科学主義万能信仰が、もたらした暴走する技術、制御不能な技術に、萎縮し、自信を喪失し、社会に、矛盾と差別と格差を、生み出してしまった。この歌に、隠されたメーッセージ性を、今、再び、半世紀の時を経て、改めて、上高田合唱団の懐かしい歌声を、聞いてみたいと、ふと、そんなことを感じた。我々は、いつになったら、あの頃の自信を、再び取り戻せるのだろうかと、、、、、。
我々の世代は、鉄腕アトムや鉄人28号という雑誌、「少年」を読んで育った世代である。流石に、のらくろの世代ではない。この歌が、テレビ・アニメとして、放映された1963-1966年には、もう、既に、アメリカの大手テレビ・ネットワークのNBCで、「アストロボーイ」の名の下、放映されていたとは、全く、知らなかった。又、どうして、作詞家が、詩人の谷川俊太郎だったのか?更に、どうして、手塚治虫は、作詞を、谷川に依頼したのか、子供の時も、今に至るまで、知らなかった。真相は、こういうことだそうである。手塚治虫は、既に、アメリカで、英語で、作詞が出来上がっていて、日本語の作詞を、新たに、作らなければならず、谷川の「20億光年の孤独」のタイトルにもなった詩を読んでいたそうである。そして、放映が暫く始まってから、この縁により、直接、依頼してきたそうである。又、歌詞の中に、繰り返し出てくる、ラララ、というフレーズは、何と、詩の中の言葉と言葉の「音の隙間」であるらしい。何とも、このうたの背景には、奧が深いものがある。そんなことも知らずに、子供心に、この主題歌を、唄っていたとは、、、、、、、。今度、聞くときは、心して聞かなければならない。アトムという名も、妹のウランという名も、原子力と、密接に関わった名前である。未だ、科学に対して、楽観主義というか、肯定的、且つ、信頼感を以て、将来に希望を託し、未来が輝かしいものであることを実感しえた頃の話である。今や、それが、福島原発事故という未曾有の惨事以降、科学主義万能信仰が、もたらした暴走する技術、制御不能な技術に、萎縮し、自信を喪失し、社会に、矛盾と差別と格差を、生み出してしまった。この歌に、隠されたメーッセージ性を、今、再び、半世紀の時を経て、改めて、上高田合唱団の懐かしい歌声を、聞いてみたいと、ふと、そんなことを感じた。我々は、いつになったら、あの頃の自信を、再び取り戻せるのだろうかと、、、、、。