後輩の健康を気遣う:
昔の会社の上司達も、今や、80を超え始めるとなると、年賀葉書にも、これにて、筆を置きますというような案内が、舞い込んでくるようになる。兎にも角にも、健康で、一緒に食事や酒が美味しく飲めれば、それが、年に一度でも、構わないと、最近では、思うようになってくる。それでも、友人達とは、毎日が、皆、サンデー毎日だから(?)いつでも良さそうであるが、とにかく、せっかちな性格揃いばかりだから、思い立ったら吉日とばかり、一番早い日を設定するのが、だいたい、暗黙の了解である。そんなことで、例によって、中間地点で、落ち会って、会食すると、だいたい、健康談議から、始まり、誰が、癌に罹ったとか、そんな話しか、出てこない。未だ、年齢が近い同年齢であれば、納得が行くものの、後輩だったりすると、複雑な思いがするものである。話題に登った後輩の内で、ひとり、統合失調症に、もう、卒業時代頃から、罹っているものがいるが、いつも、決まって、メールのやり取りも、葉書も、マメに、返してきていたのに、とんと、ここのところ、返事が来ない。思い切って、久しぶりに、電話をしてみたら、お兄さんと称する家族が電話口に出てきて、「もう、一年も前から、入院していて、文字も読み書きもできないし、人物も識別出来ず、看護師をぶん殴ってしまうほどですよ、もはや、出られる状態ではありません。処方された薬を全く服用していなかった為だそうです。」と、とりつく島もない説明であった。辛うじて、病院名を聞き出して、検索し、電話すると、確かに、間違いない。住所・年齢・名前が一致する。それにしても、病状も安定して、回復基調にあったのに、どうしてしまったのであろうか?一人暮らしでは、やはり、薬の管理が出来ないとか、新聞などでも言われているのは、知っているものの、やはり、そうなのであろうか?誠に、難しいことである。一人暮らしの患者というものは、とりわけ、長い間、精神を患う疾病では、社会復帰も覚束ないのであったのであろうか?それなりに、地元では、頭も良かったのであろうし、大学院までも、卒業していたのに、或いは、周りからも、将来を嘱望されていたであろうに、何とも、残念な、残酷な結果である。世の中、なかなか、うまく行かないものである。ギターもうまく、中国語にも、精通していたし、パソコンも独学で、HPを立ち上げたり、川柳に投稿して、入賞したり、同じ病いの患者達への励ましの活動を、ネット上で、激励投稿を継続して、頑張りながら、支援し続けていたのに、その支援する側から、自らが、病に敗れ去ってしまったとは、何とも、虚しさだけが、残るものである。人生、実に、色々である。そして、時間の経過も、これ又、一瞬の瞬きの如しではないだろうか!お見舞いの品を贈ることくらいしか、今の私には、出来ないのも、又、紛れもない真実であろう。何とも、心痛む出来事である。