BS英雄達の選択、『藤田嗣治の戦争画、アッツ島玉砕』:
先月の国立近代美術館での戦争画展や、映画、FOUJITAをみた上での番組の視聴である。その時、果たして、貴方が、画家であったら、筆を執ったであろうか、それとも、筆を折ったのであろうか?如何にして、画家は、戦争に向き合い、そして、その表現をその戦争中、絵の世界で、追求したのであろうか?美術的な細かな解説が時間の関係で、詳しく、無かったから、秋田での大作に、民衆の逞しさを感じた藤田は、想像の上で、これを描き、聖戦美術展で、当時の戦意高揚に、結局、反戦の意識が心の底に、有りながら、手を貸してしまったとか、父が、軍医監の関係で、森鴎外などの個人的な影響も有り、当時のまだテレビが発達していなかった時代でのビジュアルな宣伝を絵画というツールの中で、軍に、結果として、利用されて、その結果、日本人としての疎外感を、逆に、絵画の集大成として、戦争画として、結実させ、戦後も、見事なまでに、口をつぐんだまま、失意の内に、日本美術画壇の戦争責任を一身に、引き受ける形で、祖国を離れ、カトリックに、改宗して、自らとおぼしきおかっぱ頭の人物を、ひっそりと、描いた礼拝堂に、葬られることになる訳であるが、この辺りの切り口というものは、確かに、史実は、そういうことなのであろうが、どうも、藤田嗣治の心の奥底を、果たして、剔抉し得ていたのであろうか?渡仏前での日本画壇での劣等生扱いが、ものの見事なまでに、渡仏後、東洋の日本画の毒と君手法を基にした白色肌の魔術師として、世界的な画家として、脚光を浴び、逆転したにも拘わらず、戦争時での帰国には、虚しい、何を描いたら良いのか分からぬような『空虚感』が、漂うのは、彼の非日本人としての、純日本人への回帰、或いは、一体感への欲求・希求という心情と、必ずしも、不可分では無く、だからこそ、みたことのない、想像上でのアッツ島玉砕へという形で、芸術的な欲求が、結実してしまったのかも知れない。もっとも、番組では、その後の戦争画としては、最期の作品になる『サイパン島同胞忠節を全うす』での評価は、結局、語られることが無かった。謂わば、歴史の中の、一瞬間を切り取ることで、ある種の結論を導き出すような手法で、もう少し、スパンを長めに、観ながら、議論すべきであったよう気もしないではないが、限られた番組の時間内では、望む方が無理からぬ事かも知れない。それにしても、脳科学者、歴史家、文学者、学者というものは、それぞれ、各様でいて、貴方が、画家であったら、どうしただろうかという質問には、結構、重たいものを感じざるを得ない。単純に、反戦画とか、宗教画とか、或いは、戦意高揚に利用された単なる戦争画とか、語れない何ものかが、あるのも事実で、仮に、この戦争にでも勝利していたら、この絵は、一体、どんな評価を受けたのであろうかと想像するだけでも、考え込んでしまう。そして、語られなかった、紫色した、小さな花は、どんな意味を持って、画家は、密かに、描き加えたのであろうか?そして、その聖戦美術館で、この絵を見た日本人は、どんな感慨を抱いたのであろうか?又、平山周吉のコメントも気になる。