小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

降板と空気を読む:

2015年12月27日 | 社会戯評

降板と空気を読む:

何でも、3月末には、二つの夜の情報番組から、二人のキャスターが、降板すると云われている。しかしながら、その事情は、未だ、よく分からないらしい。飽くまでも憶測が様々な形で、飛び交っているようである。何処までが、本当で、何処から先が、提灯持ちの宣伝なのか、憶測が、又、憶測が読んでしまうのが、マスメディアの不可思議さであろうか、それにしても、言論への権力側からの政治的な圧力は、自由に、言うべきことを、言えずに、自主規制してしまうような現状よりも、それこそ、右でも、左でも、もっとも、今日、こういう言い方も時代遅れになってしまっているのかも知れないが、テレビ局も、地上波とBSとの使い分けでは無くて、主義主張をそれぞれ、自由に、表現出来て、それを勝手に、視聴者のほうが、自由に選択するような形にならないと、いつまでたっても、敏感に、『空気を読む』という手法が、蔓延って仕方ないかも知れない。中国ではないが、明確なまでのダブル・スタンダードで、フランス人ジャーナリストによるウィグル族記事を巡って、表現の自由を圧迫するというビザの問題ではないが、自国の『限られた表現の自由』と、我が国のような、一見、自由で有りながらも、『空気を読む自由、読まない自由』との間には、何が、違うのであろうか?今後、どのような日本での『表現の自由』を、続けてゆくのであろうか、おおいに楽しみである。又、それと同時に、新疆や、香港、台湾での『表現の自由』とは、いかばかりの違いが、あるのであろうか?そして、それは、又、同時に、一人一人のこちら側の強い意思の確認を、前提に、改めて、問われているのかも知れない。