法律よりも一歩先行く現実とは:
昔、中国の人に言われたことがあるが、『日本人は、法律が施行されると、如何に遵守するかを考えるが、中国人は、如何にして、これをかいくぐるかを考えるものである』と言われて、これは、大変な時代になったモノであると感じ入ったことを想い出す。今や、日本でも、所有では無くて、共有とか、金を同じように支払っても、認識の違いで、或る行為は、合法とされ、或る行為は、法律違反であると判断されてしまう時代でもある。成る程、部屋を貸すことも、個人で、不動産業者を通さずに、ネット仲介で貸し出すと、Airbnbのような隙間の商売が、繁盛しはじめ、或いは、レンタカーならぬ、カーシェアーでもない、借りるのでもなくて、『共同で使用する』という、もうこうなると、何が、何であるのか、本質が、さっぱり分からなくなる。何処までが、貸し出したり、借りることで、何処から先が、そうでないのか、或いは、共同相互認識が、異なっているのか?同じように、金が移動し、サービスが、実施され、或る行為が、実行されても、まるで、サイバー空間で、仮想で行われているようなものである。現実とは、実際に、どんどんと、進化して行き、一体、何処まで、現実の実態と法解釈とが、適合するのであろうか?ネット仲介による新しい種類のサービスというのは、紛れもなく、現実の方が、法律よりも、どんどん進化して行き、勝手に、増殖して行き、既成事実化してしまい、それが、マーケット市場原理に則って、マジョリティーになってしまうのかも知れない。そして、それは、明らかに、新しい現実になって行くのであろう。そして、後追いで、法律が追いかけてくるのかも知れない。そして、私達は、一体、何処へ向かって行くのであろうか?