【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

喉元過ぎれば

2022-08-30 06:40:48 | Weblog

 「2年も我慢したのだから」「行動制限が出ていないから」とこのお盆には人が散々動きました。
 「11年も経ったのだから」と政府は原発を再稼働どころか新造もする気です。

【ただいま読書中】『戦火のマエストロ 近衛秀麿』菅野冬樹 著、 NHK出版、2015年、2500円(税別)

 「戦火」と「近衛」で私がまず想起するのは「近衛文麿」です。由緒正しい摂関家の出身で、天皇の信任が篤かったのか首相を3回も務め、しかし軍の暴走を抑えられずその責任を占領軍に問われてA級戦犯として巣鴨プリズンに出頭を命じられ、自宅で自殺をした人。
 近衛秀麿は文麿の弟で、政治ではなくて音楽の道を選択しました。しかし1920年代の日本に「生きた西洋音楽」はほとんどありません。しかたなく秀麿は、東京音楽大学に潜り込んだり、貴重な楽譜を持っている人の所に行って見せてもらったり(九州帝国大学医学部の博士がベートーヴェンのすべての交響曲の楽譜を海外から持ち帰ったことを聞きつけたら、自宅に押しかけてそのすべてを書写しています)。そして、1923年、秀麿は兄の許しを得てヨーロッパ遊学。まずパリで1箇月過ごしますが、音楽のレベルに感心できず、ドイツへ。ハンブルク楽友協会の演奏会で「死と変容」(リヒャルト・シュトラウス作曲、指揮はカール・ムック)などを聞いて「自分は指揮者になろう」と衝撃を受けながら決心をします。当時のドイツは、敗戦後の未曾有のインフレの真っ最中。生活は大変でしたが、外貨を持ち込んだ秀麿は、とてもお安く楽譜を入手できました。そこに関東大震災の知らせが。情報不足の中、多くの日本人はとりあえず帰国しようと焦ります。そんな中、なぜか秀麿に「ベルリン・フィルを指揮する機会」が。これはどうも「ホールとベルリン・フィルの賃貸し」事業によるものだったようです。この「体験」と、大量に購入した楽譜と楽器を“手土産"に帰国した秀麿は、日本初のプロ・オーケストラ「新交響楽団(のちのNHK交響楽団)」を結成します。なお、この時のベルリン・フィルの「指揮」は一種のオーディションだった、と著者は推測しています。そこでの指揮ぶりが“合格"だったため、1933年10月のベルリン・フィル定期演奏会で秀麿は客演指揮者としてプロ正式デビューをしています。
 ここまでで充分「本一冊分」のお話ですが、本書の主題はここから。
 秀麿は、自分が作ったプロオーケストラのレベルアップのために、欧州との交流を盛んにしようと考えていました。そのためには自分もきちんとした指揮者として遇される必要があります。ところが、33年のナチス政権樹立が、思わぬ影響を秀麿に与えたのです。
 秀麿は、ナチスのユダヤ人迫害が気に入りませんでした。そこで、ベルリン・フィルの客演指揮者という立場を利用して、ひそかにユダヤ人の援助を始めました。著明な音楽家は、東京音楽学校の教職への就職や新交響楽団との共演を名目に日本に招待し、そのまま亡命です。
 秀麿は、アメリカでも活動をします。フィラデルフィア管弦楽団やシアトル交響楽団での指揮ぶりをストコフスキーに気に入られ、その推挙でNBC交響楽団の副指揮者、さらにロサンゼルス・フィルハーモニーと客演契約も結びます。ところがそこに日中戦争が。アメリカでの契約はすべてキャンセル。秀麿は主にドイツで活動をすることにします。公にできる音楽活動と、それと密接に関係しているが誰にも公言できないユダヤ人救済活動です。
 ユダヤ人救済を調べていて難しいのは、「救済した側」も「救済された側」も口を閉じていることが暗黙の了解になっていることです。公的な記録など当然ありません。そこを丹念に解きほぐしていくためには、相当な根気と執念が必要です。
 ユダヤ人が「出国税」を払えばドイツ国外に出ることができた時期、近衛秀麿はドイツ国内の有志と日本大使館の書記官と組んで、ユダヤ人の財産を秘かに国外に移す作業をしていました。これは明確な「反ナチ」運動です。ついでですが「反日」運動でもあります。しかし、彼らはユダヤ人救済のために命を賭けて活動をしていました。
 さらに、ユダヤ人の出国禁止令が出ると、秀麿の活動は別のステージに移ります。日本の大使大島は「駐独ドイツ大使」とあだ名されるくらいナチスびいきで、秀麿とは正面切って対立していました。大島はナチスに働きかけて、ドイツ軍人が秀麿の演奏会に行くことを禁止させ、さらには43年7月に秀麿自身のドイツ国内での移動を禁止させました。ところが同年9月、秀麿はふらりとポーランドに出現します。ポーランド総督からの強い要請を、ゲッペルスも大島も拒絶できなかったようです。そして、ワルシャワで行われた3回目の「ワルシャワ市民オーケストラ」の演奏会は、驚愕のものでした。オケのメンバーは全員ポーランド系ユダヤ人だったのです(秀麿は記録魔で、自分が指揮したコンサートすべてでオーケストラ全員にサインを書いてもらっています。そのサインの分析でユダヤ人が参加したことがわかります)。さらに秀麿は44年4月にパリで「コンセール・コノエ」(近衛オーケストラ)を旗揚げ。フランスとベルギーの地方都市を巡回公演しますが、それはメンバーを地下組織に託して国外脱出させるためのものでした。秀麿は自らバスのハンドルを握って楽団員を指定の場所まで送り届けていました。そこに、兄の文麿からスイス経由で指令が届きます。「アメリカ合衆国とコンタクトせよ」と。ドイツ降伏直前、秀麿はベルリンにいました。もう脱出は困難な状況です。しかしアメリカ軍からは「自らアメリカ軍に投降せよ」との指令が。秀麿は必死の思いでリュックマールスドルフに脱出、そこで米軍に投降しました。ただしその前に、命より大切な楽譜を隠しています。投降の目的はもちろん兄の名代として日本の降伏について話し合うためでしょう。実際に、捕虜となってから秀麿は日本をスムーズに降伏させるための手立てをいろいろ考えて提案しています(アメリカ軍には採用されませんでしたが)。
 こういった活動を見ると、日本人にも大した人物がいたものだ、とひたすら感心するばかりです。私が同じ立場にいたら、何ができた(できる)だろう、とも思いますが。

 


無問題

2022-08-19 10:44:33 | Weblog

 「旧統一協会との関係はない」と言いつつ、選挙に協力してもらっていた人がいます。さらに「問題はないが、これからの関係は見直す」と同時に言う人もいます。関係があるの?ないの? 問題がないのなら、どうして関係を見直す必要があるの?

【ただいま読書中】『暁の宇品 ──陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』堀川惠子 著、 講談社、2021年、1900円(税別)

 広島が原爆投下の標的とされたのは、地形的に“好条件が揃っていたこと"があったこともありますが、軍都であることも大きな理由でした。ただ、戦前の日本の都市はどこも“軍都"だったはず。軍都広島の特異な点は「陸軍船舶司令部」があったことです。これは、陸軍の兵員輸送・補給・兵站を一手に担う組織で、人員は30万人と方面軍一つに相当するぐらいの巨大さでしたが、日本の史料にはその記述はほとんど残されていません。
 広島が軍港として注目されたのは、日清戦争のとき。東京からの鉄路が広島までで、しかも港が早くから整備されていたため、陸軍糧秣支廠・被服支廠・兵器支廠・缶詰工場・倉庫・検疫所などが次々整備されました。世界的に海上輸送関連は海軍の仕事です。しかし日本帝国海軍はそれを拒否しました。船を一艘も持っていない陸軍は自前で海上輸送をすることになります。しかし、陸軍が船舶や船員を必要とするのは戦時だけ、平時には不要です。そこで採用されたのが「民間船のチャーター」。これは西南戦争で大隈重信が三菱に兵員輸送を依頼したのが始まりと言えます。一般日本語では「賃船」ですが、軍事利用の場合は「傭船」と言うそうです。
 大正8年、広島の宇品港にある陸軍運輸部に、陸大を卒業したばかりの田尻昌次が配属されます。後に「船舶の神」と呼ばれ中将まで出世した人でした。
 大正期、敵前上陸の重要性が世界的に言われるようになり、日本陸軍も当然それは認識していました。ところが使えるのは木造手漕ぎの小型船、しかも漕ぐのは民間人。田尻はその改革に乗り出します。ところが陸軍の予算には「研究開発費」がありません。田尻は金を何とか工面し、天才的な技師たちがついに世界で最新鋭の鉄製上陸用舟艇「大発」開発に成功します(のちにアメリカ軍は大発を参考に自分たちの上陸用舟艇を開発し、南太平洋で活用することになります)。田尻はさらに船舶を扱う専門職として「船舶工兵」という新しい科も陸軍の組織内に作ってしまいます。また、田尻は海軍との協力関係も重視しました。「海」に関して、海軍は明らかに陸軍の“先輩"ですから、その教えを請わなくてどうする、という態度です。そのためか、満州事変まで、陸軍と海軍の(少なくとも輸送に関する)関係は良好でした。
 輸送は「合理性」を要求します。輸送するもの・その量・積み込む場所・おろす場所・期間、それらが決まれば、必要な船舶・輸送に必要な人員・設備(クレーンなど)の数・積み込みの人足数・おろす人足数、などが「数字」として表現されなければなりません。田尻にはこれらの数字が一瞬で浮かんでくる天賦の才があったようです。しかし、イデオロギーがちがちで根性主義でしかも兵站軽視の将官には、田尻の“価値"は全然見えなかったようです。
 第一次上海事変が勃発。田尻たちに「一個師団の輸送」が命じられます。ところが必要な資材や人員を田尻が計算して提出すると、参謀本部はあっさり却下。予算も人員も無しで、まるで魔法のように一個師団を輸送しろ、が参謀本部の要求です。威張ることしか能がないただの××だね。ところがこの××が権力を握っているからタチが悪い。参謀本部に要求を次々突きつけ、結果として上海事変での上陸作戦を成功させてしまった田尻は、以後冷や飯を食わされ続けることになります。皆が間違っているときに正しいことを言う少数派は、“皆"に憎まれるのです。田尻が要求した輸送船の武装化、敵から発見されにくいように煤煙を減らす装置の導入、などなどもすべて参謀本部によって却下却下却下。それによって日本軍の損害はどんどん増えますが、偉い軍人さんにはそんなことはどーでもよいことだったようです。“たかが輸送"ですから。
 対中国戦が泥沼化するにつれ、「日本の数字」は悪化の一途。こんなことでは、対米開戦も南進論も絵に描いた餅であることは、「数字が読める」田尻には明らかでした。
 昭和14年7月、田尻は「民間ノ船腹不足緩和ニ関スル意見具申」を提出します。これは、陸軍中枢だけではなくて、船舶輸送に関係する厚生省、大蔵省、逓信省、鉄道省、商工省すべてに“業務改善(改革)"を迫る“建白書"でした。その全文が本書に掲載されていますが、あくまで「数字」と「論理」を前面に出しているもののその背後に鬼気迫る迫力を私は感じました。これは「正論」ですから、ある種の人間の逆鱗に触れます。また「越権行為」ですから、これまたある種の人間の逆鱗に触れます。この「ある種の人間」に共通するのは、「国の利益」「戦争の勝利」よりも「組織内での権力闘争に自分が勝つこと」や「序列」と「既得権」の方を重視する態度です。かくして田尻中将は「諭旨免職」となりました。
 結局、日本が戦争に負けたのは、「勝利より大切なものがある」と考える人間が役に立つ人間を放逐したから、とも言えそうです。ちなみに、太平洋戦争中に死んだ船員は6万643人。戦死者の比率は、陸軍20%、海軍16%、(民間人の)船員は43%です。
 なお、広島の船舶部隊は地元では「暁部隊」とも呼ばれていたそうですが、その「暁」の由来については、こちらも明治時代に遡る別のお話があります。詳しく書いたらたぶん本一冊分にはなるでしょう。

 


効率重視

2022-06-27 07:17:10 | Weblog

 「スピード映画」に眉をひそめる人たちの多くは、20年くらい前に「あらすじで読む名作」とか「あらすじで読む世界の名著」で「読んだ気」になっていたことがあるのではないですか? やってることは昔も今も、それほど違わないような気が私にはするのですが。

【ただいま読書中】『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』オーサ・イェークストロム 作、KADOKAWA、2015年、1000円(税別)

 「セーラームーン」と「犬夜叉」で日本が好きになって、スウェーデンから日本に引っ越してきた著者。ブログに「日本でびっくりしたこと」を四コマ漫画で描いたらそれが評判になって、とうとう本になってしまった、のだそうです。
 日本文化(アニメや漫画)が、外国人の運命を左右している、と聞くと、日本人としてはちょっと複雑な気分になってしまいます。子供時代にアメリカ文化(テレビ番組や映画)が大好きだったのに、私はアメリカに移住しようなんて発想を持てませんでしたから。
 スウェーデンと日本の違いが軽い文化的ショックの連続ですが、田舎に住む高齢者の私にとっては日本人とかスウェーデン人とか以前に「現代の若者の生活」そのものが私にとっては文化的ショックでした。たとえば著者は日本家屋のシェアハウスに住んでますが、5人の国籍も性別もばらばらです。昭和の時代には考えられないこと。また、友達との何気ない会話も私にとっては「異文化の住民の発言」に聞こえます。もう、外国人だのなんだのと言っている時代ではないですね。インターネットが当然の前提となっているのですから。
 それにしても、著者はスウェーデン語と英語と日本語が使えるとは、すごい(さらに、「ベルばら」はスウェーデンに英語版がなかったので辞書を引きながらフランス語で読んだそうです)。私は日本語しか使えないし、その日本語も怪しいものですから。しかし、アニメで日本語を覚えた人は「ちょっと特殊な日本語使い」になってしまうため、日本語学校の説明会で教師が「アニメの話し方を真似するのはやめましょう」と言った、というのは、本当? いや、あり得るな。私も映画で英語を覚えたとしたら、たぶんハリウッド式の話し方になってしまったでしょうから。
 しかし、漫画の力は偉大です。世界の共通言語は英語だそうですが、若者世界の共通文化は日本の漫画なのかもしれません。

 


最大多数の最大幸福

2022-06-14 14:23:46 | Weblog

 一番手っ取り早いのは、全国民を麻薬漬けにすること。

【ただいま読書中】『逝年』石田衣良 著、 集英社文庫、2011年、429円(税別)

 「娼夫クラブ」というきわどい場所を舞台にしての「闘病純愛もの」として私は前作の『娼年』を読みました。巻末で警察の摘発を受けてクラブは閉鎖、オーナーは逮捕されてしまいましたが、本作では、ちょっと前には何も知らなかった大学生のリョウがクラブの立て直しという難題に挑戦することになります。
 当然娼夫と客(女性)とのセックスは濃密に描写され続けますが、著者は社会的なテーマ(性同一性障害、「普通」とは何か、など)を盛り込むだけではなくて、副次的なテーマとして「女性の加齢による肉体的変化を、いかにポジティブに描写するか」もじっくりと書き込んでいます。そして、全体としてみたら、前作の「闘病純愛」をきちんと成就させ、さらにまるで「教養小説」のようにリョウの人格的社会的成長も描く、という「フルコースをひとつのお弁当箱に盛り込んだ」ような作品に仕上げています。で、そこではセックスが実にスパイシーな香りを漂わせているんですよね。
 「普通」に埋没することで安心を得たい人には、向かない作品です。でも、「普通」ってなんでしたっけ?

 


わからないことだらけ

2022-05-25 08:40:35 | Weblog

 この世は「わからないこと」に満ちています。それを「わかりたい」と努力するから、自分はまだ成長できるのでしょう。もしも「すべてがわかった」となったら、あとは死ぬしかない。さすがに「死」は実際に死なないと「わからない」でしょ?

【ただいま読書中】『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? ──これからの経済と女性の話』カトリーン・マルサル 著、 高橋瑠子 訳、 河出書房新社、2021年、2100円(税別)
 
 ニュートンが万有引力で表現した中では「星」は「質点(重心にすべての質量が集中した点)」として表現できます。そこでは「星の個性」ははぎ取られてしまいます。また、古典的な物理学では「原子」の運動によってすべての法則が説明できるとされていました。原子レベルでも惑星レベルでも、初期条件さえわかれば「未来」は完全に予測可能でした。
 アダム・スミスは「神の見えざる手」で有名ですが、著者はアダム・スミスの功績を「できたばかりの経済学に、ニュートンの物理学の世界観を持ち込んだこと」とします。物理学における「質点」や「原子」を、経済学では「個人」とし、個人のすべての個性をはぎ取ってすべての人に共通する行動原理を「利己心」としました。すると、初期条件さえ判明したら、市場経済は「計算可能」となります(計算できるからこそ、経済学が成立します)。ニュートンが「星の動きは計算できるが、人の狂気は計算不能だ」と言ったことは、無視されました。
 さらに、アダム・スミスはもう一つ、無視しました。経済における「ジェンダー」です。だって女性は「利己心」を持つこと(あるいは持ててもそれを発露すること)に社会的制限がかけられていますから(「自立した女性」というだけで、非難された時代のことを私は覚えています。そしてその基調は、今は見えませんが、実は隠蔽されているだけ、が私の見立てです)。
 「経済」は「経済人」の行動の集積です。そしてそこで重視されるのは「経済人」がそれぞれ「自由で妥当な判断をする」という前提。ところがそもそも「経済人」とは、誰? たとえば明治〜昭和20年までの日本で、女性は合法的に「経済活動」をすることができませんでした(すべて「戸主(=男)」の許可が必要)。つまり「経済人」には「自立した男」という前提がある。ということは、現在の「経済学」は、少なくとも人類の半分は最初から無視したところに構築されていることになります。
 ということでタイトル。「アダム・スミスの夕食を作ったのは、誰?」。その活動は「経済」には無関係?(ちなみに、歴史的には独身のアダム・スミスの夕食を作り続けたのは、母親だそうです)

 


過去の未来

2022-05-06 18:33:40 | Weblog

 昔のSF作品を読んだり見たりすると、今に通用する先進性を感じることもありますが、ときにものすごく古めかしいと感じることもあります。たとえば喫煙。昭和の時代に、今のように喫煙が激減するとは誰も思っていなかったから、21世紀の世界でも多くの人が煙草を吸っていたりするんですよね。

【ただいま読書中】『日本アニメ誕生』豊田有恒 著、 勉誠出版、2020年、1800円(税別)

 1961年早川書房の第一回SFコンテスト(当時の名称は空想科学小説コンテスト)で入賞した著者は、SF作家としてデビューします。同じコンテストで入賞した平井和正が少年マガジンで漫画「エイトマン」の原作をしていましたが、それがテレビアニメになることと也、著者に「シナリオライター」の口がかかります(当時のプロは「けっ、テレビ漫画だと? 馬鹿にするな」だったので、素人で才能がありそうな人しか使えなかったのです)。シノプシス(梗概)という言葉さえ知らない素人(著者はまだ大学生)にプロデューサーやディレクターは「ズーム」「SE」といった“業界用語"を教えると同時にシナリオの書き方も親切に指導してくれました。実はテレビ局の人間もテレビアニメについては素人同然で、泥縄以前に、泥棒を捕まえてから縄をなうやり方を習う、という感じだったのです。絵コンテまでは局で作れますが、その先は制作プロダクションに任されます。しかしそこはCM用の数十秒のアニメ制作経験しかないところ。こういった状況で毎週30分のテレビシリーズを……無茶です。無謀です。
 シナリオの稿料は手取り18000円。当時の大卒サラリーマンの初任給とほぼ同じ。しかし若さゆえかあっという間に金は消え、スポンサーの丸美屋からもらったエイトマンふりかけをかけただけの飯をかきこむことがけっこうな確率であったそうです。ともかく、その仕事ぶりが評価され、手塚治虫から「2年目に入った鉄腕アトムのオリジナルシナリオを書かないか」と誘いがかかります。
 小学生の時白黒テレビで私が熱中して見ていたのは「狼少年ケン」「鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」などですが、その内二つのシナリオを書いていたとは、著者はすごい。虫プロ嘱託の身分ですが、月に一本シナリオを書いたら月収64000円が約束されます。シノプシスを数本書いて提出、手塚のOKが出たらその夜は徹夜でシナリオに仕上げます。著者は当時知らなかったのですが、アトムは大変な状況だったのです。雑誌に連載したストックがたっぷりあったはずですが、それを1年でほぼ使い切ってしまった状態で、オリジナルのシナリオがどうしても必要だったのです。
 ここで著者が見た手塚治虫の壮絶とも言える奮闘ぶりには、頭が下がります。彼が身を削り私財を投じてくれたから(そしてその姿に共鳴した多くの人が同様に自身の身を削って奮闘したから)日本に「アニメ」が定着したのです。
 アニメで育ち、やがてそこから離れてSF作家として自立した著者ですが、やがてまたアニメの話が舞い込みます。そこで著者がひねり出したのが「宇宙戦艦ヤマト」ですが、その“元ネタ"が「西遊記」だったとは、驚きました。著作権についても、なんともシビアな話が紹介されます。
 アニメ制作の裏話はすでにいろいろ出版されていますが、シナリオライターの目からのものはなかなか貴重と言えるでしょう。現在「日本アニメ」は「世界に誇る日本の財産」ですが、かつては良くて軽視、悪ければ軽蔑の対象だったことは私も覚えています。時代は良い方向に変わった、と私は思っています。

 


師匠と弟子

2022-05-01 09:03:21 | Weblog

 「出藍の誉れ」という言葉があるように、「師匠」が注目されるのは「師匠を越えるすごい弟子」がいた場合です。だけどそれって、「人を育てる苦労」にプラスして「自分の強力なライバル」を作ってしまうわけで、なんだか割が合わないような気がします。

【ただいま読書中】『絆 ──棋士たち 師弟の物語』野澤啓亘 著、 日本将棋連盟、2021年、1810円(税別)


 雑誌「将棋世界」2019年2月号〜20年6月号に連載された「師弟」に大幅に加筆されたものです。
 個人としての棋士は、なかなか本心を明かしません。記者がインタビューで苦労しているのは、私もテレビ画面でよく見かけます。ところが「師弟」を切り口にすると、棋士たちは驚くほど饒舌に自分について語り始めるのだそうです。
 本書に登場する「師弟」は「中田功/佐藤天彦」「畠山鎮/斎藤慎太郎」「木村一基/高野智史」「淡路仁茂/久保利明」「勝浦修/広瀬章人」「石田和雄/高見泰地」「桐山清澄/豊島将之」「杉本昌隆/藤井聡太」の8組ですが、扱われる棋士は16人ではありません。たとえば中田さんの師匠大山康晴も出てきます。中田さんは、自身の師匠も弟子も「名人」なのです。
 「師弟」が存在するのは、将棋界独特のユニークな制度です。でも特に「キマリ」があるわけではないので、単に形式だけの関係の師弟もあれば、まるで実の親子のような濃厚な関係の師弟もあるそうです。本書に登場する師弟も様々。ただ「将棋は人間が指すもの」であることが「師弟」を見ていてもよくわかります。「強い棋士」は、単に「将棋が強い子供がそのまま成長してなるもの」ではなさそうです。その過程でどんな人に出会い育てられ競い、そういった「人間関係」の中で強い棋士になっていくものなのでしょう。

 


スタンド

2022-04-19 06:45:23 | Weblog

 野球場で、観客席のことは「スタンド」と言います。もしかして昔は立ち見席しかなかったのかな?

【ただいま読書中】『対馬藩江戸家老 ──近世日朝外交をささえた人びと』山本博文 著、 講談社(選書メチエ38)、1995年、1456円(税別)

 江戸時代、対馬藩は朝鮮貿易の窓口でした。貿易は「官営貿易」と「私貿易(朝鮮と対馬の商人が直接おこなう)」に分けられ、さらに官営貿易は「進上貿易(=朝鮮に対する朝貢貿易)」と「公貿易(対馬藩と朝鮮政府の貿易)」に分けられました。官貿易には「1年に1万8千両まで」の制限がかけられていましたがそれは無視され、平均して年に5万両、さらにそれに私貿易の利益が上乗せされました。十七世紀末に、生糸の輸入量は長崎を上回っていて、対馬藩は京都の藩邸でそれを売りさばき、西陣織の主要な原料糸となりました。対馬には銀山があるので銀も有力商品ですし、長崎に蔵屋敷があるからオランダや中国からの輸入品も朝鮮に輸出されました。
 しかし18世紀に入ると貿易の利潤は減少し、対馬藩の財政は苦しくなってきました。主な輸出品は銀、輸入品は生糸と朝鮮人参でしたが、銀の入手が困難になってきたのです。
 時は享保(1716-1735)。対馬藩の藩邸では、幕府との交渉は主に江戸家老が担当し、二人いた留守居は家老の指示で働いていました(この職務分担や権限のあり方は、時期によって、あるいは藩によって、様々です)。将軍の代替わりに伴って、対朝鮮の交渉はこれまで通り、とするのに、まず老中の家老が対馬藩の江戸家老を呼び出して「前回はどんな手続きだった?」と情報を取り、ついで「従前通りに」と命令するのに、まずは老中の用人が対馬藩の留守居を呼び出して主人の命令を伝えています。なかなか形式をきちんと守るのは、大変です。そして、最終的に将軍から直に江戸家老に直接命令が下されました。吉宗は、幕府ではじめて宗家以外から将軍になって、外交儀礼によって自分の権威を重々しく見せることが重要と認識していたようですが、それにしてもいろいろと回りくどい“手続き"を踏んでいます。最初から直接「頼むぞ」ではダメだったようです。
 吉宗にとって重要なのは「将軍の威光が国内隅々まで届くこと」であって、そのために「朝鮮通信使を迎えること」自体が重要なものでした。そこで儀式の細かいこと(たとえば新井白石が異常にこだわった文字の一つ一つもゆるがせにしないこと、など)は“瑣末なこと"でしかありませんでした。白石は「日本と朝鮮が対等か上下関係か」にもひどくこだわっていましたが、吉宗は「前例踏襲も守るが、それで朝鮮の機嫌を損じて通信使が来なくなるのも困る」と考え、林信篤(幕府大学頭)を朝鮮外交担当者に任命します。信篤は対馬藩の江戸家老平田直右衛門を呼び出し「現状の把握」から始めます。ここで林信篤から平田に渡された書付(質問のリスト)がなかなか興味深い。「何を知りたいか」というか「何を老中(と将軍)が知らないか」が見えるのです。
 将軍代替わりでは、まず琉球、ついで朝鮮から祝いの通信使がやって来ることになっていました。対馬藩はその手配に忙殺されます。面白いのは、朝鮮通信使は「国家事業」のはずなのに、幕府は各藩に費用を丸々負担させていることです。軍役や公共工事に各藩をこき使っているのと同じ発想だったようです。対馬藩は朝鮮貿易の利益をそこに充てていましたが、貿易が不振となってからは幕府に拝借金をねだるようになりました。「(朝鮮)人参が江戸からなくなったら困るでしょ?」「粗末な接待をしたら幕府の沽券にかかわるでしょ?」と。
 経路の諸藩も、接待に奔走します。朝鮮通信使だけではなくて、随行の対馬藩士が千人以上、それを饗応するのですが、朝鮮と幕府と他藩に対するメンツのため、コストは度外視して首尾よく饗応をやりおおせることが目的となっていました。
 日本と朝鮮には、それぞれ内政と外交の課題があり、さらに両国のメンツと意地の張り合いと礼儀と先例と過去の戦争の記憶とが絡むし、異文化の摩擦(たとえば朝鮮では普通のことである肉食が日本では異常なこと)、朝鮮通信使が平和的に何回も実行できたのは一種の奇跡だと私には思えます。
 貿易と朝鮮通信使だけではなくて、様々な「情報」も朝鮮半島から対馬にやって来ました。藩ではそれを幕府に届けて藩の存在価値をアピールし続けます。小藩には、生き延びるために特別な苦労があり、幕府に対する“最前線"に江戸家老が位置していました。そして、それは対馬藩だけではなくて、他の藩でもほぼ同様の苦労だったはずです。

 


偽装工作

2022-04-15 08:27:12 | Weblog

 人工衛星やドローンの画像を分析することで、ロシア軍がどこに集結してどこに移動しているか、といった「軍事機密」を、民間人でも自宅で簡単に見ることができる時代になりました。ただそれが“常識"になると、当然その“裏をかく"ための努力が始まるでしょう。
 古くは第二次世界大戦時、イギリス軍は様々な偽装工作をしていました。都市に対するドイツ空軍の夜間爆撃を逸らすために、都市の郊外に「上空からの遠目には夜間の灯火管制をやっている都市とそっくりに見える特殊な施設」を建設してそこを爆撃させたり、ノルマンディー上陸の前には「別の日に別のところに上陸する予定」とヒトラーに思わせるために偽装部隊を集結させ偽情報を流すだけではなくて国王まで動員して欺瞞工作をしたり……
 ということで、ロシアもまた「次はここを攻める予定」と嘘をつくために張りぼて戦車をずらりと並べたりするのではないかな。ただ慣れていない場合には、たとえば「燃料補給のルートが全然確保されていない」などですぐばれるのではないか、とは思いますが。

【ただいま読書中】『アンドロメダ病原体 ──変異(下)』ダニエル・H・ウィルソン 著、 酒井昭伸 訳、 早川書房、2020年、1800円(税別)

 アマゾンの調査チームは、一人、また一人と死んでいきます。生き残りがやっとたどり着いたのは……いやもう、驚愕の施設。まさかここで「××××××××(ネタバレ防止のために伏せ字にします)」が登場するとは……しかもそれを「個人」が製作するとは…… いや、上巻から伏線は張ってありましたよ。はい、不自然だとは思っていました。だけどねえ……
 そして、天が壊れ、世界の終わりがやって来ます(目撃者のことば)。
 『アンドロメダ病原体』では、アンドロメダ病原体自体についてはあまり深く語られませんでした。しかし今作では充分語られます。充分すぎるほど。そして、本巻巻末で「50年前」と話がぴたりとリンクします。いや、こういう手があるのか。私は感動を覚えました。
 本書はCOVID-19が流行する前に発表されました。だけどそこに示された想像力は、COVID-19の流行という現実によっても色あせることはありません。

 


最新兵器

2022-04-14 06:38:59 | Weblog

 ロシアはウクライナで民間人は殺していないそうです。
 ロシアの銃弾には「軍人には命中するが民間人には当たらない」、ロシアの砲弾やミサイルには「軍関連の施設や兵器に当たったら爆発するが民間のものでは不発になる」という最新の装置が装備されているんですね? すごいなあ。

【ただいま読書中】『アンドロメダ病原体 ──変異(上)』ダニエル・H・ウィルソン 著、 酒井昭伸 訳、 早川書房、2020年、1800円(税別)

 もしマイケル・クライトンが生きていたら書いたかもしれない『アンドロメダ病原体』の「続編」です。
 「アンドロメダ病原体」がアメリカの田舎町をほぼ全滅させ、突然変異で人体には無害(プラスチックには有害)な存在として高空に散らばってから半世紀、赤道直下のアマゾン奥地に巨大な“異変"が発生します。アンドロメダ病原体と同じ構造を持つ巨大な構造物が突如出現し、周囲の生命を奪いながら拡大を始めたのです。人類全体の運命がかかった破滅的事態が始まりました。
 『アンドロメダ病原体』との違いはいくつもありますが、たとえば「視点」が三次元に拡張されていることが重要です。ドローンによる高空からの観察、人工衛星や国際宇宙ステーションの宇宙からの観察、などが実に自然に描写され、「事態」の巨大さを伝えてくれます。さらに、「ワイルドファイア計画v2」のメーバーには宇宙飛行士が2人含まれ、さらにその内の一人は宇宙から事態を調査・観察することでチームに参加することになります。『アンドロメダ病原体』ではチームは地下に潜りましたが、今回は密林と宇宙です。面白い趣向です。さらに前チームにいたストーン博士の息子が今回参加することになって(というか、将軍に無理やり押し込まれて)読者としてはニヤリとしてしまいます。
 『アンドロメダ病原体』で調査チームは「アメリカ人」「男性」に限定されていましたが、今回は多彩です。女性はふたり、ケニア人や中国人もいます。この「中国」が“スパイス"として効きます。何しろ、今回のアマゾンの“事象発生地点"は中国の(おそらく宇宙空間でアンドロメダ病原体に様々な実権をしていた)人工衛星が墜落した場所なのですから。つまり今回の「地球の危機」は「中国の責任」なのかもしれないのです。ただそれを言いだしたら、前回の危機はアメリカの人工衛星が宇宙で“サンプル"を採集して地表まで持ってきたことが原因なんですよねえ。
 調査隊から死者が出ることは最初から明らかで、ただそれが誰かはわざと不明にされています。しつこく「この人が死ぬに違いない」というほのめかしは繰り返されていますが、ある程度すれからしの読者としては、そんな“誘導"には簡単には引っかからないぞ、と逆に伏線扱いしちゃうんですよね。我ながら困った読者です。
 調査チームの“敵"は、新たに変異したアンドロメダ病原体だけではありません。ジャングルそのものが人類を敵視していますし、そこに住む「未接触部族」は文明を嫌ってチームに夜襲をかけてきます。さらに、チームの護衛には別の使命(おそらく「もし不都合な事態になったらチームのメンバーを“処理"せよ」との命令)がある様子です。さらに、多様なメンバーで構成されたチームですから、それぞれがそれぞれの思惑(「人類」よりも「愛国心」を優先する、といったもの)を抱えています。
 回り中が敵だらけの状況で、学者チームが密林を踏破するスピードは落ちます。すると、連絡が遅れたことを軍部は“悪く"取り、特異体の構造物を焼き払おうと決断をします。50年前に全滅した町に対して核爆弾を投下しようとしたのと同じように。だけどそれは、アンドロメダ特異体に“エネルギー"を与えるだけなのです。