【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

閉まるドアにご注意ください

2014-06-30 07:03:33 | Weblog

 このアナウンスがなかったかつての時代と言うようになった最近で、ドアに指やら何やらを挟む事故の発生数はどのくらい変化したのでしょう? ちゃんと減っているのかな? 減っているのだったらめでたいことですが、減ってないのだったらアナウンスが無駄ということですからやめても良いのでは?

【ただいま読書中】『虫の惑星 ──知られざる昆虫の世界』ハワード・エンサイン・エヴァンス 著、 日高敏隆 訳、 早川書房、1972年、1300円

 地球は昆虫で満ちています。甲虫だけで30万種、昆虫全体ではおそらく数百万種、総数は低く見積もっても10万兆。
 最初に登場するのはトビムシ、次の章はゴキブリ。ファーブルとはずいぶん違ったラインナップです。ゴキブリで笑っちゃったのは、北アフリカから渡欧したゴキブリが広がっていく過程で、ロシアではプロイセンゴキブリ・プロイセンではロシアゴキブリと呼ばれたことです。梅毒が広がっていくとき、イタリアではフランス病・フランスではイタリア病と呼ばれたことを思い出します。
 ゴキブリに続いて登場するのはトンボ。昔はヤゴとトンボは“別の生きもの”でした。トンボの飛翔筋の構造や求愛活動のユニークさなど、「トンボの世界」がいかに面白いものか、著者は熱心に語ります。さらに日本人がトンボを世界の民族の中では一番愛好していることも。
 その熱心さはコオロギやキリギリスの章でも続きます。鳴き声を昔の中国人が珍重したことも歴史から探り出し、その鳴き声に耳を傾ける心の余裕が欲しい、と述べています。そういえば西洋人は「虫の声」を脳の中では雑音として処理している、と聞いたことがありますが、本当なんでしょうか。
 ホタルの仲間はとても多く、飛ばないホタルや光らないホタルもいます。ところが光るホタルは、卵から光っています。あの光が求愛のためなら、卵や幼虫はどうして光るのでしょう? さらに幼虫の発光器官を取り除いても、成虫になるとちゃんと光ります。つまり「とにかく光りたい」から一生光っているのかな?
 蝶や蛾の擬態の研究も大変面白いものです。鳥に食べられないために蝶や蛾は様々な意匠を試しています。目玉模様もその一つ。不味そうな外見をしている蝶は、実際に鳥に食べさせると本当に不味いらしく吐き出したそうです。蝶も鳥も災難な実験ですね。
 人が虫についていかに知らないかを、虫の専門家は知っている、のだそうです。そして、虫の専門家も虫のことをほとんど知らない、とも。その限られた知識だけでも膨大なもので、素人は十分に堪能できるのですが。


完全主義

2014-06-29 07:33:52 | Weblog

 もし不完全であることが“罪”なら、赤ちゃんは全員真っ黒けの“有罪”でしょう。ということは、完全主義を主張する人自体も「有罪」のなれの果て?

【ただいま読書中】『言霊』山岸凉子 作、講談社、2013年、600円(税別)

 山岸凉子の名前は知っていましたが、その漫画を読むのはたぶん初めてです。バレエ漫画の『アラベスク』や『舞姫』はタイトルくらいは聞いたことがありますが。
 「レッスン場では無敵」の高一の澄(さやか)。しかし本番やコンクールでは必ず失敗をします。実力を100%発揮できたのは、自分の前に誰かが失敗をしてくれたときだけ。いつしか澄は、口では「頑張ろう」「頑張ってね」と言っても、心の奥底で他人の失敗を望むようになっていました。しかしそういったネガティブな心の持ちようは、澄に「お前は偽善者だ」ということばを突きつけるようになります。さらに「偽善者」という引け目からでしょう。他人からかけられるネガティブな言葉に過敏になって、ますます失敗をするようになってしまいます。
 そんなある日、バレエ団にたまたまやってきた才能豊かな若手、伊東聖也と澄は出会います。ローザンヌに出場してドイツ留学を決めた聖也の踊りだけではなくて、そのものの考え方に澄は影響を受けていきます。人を呪う言葉が、他人ではなくて自分自身を呪っていることに彼女は気づいたのです。
 よく「ネガティブはやめよう」「ポジティブシンキングを」などと言いますが、実際にそれを行うのはけっこう大変です。しかし本書で示される「言霊」の現代的(脳科学的)な解釈は、バレエを素材としているからでしょう、非常にわかりやすく示されています。たとえば何かを連続しておこなっていて「これが最後」と思った瞬間、大脳が機能を停止させてしまう、なんて、脳で起きていることがその通りかどうかは別として、自分自身の失敗体験からも非常にわかりやすい解釈です。
 物語の構造そのものは昭和の香りがする古風なもので、“古い男”でも安心して読める漫画でした。ただ、フェッテとかピルエットとかの専門用語の羅列はなかなかしんどいので、こんどは同じ作者の歴史物の方に手を出してみようかしら。


言葉で世界を変える

2014-06-28 06:45:39 | Weblog

 議論に勝つ人が世界を変えているとは限りません。議論に勝つためには相手を言い負かせば良いけれど、世界を変えるためには世界に働きかけなければならないのですから。

【ただいま読書中】『ナイチンゲール 神話と真実』ヒュー・スモール 著、 田中京子 訳、 みすず書房、2003年、3000円(税別)

 この世には“神格化”された人は多くいます。ナイチンゲールもその一人でしょう。しかし“神格化”を嫌い、敢えて欠点を暴き「実はつまらない人間だった」としようとする人もいます。では本書の著者の立場は?
 「フローレンス・ナイチンゲールは、歴史上、もっとも有名な病人のひとりである」と本書は始まります。クリミア戦争から帰国して1年後に倒れ、以後10年間寝たっきりでした。ただし、単に寝ているのではなくて、その間にも48冊もの本を書いています(ちなみに、90年の生涯で書いた本は全部で150)。本書はその「10年間」に焦点を当て、これまでの伝記作家が無視していたナイチンゲールの書簡を手がかりに「謎」を解こうとした本です。
 クリミア戦争のときイギリスの戦時大臣だったシドニー・ハーバートとその妻エリザベスは、イギリスの教育病院での女性の看護の問題解決に取り組んでいました。クリミア戦争での野戦病院の悲惨な状況が報道されたとき、女性の看護婦の一団を送り込むことが検討されます。ハーバートはナイチンゲールの友人で、彼女が病院勤務の経験を持ちそれをさらに発展させ「一般的な女性が就職する、宗教とは無縁な看護婦という職業を確立させたい」と願っていることを知っていました。かくしてナイチンゲールを団長とする38名の看護婦がクリミアに派遣されます。
 スクタリ野戦病院は「悲惨」そのものでした。多数の傷病兵が収容されていましたが、致命的なほど物資が不足していたのです。窓は小さく、寒さのため閉じられていて、換気も採光も最低レベル。燃料はなく、不潔で害虫がはびこっています。イギリス軍は戦場で消滅し、残った部分はスクタリの野戦病院で消滅していきました。死亡率は90%! ナイチンゲールはその死因を、栄養失調による衰弱と考えます。
 ナイチンゲールのもう一人の政治上の友人パーマストンは首相になると民間人の調査団をスクタリに派遣しました。彼らの使命は、すぐに派遣される予定のイギリス軍の第二陣を救うこと。彼らはナイチンゲールの生涯の友となります。この衛生委員会は“仕事”をしました。物資を調達し環境を改善していったのです。
 ナイチンゲールたちが派遣された最初の冬に、病気で死んだイギリス兵士は1万人。しかし次の年の冬、その数は500に減りました。陸軍省はナイチンゲールを全野戦病院の管理者に任命します。ナイチンゲールの人気は沸騰、女王と内閣の確執に関係してその名声の政治利用も始まります。
 帰国後ナイチンゲールはスクタリでの死亡率についてデータを統計的にまとめます。その結果はナイチンゲールには驚愕の事実でした。「食糧不足」ではなくて「病院の劣悪な衛生状態」が傷病兵を効率的に殺していたのです。目の前に「正解」があったのに彼女はそれを見逃していたのです。しかし、ナイチンゲールがそれを受け止めるためには、何箇月もが必要でした。その心の揺れの軌跡は彼女が書いた手紙に残されています。
 スクタリでの大量死は建物の衛生状態のせい、とするナイチンゲールの秘密報告書は政界に波乱を起こします。「責任者は誰だ」という声が上がり、隠蔽工作が行われます。
 ナイチンゲールは「自分をはじめとする医療スタッフが初歩的な衛生事項への注意を怠ったがために1万4千人もの兵士を死なせてしまった」と悔やんでいます。しかし彼女は勇敢にその問題を直視し、隠蔽工作に立ち向かいました。
 ナイチンゲールは、病院の設備・規模の拡充・患者の移送・看護婦の配置や前線での活用などでいくつもミスを犯しました。しかし彼女は自分の大失敗の証拠を隠蔽はしませんでした。隠蔽しようとしたのは、軍部や政府の方です。彼女の“ミス”は、当時の社会情勢と知識レベルと常識を考えると仕方ないものばかりと言えます。知らないことには対処は難しいのですから。しかし彼女の誇りはそれを許しませんでした。自分の患者たちが、自分が考えなかった、あるいは否定していた原因によって死んでいた、という事実が、彼女の屈辱と苦悩と恥の原因となります。この重圧により、王立委員会に証言を提出して3週間後、ナイチンゲールは心身ともに虚脱状態となります。
 ナイチンゲールは統計の教育をうけていました。しかし軍はその数字を彼女に提供しませんでした。ナイチンゲールは、クリミアに出発する前にロンドンのコレラは下水道と関係があると見抜いていました。しかし野戦病院が下水溝の真上に建てられていたのに、下水と戦病死との関連を見抜けませんでした。「兵士を救うことを、やろうと思えばできたはずなのに」と彼女は自責します。
 彼女は37歳で死んだ、と想像したら彼女の人生が理解しやすくなる、と著者は述べます。自分の怠慢と傲慢さが軍の喪失の一因となったこと・自分が最初は真実を否認していたこと・女王までからんでいるため仕方なく隠蔽工作に同意したこと、により3度も兵士を裏切ったと感じることで、抑圧された罪悪感でナイチンゲールは苦しみ続けることになります。しかしナイチンゲールは“行動の人”でもありました。彼女は「自分の文書からクリミア戦争での自慢話を削除」「自身を“終身刑”に処す(病床への引きこもり)」「クリミア戦争でこうしたら上手くいっていたであろう、という行動を(特に組織管理に関して)以後は徹底して取る」という行動の変容を行います。さらに「ナイチンゲール基金」によって看護学校を設立・運営することからも彼女は手を引きます。まるで関心を失ったかのように。
 バーリントン・ホテルの一室に引きこもり、ナイチンゲールは「知識の苦杯」を飲みほしたのです。
 ナイチンゲールにとって公衆衛生とは「大衆が自力で自分の身を守ること」でもありました。その目的のために書かれたのが『看護覚え書き』です。ここには「病院の看護婦」ではなくて『一般女性」がいかに他人の健康管理を行うか、が書かれています。
 ナイチンゲールの偉大さを讃えるとき「戦場に赴く勇気」「兵士たちに示した優しさ」「看護婦教育の確立」などが言われ、それらに「言う人」の事情が投影され話はどんどん大きくなっていきました。しかし本書では「ナイチンゲールは失敗をし、そこから逃げずに自らの努力で教訓を得、それを社会に還元していった」ことが温かく描かれています。やはりナイチンゲールは「偉大な人」だったようです。


実権

2014-06-27 07:25:12 | Weblog

 日本では「生産する人」よりも「利益を分配する人」の方がエライとされます。官僚なんかその典型ですね。家庭だったら、専業主婦のかかあ天下?

【ただいま読書中】『医学探偵の歴史事件簿』小長谷正明 著、 岩波新書1474、2014年、740円(税別)

 歴史から「医学的事件」を26取り上げてあります。
 トップバッターは、ケネディ大統領の腰痛。彼は若い頃から腰痛に悩まされ、手術を受け、コルセットや弾性バンドを締めていました。暗殺されたときに、一発目を首に受け、数秒後の二発目を頭に食らいましたが、それはコルセットやバンドによって「固定された標的」になっていたから容易に二発目を食らったのではないか、というのが著者の推測です。
 「アメリカ大統領」ではレーガンも登場します。在任中にも、暗殺未遂をされたり癌の手術をしたり大変でしたが、退任後にアルツハイマー病であることを公表したときには、私は驚きましたっけ。 
 ヒトラーはパーキンソン病で登場です。ちなみに、ナチスが「T4作戦」で「生きるに値しない命」と認定して安楽死をさせた病気の中に、精神障害や痴呆に並んでパーキンソン病もしっかり入っています。
 日露戦争では脚気がたくさんの日本兵士を殺しましたが、第二次世界大戦の南方ではマラリアがやはりたくさんの兵士を殺しています。マラリアを恐れたのは米軍も同じで、マッカーサーは「熱帯地方で一個師団が稼働するためには三個師団が必要である。一個師団は戦闘を行い、一個師団はマラリアで病臥し、残りの一個師団は後方基地あるいは故国で休養している」と回顧録に書いているそうです。日本の場合は「戦死も病死も休養も許さない」と命令されて一個師団だけが送られるんですけどね。
 第一次世界大戦下のフランスでは、キュリー夫人の「黒い車」が活躍しました。当時まだ広く使われていなかったレントゲン装置を載せた移動検診車です。前線近くの病院を巡る車で、キュリー夫人の助手を務めるのは長女のイレーヌ・キュリー(当時17歳。のちにノーベル化学賞を受賞しています)。車のニックネームは「プチ・キュリー(小さなキュリー)」ですが、それはイレーヌのニックネームだったのかもしれません。1916年にはキュリー夫人は運転免許を取得、自分でも運転をするようになります。最初は「怪しげなテクノロジー」に否定的だった軍部ですが、実績を見せられるとすぐに方針を転換、X線技師学校を開校しプロのX線技師を養成しました。ここで学んだアメリカ人将校が帰国後おそらくアメリカでもこの学校制度を広めた、と思うのですが、そのことについては本書では触れられていません。
 医学がいかに歴史にかかわっているのかを気楽な読み物としてまとめた本です。空き時間が少ししかない場合でも一編ずつ楽しむことも可能ですし、ここから歴史の奥に入っていくことも可能でしょう。私はとりあえず、詳しいことを知らなかったナイチンゲールにとりついてみることにしました。


読んで字の如し〈扌ー22〉「押」

2014-06-26 12:25:36 | Weblog

「一押し」……1回だけ押す
「押しつける」……押してつける
「押しボタン」……引きボタンより操作が簡単なのが特徴
「押し潰す」……押さずに潰すのはけっこう難しいのだが……
「押し問答」……押しの強い人同士の問答
「押しも押されもせぬ」……無視されているのかもしれない
「押しが強い」……よく練習をした力士
「押せ押せになる」……応援団が強い
「目頭を押さえる」……涙を押して隠す
「判で押したよう」……「よう」がある以上、判で押してはいない
「横車を押す」……車輪が傷む
「押し売り」……押しは一つ30円です
「押し入れ」……買った押しの入れ物

【ただいま読書中】『エイズの起源』ジャック・ペパン 著、 山本太郎 訳、 みすず書房、2013年、4000円(税別)

 エイズの公の“誕生日”は1981年6月です。それ“以後”についてはもうたくさんの出版物がありますし私もその何冊かは読んでいます。ではそれ“以前”については? 著者が知る限り一冊だけ『ザ・リヴァー ──HIVとエイズの源流をたどる旅』(エドワード・フーパー)(経口ポリオワクチン製造過程で使われたチンパンジー細胞がサル免疫不全ウイルスで汚染されていた、と述べられたもの)でした。しかし著者は証拠を示してフーパーの見解を退けます。
 キンシャサに保存されていた古い血液標本の検査で、HIVー1の陽性率は1970年は0.25%(検査の母数は805名)、80年は3.0%(母数は498名)でした。ザイールのへき地ヤンブクで1976年にエボラ出血熱調査のために集められた血液標本がありましたが、659検体のうち0.8%がHIV陽性でした。これは「ここでウイルスが誕生した」ことを意味しませんが「すでに存在していた」ことは意味します。ただ、アフリカの他の地域での同時代の血液標本からはHIVが見つかりませんでした。
 「最古のHIVウイルス」は1959年ベルギー領コンゴのレオポルドヴィル(現在のキンシャサ)で採血された標本から見つかりました。
 HIVの遺伝子は動物の遺伝子の約100万倍のスピードで変異します。したがって多くのサブタイプが誕生しますが、サブタイプの地理的分布を調べれば時計を逆に回すことが可能になります(「ミトコンドリア・イブ」の追跡を私は思い出します)。その調査によれば「HIVの起源」は中部アフリカです。
 なぜ中部アフリカ? それは、HIVの祖先ウイルスの宿主である霊長類がそこに住んでいたからです。
 1989年、野生チンパンジーからSIV(サル免疫不全ウイルス)が初めて分離されました。HIVと近縁のウイルスです。ケナガチンパンジーからは1種類、ツェゴチンパンジーからは3種類のSIVが分離され、お互いに近縁関係であることがわかりました。野生状態のチンパンジーからさらに多くの検体を得るため、尿や糞から抗体や核酸の存在を確認する技術が開発されます。糞尿を採取するだけではなくて「この糞はチンパンジーのものである」「この糞の“持ち主”のチンパンジーは以前に検査をされたことがない」ことを確認するために研究者がどのくらいの努力をしたか、私はもうひたすら頭を下げるだけです。
 次はSIVの人間への感染経路。カメルーンの村で「霊長類への暴露(サルによって傷を負う、血液や唾液に触れる)」経験者を定量化し、それと人口統計、SIVの研究結果を組み合わせると、1921年に中部アフリカに暮らしていた成人で過去に1回でもチンパンジー血液に暴露した経験者は1350人となりました。野生のツェゴチンパンジーのSIV感染率は5.9%。ウイルス量によって変動する感染確率を考慮して、著者は80人がウイルス感染血液に暴露し、そのうち1~3人が感染者となった、と推定しました。非常に少ない数ですが、ゼロではありません。さらにこういった「種を越えた感染」は、HIVのサブタイプを見る限り、過去に最低4回は起きています。
 感染の拡大には、売春と医療を著者は考えています。アフリカには「リスクの高い売春」」と「リスクの低い売春」があるのですが、リスクの高い売春が広がった時代とHIV感染が拡大した時代とは重なっています。さらに昔は注射器や注射針の消毒は不十分でした。そのため、(著者もかかわった)「眠り病」に対して中部アフリカで大々的におこなわれた巡回医療班の活動が、「ウイルス」を広げる効果を出してしまいます。
 アメリカで“発見”される前にアフリカでエイズは流行していたはずです。しかし、熱帯病や結核などに覆い隠されて見逃されていた可能性が大です。ウイルスの分子時計を解析することで、HIVは(たった一人の感染者によって)ハイチに“輸出”され定着し、そこからUSAに渡ったことがわかります。
 著者は「ウイルス」「疾病」だけを見るのではなくて「風土」「歴史」も見つめています。アフリカでは植民地時代からの社会システムの変容がウイルス感染拡大に大きな影響を与えたこと、ハイチでは血液貿易(アメリカへの輸出)が行われていたことが指摘されます。非常に深く広い視野が示され、本の内容だけではなくて、こういったものの考え方が非常に参考になります。
 エイズによる死者は2900万人だそうです。この悲劇から学ぶべき教訓は、何だろう、と著者は問いかけます。考えるべきは「私たち」です。 


永久機関

2014-06-25 06:42:25 | Weblog

 「永久機関」の本当の価値は、「永久に動くこと」ではありません。それが「無からエネルギーを生みだし、仕事をする」ことにあります。
 単に動くだけで何の仕事もしないのだったら、それは機関ではなくてただの見世物です。

【ただいま読書中】『常温核融合スキャンダル ──迷走科学の顛末』ガリー・トーブス 著、 渡辺正 訳、 朝日新聞社、1993年、3107円(税別)

 1989年、ユタ大学で「世紀の記者会見」が行われました。超高温・超高圧でないと起きないはずの核融合なのに、室温で核融合反応を持続させることに成功した、という驚愕の発表です。しかも、きわめて簡単な実験装置で10万ドルの費用をかけただけ。
 その5年くらい前、ユタ大学のポンズ教授とフライシュマン教授は「リチウム化合物を溶かした重水につけたパラジウム電極と白金電極の間に電流を流す実験」を行っていました。ある日パラジウムが溶けてしまいます。メルトダウンが起きたのではないか、と2人は考えます。
 ポンズは実験の鬼才、フライシュマンは理論の天才の絶妙な組み合わせでした。これまでに「明らかに間違いだ」と集中砲火を浴びても、結局自分たちの方が正しかった、という経験も持っています(これが後に、常温核融合で集中砲火を浴びても動じなかったことに“役立ち”ました)。ただし大間違いの経験も豊富でした。ポンズは一年間に36本も論文を書いたことがありますが、10日に一本論文を書いたら当然質は落ちます。それでも彼らは平然と仕事を続けていました。
 同じユタ州のブリガムヤング大学のジョーンズ教授は、1956年にルイス・アルバレスたちが見つけた「ミューオン触媒核融合(液体水素の表面でミューオンという素粒子を触媒として原子核同士が融合する現象)」を追いかけていました。金属に水素を大量に吸わせれば、常温でも核融合が起きそうだ、という感触をジョーンズは得ますが、実験はうまくいきません。
 ユタ大とブリガムヤング大はお互いの研究のことを知り、「プライオリティ(先取権)」と「政府の研究助成金」と「特許」と「将来の数十億ドル」のために、実験データもないのに発表を焦ります。私から見たら、ポーカーのプラフでしかないのですが。両者が話し合っても、お互いがお互いを誤解したままで意思疎通不良が続きます。
 それにしても「実験で中性子が検出されない」という実験結果を見つめて「核融合が起きていない」ではなくて「核融合は起きているのだが、なんらかのメカニズムで中性子が出ていないだけ」と考えるのには、あきれてしまいます。さらに「とりあえず“偉業”を発表しておいて、“中性子が出てこないメカニズム”はあとで考察しよう」とするのですから、これはすごい。
 (懐疑的な一部を除く)マスコミは食いつきます。そこで必ず行われたのが「ポンズとフライシュマンのばかばかしいほど簡素な実験装置」と「ばかばかしいほど重装備な従来の核融合装置」の対比でした。これは「政府や権威を茶化したい向き」にはウけます。しかし「真実かどうかは二の次」と断言するマスコミ人には、私は絶句します。というか、よくこれだけあけすけにホンネをいろんな人から聞き出せたものだと、著者のインタビューの力量には感心します。科学者もけっこう露骨に他の科学者を論評していますが、日本だったらここまで様々な人のホンネ(他人の論評)が満載された本は出版しにくいのではないかなあ。
 集団的な熱狂と錯乱の中にも、冷静に追試を行う人がいました。しかしその結果がネガティブだとマスコミなどは口をきわめて罵ります。「新しい科学に異議を唱えるのか」と。この辺になると、科学ではなくてイデオロギーの世界のようです。
 さらに科学界にも“信者”が登場し、誤差を考慮しなかったり較正をしなかったり比較対照を欠いた杜撰な実験から得られたデータをもとに「擁護する意見」を発表し、それがまたマスコミをどんどん動かします。「あやしい」と思っても、(「確信がない」とか「保身のため」とか「大勢には逆らわないでおこう」と)傍観者を決め込む科学者も多くいます。しかしやがて「信者」の数は減っていき、「新聞記者しか信じない発表」が続くようになります。そして1989年は終わっていったのでした。
 先日読んだ『国家を騙した科学者』は韓国の話でしたが、どこの国でも似た人は似たことをするものようです。問題は「歴史」から「教訓」を学ぶことなんですが……


結び目の内側

2014-06-24 06:47:14 | Weblog

 ことばや人は「結び目」のようなものです。外側から眺めてもいろいろなことは見えますが、実際にはその結び目を解いてみないと、その“内側”は見えません。もちろん、ほどくやり方は各人それぞれ。中にはゴルディアスの結び目よろしく、ざっくり断ち切る人もいるでしょう。それで「断面」は見ることはできますが、問題は「結び目」を再現できなくなったことです。

【ただいま読書中】『ハーバード大学はどんな学生を望んでいるのか?』栄陽子 著、 ワニ・プラス(ワニブックス)、2014年、840円(税別)

 「ハーバード大学」の創立は1636年、アメリカ建国の前です。現在、大学院を含む総合大学(ユニバーシティ)の中に「日本での(高校卒業後に進学する)大学」である「ハーバード・カレッジ」が含まれています。面白いのは、ハーバード・カレッジから大学院への優先入学制度はないこと、それとハーバードで博士号を取得したらハーバードには残れない、という制度です。
 ハーバードでは入学を専門に扱うプロ集団「アドミッションズ・オフィス」が機能しています(スタッフは40人だそうです。日本ではその名前だけ拝借してAO入試をやってますね)。
 「ハーバード白熱教室」で見たら驚くのが「多様な学生によるディスカッション」です。アドミッションズ・オフィスではその「多様性」を確保するために学生を選抜するのが原則となります。合格基準は公表されていませんが、私の推測では、たとえ成績優秀でも人種や学力や高校までの活動がほぼ同じ学生が2人いたら片方を切って、学力がそれより低くても全く違うタイプの学生を採用する、といったシステムなのではないでしょうか。それでもオフィスへの問い合わせが多く、ハーバードのサイトには「入試FAQ」が掲載されています。面白いのは『入学試験」がないことです。書類審査と面接ですべてが決定されます。
 まずは「願書」。本人の情報(氏名住所などや高校での成績など)にプラスして、家族についてもけっこう詳しく書く必要があります(職業や学歴も記述が求められています)。「活動」では、リーダーシップを取ったか表彰されたかと同時に大学入学後も続けたいか、も聞かれます。「エッセイ」は、「あなたの出願者としてのアイデンティティの核となるバックグラウンドやストーリーを教えて下さい」「失敗した出来事や、失敗したときのことを詳しく述べて下さい。それがあなたにどのような影響を与え、あなたは何を学んだのでしょうか?」「ある信条や見解に異議を唱えたときのことを表して下さい。その理由は何でしょうか? 再び同じ異議を唱えますか?」「あなたがとても満足した場所や環境について述べてください。そこであなたは何をしましたか? その満足した理由も述べてください」「あなたの文化・コミュニティ・家族のなかで、あなたが成長するきっかけとなった功績や出来事について述べてください」の選択肢の中から一つを選んで250~650ワードの制限内で書きます。さらに、取りたい学位や就きたい職のプラン…… 単に「優等生が“良い大学”に入学する」のではなさそうです。「推薦状」は2通必要です(本書によれば「面白い推薦状」が必要だそうです)。「特異な体験」も重視されますし、芸術分野でなにか得意だと有利になります。
 本書を読んでいると、知性と教養があり、リーダーシップを持ち、その人ならではの何らかの得意分野を持っている、という“スーパー高校生”が必要とされているようです。では実際にアメリカの高校でどうやってそんな学生を育成しているのかといえば……まず指導されるのが「学校の成績を上げる」。ついで「新聞を読め」「課外活動をしろ」「クラブ活動をしろ」「ボランティアをしろ」だそうです。……それだけ? なんだか日本の「受験生」とは相当違うようです。というか、アメリカでは「受験生」になるのではなくて「高校生が学校生活を頑張った延長上で大学を受験する」という発想なのかもしれません。
 学費は、とんでもなく高いものです。基本的に全寮制なので、学費・寮費や食費で年に6万ドル! それをぽんと払える人はさすがにアメリカでも少ないのでしょう、各種の奨学金が充実しています。ただし年収20万ドル以上の家庭の学生は奨学金が受けられません。逆に貧しい家庭ではローンを過大に組ませないように大学が制限をしています。経済的にも多様な学生を確保したいようです。
 授業は一日に3時間くらいです。しかしそのための予習復習や宿題に5~6時間かかります。そういえばハーバードでしたっけ、「成績・友情・睡眠、のどれか一つはあきらめろ」という言葉がある学生寮があると聞いた覚えがあります。なかなかシビアですね。
 「ハーバード大学」は一つの「アメリカの大学の一つの例」に過ぎません。他にも様々なタイプのカレッジがあるそうです。ハーバード大学が「学生の多様性」を求めているように、アメリカという国は「多様なカレッジ」を求めているようです。ただしそのどこに行ったとしても「お仕着せの人生のコースを望む」のではなくて「自分で自分の人生を作る」国民が求められているようです。日本とはずいぶん違うやり方ですが、漠然と「良い大学に行きたい」ではなくて、「アメリカという社会システム」を理解した上で「ハーバードで学びたい」と望む人は、中3~高1くらいから準備をしたら間に合うかもしれないそうです。それでも「偏差値○○以上」なんて“合格基準”は存在しないのですが。
 なかなかシビアです。


解決策

2014-06-23 07:06:10 | Weblog

 現在の日本が直面している大問題は3つあります。「少子高齢化と人口減少」「資源エネルギーの制約」「気候変動」。それに対して「人口回復の数値目標を立てる」「シェールガスなどの新しいエネルギーの開発に期待する」「地球温暖化など陰謀論に過ぎないと断言する」ことが人気のある解決法のようですが、それで本当にすべて解決なんでしょうか? 「数値目標を立てる」「期待する」「断言する」って、どれも根本的なところに働きかけているように見えないのですが。

【ただいま読書中】『気候変動に適応する社会』田中充・白井信雄 編、地域適応研究会 著、 技報堂出版、2013年、2200円(税別)

 気候変動はすでに生じています。その将来予測についてはIPCC(気候変動政府間パネル)の第4次評価報告書が本書では引用されていますが、2013年9月に第5次報告書の発表が始まっているのでそちらも参照されたし、だそうです。
 年次データを見る限り、気温は少しずつ上昇しています(日本の月次データでは2~3月と8~10月の気温は上がっていますが4~5月は変わりなし、といった傾向があります)。日本での降水量には大きな変化はありませんが「年々の変動」が大きくなってきています。台風は少しずつ減少しています。この気温上昇の原因として「温室効果ガス」以外のものも本書では考察されています。
 現在“直ちに”最大限の緩和策を実行しても、今後数十年は気候変動は進んでいきます。ならばその変化の影響をできるだけ回避・減少させるように自然システムや社会システムを改善する「適応策」が必要になります。生活習慣病に対して、緩和策は「治療」、適応策は生活習慣の改善、といったところでしょうか。
 気候変動の影響は「社会の弱いところ」に噴き出ます。だから適応策は「社会の脆弱性」の改善となります。簡単な技術的なものとして、堤防のかさ上げ、亜熱帯性の動植物の駆除、などがあげられていますが、もちろんこれは対症療法的な適応策です。
 いつものように、日本はこういったことに関して先進国の中では常に一周遅れです。研究・モニタリング・政策の点で、欧米諸国が先行しています。国内でも自治体によって対応に差があります。先行地域は、東京、長野、埼玉、三重、滋賀、京都、長崎など。といっても実は「手をつけ始めた」か「何もしていないか」の差しかまだついていないんですけどね。だから「遅れた県」もまだ十分間に合います。
 農業では、気候変動の影響が収量にもろに響きます。適応策としては、作物そのものを高温に耐える品種に改良すること、育てるときに高温になるべくさらさないようにすること、が考えられます。後者では、植え付け時期の変更や産地の多様化があります。ところが日本の野菜は“集中化”が非常に進んでいるのです。これは将来、農民と消費者にとって、とても悲しいことが起きることになるかもしれません。そのほか、林業、熱中症対策(特に老人)、伝統文化への影響など、幅広い分野で対策を考える必要があります。都会では、たとえば短時間大雨対策が必要になります。
 本書の最後あたり、「適応策とは気候変動から何かを守ることです。では私たちは何を守るのですか?」という、ちょっとコワイ問いかけが置かれています。人命なのか、景観か、文化か、食料か……おそらく「すべて」を守ることはできないでしょう。「何を守るか」を決断することは「その他」は犠牲にしても良いと覚悟することです。そもそもその覚悟が私たちにあるのでしょうか?


過去へタイムスリップ

2014-06-22 12:36:42 | Weblog

 「戦国自衛隊」とか「仁」は、タイムスリップによって「時代劇」の中に現代人を放り込んだらどうなるか、のドラマです。「同じ日本」だけれど「まったく違う日本」を、そこに放り込まれた現代人を通して私たちも味わうことができる、というわけで、普通の時代劇よりはその時代の「異質さ」をもっと身近に感じることができることになります。
 ところで「異質な日本」と言ったら「昭和の日本」もすでに「異質」になっていません? たった30年前のことですが、インターネットもスマホもICカードも存在しない世界です。もしも私が昭和に放り込まれたら、当時の記憶があるからとりあえず生きることはできるでしょうが、トラブルはたっぷり経験させられてしまいそうです。

【ただいま読書中】『三四郎』夏目漱石 著、 岩波文庫、1938年(90年64刷)、301円(税別)

 日露戦争直後、明治末期に発表された小説です。あらすじは簡単ですね。東京帝大に入学するために九州から上京した三四郎が、東京という大都会に驚き、様々な人と出会って成長しました。はい、おしまい。
 あらすじで何かを語るという行為がろくなものではないことがよくわかります。『となりのトトロ』だってあらすじを言えば「幼い姉妹が優しい森の化け物に出会って迷子になって大変でした」ですもの。
 本書で重要な単語である「迷子」を「ストレイシープ」と訳す場面、最初に読んだとき私は新約聖書を連想していました。たぶんそれで“間違い”ではないのでしょうが、今回「都会」と「田舎」の対比の上でも「迷子」が読めることに気づきました。
 「迷う」ためには「自分がいるべき定まった場所」が必要です。「定まった場所からはぐれてしまい自分がどこにいるのかわからない」からこそ人は自分が迷子になったことがわかります。そして「定まった場所」は、単に「地理上の地点」を示すだけではなくて、抽象的な意味での「自分の居場所」「自分自身が自分自身であると確信できる点」も意味しています。だから「都会の孤独」は「迷子状態」です。
 三四郎の目から見て都会人は「自分」を持っている人たちのように見えます。逆に言えば、そういった人だからこそ「迷子」になることができるのかもしれません。田舎だったら皆知り合いなのですから、『となりのトトロ』だってあれは本当は「迷子」ではなくて「行方不明」「神隠し」です。もし道がわからなくなった子供が見つかったとしてもその子は「迷子」ではなくて「なんだか様子が変な○○家の子供(少なくとも顔見知り)」なのです。しかし都会での「迷子」は「(谷中とか根津とか)どこにいるのかはわかっている」のに「自分がどこにいるのかわからない状態」なのです。著者が「アイデンティティ」についてどのくらい考えていたのかはわかりませんが、その喪失の不安を持って生きていた事は確実なような気がしています。

 明治末期を描いた小説で、『坂の上の雲』では「雲」をつかもうと「坂道を駆け上がっていく日本」が描かれていたように私は読みましたが、こちらの「三四郎」は、どちらかといえばぐずぐずしています。三四郎自身はあまり深くものを突き詰めて考えるタイプではないようですが、彼を操る著者が非常に多くのものを考えているように読み取れます。通俗小説のような教養小説のような作品、と私はかつて本書を読みましたが、もしかしたらそういった一般小説の形を借りた思弁小説だったのかもしれません。なかなか一筋縄ではいかない作品です。


自由意志

2014-06-21 06:41:45 | Weblog

 デモ隊は普通自由意志で集まるものですが、それを規制する機動隊は自由意志ではなくて命令で動きます。で、ぶつかるとふつうは機動隊の方が勝ちます。軍隊も自由意志ではなくて動くものですが、これも「自由意志の集団」とぶつかったら普通は勝ちます。
 ということは「自由意志」は、集団では「ない方が強い」ということ?

【ただいま読書中】『独居老人スタイル』都築響一 著、 筑摩書房、2013年、2700円(税別)

 「独居老人は“可哀想”なのか?」と本書ではまず疑問が提出されます。
 そして次々登場するのは「“立派”に独居をしている老人」たち。著者は彼らのお宅にお邪魔をし、話を聞き写真を撮ります。
 最初に登場する人の家は、どう見てもゴミ屋敷。著者が訪問を始めた頃はまだ部屋の床が見えるところがあったのに、行くたびに積んであるものの「標高」が高くなっていくそうです。
 次に登場する人は「首吊り芸人」。部屋よりも、やっていることの方にインパクトを感じます。
 首吊りくらい(!)で驚いていてはいけません。出てくる人出てくる人、どの人も「人生」の厚みというか重さというか、月並みな言葉ですが「本一冊分の人生」を背中に背負った人ばかり。そりゃみなさん、老人なんですから、長く生きていたらいろんなことがあるわけです。
 雑然とした部屋の写真を見ていて、私は「もの一つなくきれいに片付けられた部屋に独居する老人」の姿を想像しました。必要最低限のものしかない部屋、で私が連想するのは、ホテルの部屋や舞台上の部屋のセットです。だけどそういった部屋は「生活の場」なのかなあ。私が部屋を片付けるのが苦手だからことさらそう思うのかもしれませんが、部屋を片付けるための人生ではなくて、人生を生きるために使われて雑然とした部屋の方が、好きです。もしも私将来独居老人になったら、ゴミ屋敷決定ですね。