【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

eneos

2013-03-31 07:23:00 | Weblog

 赤信号で停止すると、そこはあるガソリンスタンドの前でした。退屈なので、スタンドの看板で遊ぶことにします。お題は「ENEOS」。
まず思いついたのは、「eneOS」。エネルギー専門コンピューターのOSです。
次は「eNEOs」。サイバー空間にある新しいものたち。
ちょっと苦しいけれど「ES-ONE」。エスパーの一番。
 そこで信号が変わって、私は車を発進させました。続きは(もし覚えていたら)またここで赤信号につかまったときにします。

『四次元半 襖の下張り(3)』石森章太郎 作、秋田書店、1980年、330円

 異次元への霧の通路は、雨宮のその時の心理状態に反応しているようです。逃げ場を求めているときには「逃げ場のない世界」へ、愛について考えているときには「信太妻の世界」へ、とつながります。そして、ついに「あちらの世界」と「こちらの世界」とで時間のズレが生じるようになります。
 さらに、ちらりちらりと、社会論や文明論も登場します。女性の体に羊毛が生えたような羊人間が、定期的に北風に羊毛を収奪される世界を描いた「羊の群れは北風に震える」など、立派な社会風刺です。
 「異次元」ですから、通路の向こうにどんな世界を描こうとそれは作者の自由です。しかし、あまりに何でもありだと、かえって作品全体の統一性が失われることになります。そのへんに作者の苦心があったのではないか、とは思いますが、読者としてはとにかく作品を読んで「ああ、面白かった」と言えればいいわけです。
 しかし「(競争が激しくて)神経の細い者は生きていけない」が「神経の太い者には良い漫画は描けない」というのは、漫画というのも大変な世界なんですね。



パセリ

2013-03-30 07:02:24 | Weblog

 100グラムあたりのビタミンC含有量は野菜の中でもトップクラス、ということで知られますが、では日常的に100グラム食べる人がどのくらいいるのか、と言ったらたぶん多くの人は沈黙をするでしょう。私も付け合わせとしては認識していますが、野菜としてはふだんはあまり食べませんし、食べるときでもごく少量です。
 ただ、「主菜」には無理にしても「スープ」や「小鉢」になら、パセリを「食材」として調理することは可能でしょう。特に私がお勧めしたいのは、パセリの素揚げ。子供時代にはよくお袋にリクエストして作ってもらっていました。これ、本当に美味しいですよ。

【ただいま読書中】『四次元半 襖の下張り(2)』石森章太郎 作、秋田書店、1979年(81年2刷)、290円

 雨宮が霧の通路を通った瞬間、「サイボーグ009」の004が登場してちょっと驚きます。ただしその舞台は、フレドリック・ブラウンの『闘技場』ですが。
 そして次の作品のタイトルは「夏への扉」。“あれ”を一体どう料理するつもりか、と思うと、みごとにドンデンを食わされてしまいます。さすが石森章太郎。一筋縄ではいきません。
 石森はばりばり仕事をして名前が売れ始め、赤塚はギャグ漫画で新境地を開いています。それに引き替え雨宮は……って、ここはおそらく石森の内宇宙ですね。漫画家になるという過去の決断は正しかったのかこのままでいいのかという迷いを引きずったまま、表面上は売れっ子漫画家を演じ続けなければならないことの葛藤が現われているように私には読めます。
 ……しかし「かもめ」が乱舞するモノクロの美しいシーン、石森章太郎は風景を具象のまままるで抽象のように描く名人だと、感服します。「龍神沼」の林のシーンに匹敵する美しさだと私は感じました。
 そして、小さなエピソードの積み重ねから、少しずつ少しずつ、雨宮の「現在」と「未来」が広がっていきます。


投影

2013-03-29 07:34:26 | Weblog


 子供の時木登りをしていて地面を見ると、木と自分の影がくっきりと映っていました。そこでいろいろ空想をします。もしも下からボールを投げられたら、当然地面ではボールの影が私の影に近づくわけです。しかし、そのボールの影は、私に命中して跳ね返ることもあれば命中せずに私の影を通りすぎてしまうこともあります。もしも「二次元世界の住人(影としての生命体)」がいるとしたら、これはとても不思議な現象でしょう。なにか確率的にボールは人体を通過することがあるのか、と思うかもしれません。
 ちょうどそのころ『五次元世界のぼうけん』という本を読んでいた頃なので「次元」の不思議に心奪われていた少年の夢想です。
 で、三次元を二次元に投影したから、こういった影の世界の不思議が生じるわけです。それは次元が少なくなったことによって多くの情報がそこでは表現できなくなったから。では四次元の世界を投影したものがこの三次元だとしたら、私たちが見ていると思っている世界は、一体どのくらいの次元の情報が欠落したものになっているのでしょうか。これは少年の私には手に余る難題でした。今の私にも難題ですが。

【ただいま読書中】『四次元立方体』アレックス・ガーランド 著、 村井智之 訳、 アーティストハウス、2000年、1000円(税別)

 二次元では正方形、三次元では立方体、では四次元で“それ”にあたるものは? もちろん私たちは“それ”をじかに認識することはできません。ただ、四次元の超立方体を三次元に投影したものなら、たとえばパリの新凱旋門があります。
 でも本書の舞台は、パリではなくて、マニラです。脳が溶けそうなくらいの暑さの中、船員のショーンが時間を潰しています。闇世界を支配するドン・ペペは車の渋滞に苛立っています。ショーンがドン・ペペに呼び出されたのは、明らかに人が殺された形跡のある「ホテル」の一室。そこで偶発的に撃ち合いが始まってしまいます。
 その撃ち合いの音が聞えるところで、パンクした(パンクさせられた)車のタイヤを交換しているのはローザの夫。そこでローザが若かった頃のエピソードがカットバックで次々混ぜられ、話はまるでシチュー鍋の中身のように。
 そして、ローザの家に、ショーンが飛び込んできます。銃弾を引き連れて。
 ローザの夫の車をパンクさせたのは、マニラのストリートチルドレンでした。そこでもまた別の物語が語られます。エアコンの効いたバスで父親と一緒にマニラに出てきたら、そこで父親が消えてしまったヴィンセント。そのヴィンセントに上から襲いかかることが好きなトトイ。二人の夢を金を払って収集するのはアルフレッド。ヴィンセントがよく話すのは父親の夢を見たということ。彼が本当にその夢を見たのか、夢を見たと思っているのか、それはアルフレッドにはわかりません。
 意味深なタイトルに引きずられ、読者は「四次元立方体の三次元的展開図が二次元の紙の上に描かれた図」を見て首を捻っているつもりになれます。だけど、それはタイトルのマジック。そして、本文には本文のマジックがかけられています。事実の欠片(と欠落)、事実だと人が思っていることの欠片(と欠落)、人の思いの欠片(と欠落)、欠片の欠片、欠片に見える欠片ではないもの……様々な断片と空白が散りばめられ、私は自力でそれを読み解き「何かの展開図に違いない」と思ってしまうのです。だけどそれは、熱帯夜に見た夢なのかもしれません。
 粘着力があるのに疾走感があるという、不思議な小説です。熱帯夜のお伴には最適かもしれません。


周期表

2013-03-28 07:07:17 | Weblog

 急に周期表を確認したくなって、図書館から元素図鑑を借りてきました。ページを開くともちろんおなじみの周期表がすぐに出てきます。水兵リーベぼくの船……なんで子供時代に刷り込まれた知識は、すぐに出てくるんでしょうねえ。私の体の元素は子供の時から現在まで、おそらく全部入れ替わっているはずなのに。

【ただいま読書中】『世界で一番楽しい 元素図鑑』ジャック・チャロナー 著、 広瀬静 訳、 エクスナレッジ、2013年、2800円(税別)

 「はじめに」で、簡潔明瞭だが手を抜いてない説明で、陽子・中性子・電子と原子の構成についてきっちり述べられます。
 そしてまず登場するのは当然「水素」です。4ページの記述に散りばめられた写真や図は、「はくちょう座の星雲」「亜鉛と塩酸が反応して泡が生じているところ」「炎上するヒンデンブルク号」「マーガリン」「水素自動車」「水素爆弾のキノコ雲」……いやあ、確かに楽しい「元素図鑑」です。
 ついで1族のアルカリ金属がまとめて登場。炎色反応、それぞれの金属塊、ナトリウム灯、アボカドなどきれいな写真を楽しんで、つぎは「アルカリ土類金属:2族」です。マグネシウムでは「オークの葉」が登場しますが、それは葉緑素分子の中心にマグネシウムが位置するからです。
 それぞれの族ごとに、「元素」の化学的な面だけではなくて、それがどのような歴史を持ち人の生活とどのような関係を持っているのかが具体的に描写されて、退屈する暇がありません。
 「希ガス:18族」では遊び心が炸裂。ヘリウムでは「He」の形の放電管にヘリウムを詰めて通電した写真、ネオンは当然「Ne」の形の放電管、アルゴンは「Ar」、クリプトンは「Kr」、キセノンは「Xe」……それぞれの色が違うことが一目で分かりますし、記憶力の良い人はこれだけでどの元素が紫色に発光するかとか一発で覚えてしまうかもしれません。
 タイトル通り「世界で一番楽しい元素図鑑」ですが、それと同時に「とても美しい元素図鑑」かもしれません。周期表を記憶する苦行で化学が嫌いになった人にこそ、私は本書をお薦めしましょう。ほんと、元素って、楽しいですよ。



半ズボン

2013-03-27 07:09:58 | Weblog

 もう死語、というか、「そのもの」をあまり見なくなりました。私が子供の頃にはどの子も普通にはいていた(「鉄人28号」の金田正太郎がはいていたような)ショートパンツです。子育ての時期になって買おうとしたら店にあるのは「ハーフパンツ」ばかりで驚きましたっけ。懐かしの半ズボン、どこに行ってしまったんですか?

【ただいま読書中】『四次元半 襖の下張り(1)』石森章太郎 作、秋田書店、1979年(81年2刷)、290円

 タイトルは明らかに『四畳半襖の下張り』のもじりです。ただし私が思うのは、永井荷風のものではなくて、春本の方。石森章太郎には、セックス用のアンドロイドが登場する「セクサロイド」や、体をサイボーグ化した女スパイがお色気たっぷりに活躍する「009ノ1」なんて作品がありますから、“そっち方面”を期待してしまうわけです。しかし気になるのはタイトルの「四次元半」の文字列。石森章太郎が「素直」に“そっち方面”に行ってくれるとは思えないんですよねえ。
 石森章太郎の友人雨宮は、かつては石森と一緒に漫画家を目指していましたが、途中でイラストに転進し、そしてある日突然姿を消してしまいました。その雨宮から20年ぶりに不思議な手紙が届きます。そこに書かれた奇妙な指示に従う石森は、この世と異次元とをつなぐ霧に満ちた不思議な通路に出くわします。そこを抜けた人が目撃するのは……ある時は「雪国」、ある時は「失われた世界」、ある時は異星人に襲われた文明世界、あるいは「モロー博士の島」……
 石森は雨宮の不思議な旅を追い求めます。そしてそれは同時に「石森章太郎の過去」を訪ねる旅でもあったのです。「次元を越えるトンネル」という、SFではありがちな“装置”を使い、数々の文学作品を“引用”しながら、しっかり「石森章太郎ワールド」を構築してみせるのは、さすがです。図書館に残りがあったら借りてこなくちゃ。



前回の無効判決

2013-03-26 06:58:52 | Weblog

 小学校の社会化で三権分立を習ったとき、それぞれの権力がお互いを「監視」や「(「それはおかしいぞ」の)指摘」はできるにしても、なんらかの「強制」をすることができるのだろうか、と不思議に思ったことを私は覚えています。その頃読んだ本で「大津事件」での「司法の独立」が高く評価されていることを知り、逆に「政府からの裁判所への干渉」がとても強いんだな、それは戦前だけのことかな?という感想を持ちましたっけ。ちょっと(相当?)ひねくれた小学生です。
 そういえば最近「衆議院選挙は違憲」判決が続々出ていますが、それに対して国会議員が「立法府の権力への侵害だ」と言っているのをニュースで聞きました。これって「司法は立法がやることに口を出すな」と主張しているわけですが、そうすると三権分立ではなくて「立法が一番エライ」と言ってることになっちゃいません? 「おかしいぞ」という指摘をするな、ということですから。「強制」はせずに「指摘」だけしている「三権分立」の基本に従った態度であるように私には見えるんですけどねえ。
 そしてとうとう昨日は「選挙無効判決」。一応“執行猶予”はついているしまだ最高裁が残っていますから「おれはまだ(合法的な)国会議員だぞ」と自らを改めるのではなくて司法に干渉しようとする人がまだ出てくるのかな?
 ちなみにニュースで言われている「戦後初の選挙無効判決」の“意味”はもちろん「それ以前の大日本帝国憲法下では選挙無効判決があった」ということです。それもあろうことか、戦時中にね。

【ただいま読書中】『戦時司法の諸相 ──翼賛選挙無効判決と司法権の独立』矢澤久純・清永聡 著、 溪水社、2011年、7400円(税別)

 昭和17年4月東条英機内閣は第21回衆議院議員選挙を実施しました。翼賛政治体制協議会が候補者を推薦し、推薦を受けていない候補者が落選するように政府や軍による露骨な干渉が行なわれました。世に言う「翼賛選挙」です。スローガンは「出たい人より出したい人を」。内務省・知事・警察・マスコミが一致協力して選挙干渉を行ないましたが(選挙違反をでっち上げて逮捕、県知事が候補を呼びつけて選挙運動をやめるように“説得”、住民に推薦候補に投票するよう“啓蒙運動”など)、全国の定数466人に対して立候補した推薦候補466人のうち、当選したのは381人でした。もっとも、非推薦候補(自由候補)も全員が政府・軍部に批判的なわけではなくて、戦争遂行を強力に主張する人間も多数含まれていました。
 国会では当選した非推薦候補からの政府追及の質問があったことが帝国議会の議事録に残されていますがその趣旨は「立憲政治の根底を揺るがす」「公選ではなくて官選国会になってしまう」「推薦と非推薦の対立は戦争遂行の邪魔になる」といったものでした。(政府答弁は「政府は選挙干渉はしていない」「関与していない」でした。「やってました」は違法ですから、そう言わざるを得ないのですが)
 そして、鹿児島二区・長崎一区・福島二区で「当局による選挙妨害があったから選挙は無効」という訴訟が起こされます(鹿児島一区と三区でも訴訟が起こされていますが、資料が非常に乏しい状態です)。当時の衆議院議員選挙法では選挙の効力に関する訴訟は大審院(最高裁判所の前身)で扱うことになっていました。長崎一区・福島二区では「選挙は有効」とされます。鹿児島二区を担当した第三民事部の裁判官たちは、昭和18年に鹿児島に出張して証拠調べを行ないました。調べた証人は187人。東京では東条英機がサーベルを鳴らしながら裁判所を歩き回り、特高や憲兵が裁判官の家を張り込み外出先につきまとう状態で、裁判官は遺書を書いて出勤、1945年3月1日「選挙無効」の判決が出されます。「選挙の自由と公正を欠いた」と言うだけではなくて「東条内閣が行なった翼賛選挙は、憲法と選挙法の精神に照らして大いに疑がある」とまで判決文で述べました。そして裁判長を務めた吉田は、無効判決から4日後に裁判官を辞職します。
 判決の結果鹿児島二区の推薦候補4名の議員は失格となり、45年3月20日に再選挙が行なわれました。開票日22日の新聞一面は硫黄島守備隊全滅のニュースでした。推薦候補はこんどは3名となりましたが、結局当選者の顔ぶれは以前とまったく同じでした。今回は非推薦となった濱田尚久は前回の無効となった選挙でトップ当選でしたが、東条英機に批判的な態度だったため懲罰召集をされ、二等兵として硫黄島に送られていました。しかし19年12月に遺骨引き渡しを命じられて帰国、硫黄島全滅から免れ選挙には間に合い、また国会議員になったのです。ありきたりの言い方ですが、数奇な運命です。
 「非常時である」ということばに流されて、時局に阿る判決を出すことは簡単です。しかし、あの戦争中でさえ、「ならぬことはならぬ」と言った人がいたことを、私たちはそう簡単に忘却してよいとは思えません。ただ、本書に紹介されるこういった「スジを通した人たち」は、戦後になってもやはり少数派の立場にあり、多数派の立場にいた人は時代が変わってもやはり多数派の中に立っていることが多いようです。「スジ」って何だろう?と、私はちょっと不思議な感慨を抱きます。


不幸の連鎖

2013-03-25 07:00:37 | Weblog

 自分を幸福にできない人は他人も幸福にできません。他人を幸福にできない人は自分も幸福にできません。
 そうそう、自分を幸福にできても他人を幸福にできない人間はたくさん存在するし、自分を不幸にするのと同時に他人も不幸にすることができる人間はもっとたくさん存在するのは困った現実です。

【ただいま読書中】『ラヴィン・ザ・キューブ』森深紅 著、 角川春樹事務所、2009年、1400円(税別)

 工業用ロボットの生産管理部に所属するやり手の「ねーちゃん」依奈。登場シーンでは火入れ式を控えた工場での許されない組み立てミス騒ぎを快刀乱麻の活躍でさっさと終息させてしまいますが、アイスドールの冷静さと人を動かす行動力は大したものです。敵も多いようですが、その有能さに目を止める人もいて、量産分野から開発の特別装備機体室(特装)への転属の話がやってきます。ただし仕事は室長の「秘書」。予定にすべて品番をつけて管理をするわけにはいきません。依奈の得意分野とはまったく異質の業務です。
 それどころか、依奈が見た特装の現場は、カオスでした。会社員として規格外の室員たち。そもそも人間の規格に入らないアンドロイド。依奈は戸惑いながら、そこに「秩序(“外”に通用する価値観)」を持ち込もうとします。
 そこに“天上”からとんでもないプロジェクトが持ち込まれます。依奈がリーダーとなって、特装をまとめた上に他社と協働して新しいロボットを開発せよ、というのです。与えられた期限はたったの20週間。異常に厳しい情報管制に首を捻りながら赴任した依奈ですが、そこで初めて自分たちが開発するのがセックス・アンドロイドであることを知ります。
 しかしそれは“偽装”でした。プロジェクトを監視する人間は米軍からの派遣。どうも軍事目的に使用されるようなのです。しかしそれについては誰もあからさまに触れようとはしません。日本のメーカーは仕様書通りに開発をすればいいのです。それをあとから軍事“転用”するかどうかは、発注主の自由です。さらにアンドロイドには体内に自爆装置も仕掛けられます。おやおや。これももちろん「機密保持」のためです。
 登場する人はほとんどが、人間の良識などを鼻にも引っかけないひねくれた人間ばかりです。本書自体、とてもひねくれた「ものの生産に関する本」であり「ガール・ミーツ・ボーイ」ものでもあります。途中まで緊張感をきれいに維持していたのが最後になって著者が「自分の思い」を熱く語りたくなった様子でストーリーが散漫に流れたのが残念ですが、それでも小松左京賞受賞作、とのこと。次作にも期待をしましょう。


OECD

2013-03-24 07:08:28 | Weblog

 OECDとは経済協力開発機構のことで、民主主義を原則とする34箇国の先進諸国が集まった国際機関です。日本も入っています。
 OECDは経済・教育・年金・医療・行政改革など、様々な分野で参加各国の国際比較の報告をしています。ありがたいことにそれは続々翻訳されていて、私のように英語力が不足している人間でも「データの国際比較」を見ることができます。すると、日本のマスコミが大好きな「あちこちの分野で世界に比較して日本は遅れている」なんて主張が大間違いであることを「データ」から読み取ることができるのです。こういった「一般人でも『データ』を確認することができる」時代になったことに気づくのは、もしかしたらマスコミが一番最後になるのかもしれないと私は思っています。「データを加工して流すことで生計を立てている」立場としては、そういった時代になったことを認めたくないでしょうから、ますます気づくのは遅れることでしょうが。

【ただいま読書中】『OECD幸福度白書』OECD 編著、 徳永優子・来田誠一郎・西村美由起・矢倉美登里 訳、 明石書店、2012年、5600円(税別)

 誰でも良い暮しをしたいと願っています。では「良い暮し」の「良い」とは何を意味するのでしょうか。この疑問提起から本書は始まります。
 たとえばこれまでは「GDP(国内総生産)」などのマクロな経済指標が「幸福の測定指標」として使えると考えられてきました。しかしそういった考え方が間違っているのではないか、という懸念が生じています。イースターリンの研究では、「個人」では所得が高額になると幸福度が高まるが、国の場合は平均所得が高くなっても「国民」の幸福度は上がらないことが明らかにされ、「イースターリン・パラドックス」と呼ばれているのだそうです。
 そこで本書では、「所得と資産」「仕事と報酬」「住居」「健康状態」「ワーク・ライフ・バランス」「教育と技能」「社会とのつながり」「市民参加とガバナンス」「環境の質」「生活の安全」「主観的幸福」の様々なパラメーターごとに章を立て、それぞれでOECD各国の比較を行なっています。で、どうしても私の視線は「日本はどこ?」と探してしまうのですが、国際的に見たらけっこう意外なところに日本が位置していることがあって驚きます。たとえば「住居」の「基本的衛生設備の欠如(住居に風呂もシャワーもない人口の割合、住居に専用の屋内水洗トイレのない人口の割合)」で日本は「ワースト10」にしっかり入っています。「清潔好きな国民性」のはずなのに、これはどうして?(おそらく、風呂のないアパートやくみ取り式のトイレがカウントされているからでしょう)  それにしても、日本のすぐ上に位置する国が、ポーランド、ポルトガル、ギリシャ、オーストリア、ドイツ、スロバキア……と見ていると、もうちょっと上(せめてOECD平均値よりは上)を目指したいと思ってしまいますな。
 最後の「主観的幸福」で連想するのはもちろんブータンですが、本書はあくまでOECD加盟国のデータですのでブータンはありません。で、「主観的幸福の測定は本当に可能なのか」というコラムがあってそこでは「最近のさまざまな研究では、主観的幸福に関する妥当なデータ収集は可能である」と述べられています。なんでも研究になるものなんですね。
 しかし……「良い暮し」ってなんだ?で本書は始まりましたが……ところで「幸福」って、何でしたっけ?


偽装

2013-03-23 07:18:49 | Weblog

 小泉改革は、結局偽装請負を社会に蔓延させる効果を日本社会にもたらしました。「改革」に「犠牲」はつきものですが、不幸な労働者を大量に発生させたわけです。(そういえば「郵政改革」で日本はどんな利益を得たのでしたっけ?)
 最近「金さえ払えば正社員でも簡単に合法的に首を切れるように」という動きが出ているそうです。するとアベノミクスが日本社会にもたらすのは「偽装正社員の群れ」なのでしょうか。ますます不幸な労働者が大量に発生しそうな気がするのですが。

【ただいま読書中】『ロビン・フッド物語』ローズマリ・サトクリフ 著、 山本史郎 訳、 原書房、2004年、1800円(税別)

 ロックスリーの独立農民(ヨーマン)ロバート(ロビン)は、腐敗した教会と横暴な権力者によって無法者にされてしまいます。ロビンは仲間たちと〈緑の森〉に逃げ込み、本当に無法者として生きることになります。ただし、ロビン・フッドは「正」と「義」を重んじます。その態度をしたって仲間はどんどん増えていきます。さらに、ロビン・フッドのかつての恋人が、意に沿わぬ結婚を嫌がってロビン・フッドのところに逃げ込みます。
 こうして「貴婦人」「貴婦人に忠実な騎士」「騎士の仲間」という英国文学の伝統が、姿形を変えて揃うことになります。もちろん彼らが行なうのは「悪党の行動」ではありません。人々を苦しめる権力者とその手先を懲らしめることに特化しているのです。もちろんそれは懲らしめられる人々からは「極悪非道の行動」なのですが。
 十字軍でイギリスを留守にしていた獅子心王リチャードが帰国し、自分の不在中に乱れていた国を糺そうとします。そこで聞いたのが、ロビン・フッドに関する「縛り首にするべき無法者」「忠義に厚く国内最高の弓の名手たちが揃った集団」という相反する噂です。王は自らの目で真相を見極めようとし、「森の仲間たち」に恩赦を出す決定をします。「森の仲間」は解散となり、ロビン・フッドも領主として「森の外」で暮らすことになります……が……
 さすがサトクリフだと思いながら読める本です。「その時代」が生き生きと描かれるからこそ、そこで運命に従いながらあるいは抗いながら生きる人たちの姿がリアルに浮き彫りにされます。さらにロビン・フッドは「スーパーマン」ではありません。リトル・ジョンや修道士タックとの出会いでは「いざ勝負」となりますが、それにあっさり勝って相手を屈服させるどころが、負けてしまったり引き分けになったり、それなのに相手はロビン・フッドに心服してしまう過程が実に自然に書かれているのです。しかもすごいのは「単なる過去の物語」ではなくて「現代に通じるエッセンス」が随所に散りばめられていること。「作家の資質」というものの凄さを思い知らされます。


読んで字の如し〈門ー5〉「閉」

2013-03-22 07:14:02 | Weblog

「学級閉鎖」……学級崩壊の次の段階
「自閉症」……発達障害と言わないと理解してもらえない概念表記
「閉脚」……脚に鍵をかける
「閉鎖」……鎖に鍵をかける
「密閉」……秘密に鍵をかける
「開閉機」……押し通る車には負ける根性なし
「開閉橋」……押し通る車には勝てる橋(007を除く)

【ただいま読書中】『壬申の乱を歩く』倉本一宏 著、 吉川弘文館、2007年、2500円(税別)

 著者の「私見」では、壬申の乱の真の“原因”は鸕野皇女(持統天皇)にあるのだそうです。天智天皇は、卑母から生まれたことで皇位継承権のない大友皇子に次期大王を継がせる気はなく、大海人皇子を“つなぎ”として、その次(あるいは次の次)に大友皇子の子の葛野王または大海人皇子の子の大津王か草壁王に王位の継承、を想定していた、と著者は考えています。ところがそこに登場するのが鸕野皇女。彼女は、自分と大海人皇子の間の草壁王に皇位を継承させるため、大友皇子を倒し、さらに大津王を危険にさらすことを画策しました。その計画に乗った(乗せられた)大海人皇子が、準備万端整えて吉野に脱出、伊勢・美濃などの兵力によって大津宮を攻めた、と言うのです。
 この説がどこまで正しいのか、私には判断できません。ただ本書はその「説の真偽」を論じる書ではありません。著者は、大海人皇子や鸕野、さらには将軍や兵士たちがたどったルートをできるだけ史実に近く歩いて現地での「時代の風」を感じようとします。実体験による擬似的タイムスリップです。もちろん、記録が不明瞭だったり地形が変わったり古道が残っていなかったりしますが、なるべく近いルートを強い思いを持って歩けば、何かが見えてくる、ということなのでしょう。
 死期が迫ったことを知った天智天皇からの譲位の誘いを固辞し、天智十年十月十九日(ユリウス暦671年11月25日)、大海人皇子たちは大津宮から南下します。大海人皇子の支配下にある美濃ではなくて飛鳥を目指している、と思わせるコースです。見送った人々も大海人皇子が飛鳥のさらに先、吉野を目指しているとは思わなかったでしょう。「壬申記」では「その日の夕べ」に一行は飛鳥の島宮に到着したことになっています。しかし一行が昼に休憩をした宇治橋から島宮までの距離は59km。ナポレオンの軍隊なら可能でしょうが、女性混じりの一行には強行軍過ぎるスケジュールです。
 翌日一行はさっさと吉野宮に入ります。島宮から複数の道がありますがどのルートも峠越えという要害の地で、戦争準備にはうってつけの場所でした。
 十二月三日天智天皇が死去。殯が行なわれ、慣例に従い大王位は空位のままとなります。そこが政権交代の絶好のチャンスです。半年間かけて急ぎながらもじっくり準備を行ない、六月二十四日「吉野脱出」が行なわれます。各地に集めた兵や、大津宮から脱出した息子たちと合流するタイミングを合わせなければなりませんから、スケジュールはけっこうタイトです。伊賀で高市王と合流、一行は伊勢に入ります。このへんは、ヤマトタケルが最後にたどった道を逆行していますが、当時すでにヤマトタケル伝説が形成されていたのかどうか、著者は小さな疑問を投げかけます。
 三重では大津宮から脱出してきた大津王が合流。ピンポイントできちんきちんと上手く合流できるものだと感心しますが、よほど優秀なタイムキーパーがいたのでしょう。最前線の不破で戦う高市王からの要請で大海人皇子は不破を目指しますが、その途中で尾張からの2万の軍と合流します。これは本来新羅遠征用の軍でしたが、まんまと“転用”に成功したわけです。
 和蹔(わざみ、現在の関ヶ原)に軍勢を集結させ、大海人皇子は「検軍」を行ないます。そして大海人皇子はそのまま不破に腰を据え、戦いの帰趨を見守ることになります。しかし著者の“旅”は終わりません。こんどは“従軍”が始まります。まず大伴吹負(ふけい)による飛鳥京の制圧。北上した吹負軍は近江朝廷軍によって吹き散らされますが、すぐに援軍が駆けつけリターンマッチです。七月七日当麻(たぎま)の戦いで大海人軍が勝利し、河内方面での戦いは終わります。大倭(やまと)方面の戦いの最終戦は、上つ道の箸墓古墳のすぐそばで行なわれました。そして戦いは近江路へと移ります。大海人皇子は、大倭・近江路・伊賀の三方面軍を編成し、進発させます。対して近江朝廷軍も主力を出しますが、そこで内紛を起こしてしまいます。それを見て中立の豪族たちは続々大海人皇子支持に傾きます。決戦はあっけなく大海人軍の勝利。そこから長い敗走(追撃戦)が始まります。戦場となった息長横河から大津京までは74km。そして瀬田川で最後の決戦が行なわれます。瀬田橋を大海人軍が突破するとその後方に本陣を置いた大友軍はあっけなく総崩れとなったのでした。大友皇子は西方に逃走しますが(あとの街道はすべて大海人軍が押さえていたのです)京の山前で大海人軍が待ちかまえているのを見て自殺をしたと伝えられています。
 使うためには自分で国土地理院の地図を用意しなければならないという一風変わった旅の“ガイド本”ですが、著者と“波長”が合う人には本当に面白い本でしょうね。私は完全には“共鳴”できませんでしたが、その面白さをちょっと感じることができました。