『インテグラル・ツリー』を再読しようと思ってまずWikiをのぞくと、『時間外世界』『インテグラル・ツリー』『スモーク・リング』が「ザ・ステート」というシリーズになっている、とありました。ならば最初から読まねば、と3冊まとめて図書館から借りてきて、『時間外世界』を眺めると、あら、これは私の書棚のすぐアクセスできるところにずらりと並んでいる「海外SFノヴェルズ」の一冊ではありませんか。これは失敗。しかし、埃を払うのが面倒だから、図書館の本を読むことにしました。
【ただいま読書中】『時間外世界』ラリイ・ニーヴン 著、 冬川亘 訳、 早川書房、1979年、1200円
遠い未来に治療法が発見されることに賭けて、癌で瀕死のコーベルは自分の体を冷凍します。
覚醒させられた「未来」で「ステーツ」からコーベルは「死ぬか、恒星間宇宙船のパイロットになるか」と迫られます。バサードラムジェットの飛行予定は、客観時間で300年(相対性理論でウラシマ効果が生じるので主観時間で200年)。そんな“先"のない旅を強制されるのは嫌だ、とコーベルは船内で反乱を起こし(といっても、乗組員は自分一人だけですからコンピューターと喧嘩するだけですむのですが)、超高速で銀河の中心を目指します。中心の巨大ブラックホールを利用して戻ってきたら、地球では(地球年で)300万年が過ぎていました。
「冷凍睡眠」「人への記憶の移植」「コンピューターへの人の記憶のダウンロード」「クローン人間」「銀河の核の巨大ブラックホール」「バサードラムジェット」「地球の移動」「木星の太陽化」「不死」など「SFのアイデア」がこれでもか、と言わんばかりに詰め込まれています。ただ、「フルコース」ではなくて「バイキング」のように「さあ、食い散らかしてくれ」と言った感じで、しかも「お皿」だけあって中身がない場合もあるので、読者は注意が必要です。「まあ、ニーヴンだから」で許しちゃうんですけどね。さらに、私の記憶では「インテグラル・ツリー」につながる要素が本書には見つかりません。「同じ宇宙」が舞台になっている(「ノウンスペース」シリーズとは「別の宇宙」)ということなのでしょう。そうそう、『太陽系最後の日』(A・C・クラーク)に対するオマージュのような部分もありました。いやあ、“あちら"も再読したくなったなあ。ただしこの文庫本は、階段下収納の奥のどこかなので、やはり図書館から借りてくる必要がありそうです。
食べさせようとする方が、より大きな口を開けています。
【ただいま読書中】『一発屋芸人列伝』山田ルイ53世 著、 新潮社、2018年、1300円(税別)
「一発屋芸人」として本書に登場するのは「レイザーラモンHG」「コウメ太夫」「テツandトモ」「ジョイマン」「ムーディ勝山と天津・木村」「波田陽区」「ハローケイスケ」「とにかく明るい安村」「キンタロー。」「髭男爵」。
著者は「一発屋」を、「かつて売れていたが今はさっぱりの芸人」ではなくて「『一発屋という肩書き』で仕事をしている人間」と定義します。私は「かつては毎日のようにテレビでネタをやっていたが、今は全然見ないなあ」と思う人を「一発屋」と思っていましたが、著者にとって大切なのは「過去」と「今」。だから地道に彼らにインタビューをする、だけはなくて、裏付け調査もいろいろ著者はやっています。なんか、とっても真面目です。語り口はユーモラスなんですけどね。
それぞれの人にそれぞれの「物語」があります。「一発」だけではなくて、「“一発"以前」「“一発"以後」に。私は「一発」だけを鑑賞してそれで忘れ去ってしまうのですが、とってももったいないことをしているのではないか、と思えました。皆さん、テレビに出ていなくても、他のところで活躍をしていたりしていなかったりしているのです。インターネットで、かつてのお気に入りの人たちの活動を、追いかけることが容易にできたら良いんですけどね。
というか、「一発屋」というと「下」にみる風潮がありますが、そういった「上」の人たちは皆さん「二発」「三発」「連発」の人生を送っているのかな? 私は「一発」当てただけでも大したものだ、と思います。自分自身のことを省みながら。
「ティーカップにはなぜソーサーがついているのか?」を「チコちゃんに叱られる」でやっていました。私はチコることができましたが、私が物知りなのではなくて、これはけっこう広く知られた豆知識でしょうね。
私が不思議なのは、「コーヒーカップにもソーサーがついているのは、なぜか?」です。コーヒーの場合にはついていない場合も多いですが、ついている場合、それは、なんで?
【ただいま読書中】『香料商が語る東西香り秘話』相良嘉美 著、 山と渓谷社、2015年、880円(税別)
「香料」はフランスではもっぱら香水用ですが、日本では食品用の方が多いそうです。そういえばカップ焼きそばの開発でもあの香りを作るのに相当苦労した、と聞いたことがありましたっけ。
フランスの調香師は独立性が強く、日本のように会社に属する人もいますが、個人営業で香水にも個人名が付いている人も多いそうです。その中で有名な一人、ジャン=クロード・エレナは「咲き始めた白いリラの花の匂いは、フェニルエチルアルコールとヘリオトロピンで再現でき、満開の状態はそこにインドールを加え、紫のリラにしたいならクローブ少々」などということが、道端で花の匂いを嗅いだ瞬間にピンと来るのだそうです。とても人間業とは思えません。戦前派の調香師は天然香料を重視しますが、エレナのような戦後派は合成香料で自然を超えたものが真の香水、と考えるそうです。
著者が多くの調香師に話を聞いたところでは、香りの原料(約1000種類)の一つ一つが文字で、その組み合わせで文章を描くように調香するのだそうです。もちろん基本の「文章」はありますが、「美しい文章」を作れるかどうかは腕(鼻)次第。あるいは「文字と文章」ではなくて「音符と曲(ハーモニー)」なのかもしれません。
「文化としての香り」は「焚香(ふんこう)」と「香油」で始まりました。アラブで蒸留が始まると「薬酒」も作られるようになりました。様々なハーブが用いられましたが、その中で特に香りが良いものが、薬効ではなくて香りを目的とする「オーデコロン」となります。そこから今日の香水の系譜が生まれました。
「香りの原料」についても、著者は専門家ですから、これでもかと言うくらい様々なものを紹介してくれます。もったいないことに私は読んだはしから忘れてしまうのですが。本に香りがついていて、「あれはこんな香り、これはこんな香り」などと具体的にわかったら楽しいんですけどね。
日本人も香りについてはいろいろなこだわりを持っていますが、西洋人のように脂ぎった趣味ではなくて、もっとあっさりしたものだそうです。現在の我が家では「香り」がきちんと存在しているのは、台所と仏壇(の線香)くらい。香水よりも食品の香りの方が、個人的には重要なようです。
世間では十連休だそうです。私は、前半に2連休、後半に3連休がありますが、あとは仕事です。だけど、連休があるだけで嬉しい。これが同じ「10日間に5日の休み」でもたとえば「奇数日が休みで偶数日は仕事」の「飛び石連休」だったらちょっといらいらするかもしれません。
そう言えば私の子供時代には「飛び石連休」という言葉がありましたが、もう死語でしょうね。若い人には意味がもうわからないかな?(5月の3日と5日が休みで、2日4日6日は学校(仕事)の状態を示します)
【ただいま読書中】『ベルギー大使の見た戦前日本 ──バッソンピエール回想録』アルベール・ド・バッソンピエール 著、 磯見辰典 訳、 講談社(講談社学術文庫)、2016年、1100円(税別)
1921年(大正十年)著者はベルギー大使として日本に到着しました。到着早々、日本の美しさに著者は魅了されます。ただ、そこから十八年も日本勤務が続くとは、誰も予想していませんでした。ただ、ベルギーと日本の国交が樹立した1866年(慶応二年)からの55年でベルギーの公使は5人だけだったので、ベルギーはじっくりと人間関係(と国の関係)を築こうとする姿勢だったのかもしれません。本書にある当時の大使たちの交友関係を見ていると、大使は「国王(または皇帝)の代理人」という位置づけの意識で行動しているようです。ここで重要なのは、当時のベルギーが欧州随一の親日国だったことです。
牧野子爵と原首相との会談の時、著者は首相の真剣な表情に心打たれます。しかし翌日、原首相は東京駅で暗殺されました。原首相の、近代的な議会と国際協調を重んじる態度を暴力的に消し去ったこの行為が、後の軍部の台頭を招く遠因になった、と著者は考えています。また、翌年のワシントン会議での9箇国条約締結は、結局、日本人が誇りにしていた日英同盟の撤廃につながります。
大正天皇の病状が思わしくなく、裕仁皇太子が摂政に。明治の元勲、山縣有朋元帥と大隈重信公爵が相次いで亡くなります。時代は動いています。
「日本の貴族」を著者は「公家」と「大名」に二分します。さらに、明治維新以後の「新貴族」には「町人(ブルジョア)」と「さむらい」も含まれます。「爵位が上がる」ことや「臣籍降下」などについても親切な解説がされています。
1923年5月、地震が続きました。初夏には精進湖の水位が異常に下がります。イタリアでは「湖の水位が下がると大地震が起きる」と言い伝えられているそうですが、日本ではこのことはすぐに忘れられてしまいました。夏、著者一家は避暑のため逗子に行きます。井戸が涸れていましたが、他には問題はありませんでした。そして9月1日、大地震が勃発。その瞬間、一家は海岸で友人たちとサーフィンを楽しんでいました(ハワイから日本にこのスポーツが入ってきたばかりだったようです)。激しく地面が揺れ皆ショックだったようですが、続けざまにこんどは津波が。一撃の後、海水ははるか沖合まで引いていきます。次があることは明らか。一家は必死で竹林に逃げ込みます。滅茶苦茶になった別荘からは、横浜が大火災を起こしていることが遠望できました。
東京からの避難者が「朝鮮人が放火・掠奪・暴動をしている」という噂も運んできます。著者を含む外国人グループは一応夜警を立てましたが、特に何も起きませんでした。周囲の日本人たちは、自分の被災したのに、外国人に親切を示し援助をしてくれます。やっと東京に戻ってベルギー大使館が倒壊も消失もしていないことを確認。庭には避難者が満ちていましたが、日本外務省が食料などを差し入れてくれていました。そして外国からの援助が続々到着。そこにちゃんとベルギーからの船があることに著者は安堵します。
1924年、著者は半年の休暇を与えられます。3年勤務したら半年の休暇ですか。ちょっとうらやましいな。
著者の次女ベッティは日本舞踊を熱心に稽古して、けっこう有名になりました。著者が「ベッティさんのお父さんですか」とか著者の長男がパリで出会った日本人に日本語が上手いことを驚かれて名前を言うと「ああ、ベッティさんのお兄さんですか」と言われたりするようになっています。
26年クリスマス、大正天皇が崩御。葬儀に関していろいろ興味深いことが書いてありますが、戸外で神事が行われたときの気温が氷点下7度。儀礼上外套は着ることができませんから、参列者は皆震え上がった、というのは、こちらまで寒くなりそうです。
年に四回、外交官は天皇の午餐会に招待されましたが、コースは日本料理と決まっていたそうです。不妊から日の浅い大使は箸の扱いに苦労していたそうです。また、天皇だけはテーブルが別だったため、大使同士は会話ができましたが、天皇だけは沈黙を守っていたそうです。
1931年、著者の長男と次女が結婚します。ただし長男は8月にベルギーで、次女は9月に東京で。めでたい話ですが、同時期で地球の反対でとは大変でしたね。そして、二つの結婚式の中間に、満州事変が勃発。国際社会は、数年前のソ連による外蒙古併合は看過しましたが、満州事変については介入することにしました。このことについて、著者は個人的意見を封印します。ただ、もっと良いやり方があったはず、という思いは隠せません。
日本は国際連盟の“干渉"に激怒、その行動は加速され、32年には上海事変が起きます。それが収まった頃、国際派の穏健派と目される團琢磨男爵と井上準之助氏が相次いで暗殺されます。さらに、五・一五事件、二・二六事件が続きます。対外的には、リットン調査団、日本の国際連盟脱退。これらはすべて、お互いに関係しながら「歴史」を動かしていきます。
著者は極東問題、特に日中紛争に関してのインタビューを受けますが、そこで「日本悪者説」は唱えませんでした。これが特定の意見を持つ人の逆鱗に触れ、「日本に買収された」などと誹謗中傷の新聞記事を書かれることになります。「外交官として公正であろうとする」著者の態度がそのままインタビューに出ただけだろうと私には感じられますが、著者は心の根底では日本びいきになっていたのかもしれません。
「愛国者」ということばがありますが、外国人で公正をベースとしつつそれでも日本を愛する人のことは、なんと呼べば良いのでしょうねえ。日本では今から「移民(法律上は移民のような存在?)」がどんどん増えるでしょうが、彼らの中に愛国者(のようなもの)をどうやったら増やすことができるのでしょう? それを考えて準備しておくことは、日本の未来に大きな影響を与えそうです。
二枚のパンではさんだら何でも「サンドイッチ」なら、パンを2枚のパンではさんでも「サンドイッチ」だね、と思っていたら、ちゃんと実在しました。「トーストサンドイッチ」(バタートーストを二枚のパン(こちらは焼いてない)ではさんだもの)です。
【ただいま読書中】『サンドイッチの歴史』ビー・ウィルソン 著、 月谷真紀 訳、 原書房、2015年、2000円(税別)
「サンドイッチ」は定義が難しい食品ですが、著者は「具を包み込んだパン」と定義します。すると「オープンサンドイッチ」は載っているだけで包み込まれていませんから「サンドイッチ」ではない、ということに。「トーストサンドイッチ」は立派なサンドイッチです。
「サンドイッチ」は、パンを食べる人種ではポピュラーな食べ方だったはず(「ラルース料理百科事典」に「フランスの農場労働者に黒パン二枚で肉を挟んだ軽食が提供された」なんて記述があります。わざわざ名前はつけられていませんが)。それが「固有名詞」を与えられたのはなぜでしょう。通説は多くの人が知っているでしょう。「1765年、サンドイッチ伯爵ジョン・モンタギューは、徹夜の賭けトランプにのめり込んでいて、食事のために席を離れるかわりに、肉をパンにはさんで持ってこさせた」。ところがこの時代にモンタギューは閣僚を務めていて「徹夜の賭博」をする暇はなかったはずだし、名うてのギャンブラーという証拠も怪しいのだそうです。むしろ、公務が多忙でデスクから離れることができなかったため、仕事をしながらでも食べることができる軽食を運ばせた、の方が信憑性があります。面白くはないですけれどね。ただ、彼は強い個性の持ち主だったらしく、逸話はいくつも残っているし、キャプテン・クックは発見した島(現在のハワイ諸島)を伯爵に捧げるためかサンドイッチ諸島と名付けました。だから「自分にもサンドイッチ伯爵と同じものを」と店で注文する人がいてもおかしくないでしょう。すると「サンドイッチ」の名付け親は、その「注文した人(たち)」です。
フォークが普及する前には、手を汚さずに肉を食べようとしたら、パンを使うのが手軽な手段です。ところがきちんとした証拠が残っていません。あまりに当たり前の行為なので、わざわざ記録に残す人がいなかったのかな。ここでモンタギューの行為の特異性が見えてきます。それまでの人々は、食卓で“サンドイッチ"を調整していました。しかしモンタギューは、わざわざ「その料理」を作らせてから食卓に運ばせたのです。
「サンドイッチ」はイギリスではあっという間に普及します(フランスでははじめ抵抗がありました)。ただし、中流階級と上流階級では一口で食べることができる上品なもの、労働者階級ではかぶりついて腹が一杯になるためのもの、と階級差がついていました。また、具についても様々な工夫がされます。19世紀〜20世紀前半の「サンドイッチ」が各種紹介されていますが、意外な食材の組み合わせや異常なくらい手が込んだレシピが登場します。極めてシンプルな「キュウリのサンドイッチ」でさえ、パンを薄く切ったらバターを塗るときに破れる恐れがあるのでまずバターを塗ってからパンを薄切りにするという手間をくり返し、キュウリは向こうが透けて見えるくらい薄く切って水切りをしてからパンにはさむ、という手順となっています。
そういえば、新幹線がまだひかりとこだまの時代の車内販売のサンドイッチ、キュウリが本当に芸術的なくらい薄く切られていましたっけ。腹ペコの学生には食べ応えがなかったなあ。
アメリカでサンドイッチは軽食から立派な食品へと“別の方向"に進化しました。その一つの現れが「クラブサンドイッチ」です。「卵サンド」「ハムサンド」といった“中身"ではなくて「クラブ」という名前で「スタイル」を示したサンドイッチは、衝撃と熱狂を人々に与えました。また、地域ごとのバリエーションの豊かさもアメリカのサンドイッチの特徴です。タワー型のサンドイッチという“暴走"もあります。口が1mくらい開くのだったら噛みつくことができるかもしれない、といった「サンドイッチ」で、どうやってもきれいに食べることはできそうにありません。
そして、世界のサンドイッチ。ベトナムの「バインミー」は、フランス人によってベトナムに持ち込まれたサンドイッチが現地化し、それがさらにアメリカに持ち込まれてデリサンドと出会ってさらに変化したものです。ロンドンのバインミルという屋台でのバインミーは、日本酒と醤油で味付けしたイギリスのランプステーキで作ってある、って、もうわけがわかりません。
著者は「自分のポリシー」はポリシーとして、北欧のオープンサンドを本書から排除はしません。何より“絵"になりますもの(普通のサンドイッチは断面でしか具材が見えませんが、オープンサンドはしっかり中身の全体像が見えます)。しかしオープンサンドは、パンのことを「食べることができる皿」と見なしているのかもしれません。
著者の定義からいくと、日本の菓子パンや総菜パンもすべて「サンドイッチ」になります。なるほど、焼きそばパンもカレーパンも「サンドイッチ」だったんですか。
韓国のサンドイッチにはキムチが入っている、というのには驚きません。インドにはサンドイッチ専用のスパイスミックス(「ボンベイ・マジック・サンドイッチ・マサラ」)がある、にも驚きません。でも、食べてみたいなあ。それも、現地で。
「320万円払えば、断種しても良いよね」と主張するのが「我々」なのだったら、私はそんな仲間には入りたくありません。だけどそんな希望を聞きもしないで、法律では勝手に入れられてしまったようです。勝手だなあ。そんな勝手をする人間だから、勝手に断種もできるのでしょうけれど。
だけど、他人に対してそんな「勝手」が平気でできたり「320万円払えば……」などと平気で主張する人は、魂に何らかの障害があるんじゃないです? だったら、そういった人は自分の主張(障害者は断種)をまず自分に向ければ良いのに、なんて過激なことも思ってしまいます。
【ただいま読書中】『シンポジウム 人口急減社会で何が起きるのか ──メディア報道の在り方を考える』新聞通信調査会 編、2018年、800円(税別)
「人口急減」は、日本にとっては「約束された未来(100年後には5000万人という推計があります)」ですが、それは「出生数の(急速な)減少」によります。ただ、出生数の減少は「原因」というよりは「出産可能な女性数の急減」の「結果」とも言えます。
まずは暗い予想から。若年層の数は減り続けますが、高齢者の数はまず増えます。一度増えてから大量死の時代になって高齢者の数はどんどん減少。その時には若者の数は今よりさらに減っています。また、高齢者の一人世帯は増えます。また「失われた20年」の後遺症で、貧しい高齢者が増えます。本書には具体的に書いてありますが、一人暮らしの高齢者は、日本の政治家が大好きな「生産性」を押し下げます。さらに、2040年ころ(日本の高齢者人口がピークとなる時代)には、団塊ジュニアは70代くらい。そこには非正規雇用などできちんと年金をもらえない人がけっこうなボリュームで存在します。(団塊世代の)親が生きていたらその年金で食っていけますが、親が死んだら? 生活保護、となりそうですが、それがどのくらいの“コスト"になるか、厚労省は「計算していない」そうです。ところが厚労省の外郭団体は計算していて、それが年間20兆円。それをどうやって手当てするのか、と思いますが、厚労省のお役人は「20年後のことはその時の担当者が何とかすれば良い」とでも思っているのかな? 計算さえしないということは、対策を立てる気なんかない、ということですから。(「未来」で自分の老後を迎える)若手官僚で心配している人はいると思うんですけどねえ。
産業界では人手不足も深刻になりますが、政府はこちらには熱心に対策を立てています。外国人労働者の受け入れ、AIやロボットの活用、高齢者と女性の“活用"……残念ながらどれも切り札とは言えません。ここで問題にされているのが「高齢者と女性」を「男性労働者が減ったからその穴埋めに」と補助として扱おうとしている態度です。これは戦争の時に男を根こそぎ戦場に送ってしまってあわてて工場に学生と女性を動員したのと似た態度ですが「一億総活躍」とは“哲学"が違います。ここで提案されるのが「戦略的に縮む(小さくても豊かな国になる)」こと。人口が減る、といってあたふたするのではなくて、フランスやドイツは日本より人口が少なくても国際的には存在感を持っていますね、そういった国になることを目指す態度です。
日本の結婚観(法律の届けと同居と妊娠がほぼ同時期であるべき)が少子化を推進している、という指摘もあります。「かくあらねばならない」という規範があまりに窮屈で、だから結婚しない子供を作らない、となっているのではないか、と。先進国で出生率が回復している国では、法律婚によらなくても同居しているカップルの権利は保障されているし、いわゆる婚外子に対する差別も撤廃されています。それが気に入らない人(「かくあらねばならない」を強く言い立てる人)が多くいる限り(シングルマザーに対する社会的ペナルティーや母子家庭の高い貧困率が改善しない限り)、日本の少子化は順調に進行していきそうです。
そして「メディアの責務」。だけどメディアの人間って、人口減少に対する知識と危機感を、ちゃんと持っているんですかねえ。普段のふわふわした報道ぶりや政府発表の垂れ流しをする態度を見ていると、信頼できないな、と思ってしまうのですが。
「楽をする」と言うと、それは何か手抜きをする、つまりネガティブな語感を醸し出します。
ところが「楽々とする」だと、何かをする、つまりポジティブな語感となります。
「楽」を繰り返すだけで逆になるって、面白い。
【ただいま読書中】『「誤嚥」に負けない体をつくる間接訓練ガイドブック』大野木宏彰 著、 メディカ出版、2018年、3800円(税別)
まずタイトルの解説が必要でしょうね。「誤嚥」とは、食べたり飲んだりしたものが、食道(から胃)ではなくて気管(から肺)に入ってしまうことです。「間接訓練」とは「食べものを用いない嚥下訓練」のことです(「食べものを用いる訓練」は「直接訓練」と呼ばれます)。
人の筋肉量は、20代がピークで、それから継続的なトレーニングをしなければ1年に1%ずつ低下します。また、安静臥床をすると「1日で2%」も筋力は落ちるそうです。すると1週間寝たら15%の低下! こうなったら全身が衰弱してしまいます。
本書では「嚥下運動」は全身の一部、という視点から誤嚥(とその訓練)を論じています。だから「まず、下肢や体幹の訓練を」なんてことを提唱しています。嚥下機能が弱っているのだから嚥下機能を鍛えたら良い、ではない、というのが著者の主張です。そこで紹介されるのが、「脳卒中の患者に起立・着席訓練を行うだけで、摂食嚥下機能が改善した」という報告です。体力がつくだけで誤嚥が減るのです。さらに、体力がつけば誤嚥をしても肺炎になりにくくなります。「起立・着席訓練」は文字通り立ったり座ったりをその場で繰り返すだけの訓練ですが、これで背筋から首の筋肉まで鍛えられることが筋電図で確かめられています。そうか、首が鍛えられたら、嚥下運動も良くなるでしょうね。
また、姿勢の大切さも解剖学の見地から説かれます。たとえば「口の中の唾をゴックン」は、着席して背筋を伸ばして行うのと、背中を丸めて行うのとでは、後者の方が飲みにくく感じます。
本書は、リハビリテーションの療法士を対象に書かれていますが、素人にも貴重なヒントが満載だ、と私は感じました。とりあえず休日には、カウチポテトを決め込むのではなくて、ちょっとは姿勢を正して起立・着席訓練でもしてみましょうか。
日本では、田舎の農作業とか介護とか、こんどは原発での作業にも活用するつもりのようですが、それで外国人労働者がたくさん来日したら、最近のヨーロッパのように「お前らが来たからおれたちは仕事がなくなったんだ」と日本の若者が暴れる、ということになるのでしょうか? さらに日本の政策は「子供時代と老年時代は母国で過ごして、労働者の間だけ日本で過ごしてくれ」とも求めているように私には読み取れますが、それはものすごく日本にだけ都合が良い要求では?
【ただいま読書中】『ある世捨て人の物語 ──誰にも知られず森で27年間暮らした男』マイケル・フィンケル 著、 右丹貴代実 訳、 河出書房新社、2018年、1850円(税別)
メイン州ノースポンドは森林に覆われています。そこに点在する別荘や住居、そして心身障害者のために運営されている「松の木キャンプ」がくり返し侵入されて細かい日用品や食料などが奪われる事件がありました。連続侵入および窃盗犯は「隠者」と名付けられましたが、その正体はずっと謎のままでした。「隠者」はついに逮捕されましたが、世間とはまったく没交渉で森の中で1万日近くを過ごしていたことがわかります。
そのニュースを見た著者が「隠者」に手紙を出すところから、物語は動き始めます。
隠者の名前は、クリストファー・ナイト。ちょっと癖のある親に育てられた若者でしたが、20歳の時、突然職場から出奔、そのまま姿を消してしまいました。本人も「自分の行動を説明でいないんだ」と言います。ハイスクールで最低限のサバイバルの授業は受けていましたが、キャンプをしたことさえないのに、車を捨て、バックパック一つで森に姿を消しました。実家から直線距離で50kmの森の奥に。
この行動は「精神障害」で説明することも可能ですが、それについて著者は慎重です。「変わったことをする人間はおかしいのだ」で片付けて良いのか?と。その行動に共鳴する部分が「正常な人間」である自分たちにも存在しているのではないか?と。
ナイトが困ったのは、食料調達です。歴史上の「隠者」たちも、そのことには苦労をしています。別荘の菜園から“調達"するにしても、メイン州の菜園に実りがあるのは短い夏の4箇月だけ。そこでナイトは「盗み」に頼ることにします。結局四半世紀で1000回もの連続不法侵入という(おそらく)世界記録を打ち立てることになります。しかし、初期のころには住民は自分が盗まれていることには気づかず「最近よく物がなくなる」と思うだけでした。盗まれている、と気づいても「乾電池とステーキ肉を盗まれました」と警察に届けるのもためらわれます。
他人に自分の存在を気づかれないため、ナイトは細心の注意を払っていました。隠れ家は数歩離れたら見えないように偽装され、火は使いません。歩くときには音を立てず小枝一本も折らず足あと一つ残しません。侵入もガラスを割ったりの無理はせず、出るときには元通り施錠しておきます。まるで忍者のようです。
隠れ家にはゴミ捨て場もありましたが、そこを掘ってみると、ナイトは食品についてはうるさくなかったようです。加工食品の箱がどっさり出てきますが、とにかく食べることができれば良かったようです(現代社会から逃げたのに、その産物で生きていた、と著者は述べています)。ナイトにとって食物よりも重大だったのは読書で、雑誌や本を大量に盗んでいました。また、ラジオを聞くことも愛していました。携帯型のゲーム機も盗んでいましたが、「時代遅れに思えるもの」に限定していたそうです。子供から最新型を取り上げたくなかった、そうです。
ただ、いちばん長く時間を使っていたのは「瞑想(または白昼夢)」。「何もしない」ことが全然苦痛ではなかった、と言われると、昔の道教の世捨て人のことも私は連想してしまいます。
メイン州の冬は厳しく、氷点下30度を下回ることがあります。しかしナイトは、盗んだプロパンガスボンベを調理や暖を取るためではなくて、雪を溶かして飲み水を得るために使っていました。寒かったでしょうにねえ。
人々の反応は興味深いものです。ナイトの話を「ことごとくでたらめ」と決めつける人がいます。逆にナイトの話を信じる人も。さらには、罰するべき、と言う人もいれば許せという人も、さらには資金を集めてナイトが孤独な生活ができる森を確保しよう、と思う人も。結婚の申し込みさえ来たそうです。「孤独」を強く強く望んでいる人に? 裁判の結果は「社会生活に戻す」でした。ナイトは望まない生活を強制されることになります。地域の人々は「正体不明の窃盗犯」に悩まされることはなくなりました。窃盗はなくなり、正体不明でもなくなったわけです。さて、これで、めでたしめでたし? 著者はそのことに疑問を持っているようですが。
池袋でプリウスが大事故を起こしたのに続いて、こんどは神戸でバスが青信号で人が渡っている横断歩道に侵入して人をはねました。私は横断歩道を渡るときには一応左右はちらっと見ますが、もうすぐ赤になりそうな雰囲気の時には急いで横断歩道に出てしまいます。だとすると、私もいつ横断歩道上で無防備にはねられるか、わからないということに。
特に、テレビで見る限り、神戸の事故現場は、1年半くらい前に夫婦で歩いたところです。ますます「いつ自分も事故に遭うかわからない」と実感してしまいました。
気をつけたい、とは思うのですが、一体何にどう気をつけたら良いんでしょうねえ。
【ただいま読書中】『楽しい貸出に向けて』明定義人 著、 六夢堂(六夢堂ブックレット2)、1997年
図書館で本を貸し出す側の「思い」が詰まった本です。
図書館長に「こんな本を蔵書しているのは、いかがなものか」と文句を言ってくる人がいるそうです。これはつまり「人はどんな本を読むべきか」を「自分」が統制してやる、という主張です。なんでそんな「権利」を自分が持っている、と思い込めるんですかねえ。
私は「選択の自由」を重要視します。それと、「1000年以上未来の人類が今(彼らにとっての過去)を見たときに、どう思うか」も。私たちが江戸時代の文化統制(出版規制や手鎖の刑など)を見て、どう思います? それと同じ。つまらないものだろうとエセだろうとエロだろうと、ともかく蔵書しておいて未来につないでいってほしい。それが図書館の役目の一つだ、と私は思います。「私の思い」を現代と未来に押しつけるのではなくて、ね。
ということで、本書が「正しい貸出」ではなくて「楽しい貸出」を目指す態度に、私は賛成です。
考案者の名前が「政府関係者」から漏らされているそうですが、そんなことをする目的は何でしょうね。元号に関する「注視」を「何か」から逸らすため、かもしれませんが、その「何か」って……もしかして「安倍首相が独断で決めた」と批判されることを避けるため、とか?
【ただいま読書中】『雪のなかの雀 ──シベリア流刑地の少女の手記』シルヴァ・ダレル 著、 佐藤高子 訳、 早川書房、1977年、1200円
著者はラトヴィアの(乳母と家庭教師がいて、別荘もある)裕福な家に生まれました。戦争が起き、赤軍が進駐してきて父の店は接収。41年6月13日、「彼ら」によって鳴らされた突然の長くけたたましいベルの音が、一家をシベリアに追いやります。罪状は……一家がユダヤ人であることとブルジョアであること、かな? シベリアへの列車の中で、貨車にぎゅうぎゅうに閉じ込められた人々はヒトラーがソ連に侵攻を始めたことを知ります。到着したのは、私が予想した強制収容所ではなくて田舎のコルホーズ(集団農場)でした。集まった農民たちは、まるで奴隷市場の競りのように、送られてきた人たちを品定めして引き取っていきます。一家はなんとかバラバラにならずに落ちつくことができましたが、翌年の1月2日にまた「彼ら」がやって来て、著者の父親を奪っていきます。
村の小学校は4年までだったので、5年生になる姉のために母はジェルジンスクへの移住を申請。幸い認められ、母は学校の雑役婦の仕事を得ます。労働者でなければパン配給のカードがもらえません。村で人々は飢餓すれすれで生きていましたが、ジェルジンスクの栄養事情はそれ以下でした。それでも著者はなんとか生き抜きます。そして、モスクワとリトアニアで女学校、レニングラードで大学教育を受けることができました。
「シベリアに強制移住」と聞くと、強制収容所に完全隔離のような生活か、と感じていたのですが、「ラトヴィアから追放さえできたら、あとはどうでもいい」という基本態度だったようです。ただ「ユダヤ人であること」「流刑者の子供であること」は「ロシア人社会」では「恥」であり、それが恋愛関係にも暗い影を落とします。自分が何者であるか、を恋人(候補者)に詳しく説明できないのです。さらに、教師や学生が、次々「姿を消し」ます。もちろんスターリンの粛清ですが、誰もそのことについては「なかったこと」として触れようとはしません。うっかり疑問を口に出したりしたら、次は自分の番になりますから。そして、著者に「自分の番」が来ます。
しかし、逮捕状もなし、説明も一切なし、ただ「荷物をまとめろ」「車に乗れ」「服を脱げ」と命令ばかり。もっともその命令をしている人たちも「この人が犯罪者かどうか」なんてことは全く知らずただ上からの命令に従っているだけのようですが。
きちんとした裁判もなしに護送列車に乗せられ、そこで著者は自分の罪状が「逃亡」(政治犯)であることを知らされます。逃亡? 大学に試験免除で入学できる資格を取得して堂々と入学しているのに? 中継拘置所から別の中継拘置所へ。飢餓と渇きと寒さ、悪罵と打擲、恥辱、そして恥辱。そして、身体は衰弱し、心はもっと傷ついた状態で、著者は釈放されます。
なんとも陰惨な社会です。とくに私の心に影を与えるのは、この社会が「人の手」で作られ維持されていること、そしてそれがまったく目的をきちんと果たしていないこと、です。まったく無駄に人を苦しめているだけなのです。ソ連が崩壊したわけがよくわかります。崩壊した後、人々が少しは幸せになっていたら良いんですけどね。