よく「あの世でまた会おう」なんて言葉を聞きますが、それってどのくらいの可能性があるのでしょう。だってあの世は広大でしょう? そしてそこに、地球が始まって以来のすべての生物の魂が存在しているわけ。時間は無限にあるからじっくり取り組めば良いのでしょうが、“再会”のチャンスは、とても小さいものではないかなあ。
【ただいま読書中】『ヤマトタケル』山岸凉子 作、梅原猛 原作、角川書店、1988年、980円
「ヤマトタケル」を一体どう漫画化するのだろうか、と興味を持って手に取りました。
いやあ、思いっきり脚色してあります。古事記では美少年のはずが、こちらでは筋肉むきむきの大男ではありませんか。これでどうやって女装するんだ、と思うと……細工は隆々仕上げをご覧じろ、ってか? ただ「兄殺し」はなかなか具合の良い脚色ぶりです。古事記の書き方だと『時計じかけのオレンジ』も真っ青のただの残虐美少年ですが、こちらの方が兄を殺すに至る過程に説得力があります。
西に東にとこき使われてへとへとになり、女にはもて、父に疎んじられることを悩み、と、超人的だけれど“等身大”のヒーロー像が描かれていて、なかなか面白い漫画でした。最後の白鳥のところも、古事記でははかなさとロマンの雄大さが同居していますが、本書ではそれに人の心の怖さが加味されています。古事記を読んだ人の方が本書は楽しめるかもしれません。
高校の時に読んだブルーバックスで、高温は理論的にはいくらでも高くできるが、低温は絶対零度(摂氏マイナス273.15度)まででそれ以下にはできない、と教わって、とても理不尽な思いを私は味わいました。だって明らかに“非対称的”なのですから。そういえば極低温の世界では、超伝導(電気抵抗がゼロになる)や超流動(液体ヘリウムが容器の縁を乗り越える)といった奇妙な現象が起きると知り、その不思議さと同時にそれをどうやって確認したのだろう、と疑問がむらむらと湧いてきましたっけ。そもそも液体ヘリウムはどうやって作るんでしたっけ? というか、気体のヘリウムもどうやって純粋なものを集めるんでしょうねえ。
【ただいま読書中】『論文捏造』村松秀 著、 中公新書ラクレ、2006年、860円(税別)
2000年~2002年、ドイツ出身の物理学者ヤン・ヘンドリック・シェーンは“世界で最も偉大な物理学者”でした。彼の研究テーマは「超伝導(物理学の言い方。工学系では「超電導」となります)」。
1911年にオランダのオンネスは液体ヘリウムを使って得たマイナス269度(絶対温度4.2度)に置いた水銀で電気抵抗が「ゼロ」になることを発見しました。もしこの超伝導が室温に近いところで起こせたら、世界のエネルギー事情は激変します。1986年に銅酸化物(セラミックス)が絶対温度30度で超伝導を起こすことがわかり、研究によってその温度はどんどん「高温」になっていきました。その温度がマイナス200度以上になれば、高価な液体ヘリウムではなくて安価な液体窒素が使えます。研究者たちの期待はヒートアップしました。その中心にいたのがベル研究所のバトログでした。バトログたち世界中の科学者の狂騒で、1990年代に「マイナス140度」が達成されます。しかし記録はそこで伸び悩みました。その壁をぶち破ろうと、バトログは「有機物」に目をつけます。バトログは研究所に小さなチームを立ち上げます。そこに採用されたのが、大学院を卒業したばかりのシェーンでした。シェーンはバトログの指示通りこつこつと熱心に実験をこなし、2年後に突然“大成果”を連発し始めます。それまでは日本の「フラーレン(サッカーボール型に炭素をつないだもの)にアルカリ金属を混ぜる」方法が世界記録を持っていました。シェーンは「フラーレンに酸化アルミの薄膜を載せる」という「トランジスタ」とそっくりの構造をもたせることでその記録を破ったのです。「ベル研究所」「バトログ」という“ビッグネーム”が添え物としても活躍し、ベル研究所に在籍した1998~2002年にシェーンが書いた63本の論文は“バイブル”となります。
科学者たちは熱狂します。有機物と超伝導という組み合わせにさらにトランジスタを組み合わせるという斬新な発想が受けたのです。しかし世界中で行われた追試は失敗の連続でした。有機物の専門家にとって、専門外の酸化アルミの薄膜作りは難関だったのです。シェーンはなにか特別なノウハウを使っている(あるいはシェーンが「神の手」を持っている)のではないか、と人々は思います。
ここで意外な事実が。シェーンは「実験」をアメリカのベル研究所ではなくて、ドイツにある母校コンスタンツ大学の研究室で行っていた、というのです。では追試が失敗したのは、コンスタンツの“マジックマシン”だからこそ、なのかもしれません。ところがそのマシンを実際に見た人は驚きます。あまりにシンプルで精密な実験は不可能なものだったのです。さらに実際にシェーンに実験をさせてみると、それは“素人の手際”でした。試料をチェックするために必須の道具である顕微鏡でさえ、不慣れな手つきで扱っていたのです。
論文のデータはあまりに“きれい”すぎるものでした。シェーンは実験に用いたサンプルをすべて捨てていました。それらは実験をする人からは非情に違和感のあることです。そして、ついに「証拠」が見つかります。シェーンはまったく同じデータを違う論文に異なる結果を示すものとして使い回していたのです。
成績優秀で物知りで謙虚な高校生・真面目で目立たない大学生・誠実で勉強熱心で研究熱心な研究員……そして科学の世界に突如登場した“スター”。人々が見る「シェーンの姿」は「論文捏造」という学問の世界での“重大犯罪”を犯す人間にはふさわしいものには見えません。そんな人がなぜ捏造をしたのか。事件はシェーン個人だけのせいなのか。あやしいと気づいた人たちがいたのに、なぜ途中でストップをかけられなかったのか。「謎」はまだまだ残されています。その謎を調査する過程で、シェーンが大学院のときの論文ですでにデータを捏造していた(そしてそれを指摘されたとき(単純なミスである、と)弁舌爽やかに言いつくろっていた)ことがわかります。
科学には「告発システム」が整備されていません。「懲罰システム」も。科学は「性善説」で動いているのです。さらに「経済」とも密接な関係を持っていることが、科学の話をさらにややこしくします。「金のなる木」は特許権と守秘義務で守られたりするのです。国家主義や成果主義からの激烈なプレッシャーもあります。
だからといって「捏造」をして良いわけにはならないのですが。
「嘘をついた」という道義上の問題以外に、たとえば世界中で追試に投入されたコストは膨大です。そして、その研究に携わった人々(若い研究者や大学院生たち)の空費された時間とエネルギーは帰ってきません。「論文捏造」は「実害」があるのです。
本書の最後に「日本は大丈夫か」「このままだと、第2第3のシェーンが現れる」という不気味な予言がされています。この“予言”が当たったかどうか、皆さんはご存じですよね。
「大払い」……大いに払う
「尻払い」……尻のごみを払う
「払い出す」……払ってから出す
「払い下げる」……払うと値段を下げる
「他者払い手形」……赤の他人が払ってくれる手形
「出世払い」……ほとんど空手形
「足払い」……足で払う
「悪魔払い」……悪魔が払う
「底を払う」……箱の底の掃除
「髭の塵を払う」……汚れた髭だという暗黙の非難
「払拭する」……大掃除
【ただいま読書中】『正体不明』赤瀬川原平 著、 東京書籍、1993年、1942円(税別)
著者が街角で撮影した「なんてことはないけれど、ちょっと面白いと思った写真」を並べて、それぞれにキャプションをつけた写真集です。街角の写真集と言えば「トマソン」を思い出しますが、あれには「無用の長物」という立派な“ポリシー”がありました。本書にはそこまでの“ポリシー”はありません。本当に「言われなければ面白いとも思わずに通り過ぎるシーン」の写真ばかりです。
写真は視覚の芸術ですが、それで切り取った世界の断片に、ことばで切り取った世界の断片をコラージュすることで、ちょっと特殊な効果が生じているように私には感じられました。もしも図書館にあったら、ちょっと覗いてみられたら良いかもしれません。
売春婦は売春をする婦人、主婦は家庭の主のご婦人です。すると夫婦は夫の役をこなすご婦人のこと?
【ただいま読書中】『魔女狩り ──西欧の三つの近代化』黒川正剛 著、 講談社選書メチエ571、2014年、1700円(税別)
欧米で15世紀前半から18世紀後半にかけて「魔女」として処刑された人は約4万人と言われています。本書は正統的な魔女狩り研究書とは離れて、「視覚」をベースに置いて「魔女狩り」を論じることで「ヨーロッパの近代化とは何だったのか」を論じる本だそうです。
中世にはキリスト教がヨーロッパに浸透し教会制度が整備され教皇権が確立します。それに伴い異端審問が行われるようになりました。皮肉なのは「異端」とされた中に「キリスト教本来の使徒の清貧」を希求した人々が含まれていることです。教皇の贅沢な暮らしと概念的に衝突してしまったのでしょう。反ユダヤ主義は中世を通じてヨーロッパに鳴り響いていましたが、14世紀の社会不安(「アナーニ事件(フランス嘔吐教皇の対立)」、「教皇のバビロン捕囚」、大飢饉、英仏百年戦争、黒死病など)とともにユダヤ人への迫害や虐殺が勢いを増します。「不寛容の時代」です。
1430年代にドミニコ会の神学者ヨハネス・ニーダーが著した『蟻塚』がのちの魔女裁判に大きな影響を与えました。この『蟻塚』に書かれた「魔術師の生態」はすべて伝聞形ですが、ニーダーの名声もあり、魔術師(とその背後に存在する悪魔)は“実在”とされていきました。ニーダーは「魔術師」に男女差を認めませんでしたが、『蟻塚』を下敷きとした1486年の(魔女裁判の歴史で悪名高い)『魔女の槌』では「女性」に焦点が絞られています。
ユダヤ人は「キリストの死」に責任があるから“有罪”でした。では女性は? これはエデンの園です。イヴが悪魔の誘惑に負けてアダムを堕落させたから“有罪”なのです。かくして魔女狩りが始まりますが、それに対する神学上の“抵抗”もありました。しかしそれらは「魔女に荷担する異端」として蹴散らされます。しかし1520年代に魔女狩りは一時停滞します。その原因は、宗教改革でした。宗教改革は「印刷技術」と不可分です。そしてこの「印刷」によって「魔女」は“ポピュラーな存在”になります。文字が読めない人々もイラストを見ることで「魔女は実在すること」を視覚情報で認識できるようになったのです。
バロック時代(大体16世紀後半~18世紀)の“原動力”はカトリックからの反宗教改革です。新教は偶像崇拝に総じて批判的でしたが、カトリックは視覚イメージを動員しました。この「視覚を中心とする感覚の近代化」に著者は注目しています。これは「魔女狩り」だけではなくて「ヨーロッパの近代化」の重要な要素だったと。さらに「自然」の認識が変容していったこと(これは近代化の結果でもありますが、近代化を推し進める要因にもなります)、社会の周縁に置かれた者(ハンセン病患者、ユダヤ人、バスク人など)に対する排除の姿勢、にも著者は「ヨーロッパの近代化」を見ています。
著者とは違う捉え方かもしれませんが、私には「魔女狩り」で裁かれていたのは「中世ヨーロッパそのもの」と言って良いのかもしれないと感じています。だからこそ、ルネサンスの人文主義のもとでもプロテスタントの国で激しく魔女狩りが行われていたのではないか、と思うのです。人は自分の過去をきちんと裁くことはなかなかできません。だから「自分以外のワルモノ」を裁くことで過去に決別していたのではないかな。濡れ衣を着せられて殺される人には、とんでもない迷惑ですけれどね。だけどこの手の行為は、人類の歴史上、もしかしたらあちこちに普遍的に転がっているのかもしれません。今、この世界にも。
最近ではトレーサビリティとやらで、肉からその血統をたどることができるようになっているそうです。私は食って美味ければとりあえずそれで満足なんですけどね。目の前の人間でも、血統よりはその人自身がどんな人間かを自分で判断したことの方が重要なのと同じで。
【ただいま読書中】『牛と農村の近代史 ──家畜預託慣行の研究』板垣貴志 著、 思文閣出版、2013年、4800円(税別)
もともと「Cattle(家畜)」は「Capital(資本)」でした。家畜の「畜」は「蓄」とも通じます。
本書では、中国山地での牛生産が扱われています。西欧では家畜の品種改良が熱心におこなわれるようになったのは近代になってからですが、日本でも牛の品種改良が安永年間(1772~81)に「蔓牛(血統牛)」と呼ばれて中国山地で始まっていました。明治以降、湿田の乾田化にともない、牛馬の農耕利用が高まります。そのとき「牛の貸し借り(鞍下牛)」が行われました。「借りる」のは、平野部と山奥、「貸す」のはその中間山地です。賃料は現金または米で支払われました。3箇月で賃米八斗とか壱石とかの史料が示されていますが、これは高いのか安いのか、私にはよくわかりません。間を取り持つのは続に「バクロウ」と呼ばれる牛馬商でした。
現在の「ブランド牛」は食肉としての価値が問われていますが、戦前の日本では「労働」(牽引力、性格、餌をどのくらい消費するか)が問われていたようです。自然、牛の品種改良もその線に沿って行われることになりますし、牛の育成の方法論・小作に出すシステム・売買システムも必要になります。本書で注目されている地域は、島根・鳥取・広島・岡山の県境が接するあたりですが、たしかにその辺は今でも牛の生産地としては有名なところです(全国的に名前が売れているかどうかは知りませんが)。
役牛は“商品”としては高価・貯蔵が困難・規格化が困難、などの条件があって特殊です。だからこそその取引は人が多く関与する“前近代的”なものでした。信用と信頼と口約束でことは動いていたのです。しかし資本主義が進展するにつれ、“システム”は少しずつ洗練されていきます。
出雲地方では、牛と同時に馬が重視される、という特徴がありました。これはたたら製鉄によるものだ、と著者は述べます。そして、たたらが衰退するにつれ馬の比率は減っていきます。
そして、耕耘機が普及し始めます。これは「役牛」の時代の終わりでした。役牛だけではなくて、牛を貸し借りする慣行も衰退し、忘れ去られていき、日本からバクロウも姿を消しました。日本の一つの時代が終わったのです。しかしそれは、別の時代の始まりでした。牛は、足腰を鍛えるために放牧されるのではなくて、運動不足の状態で閉じ込められ肉や乳を大量に“生産”するためのものになったのでした。
特定の教育の強制は醜悪な行為ですが、教育の破壊は犯罪です。戦争は学校教育を壊すから、それだけで「良くないもの」と私は認定します。
【ただいま読書中】『天皇暗殺』岩田礼 著、 図書出版社、1980年、1400円
「虎ノ門事件」をご存じでしょうか。昭和天皇が大正天皇の摂政時代に狙撃された事件です。狙撃したのは“テロリスト”難波大助。
山口県の難波大助の家系には、共産党の宮本顕次や伊藤博文など“大物”がいます。その家系図をたどると、豊臣秀吉が水攻めにした備中高松城にたどり着きます。その城主清水宗治の弟が難波伝兵衛宗忠で、難波大助の遠祖なのです。
そこから悠々と歴史を語るその語り口に、私はあっけに取られます。一体著者は何が言いたいのだろうか、と。ところが明治維新のあたりで少し著者の言い分がわかってきたような気がします。
長州藩は明治維新の“功労者”です。ところがその“功労”は、ほんの一握りの人間(たとえば伊藤博文)に“独占”され、長州の人たちは江戸時代と同じ“被支配層”のままに据え置かれました。そのことに長州人は複雑な感情を持っていたようです。だからこそ、保守王国でありながら、ばりばりの共産党員も出現したのでしょう。
大助は田舎の素封家の四男でしたが、父親からは露骨な差別をされ、やっと行けた中学は中退。母は急死。何がきっかけだったのかはわかりませんが、皇国少年の大助は、思想が左傾化していきます。大正6年ロシア革命、大正7年米騒動、第一次世界大戦の終結(帝国の崩壊)……世界は大きく変わり、皇室への尊崇の念は日本では低下していました。大正天皇の「お脳が弱い」という噂も影響があったのかもしれません、と言うか、こういう噂が世間に流れること自体が、なにかを主張していますね。
大正11年(1922)に日本共産党が秘密裏に結成されます。そのスローガンは「天皇の政府の転覆、君主制廃止、普通選挙権獲得闘争の指導」でした。そして目標は「労働者・農民の政府の樹立」。
難波大助は「テロリスト」を志向します。明治から大正にかけて、気に入らない相手は殺す、は日本でというか世界中でごく普通の政治的手段として用いられていましたから、問題は「テロ」という手段ではなくて、それが何を対象にしているか、です。大助の場合は「皇室」でした。ただし彼が本当に“撃ちた”かったのは、自分自身の“専制君主”である自分の父親だったのかもしれません。
狙撃対象は決まりました。次は武器です。難波大助は、父親のステッキ銃(ステッキにピストルを仕込んだもの。伊藤博文のロンドン土産)に目をつけます。これなら怪しまれずに持ったまま人混みに紛れることができる、と。新聞に、貴族院の開院式に摂政が行啓との記事があり、その途中で襲うことに難波大助は決めます。
ここで意外な名前が登場します。この時警視庁の警務部長は正力松太郎だったのです。正力は摂政の車の警護にオートバイをつけようとしますが、「天皇と国民の接触」を重視する宮内省は却下。一行の前と後ろに護衛官の乗った車をつけて、一行は計7台の自動車で時速20kmで移動します。沿道から飛び出た難波大助は摂政を狙って発砲します。同乗していた東宮侍従長の入江はガラスの破片を浴びて顔に15箇所の小さな傷を負いました。しかし摂政は無傷でした。窓の中をのぞき込むために姿勢を低くして発射された弾は窓ガラスを突き抜け、摂政の頭のすぐ後ろの天井にめり込んでいました。これがオープンカーだったら、歴史が変わっていたかもしれません。恐ろしいことです。
なお事件を知らせる新聞の号外には「犯人は日本人」とわざわざ明記されました。4箇月前の関東大震災での朝鮮人虐殺の影響がこんなところにも出ています。
内閣は「不敬事件」の責任をとるために全員が辞表を提出(摂政はそれを保留とします)。司法大臣平沼騏一郎は翌日引責辞職、内務大臣後藤新平は自宅に謹慎、警視総監湯浅倉平と警務部長正力松太郎は懲戒免官。右翼は内務大臣邸や警視庁に暴れ込みます。不思議なのは、オートバイ警護をはねつけた宮内省からは誰も辞表を出すものがいなかったことです。もっともオートバイ警護は即座に実行されるようになりましたが。官僚って“そんなもの”なんですね。
肉親や友人に対する厳しい取り調べが行われ、家族は結局「姓」を変えることになりました。「難波家」の断絶です。大助は父親への“復讐”を完遂しました。
裁判では難波大助を「精神異常」にしようと裁判官が努力します。ところが精神鑑定をした東京帝大教授・呉秀三は「精神障害はない」とします。おや、この人の名前も見たことがあります。去年の8月13日に読書感想を書いた『精神病者私宅監置の実況』の著者ではありませんか。裁判は公開されず、さっさと死刑が言い渡されます。執行は判決言い渡しの2日後。いやあ、スピーディーです。山口県民は「総懺悔」を行い、県民の保守化はさらに進むことになりました。
この虎ノ門事件は結局日本にとってどんな意味があったのか、とちょっと考えてしまいます。少なくとも難波大助の行為は日本にとってなにか良いことをもたらしたとは見えませんから。あ、警察を馘になった正力が読売新聞を発展させ読売巨人軍や日本テレビを創立したのは“良いこと”かもしれませんね。
「これで人は暮らせる」と政治家が考えている最低の賃金のこと。ですからその政治家自身が「これだけで暮らしてみろ」と言われたら「はい、できますよ」と即答できるのでしょうね。実際にリアリティ番組でやってみせて欲しいなあ。
【ただいま読書中】『協力と罰の生物学』大槻久 著、 岩波書店、2014年、1200円(税別)
細菌は「バイオフィルム」というぬるぬるしたもので栄養があるものの表面にしっかり付着していますが(その一例が歯垢)、そこで見られるのが細菌同士の“協力”です。細菌はお互いにコミュニケーション物質として特定の化学物質(シグナル物質)を放出し、その濃度が高い(周囲に仲間がたくさんいる)ことを検知したら一斉にぬるぬる物質を分泌し始めます。キイロタマホコリカビは飢餓状態になるとサイクリックAMPを分泌し、すると回りから他の個体も集まってきて多細胞の集合体を作ります。その先端は地上に突き出した子実体となり昆虫の足などに付着して別の場所に胞子をばらまくことができるようになります。働き蟻・オナガ・チスイコウモリ・ミーアキャットなど同族間での興味深い“協力行動”がまず紹介されます。
ついで、種を越えた協力として、マメ科の植物と根粒菌が登場します。根粒菌は空中の窒素をアンモニアに変えて植物に供給、そのかわりに植物は光合成した栄養(たとえばリンゴ酸)を細菌に供給します。クマノミとイソギンチャクも有名な例ですね。なかなか合理的でうるわしい“協力”です。
しかし、実はそれに頭を抱えたのがダーウィンでした。彼の理論のキモは「種の存続」と「自然淘汰」です。ところが働き蟻は「自分の子孫」を残さず女王に奉仕する労働に熱心に従事しています。これはなぜなのか。逆にそのような協力的な群れで「集団に貢献しない個体(フリーライダー)」は群れへの貢献は他の個体に任せて「自分の子孫を残すこと」に集中できるから他の個体より「自分の遺伝子を残すこと」で有利になるはず。実際に、バクテリオファージや蛍光菌、蟻、蜂など「フリーライダー」はあちこちに存在していました。「協力的なシステム」は「フリーライダーがつけいる隙」を持っているのです。そして、フリーライダーがはびこる社会は、容易に崩壊します。ではなぜ進化の過程で「協力システム」が発展したのでしょう。ダーウィンが頭を抱えたわけがわかるような気がします。
ここで「囚人のジレンマ」が登場します。1回限りだとこのジレンマは解決が困難ですが、もしもこの選択を「時の流れ」の中で何回も連続しておこなうとしたらどうなるか、ということで「しっぺ返し戦略」が発見されました。協力には協力を、裏切りには裏切りを、の戦略が一番効果が高いということで、進化の過程でも似たことが起きたのではないか、と想像ができます。
さらに「協力システム」の中には「罰」が存在していました。たとえば根粒菌が仕事をしないとマメ科の植物は根の酸素濃度を落として根粒菌の増殖を妨害します。キイロタマホオリカビや大腸菌、蟻やミーアキャットなど、様々な「罰」が「協力」を維持するために機能しています。
では、ヒトは? ヒトの社会も基本的には「協力システム」ですが、当然「フリーライダー」が存在し、利益を享受しています。たとえば本書で紹介される「公共財ゲーム」(メンバー各自が投資して社会の価値を高めて分配金を得るが、多くの場合投資した金額よりは少ない分配金になる設定)では、公共のために行動する人よりも社会の発展に寄与しないフリーライダーの方が有利となっています(投資金額ゼロで他人の投資の結果だけ受け取る戦略)。ところがそこに「フリーライダーへの罰」が導入されると、フリーライダーは減少しました。ところがこんどは「罰のコスト」を負担しない「二次のフリーライダー」(誰かがフリーライダーに罰を与えてくれて、その利益は自分が享受することを期待する人)が出現。ヒトはなかなか素敵に複雑です。
ちなみに人は他者に罰を与えると快感を感じます。自分が受けるのは嫌いますが。こうしてみると、非協力者に協力を促進するためには罰が有効そうです。ではその逆、報酬は? そこで罰と報酬を比較する実験です。すると、「報酬」の方が「罰」よりもゲームでの協力が高まりました。その場合でも「罰のシステム」が存在していると、抑止力としては効果を示すようです。存在するけれども使わないことに意味がある、ということなのでしょうか。もちろん目的は「協力」(による種の存続)ですから、快感に溺れて行き過ぎた罰を乱発する個体は、社会から排除されてしまうのでしょう。となると、最近の日本の「厳罰化傾向」は、進化のプロセスから言うと袋小路へ迷い込むことになりそうですが。
「世界最高」を連発する政治家自身が、世界最高の政治家だったら良いのにね。
【ただいま読書中】『ビブリア古書堂の事件手帖(4) ──栞子さんと二つの顔』三上延 著、 メディアワークス文庫、2013年、570円(税別)
これまでの3巻は“連作短編集”でしたが、こんどは一冊丸々江戸川乱歩だけです。江戸川乱歩の(大人向け書籍)全冊そろいのコレクションを引き取らないか、という依頼がビブリア古書堂に舞い込みます。ただしそのための条件は、金庫を開けること。なんと、ダイアルと鍵とパスワード入力が必要だという三重の関門が設けられた特製の金庫です。そこで紹介される江戸川乱歩の作品群の数々と彼の人生についての蘊蓄は、「誰でも知っている作者」のはずなのに、意外なことが多いのには驚かされます。
そこに、十年前に栞子さんたち家族を捨てて家を出て行った母親が現れます。10年間何をやっていたのか、そもそもなぜ失踪したのか、今になってなぜ現れたのか……すべてはほのめかされるだけで詳しくは全然語られません。
そんな中、大輔と栞子さんの関係はまた一段ステップアップします。と言っても「デート」の約束をしただけですが。
それにしても、前巻では栞子を目の敵にしていたヒトリ書房の主人にもそれなりの“事情”があったことがわかった上に、彼と書店の従業員との間の長く微妙な関係があることがコメディリリーフ的な味付けとなっています。今回は「古書の謎に囚われた人々の関係の謎」がいろいろ深く掘られていて、このシリーズの終焉が予感できます。ちょっと惜しい気もしますが、あと1冊くらいが“ちょうど良いところ”とも私には思えます。主人公以外の他の登場人物の“外伝”は読みたい気がしますが。
クレジットカードとかポイントカードとかで、お買い物をしたら少しずつポイントが貯まるのは楽しいものです。使わないうちに期限が切れていたら悲しいものです。
ところでアベノミクスで注目されている「物価が年率2%上昇」ですが、ここにポイントは含まれています? いくらかの割引でものを買っている場合、それは物価に反映されるのでしょうか?
【ただいま読書中】『エピデミック』川端裕人 著、 角川書店、2007年、1900円(税別)
急激な高熱、鼻水、くしゃみ、喉の炎症、口内炎……この年のインフルエンザの最後の流行のはずですが、T市(おそらく千葉県館山市がモデル)の小児科医の黒部はイヤな予感を覚えます。海岸に散らばる何羽もの鳥の死骸を見たことも影響を与えているのかもしれません。たまたま近くに調査に来ていた疫学専門のケイトは知り合いの教授からの連絡でT市に入ります。市の総合病院には重症のインフルエンザ肺炎患者が3人運び込まれていました。皆同じ地区に居住しています。そして、黒部自身も重症肺炎に。
ケイトは「確率密度の雲」の中をさ迷いながら“真相”を求めて漂います。「時間・場所・人」の基本を押さえて詳しく調べれば、手がかりは見つかるはず。しかしそれを妨害するのが、時間・記憶の蒸発・怠け者・縦割り行政・根拠のない楽観論・明白な私利私欲による妨害…… 人の思惑を越えて、病気は様々な姿を見せます。普通のインフルエンザ肺炎のような、あるいはSARSのような……さらに近くでは鳥インフルエンザも出現し、さらには新型インフルエンザの可能性まで出てきます。
数日の小康期のあと、患者がどっと出始めます。感染の“爆発”です。患者の症状も“爆発”のようにどっと悪くなります。そして、動きの鈍い行政に業を煮やし、緊急対策チームも情報を“爆発”させます。「XSARS」と名付けられた新しい感染症の“流行源”は“保菌者となった子供たち”だ、と。さらに次の“爆発”も。人間に流行させた大元の動物が特定されたのです。それは……
本書では「疫学」が「科学的な推理」であることが強調されます。その疫学で“武器”として使われるのが「観察」「推理」そして「オッズ比」です。ちょいとオッズ比が強調されすぎている気もしますが、統計に疎い人にインパクトを与えるためには仕方ないのかもしれません。
『復活の日』(小松左京)では、破壊的な流行病によって滅びていく人類の姿が“ミクロ”よりも“マクロ”の視点で描かれそのことによって“ミクロ”の人間ドラマが浮き彫りにされましたが、本書では徹底して未知の病原体と戦う“ミクロ”の人間ドラマ(基本を貫こうとする人と、自分の思いを貫こうとする人と、右往左往する人たち、との交錯。責任を全うしようとする人と責任逃れをしようとする人との交錯、などなど)が描かれ、それによって「日本社会の病理」が浮き彫りにされています。役職にふさわしくない無知を露呈するお役人による切迫感のないお役所仕事や、ベテランほど“若造”の指示を無視する態度とかも笑わせてくれます。実際にこんなことが起きたら、笑っている場合ではないのでしょうけれど。
「集団的自衛権」に関しての街角のインタビューで若い女性が「男の子たちが兵隊に取られるなんて考えられない」なんてことを言っていました。もしもしお嬢さん、徴兵制度は(もし「男女平等」が本当なら)女性にも適用される可能性があるのですよ。実際に第二次世界大戦で英国は女性も徴兵していましたし、イスラエルも男女問わずの兵役義務だったはず。そもそも今の日本で「草食系の男子」と「肉食系の女子」とで、どちらが「良い兵隊」になるでしょう?
【ただいま読書中】『女性電信手の歴史 ──ジェンダーと時代を超えて』トーマス・C・ジェプセン 著、 高橋雄造 訳、 法政大学出版局、2014年、3800円(税別)
「19世紀の女性」には二つの典型があります。「家庭の中での良妻賢母」と「工場労働者」です。ところが社会的にありふれていたのにそのどちらにも当てはまらず、そして忘れ去られた存在がありました。それが「女性電信手」です。
欧米では、鉄道網の発展と同時に電信が始まりました。事故情報や列車の運行情報を迅速に伝える必要があったのです。工業化社会の到来と交通及び通信速度の革命的増大は社会構造を変革し、新しいタイプの労働者(新中産階級、技術労働者)が出現します。新しい技術職である電信手ができたとき、そこには「ジェンダーの区別」は存在しませんでした。電信線の向こう側にいるのが男か女かを気にする人は(ほとんど)いなかったのです。モールスとヴェールの公開実験から2年後の1846年、セーラ・バグリーがニューヨーク・アンド・ボストン・マグネティック・テレグラフ社のマサチューセッツ州ローウェル局の主任になります。40年代後半に米国全土に電信網が広がり、字が書けて電気と電信機を理解できる人が必要とされ、オペレーターとして女性が大量に採用されます。南北戦争が終わり男性が復員しても女性の数は減りませんでした。さらに(モールス信号にかわる)テレタイプが導入されて「テレタイピスト」という“女性の職業”が確立して、電信操作は“女性の仕事”とみなされるようになります。ヨーロッパでも鉄道電信と商業電信局の両方で1850~60年代に女性オペレーターが増えます。海底ケーブルで世界が結ばれると世界中で(イスラム以外で)女性オペレーターが増えていきます。
労働時間はオフィスによってまちまちですが、標準的な日勤は10時間、夜勤は7時間半でした。夜勤や週末勤務に割り増しはなく、それが労働争議を呼んで、20世紀初頭には、電信オペレーターは男性が週54時間労働・女性は48時間労働となります。女性の夜勤は不当労働行為でした(堅気の女性は夜は出歩かないものだったのです)。もっとも鉄道電信オペレーターの場合には、決まった労働時間はないも同然でした。オペレーターが1人勤務で列車が遅延したら残業するしかないのですから。
「電信手けいれん(ガラスアーム)」という職業病がありました。腕の酷使による手の障害です。換気の悪いところで座り続けるため、結核の餌食になる人も多く、汚染された水でチフスで死亡する人も多くいました。
社会の中で電信オペレーターは(女も男も)特別な存在として見られました。オペレーターにとってこの職業は、生計の道であると同時に、社会階層を上昇するための手段でした。オペレーターから成功した人としては、トーマス・エジソンやアンドルー・カーネギーの名前がよく挙げられます。当時の女性にも、“成功例”はありました。「新しさの二重奏」(社会が新しくなり、そこに新しい職業(女性の自活の道)が生まれる)によって、女性の地位が向上したようです。
教育も必要です。電信手になった女性はグラマースクール(中学校)は卒業していて、中にはハイスクール卒の人もいました。さらに電信手になるために、商業高校や専門学校に通います。そうして育てられた女性電信手は、結婚までの腰掛け就職として、男性よりは安い(2/3~3/4)賃金となっていました(それでも女性教師と同等、工場労働者や奉公人よりは上)。ごくごく少数の女性は管理職にまで出世するのですが、それは“例外”です。
昇給を望んでも拒絶されるのがオチですから、19世紀の女性電信オペレーターは「移動」を選択しました。遠隔地の(より給料の高い)欠員を見つけてそちらに勤務地を変えるのです。なかなか現代的な生き方にも見えます。家父長制社会の中で、女性(オペレーター)は「移動の自由」を獲得したのです。さらに腕の良いオペレーターで、結婚・出産後自宅に電信線を引かせて、子育てをしながら自宅勤務をした人もいます。その子供たちも当然のように成長後はオペレーターになっていきました。
南北戦争で女性は初めて「賃仕事」をするようになりました。男が出征して労働力不足となり、女性も生活費を必要としたからです。その仕事の一つが電信手だったのですが、男の側からの反発も強くありました。「女は腕が悪い」「女は不当に優遇されている」「男に敬意を示さない」などです。本書には「テレグラファー」誌上での論争が紹介されていますが、いつの時代も似た“論争”が行われるものだ、と感心します。しかし、19世紀であっても「ジェンダー」について、きちんと考察する人は考察しています。感情的な人間はやはり感情的ですが。
1870年代頃から「電信ロマン」という小説ジャンルが起き、主に女性に人気を博します。ストーリーは、男女が電信で愛を育み、最後は結婚して女性電信オペレーターは退職して良妻賢母に、が基本です。当時は「電信」そのものが「ロマンチック」だったことも小説に効果を与えたのでしょう。
労働争議も多発します。女性側の要求は「同一労働同一賃金」と単純です。それに反対する側の主張はやたらと複雑です。そこに注目したのが、婦人参政権運動団体です。女性オペレーターの待遇改善には法的手段が効果的で、そのためには議員選出が必要、という主張です。ストライキも起きますが、新聞での女性の扱いは「グラマー・ショット」「美人コンテスト」「涙をさそう話」がしばしば中心に置かれました。「STAP細胞」のときに「割烹着」に注目したマスコミと良い勝負ですね。ストライキの焦点は「低賃金による生活困窮」「男女不平等」などシリアスな問題だったのですが。そのためアメリカの女性オペレーターは労働組合に熱心に取り組みますが、ヨーロッパではこの職種は国家公務員と同等と見なされていて、アメリカほどには労働組合やストライキは派手に動きませんでした。
1920年代にモールスからテレタイプに移行し、そのころ電話も普及が進みます。こういったテクノロジーの進歩と社会の変化により、電信手は姿を消しました。こんど女性たちの受け皿となったのは、タイピストやコンピュータープログラミングや電話交換手等でした。そして、ネットの普及により「このメールを発しているのは、男性か女性か」がまた問題となります。そのことに著者は強い既視感を抱きます。歴史は繰り返しているようです。