【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

お金持ちを増やす

2013-02-28 19:09:29 | Weblog

 ネットなどで、親切にも「お金儲けの秘訣」を教えよう、という勧誘を見ることがあります。もちろんそれが上手くいったら「お金持ち」が誕生するのでしょうね。たぶん、金を払った側ではなくて金を受け取った側に。

【ただいま読書中】『お金持ちのお金はなぜなくならないの?』宮本弘之 著、 メディアファクトリー新書、2010年(11年3刷)、740円(税別)

 本書では「お金持ち」を「働かなくても暮らしていけるくらいたくさんのお金(不動産などは除く金融資産)を持っている人」と定義し、多種多様な「お金持ち」を分析することでその「お金持ちとお金の関係」を明らかにしよう、とする本です。著者は野村総合研究所(NRI)で経営コンサルティングをしているので、実に多くのお金持ちに出会いその客観的なデータを集めることができたのだそうです。ただし残念ながら本書を読んでも「お金持ちになる方法」は分からないそうです。
 「お金持ち」の財産は「金融資産」と本書では定義されていますが、金持ちになるほどリスクマネー(株など損をする可能性のある財産)の率が高まります。つまりお金持ちの財産は株価変動など社会の影響を受けやすいのです。
 お金持ちが金を増やすための必要条件は「元手」「リスクをとる行動(によるハイリターン)」「無形の財産(情報や人脈)」です。それぞれ、納得のいく説明がされています。
 面白いのは、お金持ちの分類です。「最初からのお金持ち」「コツコツお金持ち」「突然のお金持ち」の3類型があり、それぞれの「財産を減らさないための行動」には類型ごとのパターンがある程度見えるそうです。
 次が「お金持ちのお金が減らない理由」。個人的な贅沢や浪費くらいではお金持ちの財産が減らない理由がきわめて具体的にここでは述べられます。お金持ちの財産を脅かすのは、経済や投資環境の悪化です(たとえば、リーマン・ショックで日本でも多くのお金持ちが大きなダメージを負いました)。リスクをとっている分、預金などの安定した財産の比率が高い庶民よりはダメージの率は高くなります。ただ「ピンチはチャンス」。株価や地価の低下は、底値買いのチャンスでもあるのです。さらにちょっと意外なのは「信頼や堅実さを大切にする」という基本を大事にしていること。あ、そうか、「自分は金持ちだ」と浮かれている人は、あっさり財産をなくしてしまうから「お金持ち」の世界から淘汰されてしまう、ということなのでしょうね。
 本書の最後のあたりにはちょっとした問いかけがあります。お金持ちがどんどん金を使ったら、経済は活性化します。「金を使う」のは「消費」だけではなくて「慈善」も含まれます。で、欧米と日本とを比較すると、お金持ちの慈善活動に大きな差がありますが、それはなぜか? いくつかの分析が示されますが、「お金持ちが寄付や慈善を行なったとき、それをバッシングする社会と褒め称える社会と、どちらのほうがお金持ちは慈善行為をどんどんするようになるか?」という指摘があります。さて、日本社会は、どっちでしたっけ?



武器の変遷

2013-02-27 18:56:36 | Weblog

 武蔵坊弁慶は「薙刀(なぎなた)」が得意な武器でした。それを初めて知ったときに私は「小太刀や薙刀は女性の武器」という認識だったので、ちょっと驚きました。もしも長い武器が良いのだったら、槍でも良いのではないか、とも思えます。これは「男の武器」ですから。
 調べてみると、「槍」が日本で広く使われるようになったのは、どうも鎌倉時代後期~南北朝時代のようです。そういえば平家物語でも槍の名人が大活躍するシーンは(少なくとも私の記憶には)ありません。薙刀や矛は使われていたようですが。のちに鉄砲を「飛び道具は卑怯」などという武士が登場することを思うと、槍が普及する頃には「長い刀は卑怯」という武士がいたかもしれません……って、これはあり得ないですね。自分の命が危なくない泰平の時代だからこそ、有効な武器を忌避することができるわけですから。
 そういえば「日本刀」も、鎌倉時代までは「太刀」(刃を下向きにして紐で腰にぶら下げる)だったのが、室町頃から刃を上向きにして腰に差す「打刀」に変わったそうです。どうして変わったのか理由は知りませんが、これも変わる時代には守旧派と改革派の対立があったのかな?

【ただいま読書中】『刀と首取り』鈴木眞哉 著、 平凡社新書036、2000年、660円(税別)

 日本刀は膨大な数が作られました。一説では、平安末期から現代までに作られた刀で現存するのは300万本だそうです。ということは、作られたのはその何倍?
 「なぜ?」と著者は考えます。なぜそんなに大量に作られ、大量に保存されているのか。そもそも「刀」とは何か?
 三種の神器に剣がありますし「妖刀村正」ということばもありますが、日本人は「刀」に呪術的な力がある、と考えていたようです。
 著者はまず「武器としての刀」はどのくらい有効だったのかの検証から始めます。その過程から見えてくるのは、日本刀には一種の「神話」がまぶされていて、武器としては「誇大評価」がされているのではないか、という疑いです。さらに「チャンバラ幻想」(戦いとはチャンバラが基本)が日本にはびこっていて、それが第二次世界大戦にまで及んでいたことも示されます(従軍記者までもが「軍刀」を身に帯び、将校が抜刀して突撃したらそれで敵は殲滅できる、と信じられていました)。戦国時代にはおそらくあり得ない発想でしょう。飛び道具抜きの刀だけで突撃してくる軍勢は、遠くなら弓矢や鉄砲の、近くなら槍の恰好の的ですから。
 著者は残された合戦の記録(「軍忠状」)から「戦傷分析」を行ないます。すると戦傷のほとんど(大体9割くらい)は、鉄砲伝来前は弓矢(や石礫)、伝来後は鉄砲によって起こされていました。つまり(中世の西欧の騎士とは違って)日本人は遠距離攻撃が好きなのです。さらに、戦傷の残りの多くは切り傷ですが、そのすべてが刀によるものではなかったはず。すると、刀はどのくらい“有効な武器”だったと言えるのでしょう? 「実戦」で使われた日本刀を修理した人の話など、きわめて現実的に「日本刀の実力」の話が展開されます。
 ただ、刀が確実に戦場で役立つ場面があります。「首取り」です。たとえば大阪城落城の時、東軍の首帳には約14000の首が記されていたそうです。ただし、首を取るためには接近戦をしなければなりません。そこで使うのは、脇差し・鎧通し・妻手差し(腰の右側に差す短い刀、中国では「解頭刀」と呼んだそうです)などでしょうが、実は「首の取り方」を詳しく書いた文献はなかなかありません。そんなのは「常識」だったのか、決まった作法はなくて個人個人で勝手にやっていたのか、どちらでしょう?
 「首取り」は戦国時代の武士にとっては、恩賞または立身出世の“手段”でした。江戸時代にはさすがにそれは下火になりますが、なんと戊辰戦争で“復活”しています。幕府軍も新政府軍も。“伝統”の強さなのでしょうか。そして廃刀令で「首取り」は日本の歴史からやっと消え去ります。日本刀が使えなければ首取りもできない、ということなのでしょう。……ということは、首取りという風習がなかったら、日本刀はそこまで普及はしていなかった?


改名奨励

2013-02-26 18:51:47 | Weblog

 暴力団は、体罰団と名前を変えたら、一部の人からは受けが良くなるかもしれません。「我々はすでに知的労働にシフトしている」と怒られるかもしれませんが。

【ただいま読書中】『ある心臓外科医の裁判 ──医療訴訟の教訓』大川真郎 著、 日本評論社、2012年、1700円(税別)

 著者が弁護士として関わったある医療裁判の記録です。
 平成13年、「関西のある大学病院で、心臓の大動脈弁置換手術で、教授の執刀ミスで患者が死亡した」という“事件”が起きました。この“事件”で特異だったのは、“告発側”に「患者の主治医」がいたことです。マスコミは大喜びでそれを取り上げました。ただし、取り上げたのは、“告発側”の言い分だけで、教授の側の言い分はまったく黙殺。
 民事裁判が起きますが、患者側とマスコミにとって意外なことに、教授のミスは一切認められませんでした。結局裁判は最高裁まで行きますが、結論は「教授の完全勝利」。
 患者側は刑事告発も行ないますが、検察は不起訴とします。(日本では、書類が揃えば誰でも「告発」を行なうことができます) マスコミは「刑事告発」は大々的に報道しましたが、それが不起訴になったこと(事件性がないと検察が判断したこと)は黙殺しました。
 医療の話はややこしいし、裁判の話もややこしいものです。ただ、本書は、時系列と裁判別(民事刑事複数の裁判が起こされています)を上手く組み合わせて、きわめて見通しの良い記述となっていて、素人でも読みやすいものとなっています。
 いくつもの裁判を経てやがて浮かび上がってきたのは、「患者の死の、真の原因(の蓋然性が高いもの)」でした。しかし「教授を罰すること」に夢中になっている人たちは、そのことを看過し、原因が明らかになりかけてもそのことを無視しました。どうも「教授を罰することに役に立たないもの」には興味がなかったようです。
 本書は「告発本」ではありません。真実を少しでも明らかにし、そこから何らかの教訓を得ることを目的として執筆されているようです。だから特定個人の名前を明示して攻撃したりその名誉を毀損したりするおそれのある記述は慎重に避けられています。とにかく誰かを攻撃すればいい、というマスコミや掲示板の常連には無意味な本かもしれませんが、私には有益でした。少なくとも、マスゴミがマスゴミである所以は、きわめて明瞭に分かります。



収穫

2013-02-25 20:54:46 | Weblog

 かつて、農民が収穫をすると、それを狙った遊牧民が収奪にやって来る、という“システム”がありました。
 すると権力者とは遊牧民と同じなのかな。

【ただいま読書中】『ウナギの博物誌 ──謎多き生物の生態から文化まで』黒木真理 編著、 化学同人、2012年、1800円(税別)

 川と海を行き来する魚の行為を「通し回遊」と呼びますが、ウナギのように産卵のために川から海に向かうのは「降河回遊」と呼ばれます。(逆に、サケのように産卵のために海から川を遡上するのは「遡河回遊」。鮎のように産卵とは無関係に行き来するのは「両側回遊」) 昔から「ウナギがどこで発生するのか」は大きな謎で、アリストテレスは「大地の“はらわた”から自然発生する」と唱えましたし、日本では「山芋変じてうなぎと化す」という言い伝えがあります。
 海で生まれたウナギはレプトセファルスというオリーブの葉っぱのような幼生となって海流に乗って陸地に近づきます、体長5~6cmでシラスウナギに変態し、色素が沈着してクロコとなって川を遡上、黄ウナギとなって10年くらいかけて40~90cmに成長、成熟してグアニン色素が沈着して銀ウナギとなって、秋の増水期に海へ下っていきます。ただ、その生態にはまだまだ謎が多く残っています。初期の調査ではレプトセファルスが本当にニホンウナギのものか肉眼だけでは同定が困難でしたが、今ではDNA解析が船上でできるので少しは楽になったようです。
 そういった謎よりも、我々の関心はまず「食資源としてのウナギ」でしょう。ウナギは縄文時代から食べられていました(貝塚から骨が出土しています)。明治時代に池での養殖が始まり、1960年からは卵からシラスウナギを育てる試みも始まりました(2010年に、人工生産したシラスウナギからさらに子を育てることに成功しています)。単に人工飼育の成功に期待するだけではなくて、シラスウナギが「国際資源」であること、海や河川の環境整備が重要であること、の視点を欠くと、私たちの子孫はウナギを食べにくくなるかもしれません。
 万葉集にもウナギの歌があります。大伴家持は「石麻呂に 吾物申す 夏痩せに 良しといふものぞ 武奈木(むなぎ=ウナギ)漁り食せ(とりめせ)」と詠んでいるのです。世界でウナギの生産量が急増したのは1980年代から。そういえばあの頃からスーパーにウナギの蒲焼きのパックが山積みされるようになりましたっけ。それは中国でヨーロッパウナギやアメリカウナギの養殖が成功してからです。それまで5万トン以下だったのが85年には10万トン、95年には20万トンとなっています。ウナギ価格は低迷し、シラスは不漁と価格高騰、国内の養鰻業者は悲鳴を上げました。しかし、シラス資源が枯渇しつつあることから、国際的な資源保護の動きが始まります。個人的には、ウナギがスーパーやコンビニで気軽に買えるのはどこか“間違っている”と感じますので、資源保護には賛成することにします。
 江戸の蒲焼きは、元禄時代に京都の料理法が伝えられて始まりました。すぐに人気が出て、「外食」の代表格となります。ウナギと白飯の合体の誕生は文化年間。上方では「まぶし」、江戸では「どんぶり」と呼ばれました。鰻丼には杉の割り箸が添えられましたが、一度使うと箸職人によって丸箸に削り直されていたそうです。
 イギリスでは、ウナギのゼリー寄せやウナギシチューが食べられます。各国に煮込み料理があり、韓国には丸焼きも。ただ、割いて開くのは日本独自のやり方。ただ「蒲焼き」という名前から、何か連想しませんか? そう「蒲(がま)の穂」です。どうも初期の「蒲焼き」は、ぶつ切りのウナギを串に刺して焼いていたようです。
 こうして書いていると、なんだか蒲焼きが食べたくなってしまいました。えっと、冬の土用は節分でもう終わってしまったから、春の土用(立夏の前)まで我慢、かな?



自分

2013-02-24 18:23:03 | Weblog

 「自分探し」ということばで不思議なのは、「主語」です。探されるのが「自分」だとして、それを探す「主語」は一体誰なんでしょう?

【ただいま読書中】『自分探しが止まらない』速水健朗 著、 ソフトバンク新書064、2008年、700円(税別)

 「自分を変えたい」という願望に基づいて海外に出かけた若者の例がいくつかまず挙げられます。「なりたい自分」「ホントの自分」を求めるために、旅行やボランティア活動をする、というものです。その体験記の一つが「自己啓発書」の基本パターンになっていることに著者は注目します。
 さらに「自己啓発セミナー」は「マルチ商法」とも親和性が高いのです。「ポジティブ・シンキング」「成功」「本当の自分」が共通のキーワードです。
 そういえば20年近く前、自己啓発セミナーが流行していて、私はそのアンチの立場でしたが、そのとき自己啓発セミナーに感じた違和感をその後大流行したマルチ商法にも同じように感じましたっけ。実は今でも同じように感じているので、私は「新しい自分」の発見には失敗しているのかもしれません。
 ともかく、一時は企業の新人研修にも使われるくらい日本社会で普及した自己啓発セミナーは、その反社会的は部分への批判が強まり、1990年代に下火になっていきます。
 「自分探しの旅」とは、「変身願望」の行動化ですが、身も蓋もない言い方をしたらそれは「現実逃避」です。ではそれは「個人の問題」なのか? ここで著者の目は「社会」に向かいます。
 「ニート」「フリーター」に対する「社会の目」は、はじめは「批判」でした。「豊かな社会に甘えているだけ」だと。ところが統計データから「格差論」が登場すると、流れが変わります。
 「フリーター」ということばはバブルの時代に生まれましたが、その“先駆者”は団塊の世代にいました(1996~97年に猿岩石「電波少年」で行なったヒッチハイク旅行の「香港~ロンドン」は、かつての沢木耕太郎『深夜特急』のルートです)。既成の「終身雇用のサラリーマンになる人生」を拒否する生き方です。フリーターは、形としてはそういった“先輩”の生き方をなぞることになりました。「サラリーマン」を忌避し、カタカナことばのスタイリッシュな職業に就くことを夢見る人たちが大量に登場したのです。さらに21世紀になり、若者では非正規雇用が半数となります。さらに、正規雇用でも3年以内に職を辞める若者が増える事態に。そういった構造の社会で若者が「自分探し」に熱中するのも無理はなさそうに思えます。ところが、正規雇用を目指す就活でも「自分探し」が行なわれることになりました。それも強迫的に。面接官に「自分は○○です」と強烈に売り込むために「自分」を見つけておかなければならない、ということなのでしょうです。さらにその動きは、高校にまで及んでいます。高校の進路指導でも、文部科学省の方針に従って「自分探し」が行なわれるようになっているのです。
 ところが「自分がやりたいこと」を求めて社会に出た若者が出会うのは「嫌でもしなければならない仕事」です。これでは「3年以内にやめてしまう」のも、ある程度無理がないことになりません?
 そして「自分探しホイホイ」。「自分探し」を食いものにする商売です。出版社、居酒屋、ラーメン屋……意外なところにまで「自分探しホイホイ」は浸透しています。日本の社会に広く深く。
 かつては「宗教」や「国家」といった「ビッグ・ネーム」によって人々は動いていました。高度成長期には「会社」が「社会の物語」を規定していました。しかし個人主義が進展すると「自分」が自己の意識の前面に押し出されてきます。そのとき直面する「自分」の姿にどのようなイメージを持つのか……そのとき大きな不満を感じるようだと、「自分探しの旅」が始まるのかもしれません。その結末が「自分探しホイホイ」の中でなければいいのですが。
 本書の記述は、冷静ですがきわめてリアルです。それもそのはず、著者自身が「自分探し」ブームのまっただ中で育った「団塊ジュニア」世代の人間なのです。社会を記述することに関して、私はこういったリアリティを重んじますので、読んでいて楽しめる本でした。



悲しみと涙

2013-02-23 06:50:01 | Weblog

 人は悲しいと泣くものではありますが、悲しい人が全員泣くわけではありませんし、泣いている人間が全員悲しんでいるわけでもありません。

【ただいま読書中】『重力が衰えるとき』ジョージ・アレック・エフィンジャー 著、 浅倉久志 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF836)、1989年、583円(税別)

 近未来、アラブの犯罪都市ブーダイーン。独立独歩の一匹狼、私立探偵もやっているマリードは「3年前に行方不明になった息子の捜索」を依頼しようとしたロシアの富豪を、目の前で射殺されてしまいます。さらに、身元保証をした性転換娼婦が行方をくらましたため莫大な借金を背負い、袋だたきに遭い、手がかりを求めて訪れた家では惨殺された死体に出くわします。
 とりあえず分類するなら、アラブ風ハードボイルド。ただし主人公のマリードは、不信心者で、一日のほとんどの時間はヤク漬けか酒漬けになっていて、頭脳がまともに働いているのは一日の数パーセントの時間だけ。
 頭脳と言えば、ブーダイーンでは、性転換だけではなくて、人間の脳の電脳化もポピュラーな技術となっています。脳にソケットを作って、そこに人格モジュールを差し込むことも可能ですし(たとえば「ジェイムズ・ボンドのモジュール」を差し込んだら007になりきった行動ができるわけ)、アドオンと呼ばれる短期記憶のための知識モジュールを差し込むことも可能です(たとえば「アラビア語のアドオン」を差し込んだらアドオンがそこにある限りはアラビア語がぺらぺらになります)。マリードはヤク漬けではありますが、脳みそはいじらないのが身上でしたが、拠ん所ない事情で手術を受けることになってしまいます。
 すでに『攻殻機動隊』を知っている身としては、「ネット接続は?」と言いたくなりますが、本書が出版された時代はまだインターネットは黎明期、音響カプラーが現役だった時代ですから、そこまでは望んではいけないのでしょう。
 連続殺人が行なわれ、次の標的はマリードです。「自分」でなくなることに強い抵抗を感じますが、使える武器はすべて使わなければなりません。マリードは嫌々ながら、人格モジュールを仕入れます。購入したのは「ネロ・ウルフ」。ここで私は爆笑です。しかもそれを売る老婆が、スカーレット・オハラのモジュールを入れているという…… マリードは事件を追いかけますが、事件もマリードを追いかけます。その基調を決定しているのが、コーランではなくて易の卦だというのもまたこちらを笑わせてくれます。
 事件を半分解決したところで、マリードは「大物」になってしまい、孤独感は強まります。そしてそこからもう一歩進んだところで孤独感は「孤立」に昇格してしまいます。なんとも苦い味の“ハードボイルド”です。最後のオチで笑えるのが救いですが、マリードにアラーの救いを望みたくはなりますな。私は“異教徒”ですが。



虫による病気

2013-02-22 06:46:55 | Weblog

 アメリカでライム病というダニによって人が感染する病気がある、と聞いたのは何年前のことでしたっけ。今年になって日本でニュースになったのが、マダニからSFTSウイルスが感染して重症熱性血小板減少症候群で死亡した人がいる、というものです。ニュースを見て厚生労働省のサイトに行ったら、2月19日の時点で日本では4人の死者、だそうです。
 “直球勝負”の人は、「日本の自然を消毒しよう」と殺虫剤をまき散らしたりしないでしょうね。マダニは死ぬかもしれませんが(死なないかもしれませんが)、他の“被害虫”の損害が甚大すぎます。そうそう、マダニと家の中のダニとを混同して騒ぐ人も出てくるかな? もちろん、家の中にも殺虫剤を無差別にまき散らさない方が良いと、私は思います。

【ただいま読書中】『「腹の虫」の研究』長谷川雅雄、辻本裕成、ペトロ・クネヒト、美濃部重克 著、 名古屋大学出版会、2012年、6600円(税別)

 「疳の虫」は江戸時代の人にとってはけっこうありふれた病気でした。その特徴は、衰弱・異食・失明もあり得る眼病・自傷・高熱時のけいれんやせん妄・下痢や夜尿……一体これは何でしょう? 少なくとも現代の我々の疾病概念では説明は困難です。さらに「小児のぐずり・不機嫌・泣く」といった親にとって都合の悪い現象は(一般日本語で)「虫」と総称されていました。「疳」の概念も広範です。その両者が合わさるのですから「疳の虫」がわけの分からない広範な“概念”になるのもしかたないでしょう。
 「疳の虫」以外でも、「体内の虫」が様々な病気の原因であることは、日本人の常識でした。たとえば「腹の虫」「癪の虫」などが(ちょうど江戸時代の自然の中に妖怪が「現実のもの」として存在しその目撃例も多くあったのと同じように)「現実のもの」として存在していたのです。それどころか、そういった「普通の虫」では説明がつかない「異虫」さえ存在していました(具体的な例として「応声虫」という(江戸時代の人にとってさえも)「奇病」が紹介されています)。18世紀半ばにはオランダから顕微鏡(や虫眼鏡)が輸入されましたが、それを使って「体外に排出された様々な異虫」まで記録に残されているのです。
 「そんなものが見えるはずがない」と主張する方は、同じく顕微鏡で“見えた”「精虫の中のホムンクルス」あるいは望遠鏡で“見えた”「火星の運河」などを思い出してください。「ある」と信じたら見えることがあるのです。
 さらに、小児の「疳」が治癒しないまま成人になると「疳」が「労」に変わると当時は考えられていました。この「労」も江戸時代には広い概念で、その名残が現在は「労咳」に残されています。そして「労」の“原因”は「疳の虫」が「労虫」に変遷することにある、とされました。本書で紹介される“「労」の症例”は、現代だったら「うつ」と言われそうな状態です。
 「なんて前近代的で不合理な」と言いたくなりますが、著者によればこれは「合理精神の発揮」です。「病気の原因は、祟りだ呪いだ怪異現象だ」から「病気の原因は、なんらかの実体を持ったものであり、それを『虫』と呼ぼう」となったわけですから。ここで重要なのは、「実体を持った原因」になら「医学的な処置」が可能になることです。たとえ「虫」が「正解」ではないとしても、大切なのは、この「発想の変化」です。江戸時代にこうして“概念的な準備”ができていたからこそ、「文明開化」がきちんとできたのでしょう。



読んで字の如し〈門ー4〉「聞」

2013-02-21 06:40:49 | Weblog

「聞いて極楽見て地獄」……百聞は一見にしかずの好例
「仲人口は半分に聞け」……結婚して片目を閉じる前の必須作業
「風聞」……風のことばを聞き取る能力
「聞き耳を立てる」……ふだんの耳は昼寝中
「新聞」……古いものを読むための紙媒体
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」……人生は半日分の道程
「聞き捨てならない」……聞き捨てるような失礼なことができない

【ただいま読書中】『ちょっとピンぼけ』ロバート・キャパ 著、 川添浩史・井上清壹 訳、 筑摩書房(世界ノンフィクション全集40収載)、1963年、340円

 不思議なユーモアが湛えられた文章です。これは、著者がユーモラスな性格だったからかもしれませんが、もう失うものが何もなく一種開き直りのような状態で頼るものがユーモアしかない状態だったのかもしれません。なんというのかな、何かに対する執着というものが一切感じられない文章なのです。
 1942年夏のニューヨーク。手持ちの現金は25セント硬貨一枚だけ。司法省移民局からは「前ハンガリー国籍(現在は国籍不明)のロバート・キャパを敵国人認定する」という通知。電話局からは料金未納で電話差し止めの通知。
 それを、どこをどうやったのか、キャパは船に乗り込んで、Uボートがうようよいる大西洋を横断してイギリスを目指します。そして、雑誌の特派員として到着したはずのイギリスでもどこをどうやったのか、キャパはアメリカ軍属のカメラマンになってしまいます。もっとも最初の“仕事”は、軍法会議の被告になることだったのですが。そこから北アフリカ戦線に派遣され、キャパはやっと「戦争の尻尾」に追いつけます。器用なことに、恋も同時進行させているのですが。
 落下傘の訓練も受けていないのに、シシリア攻略作戦にキャパは参加します。空挺部隊と一緒に敵地に落下傘降下を敢行し、最前線を進撃します。連合国軍は勝利を得ます。そしてキャパは、仕事とマラリアを。
 ロンドンに帰ったキャパを待っていたのは、盲腸が破裂して病院に担ぎ込まれた恋人と、キャパを養子にしてくれたヘミングウェイと、Dデイでした。
 そして有名なことば「そのとき、キャパの手はふるえていた」。ノルマンディに上陸する第一波の歩兵部隊に同行したキャパは、唯一の“武器”コンタックスのシャッターを切り続けます。ドイツ軍が撃ってくる銃弾の嵐の中、援護物の陰から撮影をしたら次の援護物へと突進、そこでまた撮影、そして……を繰り返します。進むは地獄、しかし“安全”な海岸に伏せていても、満潮が兵隊たちを後ろから追い立てるのです。
 兵隊たちはキャパを不思議そうに見ます。傷ついた自分たちをどうして平気で撮影できるんだ、と。あるいは、民間人のくせに、どうしてわざわざ最前線に行くのか、と。キャパには明確な回答ができません。まるで自分の死に場所を求めているかのように、戦場から戦場へ、パリ解放・ライン川渡河・ライプチッヒ(アメリカ軍のドイツでの“最後の”戦場)……
 戦争が終わり、キャパの恋も終わりました。でも、彼は生き続けなければならないのです。私には見えない何か重たいものを抱いたままで。



根本的な選挙制度改革

2013-02-20 07:09:11 | Weblog

 「一票の格差」を何とかしなくちゃいけない、はもう何年言われていましたっけ? 私はこの話を20世紀からずっと見ていて一つ教訓を学びました。「政治屋は、自分が損になることは、しない」。
 そうそう、一つ“根本的な解決法”があることはあります。憲法を改正して「国民の一票は選挙区によって不平等である」と規定しちゃうの。これだったら「一票の格差」そのものが消失しますよ。政治家の皆さん、おひとつ、いかが?

【ただいま読書中】『鉄の文化史』田中天 著、 海鳥社、2007年、1700円(税別)

 『日本書紀』神功皇后五年三月には、新羅の地名として「蹈鞴(たたら)津」が登場します。敏達天皇四年六月には「新羅が多多羅以下四邑の調を進めた」ともあります。古代の日本では新羅との関係で「たたら(=鉄)」が重要だったのではないか、と著者は推測をしています。さらにそこから製鉄技術者の集団が(希望してか強制かはわかりませんが)移住もしています。磐井の乱も、朝鮮との交易をめぐる、筑紫と大和の争いで、当然そこには「鉄」の比重は大きいはず、と著者は考えています。そのためか、日本各地に「たたら」という地名が散らばっています。特に密集しているのが中国山地・九州北部・東北地方で、それぞれ「製鉄」と関連しているはず、と著者は考えています。
 それにして、江戸時代のたたら製鉄では、1200貫の鉄生産のために4000貫の木炭が必要で、そのために必要な山林は1町歩(ヘクタール)と言われると、製鉄産業を維持するための大変さが、なんとなくわかる気がします。
 著者は「石の彫刻」にも注目します。石を彫るためには鉄の道具が使われただろう、と。
 土器も著者の目から逃れることはできません。5世紀に登場した。須恵器を焼くのに要求される1200度の高温や酸素を少なくした還元炎など、そのまま製鉄技術に使える技術なのです。
 日本刀、鉄砲(種子島)、近代製鉄(反射炉)……著者は九州を中心に「鉄」を求め続けます。
 本書の主題は「鉄」ですが、もう一つの主題は「九州」です。「九州の鉄」を軸に、著者は「日本の歴史」を読み解こうとしています。九州(出身)者には、ある意味たまらない本かもしれません。
 そうそう、懐かしい円筒状の郵便ポスト、あれが鉄の鋳物だってこと、皆さんご存じでした? 言われてみたら「ああそうか」なんですが。


シャッフル・ブラームス

2013-02-19 07:10:28 | Weblog

 私はiPodに、クラシックもジャズもポップスもフォークもロークも懐メロも、ごちゃっと入れて、移動中にはシャッフルモードで「次は何が出てくるかな」と聞いています。ふだんは機械にお任せシャッフルなのですが、人為的なシャッフルでも遊んでみることにしました。
 今回犠牲者となったのはブラームス。彼の4つの交響曲をばらしてお気に入りの楽章だけを並べて再構成してみよう、というクラシックの神様に対して怖れを知らぬ試みです。できたのはこんなものでした。
「交響曲第1番第1楽章」→「交響曲第3番第3楽章」→「交響曲第4番第1楽章」→「交響曲第1番第4楽章」。
 コアなクラシックファンだったら、指揮者とかオーケストラにもこだわりを見せるのかもしれませんが、私はコアなファンではないからとりあえず手持ちのベルリンフィル(指揮はサイモン・ラトル)の演奏で間に合わせました。……というか、コアなクラシックファンは、そもそもこんな「シャッフル遊び」はしないものでしょうね。
 しかし、通して聞いてみると、「ロマンチック」でお腹いっぱいで胸焼けに苦しみそうになってしまいました。あまり多くの人にお勧めはできない遊びです。

【ただいま読書中】『ガラパゴスの呪い ──入植者たちの歴史と悲劇』オクタビオ・ラトーレ 著、 新木秀和 訳、 図書出版社、1995年、1854円(税別)

 発見された頃、ガラパゴスの“評判”は芳しいものではありませんでした。水も食べ物もなく、南米に帰るためにはフンボルト海流に逆らっての困難な航海が必要なのです(さもなければ、オーストラリアまで行くか)。そのため人は長く立ち寄らず、海賊の根城に使われていました。ここで紹介されるエピソードはまるで『宝島』『ロビンソン・クルーソー』の“実写版”のようです。食糧としてはゾウガメが豊富に棲息していましたが、水は乏しく、一面溶岩のため耕作地は望みにくい環境でした。それでも19世紀にエクアドルが島を領有化し、入植が始まります。しかし最初の入植者は囚人と都会人。入植は失敗し、島では野生化した家畜が繁殖するようになります。しかし入植の試みは繰り返されます。その過程では、ゾウガメ油工場によっていくつもの島でゾウガメが全滅する、といった環境破壊も起きました。そして、圧制と反乱。死刑と殺人と島流し。
 バスク人やノルウェー人がガラパゴスに“領地”を得ようとしたちょっと不思議な試みも紹介されます。私は特にバスクの方に心惹かれます。ドイツ人による、怪談のような犯罪譚(?)や警察官による大量虐殺もあります。次々紹介されるあまり愉快ではないエピソードを読んでいると、ガラパゴスには人間の暗黒面を引き出す作用があるかのように思えてきます。
 新しいところでは、1958年の囚人暴動があります。この暴動(囚人による島の占拠と集団脱出)は成功しますが、それによってガラパゴスを島流しの地とする政策は終わりました。
 ガラパゴスと言ったら、私にとってはダーウィンですが、そこは「生活の場」でもあったんですね。ただ、あまり人を幸福にしてくれる場所ではなさそうな感じですが。まあ、私はあまり近寄らずに遠くからこの島のことを思っていることにします。