「この紋所が目に入らぬか」は「水戸黄門」の決めぜりふですが、あればかり観ていたら「印籠」を「紋を示すためのもの」と勘違いする人が出てくるのではないか、と私は余計な心配をしてしまいます。
【ただいま読書中】『印籠と薬 ──江戸時代の薬と包装』服部昭 著、 諷詠社、2010年、1429円(税別)
江戸時代の文献を幅広く渉猟して「印籠」について著者は調べ上げています。たとえば川柳では「岩波文庫で刊行されている約4万4000首について調べた結果、この中に印籠を句のはじめに詠み込んだものは八句しかなく」とさらっと書いています。もちろん川柳は「文献」の一部でしかないのですが、大変な作業を著者はされています。そして「庶民に愛好された川柳にこれだけ登場しないと言うことは、印籠は庶民には縁遠いものだった」という結論を導き出しています。
和服にポケットはないため、小物を持ち歩くために帯に袋をぶら下げる習慣がありました。印籠も小物入れとして帯にぶら下げられ、やがてその密閉性を生かして薬の携帯容器として使われるようになりました。そして生活が豊かになってくると、アクセサリーとしての機能も果たすようになります。
「印籠」は、室町時代には床の間に置かれている印章(や朱肉)入れでした。室町時代末期から薬入れとしてぶら下げられるようになった「印籠」とは、別のものです。著者は、茶の湯で用いられた棗(茶の保存容器)が後の(薬の容器としての)「印籠」に変わっていったのではないか、と推定しています。茶はもとは「薬」でしたし、その変質や湿気ることを防ぐための棗の機能はそのまま薬の保存にも共通するものですから。
携行される「薬」は、もちろん「薬物」ですが、「身につけているだけで厄払いになる」というお守りの機能も期待されていました。印籠を持たない庶民は、袋に他の日用品と一緒に入れて持ち歩きましたが、すると「包装」が必要になります。そこで重宝されるのが「紙」でした。江戸時代後期には売薬(市販薬や置き薬)が普及しますが、ここでも紙は「包装」「内容表示」「宣伝」「使用法の説明」などの役目を果たしていました。
印籠で重要なのは嵌合性(かんごうせい:本体と蓋が密着してきっちり閉まること)です。私が驚いたのは、江戸時代後期に既にガラス瓶を印籠に入れている人がいたことです。もちろんそのガラス瓶の中には薬が入っていますが、ガラス瓶の栓は共栓(栓もガラス製で本体との接触部が摺り合わせとなっている構造)です。
「薬」というとついつい「効果」「成分」などのことを思いますが、包装や携帯も重要なことを本書で改めて認識できました。
ところで「この紋所が目に入らぬか」の印籠、中には何が入っていたんでしょうねえ。というか、ふだんからそんなものを腰にぶら下げていたら、道中目立って仕方なかったんじゃないかなあ。