【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

駐車場

2012-05-31 18:43:11 | Weblog

 「月極」という表記にはやっと慣れましたが(慣れただけで、やはり好きではありませんが)、この前そういった「月極駐車場」に「駐車場募集中」という看板が出ていました。一瞬「?」と思いましたが、つまりは「駐車場に空きが出たから、契約車を募集中です」の省略形ですよね。でもそれだったら「契約車募集中」じゃないかしら?
 まさかとは思いますが、「駐車場が駐車場を募集」している、つまりどこかの駐車場と合弁事業を展開したい、なんてことかな?

【ただいま読書中】『とろける鉄工所(8)』野村宗弘 作、講談社(イブニングKC)、2012年、590円(税別)

 久しぶりに図書館でとろける鉄工所に出会えました。おやおや、北さんのところでは無事出産が終わっています。しかし奥さん、すんごい寝相です。赤ちゃんがよく潰されないもの、と感心しますが、やはり回りは心配をしていろいろ解決策を考えます。いかにも鉄工所、というアイデアもありますが、一番良さそうなのは木工所的アイデア、というのが笑えます。
 おやおや、工業高校の面々は修学旅行にお出かけです。奈良の大仏を見て「鋳物だ!」と感動したり、それに金メッキをどうやったのか、とか、それでなんで4年もかかったのか、とか、目の付け所がやはりプロの卵です。
 素直にぼんやりと笑えました。さて、気分はリフレッシュされたから、溶接、もとい、お仕事に戻らなきゃ。



○衆

2012-05-30 18:44:33 | Weblog

 公衆浴場、公衆電話、公衆衛生、公衆トイレ、公衆道徳
 大衆酒場、大衆演劇、大衆文学、大衆路線、大衆紙

 こうしてみると「公衆」には倫理・道徳・規範・礼儀といったものが絡むようですね。「大衆」の側にはそういったものの影は薄いようです。ところで、マスコミの「マス」は、公衆に近いのでしょうか。それとも大衆?

【ただいま読書中】『リハビリの夜』熊谷晋一郎 著、 医学書院、2009年、2000円(税別)

 小児科医の著者は、脳性まひの障害者でもあります。言葉に不自由はありませんが、全身(特に首から下)の筋肉が緊張しっぱなしです。子供の時から「リハビリ」によって、その筋肉をほぐし「健常者の運動」を獲得しようとずっと努力をしていましたが、結局それは上手くいきませんでした。人間は何か動作をするとき「内的モデル(このような動作をするためにはどの筋肉をどのように動かせばよいかの予想ととそれで生じるフィードバックの予想)」と「実際に動かしたときのフィードバック」によって動いています。ところが著者が獲得するように期待されたのは「健常者の内的モデル」でした。脳性まひの人にそれは酷な要求です。だって「その人の内側」にそんなモデルは存在しないのですから。「その人の肉体」は「脳性まひの肉体」なのですから。
 著者は自らの豊富な経験から、トレーナーとトレーニーの関係を3種に分類します。
1)ほどきつつ拾いあう関係
2)まなざし/まなざされる関係
3)加害/被害関係

 それぞれは「別々の存在」ではありません。すべて密接に関係していて、さらに、トレーナーとトレーニーの相互作用によっても変容します。人と人との関係によって、「自分自身」が反応・変容するさまを、著者は精緻に観察しています。本書を読むと、現実がいかに“リアル”なものかがわかり、同時に私がいかに「現実」と“離れて”暮らしているかがよくわかります。
 さらに著者と“関係”をもつのは「物」です。大学に入って一人暮らしを始めたとき、著者は「トイレとつながり、シャワールームとつながり、ベッドとつながり、玄関とつながり」ます。その「つながり」を著者は「身体外協応構造」と呼びます。
 さらに「敗北の官能」。本来は“秘め事”のはずの物事に読者は直面を強制されます。いやあ、もじもじしちゃいますよ。ただ、セックスに関連する部分を読んでいて、私はちょっと別のことを考えていました。もしも「健常者の行動モデル」が(障害者を含む)すべての者が守るべき行動の「規範」だとしたら、「性行動」の「規範」もあるのだろうか、と。もしもあるのだったら、我々は“それ”を学び、“それ”を実践しなければならないのではないかな。さて、「正しい性行動」って、どんなの?
 非常にきわどく、儚く、もろく、そして力を秘めた文体です。障害者が存在することは知っているが、どうつきあったらいいかわからない人には本書は必読の書かもしれません。ただご用心。著者は言います。「偽善というものは、脂ぎってぎらぎらしているからすぐにわかる」。



原爆テロ

2012-05-29 18:44:29 | Weblog

 もしも私がアメリカに対するテロを考えているテロリストで、もしも原爆を一発持っていたら……まず金持ちになることから始めます。ニューヨーク中心部の超高層ビルを買収するか自分で建築。そしてその最上階に手持ちの原爆を設置します(地上よりは空中の方が衝撃波が広く拡がりますから)。そして政府に脅しをかけるのですが、キモは「核爆発をさせない」こと。爆発させたらそれで話が終わりますから、いかに爆発させずに要求を、それもなるべく早期に通すか、に努力をするわけです。
 あ、爆発させないのだったら別に本物の原爆である必要はありませんね。皆が「これは本物だ」と信じるものだったらよいわけ。
 ここまで考えてきて、きっと誰かがもう小説に書いているだろうな、と思いました。まる。

【ただいま読書中】『スターリンと原爆(下)』デーヴィド・ホロウェイ 著、 川上洸・松本幸重 訳、 大月書店、1997年、3500円(税別)

 1946年、のちに「第11設計局(KB11)」として知られる新組織が、モスクワから400kmのサローフという小さな町で立ち上げられます。全ソ連から才能が結集されて新兵器の開発に当たりました。1948年ルィーセンコが“復権”。イデオロギーに従順でない者と「外国文化崇拝者(反ソヴィエト愛国主義者)」への弾圧が強化されます。科学者たちはそういった政治的なしめつけの中で仕事をしますが、彼らが自分の行為を正当化したのには、ナチスとの戦争体験がありました。それと、アメリカの脅威。
 イデオロギーはソ連で多くの学問分野を破壊しました。しかし、スターリンとべーリヤは「核」の成功を望んでいたため、ユダヤ人だろうと政治信条が少々怪しかろうと、実績さえ上げれば大目にみました。さらに彼らが製造していたプルトニウム爆弾の“モデル”はアメリカのもので、物理学コミュニティーは常に自分たちが国際コミュニティーの一部であることを意識し、文化的には西側と結合していました。「核抑止力」が、対決と同時に西側との架け橋になっていたのです。
 1949年8月29日ソ連最初の原爆実験が行なわれます。爆発直後に爆心地に向かわせる戦車2台の乗員の安全のために科学者が砲塔を取り払って鉛の遮蔽を取り付けようとしたら、軍人が「それでは戦車のシルエットが台なしになる」と抗議するという一幕もあります。ともかく実験は成功。失敗したら銃殺刑を覚悟していた人たちは、勲章と多額の賞金や賞品(自動車や別荘など)をもらいます。これは“正当な報酬”ではありましたが、良からぬ連中が報奨目当てにこの分野に群がるようになりました。
 スターリンは対米全面戦争を考えていたわけではありませんでした。国内と東側諸国の締めつけの方が優先事項でした。それでも「準備」はしておかなければなりません。戦争中に入手したB29をコピーし(その結果がTu4)、さらにジェット戦闘機や対空ミサイルの開発を急がせます。しかしアメリカとの差は歴然。そこで「秘密主義」をも“武器”とします。プラフでも良いからアメリカを疑心暗鬼にして「ソ連にちょっかいを出したら恐いぞ」と思わせたらよし。もっとも「ソ連の脅威」がアメリカを先制攻撃に向かわせるのも困ります。「冷戦」は、実に微妙なバランスで始まりました。
 朝鮮戦争もきわどい話です。中ソ同盟は北朝鮮を支援し「内戦」だからアメリカの干渉はない、と期待しました。1950年にアメリカは原爆を300発以上保有していましたが、あえて使用することもないだろう、と。
 原爆実験の前から、すでに水爆の研究も行なわれていました。そこで重要人物としてサーハロフが登場します。彼は、強力な武器をスターリンとべーリヤのような人間に渡すことにためらいは感じますが、水爆という「解くべき難問(自分に何ができるかの証明)」に挑戦する誘惑には勝てませんでした。ソ連の原爆はアメリカのコピーでしたが、水爆はソ連オリジナルの設計となります。お互いに相手が水爆をもつのではないかという疑念から自分たちの研究をスピードアップさせます。世界平和の観点からは困った悪循環です。そして、米ソは相次いで水爆実験に成功します。
 そして次は「奇襲への警戒」です。米ソとも「自分は正々堂々としているから先制攻撃はしないが、卑劣な敵は奇襲をかけてくるかもしれない。そのとき原水爆が大量に使われたら、こちらは反撃できなくなる」と考えます。それに対する効果的な予防策は「先制攻撃」です。あれ? 先制攻撃はしないのではなかった? しかし「大量の核兵器を双方が使用したら、全人類はどうなる?」という指摘も登場。先制攻撃への誘惑を牽制します。中国は中国で、アメリカに核攻撃される恐れをもっており、ソ連が「核の傘」でどこまで守ってくれるのかの不信感ももっていました。その結果は「自前の核保有」です。これで話がややこしくなります。
 さて、もう一つ別の「テーマ」も本書には登場します。「核の平和利用」です。そういえば私の子供時代には、核爆発で大規模土木工事を行なってシベリアの北極圏を開発、なんて計画を聞いたことがありましたっけ。
 ソ連での原子力発電は、はじめは「プルトニウム生産の副産物」でした。熱が大量に発生するから、それを生かして何かしよう、と発想の始まりです。さらに、東西の科学者が集まって平和利用の会議を行なうことで、科学者には「政治家にはできない、軍縮への動きを作ろう」という自覚が生まれ、それがのちのバグウォッシュ運動へとつながります。「平和利用」が「平和運動」をもたらそうとしたのです。
 党独裁国家において「何が正しいか」を決めるのは党です。そして「党の決定に従わない不良分子」は、排斥(弾圧、収容所送り)されます。しかし「原爆」という「実績」によって、多くの「不良分子」が栄誉と同時に「保護」を得ました。彼らはソ連社会の中ではもっとも「市民」に近い存在であり、原爆は「市民社会の小さな要素」を保護していたのです。なんとも皮肉というか、不思議なことが起きたものだと私は感慨を覚えます。


簡易包装

2012-05-28 19:03:14 | Weblog

 デパートなどでの「過剰包装」(個別包装があって、それを箱に入れて、それを包み紙で包んでそれをさらに紙袋に入れる)が昔は新聞などでよく批判されていました。だから「簡易包装」推進運動も行なわれていましたが、「デパートの包装紙」「デパートの紙袋」に“意味”があるんだ、という反論もありましたっけ。
 ところで人間もいろいろ“包装”をしますね。お化粧とかファッションとか言いますが。あれも「簡易包装」をもっと推進するべきでしょうか?

【ただいま読書中】『田中慎弥の掌劇場』田中慎弥 著、 毎日新聞社、2012年、1200円(税別)

 3~4ページのショートショートが37編集められた本です。タイトルから「もしかしたら川端康成(掌の小説)を連想させたいのかな」なんて思いましたが、著者が川端康成を志向するわけはない、と考え直します。次に「ショートショートと言えば星新一だよなあ」と。つぎに「衝撃場」のもじりなのかもしれない、なんてことも思いつきます。
 でも、読む前からごちゃごちゃ考えても仕方ありません。とりあえず数編読んでみましょう。
 ……
 ふうむ、やはり川端康成でも星新一でもありませんでした。複数の作品を無理に十把一絡げにする必要はありませんが、共通して私が感じるのは「胸の中のざわざわ」です。「本当は残酷なグリム童話」と言うか「お子様向けになる前の原始状態のおとぎ話」とでも言うか……計算されたものかそれとも素なのかは私にはわかりませんが、荒々しさを秘めた言葉の力で、私の心に「ざわざわ」が起きるのです。たとえば『うどんにしよう』。家族が皆出かけた日曜日。テレビで大リーグを見、昼飯に冷凍のうどんでも、という男の「日常」をやや感情過多気味に描いただけの作品ですが、たった一つの単語によって「日常」がぎしりと裂け「ざわざわ」が私の全身を駆けめぐります。『宇宙の起源』では、眠っていた太陽が縄をかけて引きずり上げられてしまいます。神話の世界ですか? そしてその太陽が照らすのは「浜辺に打ち上げられた巨人」ではなくて「海峡にはまりこんだ巨大な鯨」。いやもう、強引というか破天荒というか、でも面白い。
 いかにも純文学というか私小説風の作品もありますが、それも私が読むと「ジュンブンガクのパロディ」に思えてしまいます。もっと素直に読んだ方が良いのかもしれませんけれどね、著者自身、『感謝』でセルフパロディを楽しんでいますから、きっと「それでいいのだ」ではないかな。



理不尽な乗物

2012-05-27 18:26:13 | Weblog

 気球が浮かぶのはわかります。だけど、空気より重い飛行機がどうして空を飛べるのでしょう。
 木が水に浮かぶのだから木造船が浮くのはわかります。だけど、鉄でできた船がどうして水に浮かぶのでしょう。
 三輪車や四輪車が走れるのはわかります。だけど、二輪車はどうして安定して走れるのでしょう。まして、一輪車は、私にはまったく理解できません。乗っている人がいるから、その存在は(しぶしぶ)認めますが、やはり、納得できませ~ん。

【ただいま読書中】『一輪車 はじめてのれた!』(社)日本一輪車協会 編、三木たかし・秋山健司 著、 川上政男 画、国土社、2000年、2500円(税別)

 竹馬だと動きが誇張されてわかりやすくなりますが、「人が歩く」動きは「一本の足に体重をかけて倒れかけて、その倒れる方向に別の足を出してまた倒れかける」の連続です。一輪車も同様で、常に倒れようとするその方向に走ることでバランスを保っています。
 一輪車には「前後の区別」があります。サドルの幅が前の方が後ろより少し狭く、サドルの高さや向きを調整するクイックレバーはシートピラーの後ろ側についています。また、ペダルのねじが右側は右ねじ・左側は左ねじになっていて、ふつうにこぐと外れないようになっています。
 本書では最初に「降りる練習」から始めます。乗れないのにどうやって降りるのかと言えば、「のりこえ」です。車輪をはどめで動かないようにしておいて、地面に立った状態でサドルを股ではさんで片足をペダルにのせてぐっと踏ん張って一輪車の上を通って前に降りる、という動作です。
 つぎは「たちどまり」。まだ走りません。左右のペダルを同じ高さにして、その上にまっすぐ立つ練習です。その時片手で手すりなどをつかんで体を支えますが、慣れると指一本で支えることができるようになるそうです。
 やっと動けます。まずは介助者についてもらって手を引いてもらいます。これも慣れると手を握らなくても手が触れ合う程度で支えることができるようになるそうです。
 次は「一歩ずつ」。一輪車の「一歩」は、車輪が半分回ることだそうです。なるほど、歩くのと同じ数え方ですね。そして降りる練習。体を下に降ろそうとすると一輪車は反動で逃げますからほとんど真下に降りるような感覚で地面に立てるそうです。そしてついに手放しで。
 本書を読んでいると、なんだか私でも一輪車に乗れそうな気持ちになってきました。
 いやいや、あんな不安定な「乗物」の存在なんか、やっぱり私は認めないぞっと。



ラテ

2012-05-26 18:59:51 | Weblog

 私はこれまでにカフェという存在にあまり縁がなかったのですが、この前アイスカフェラテを注文して、どう飲もうかと迷いました。上にフォームミルクがトッピングされていたのですが、これを最初からがしゃがしゃ混ぜるのはお行儀が悪く感じるし、でも混ぜずに素直にストローで吸うと、フォームミルクだけが氷の上に残ってしまう。
 こんなことで迷うのは、田舎者の証拠ですね。正真正銘の田舎者だから、別に良いんですけど。

【ただいま読書中】『スターリンと原爆(上)』デーヴィド・ホロウェイ 著、 川上洸・松本幸重 訳、 大月書店、1997年、3500円(税別)

 本書で取り上げられるのは「ソ連の核開発」ですが、3つのテーマ(核開発/科学と政治/国際関係)が結合しています。それは、資料が少ないため多角的な(一つの資料を別の視点からも眺める)使い方が有用であることと、この3つのテーマは密接に関係していること、によります。
 まず登場するのは、アブラーム・ヨーッフェというユダヤ人科学者です。彼はツァーリの専制には反対していましたが、ポルシェビキには警戒心を抱いていました。それでも革命が勃発するとそれに参加し、1921年に国立物理工学X線研究所の立ち上げを指導します。ヨーッフェは人材育成に力を入れました(1916年彼の研究室で開かれていたセミナーでは、11名の参加者中2人のノーベル賞受賞者が出ています)。資本主義国家に追いつけ追い越せ、のソ連では科学はそのための重要な手段でした。ただ、私に言わせればそれは本来は「技術」の仕事です。その区別がきちんと国家としてされなかったことが「科学者」の悲劇を多くもたらしたのではないか、というのが私の推測です(今の日本でも科学と技術の区別がきちんとできない人は多いのですけどね)。さらにイデオロギーの影響もありますが、生物学でルィーセンコが行なったような破壊的な影響は物理学にはありませんでした。
 資本主義国家でどんどん進歩する核研究に、ソ連の科学者も追随しあわよくば凌駕しようとします。しかし最初のサイクロトンがきちんと稼動するようになったのは1940年末のことでした。そこで重要な働きを果たしたのはラジウム研究所です。ウクライナ物理工学研究所(UFTI)も高度な研究をしていましたが、内紛が起き、さらに大粛清で主だった所員はほとんど逮捕・粛清されてしまいました。スターリンは自分の国を弱くすることに、ずいぶん熱心だったようです。さらに党の委員会は「核物理など無用の研究」と主張し、科学者たちはそういった“批判”に対して身を守る必要がありました。
 1934年エンリコ・フェルミたちはウランなどに中性子をぶつける研究を開始。その結果は超ウラン元素の生成、と考えました。しかし1938年にハーンとシュトラスマンは“それ”は「核分裂」であると主張します。39年には核分裂に関する論文は100編以上発表されました。ボーアは分裂するのはウラン235であると仮説を立てます。ウラン235は天然ウラン中に0.7%しか存在しないため、それを濃縮するためには国家的な努力が必要だと予想されました。そして、戦争が。
 核分裂のエネルギーを利用することは、多くの科学者たちにとっては遠い将来の夢でした。そのための基礎研究をこつこつとやっていこう、と。そもそもウランを大量に入手することさえ困難なのですから。それでも「核爆弾」の可能性を考える人は各国にいました。その結果は「論文発表の自主規制」でした。ただし、ソ連には「論文発表の自由」がありました。「ナチス(の原爆開発)の脅威」は非現実的、と考えられていたのです。
 ソ連には(というか、全世界に)濃縮ウランも重水もほとんどありませんでした。よほど大金と人材と資材を投入しなければ、核分裂を原理から現実にすることは不可能です。しかしソ連内部では、各研究所の間には競争や足の引っ張り合いが。
 ドイツは大陸の支配権を握り、赤軍はフィンランド軍を相手に苦戦します。そして、核分裂に関する論文はどんどん発表されなくなっていきました。ソ連科学者たちも、世界で実際に何が起きているのか、うすうす感じます。アメリカでは確実に、ドイツでもほぼ確実に核爆弾開発研究が行なわれているだろう、と。そして独ソ戦の開始。科学者たちは完全に戦時研究体制に入ります。
 イギリスは戦争の帰趨に深刻な危機感を抱きます。「モード委員会」は1941年7月に「ウラン爆弾の製造は可能」という秘密報告を提出しますが、それは米国のマンハッタン計画の後押しをしただけではなくて、ソ連の研究にも大きな影響を与えました。さらに在英のエージェントからドイツの核計画の情報も入ってきます。スターリンは原爆開発計画に同意します。いつ形になるかは不明ですが、何もしないでいることの方が悪い結果をもたらすだろう、と。なかなか材料が揃わないためか、ソ連政府は1943年1月にアメリカ政府に「金属ウラン(10kg)と酸化ウラン・硝酸ウラン(それぞれ100kg)の提供」を要請し、承認されました(金属ウランは結局提供されませんでしたが)。11月には重水1000グラムも提供されています。
 ソ連の科学者だけではなくて政治家たちにとっても「原爆」は「遠い世界(または未来)の話」でした。ヒロシマが彼らに強い衝撃を与えます。原爆は、軍事だけではなくて外交でも「武器」になったのです。それまでの半ば無関心から、スターリンは原爆製造を最重要課題と位置づけ、腹心のべーリヤに開発計画を担当させます。それは担当者には、嬉しいことではあると同時に、恐怖でもありました。スターリンもべーリヤも人を殺すことに関しては“効率的”でしたから。新しい技術開発は“すべて”国防のための軍事計画に注ぎ込まれます。特に、原爆・レーダー・ロケット・ジェット推進が重視されました。活用されたのは、ドイツからの戦利品とアメリカからの(スパイによってもたらされる)情報。ソ連生まれの独自技術は、それが西欧で高い評価を得たら導入されました。
 1946年にアメリカが保有する原爆は9発だけで、しかもそれを使う気はありませんでした。それでも「原爆」は「象徴」として機能し、各国はその“周囲”で踊ることになります。


一番エライ人

2012-05-25 19:12:57 | Weblog

 「天皇を元首」と明記した憲法改正草案が各政党から次々発表されているそうです。この動きを見ていると「誰が一番エライか、決定できる自分が実は一番エライのだ」と、政治家が胸を張って主張しているように私には見えます。かつての公家たちが、「天皇の権威」を上手く利用して自分の権勢を誇っていたのと、どこが違うんだろう?

【ただいま読書中】『保元の乱・平治の乱』河内祥輔 著、 吉川弘文館、2002年、2500円(税別)

 保元の乱と平治の乱についての世間の評価には「保元物語」「平治物語」という“フィクション”の影響が大きすぎる、と著者は述べます。そこで著者は「愚管抄」を“ガイド”とします。この本の著者慈円は、関白忠通の子で保元の乱の前年に生まれました。実兄は九条兼実。その見聞は非常に質の高い“史料”として扱えるはず、が著者の主張です。それに少数の信頼性の高い史料を組み合わせて、「解釈」ではなくてまず「何があったか(事実)」を明らかにしていきたい、というのが著者の立場です。
 白河院によって引退させられていた藤原忠実は鳥羽法皇によって政界復帰し、その長男の関白忠通とその異母弟の内大臣頼長を擁して摂関家は安泰そのものに見えました。忠通は男子に恵まれず、自然にその後継者は23歳年下の頼長、と見なされていました(頼長の長男が摂関家の後継者として育てられていました)。しかし、1143年忠通に男子誕生。ここから摂関家に亀裂・対立が始まります。
 皇位継承問題もその少し前からくすぶっていました。1139年に近衛天皇が誕生、1141年に即位。鳥羽法皇と崇徳上皇の対立が始まります。忠通は近衛の「養祖」として君臨し、忠実が氏長者に頼長を指名しても動じません。かくして、皇位継承問題と摂関家の内訌とは連動することになってしまいました。法皇は、近衛天皇を「直系」に位置づけようとします。しかし近衛に子はありません。そこで守仁を皇太子としその父の雅仁(法皇の四男)をつなぎの天皇(後白河)にします(「つなぎ」であることを明確にするために、雅仁は皇太子にはなれませんでした。心境はいかばかりかと思います)。このへんのややこしさ(意図とそれを実現するための手技の不必要なまでの複雑さ)には、正直言ってついていけません。
 忠通は後白河と結び、それを軸に「対立構造」が深化します。鳥羽法皇は争いを好まなかったらしく、何かあると微温的な決定でことを収める傾向が強かったのですが、結局それは問題を先送りして“利息”をつけただけだったようです。法皇の死後、一挙に事態は動きます。後白河方は崇徳と頼長が反乱を共謀しているとして“自衛”のために兵を集めます。ただ、ここで崇徳天皇が動くべき“切迫した理由”はありません(後継問題での不満はあるでしょうが)。だとすると“真の理由”は、摂関家の主導権争いでしょう。だとしたら、表の記録から忠通の“姿”が消えているわけもわかります。父(と弟)との抗争を隠蔽するためには、「謀反」として後白河を表に出すしかないのですから。
 崇徳上皇も不可解な動きをします。法皇の初七日が明ける日、突然守備には不利な白河殿に移動しそこで兵を集め始めたのです。急な話ですから、大した戦力は集まりません。場所にしてもタイミングにしても、利口な選択ではありませんでした。著者は、崇徳は「まだ軍事ではなくて政治の段階」と判断していたのではないか、と推測をしています。
 対して後白河方は、軍勢が集まると軍議で「即座の開戦」を決定します。ところが忠通は逡巡し、攻撃命令を発するまでに5時間が経過しました。
 攻撃部隊は二派に分かれ、第一派は清盛(300騎)義朝(200騎)義康(100騎)で構成されていました。少ないような気がしますが、騎兵一人に歩兵や従者や小者が複数つくはずですから、実数はこの数倍だったと私は想像しています。兵力に圧倒的な差があり、戦いは短時間で終わります。しかし、後白河方が求めたのは「軍事的勝利(皆殺し)」ではありませんでした。包囲はせず東側は空けておいてそちらに追い出してよしとしたのです。だから主要人物は誰も死にませんでした(例外は頼長で、流れ矢で負傷し、それがもとで3日後に死亡しています)。崇徳は讃岐に流され、忠実は幽閉。しかし摂関家の財産は保全され、そのまま忠通に渡されました。
 崇徳方についた武士には厳罰が下されました。清盛や義朝は同族を自らの手で死刑にしています。しかし「皇位継承」を武士が左右できたという事実は、武士の意識に大きな変化をもたらしたはずです。
 さて、保元の乱によって、後白河は安定政権を手に入れたはずでした。ところが時代は動乱し続けます。それはなぜか。著者は、後白河個人の人格や個性だけではなくて、たとえば「摂関家の権威の低下」をあげます。諸貴族を束ねるべき摂関家の地位が低下し、そのために天皇の政局運営が難しくなった、と。側近では、信西と藤原信頼の対立が激化します。鳥羽法皇が決めた「後白河 → 二条」の譲位路線への抵抗も、後白河方では感じていたはずです(著者はそれは平治の乱の“結果”だと言いますが)。また、世評では「清盛vs義朝」の敵対関係も平治の乱の“原因”とされていますが、著者はそれにも異議を唱えています。
 平治の乱の直前、後白河は中立を決め込みました(信頼が籠る大内裏にも、二条と清盛の六波羅にも行かず、仁和寺に向かいます)。結局、信頼と源氏方が処罰されることになり、貴族の大勢は二条支持となり、後白河の世は終わったかに見えました。しかしそこから後白河の“反撃”が始まります。二条と公家たちが“一枚岩”ではないのを利用して、天秤の傾きを自分の方に取り戻そう、と。しかし傾きは完全に後白河の方には向いてくれませんでした。そこから、清盛と後白河との“長き因縁”が始まるのです。
 二条は後白河の側近を次々処罰し、「親政」を実現しようとしますが、夭折。後白河「院政」が成立します。しかしそれも10年間。1179年に平家によるクーデターが起きます。
 『平家物語』とはずいぶん違う世界が見える本でした。NHKの大河ドラマ「平清盛」も権力闘争の禍々しさが結構描かれていますが、あれはまだテレビ用にきわめて単純化されたもの、と本書を読みながら思いました。権力って、そこまで人を魅了し狂わせるものなんですねえ。権力とは無縁の一庶民には、よくわからない世界ではありますが。


愛情不足

2012-05-24 19:48:11 | Weblog

 大阪維新の会の「発達障害は親の愛情不足が原因」という条例を見て思ったことがあります。何でもかんでも「親の愛情不足」で片付けようとする人は、その人自身が「親の愛情不足」を感じているのではないか、と。強く実感しているからこそ、世界を“その色眼鏡”で見る傾向があるのではないかな。ただし、その人が子供の時に親の愛情不足にさらされたのか、あるいはその人が親として愛情不足で生活しているのか、まではわかりませんが。

【ただいま読書中】『〈通訳〉たちの幕末維新』木村直樹 著、 吉川弘文館、2012年、2800円(税別)

 ポルトガル人が追放されて鎖国が始まりました。オランダ人と交渉するために「オランダ通詞」が存在しましたが、では彼らは何語を使ったのか?と著者は問いを立てます。もちろんオランダ語、と言いたいところですが、実際には「オランダ語を使うオランダ通詞」は初めは少数派で、ポルトガル語(東南アジアでの“共通語”)を用いるオランダ通詞の方が多かったはず、だそうです。
 17世紀末に「オランダ通詞」の実力はどん底となります。そこにやってきたのがケンペル(ドイツ人)。彼は自分の小間使いとして働く「内通詞」の一人を教育し「オランダ語が(ある程度)使えるオランダ通詞」として育てました。以後少しずつオランダ通詞の実力は向上し始めます。
 長崎通詞の業務は色々です。オランダ人入出港や貿易に伴う文書処理・出島(オランダ人の生活)の管理・オランダ商館長江戸参府に同道など、通訳だけすればよいというものではありませんでした。また、大商人が集結する長崎は、九州諸藩が金策に集まる場所でもありました。通詞は、国際的な情報という強みを持っていますから、当然その中で重要な役割を果たしていたはずです。ただし身分は長崎現地採用の「地役人」。二本差しは許されず、もちろん幕臣でもない軽輩でした。
 通詞の日常生活に関しては、あまり詳しい記録が残されていません。司馬江漢が長崎で通詞の吉雄耕作宅に宿泊していますが、部屋には椅子や舶来品が並べられ、朝食には小鳥を焼いてバターをつけたものや山羊の醤油焼きがでて「皆何にもかもおらんた風なり」と感心しています。
 寛政の改革で松平定信は通詞たちの統制を強化します。しかし、やがて定信は退陣、同時期にロシア人が根室に来航したりして、通詞たちの活躍が求められるようになりました。文化五年(1808)2月、幕府はオランダ通詞にフランス語(当時の国際語)習得を命じます。同年8月フェートン号事件が勃発。11月に幕府は、唐通事に満州語、オランダ通詞にロシア語と英語を学ぶよう命令します。通詞は他言語への対応を(それもマルチに)求められるようになったのです。通詞たちはオランダ商館長から英語を学びますが、やがてこの“英語熱”は下火になっていきます。ネイティブスピーカーがいないし、実際に使う機会がなければ学ぶ意欲も薄れますよね。
 通詞の活動の場も、長崎だけではありませんでした。江戸の天文方(地図作成や暦の改変など、西洋技術の拠点)に詰めることも任務でしたし、ロシアとの紛争解決交渉のために蝦夷地に派遣される通詞もいました。弘化四年(1847)からは外国船来航に備えて江戸に来ている通詞が浦賀に長期派遣される制度も始まりました。ただ、ここで、通詞と浦賀奉行と勘定奉行の間ですれ違いというか摩擦というか、いかにも官僚主義的な妙なやりとりがあるのが笑えます。
 シーボルト事件では多くの人が処罰されましたが、その中に多数の通詞も混じっていました。そのせいか「学問ではなくて、通詞としての職責に専念」という萎縮のムードが生じます。しかし、蘭学はブームとなり、外国からの日本への圧力も高まります。嘉永四年(1851)に長崎では英和辞典の編纂も始まっていました。そしてついにペリー艦隊が浦賀沖に。真っ先に艦隊に近づいた番船には浦賀詰めの通詞堀達之助が乗っていて、“英語”で「私はオランダ語を話すことができる(I can speak Dutch.)」と言ったのでした。
 ただし、英語ができる(単語レベルででも英語がわかる)通詞は少数でした。それが難しい外交交渉をさらに難しくします。そこで、唐通詞(アヘン戦争などのからみで、欧米列強は中国人通訳をよく同行させていました)や帰国した漂流民(ジョン万次郎がその代表)なども“活用”されるようになります。
 仕事も増えました。オランダ政府は幕府との取り決めで「海軍伝習」を始めましたが、授業は当然オランダ語。したがってオランダ通詞の出番がまた増えました。通詞の絶対数が足りないのですから当然増員や新規採用が考えられます。身分社会に守られていた通詞の世界にも“外”から風が吹き込んでくるようになりました。日本だけではなくて通詞の世界にも“開国”があったようです。そして、海外への使節団に通詞たちが同行します。しかし、慶応年間くらいから「通訳」と「翻訳」の分業が始まります。「学問」の世界から参入した人たちは「翻訳」の方に興味を持っていました。
 明治政府になっても、各地で活躍する通詞たちは“お役ご免”にはなりませんでした。ただし、一人一人の足跡を見ると、外交に関わった者は少なく、新しい制度や技術の導入の方に熱心な人が多い印象です。「地役人」として「現場」に密着した仕事が好きな人が多かったのかもしれません。
 「維新」というと有名人のことばかりが取り上げられがちですが、地味だが重要な仕事をした人々がいたことは、忘れない方が良いですよね。


文明

2012-05-23 19:13:29 | Weblog

 原始社会は基本的に自給自足で成立します。働く人間が苦労して作った余剰生産物を、働かない人間がいかに上手く収奪して自分のものにするかのシステムが機能したら、それは「文明」と呼ばれることになります。

【ただいま読書中】『日本でいちばん大切にしたい会社』坂本光司 著、 あさ出版、2008年、1400円(税別)

 著者はこれまでに6000以上の企業を調査してきたそうですが、中小企業に共通の「5つの言い訳」があるそうです。「景気や政策が悪い」「業種・業態が悪い」「規模が小さい」「ロケーションが悪い」「大企業・大型店が悪い」。つまり「自分は悪くない。悪いのは、そして変わるべきは“外部”」。そしてそういった言い訳をする経営者に共通なのは、社員やその家族・下請け企業・顧客の幸福に対する思いが弱いこと。
 著者は、企業が果たすべき責任と使命は「五人」に対するもの、と考えています。その優先順位は1)社員とその家族 
2)下請け企業の社員 
3)顧客 
4)地域社会 
5)株主
 「顧客」が一位でないことが目を引きますが、著者に言わせると「不幸な社員は顧客を幸福にできない」「無から有を生む(顧客を創造する)ことができるのは、社員」だから社員の方が上位だそうです。そして、下請けの社員は、社外社員だから社内社員に準じる位置、と。たしかに、社員を幸福にできない会社が「我が社は地域に貢献する」と言っても信用できませんね。
 著者は、「マーケットは創るもの」と言います。そして「ナンバーワン」ではなくて「オンリーワン」になれ、と。本書で紹介されるのは、各分野での「オンリーワン」を目指した企業です。チョークの日本理化学工業株式会社。寒天の伊那食品工業。義肢装具の中村ブレイス。お菓子の柳月。果物の杉山フルーツ。いずれも増収増益を連続させている(そして「5つの言い訳」をしない)「驚異の中小企業」です。
 ただ、本来はビジネス書に分類されるべきであろう本書に満ちているのは「情」です。読んでいて思わず涙が浮かぶような「人情の物語」がたっぷり。障害者や弱者へのいたわりの視線が、どうやって“商売繁盛”に結びついたか、と言ったら、お涙頂戴の物語かあるいは下衆な「偽善の物語」になってしまいそうですが、本書はそういったところからはちょっと外れています。「何を大切にするか」の商売の基本を徹底したら、その結果が今の日本の“スタンダード”とはちょっと外れてしまった、という実例をいくつも紹介しているだけ。ということは経済活動における「日本のスタンダード」は、どこかで道を間違えてしまっている、ということなのでしょうか。グローバルスタンダードとしては“正しい”態度なのかもしれませんが、できたら私は本書にある「大切にしたい会社」の顧客になりたいな。その方が満足度が高く維持できそうですから。


山のような食パン

2012-05-22 19:15:00 | Weblog

 行きつけのパン屋の前で、ステーションワゴンにせっせとパンを運び込んでいる人がいました。食パンが何本も入るプラスチックの平たい箱がありますね。それを何箱も何箱も荷物室に積み込んでいるのです。一体何十本食パンを買うんだ?と私はおもわず見とれてしまいました。どう見ても、背広でネクタイ姿のサラリーマンのおっちゃんが二人、どこに運んで何に使うんでしょうねえ? サンドイッチ屋さんが大量の食パンを仕入れているのか、はたまた同業のパン屋さんがパン焼き窯が壊れたので急遽仕入れることになったのか……想像力が刺激されてしまいます。

【ただいま読書中】『スパイス、爆薬、医薬品 ──世界史を変えた17の化学物質』P・ルクーター/J・バーレサン 著、 小林力 訳、 中央公論新社、2011年、2600円(税別)

 天然に存在する元素はわずか90、人工的に作られたものは19。しかし化合物は700万くらい知られています。本書では「歴史を変えた化合物」をいくつか選び、それについて物語っています。たとえば……17世紀、オランダの植民地ニューアムステルダムにイギリスが侵攻し、逆にイギリスの植民地(ナツメグ貿易の要)ルン島にオランダは侵攻していました。海戦でも決着がつかずブレダ条約によって、ニューアムステルダムとルン島を交換することで話がまとまりました。当時ナツメグは黒死病の予防に効くと大人気だったので、この交換はオランダが“得”と思われていました。ちなみにニューアムステルダムはのちにニューヨークと改名されています。
 まず「化学」の“授業”で本書は始まります。といっても、化学構造式の書き方についての初歩的な解説ですが。(そして、話が進むにつれて、少しずつ複雑な話が付け加えられていき、側鎖の微妙な違いや立体構造についても学べるようになっています)
 さて、「大航海時代」は「胡椒」が後押しをしました。胡椒の活性成分はピペリンですが、この辛さは味覚神経ではなくて痛覚神経の刺激で生みだされます。コロンブスは胡椒を求めて新大陸に到達し、胡椒の代わりに唐辛子をヨーロッパにもたらしました。その活性成分はカプサイシン。構造式を見るとピペリンと共通部分があります。なるほど、「痛」そうです。
 アスコルビン酸の章では「壊血病の予防策」がいかに冷遇されたか、が語られます。中国人は5世紀に「船上で生姜を育てる」ことで壊血病を予防していました。レモンジュースが有効であることは1601年にはすでにわかっていました。1747年にはリンドが厳密な比較対照実験で「正しい食事」で壊血病が予防できることを科学的に示します。しかし英国海軍がそれを正式に採用したのはそれから40年以上あとのことでした。1770年にクックが探険航海で「清潔」と「食生活の向上」で壊血病(や他の病気)を激減させますが、そのときでも命令を守らない副長の艦からは壊血病が発生しています。それでもイギリスは“トップランナー”でした。だから世界の海を支配する大英帝国が出現できたのです。もしも他の国(たとえばポルトガル)が先に壊血病対策をとっていたら、世界史は大きく変わっていたでしょう。もしかしたら「日の沈まない帝国」はポルトガルになっていたかもしれません。
 ところで、アスコルビン酸を合成しようとしたら、出発点はブドウ糖(グルコース)だということ、ご存じでした? 私は本書で初めて知りました。構造式を見たら、納得ですが。
 セルロース(と爆薬)、ナイロン(とシルク)、フェノール(と無菌手術、プラスチック、バニラ)……「歴史」と「化学」が絶妙の「化学反応」を起こして、私たちの目の前を通りすぎていきます。そういった「主役」に対して、著者はあまり露骨には書いていませんが、“敵役”は「伝統と権威」です。新しい化合物が世の中に受け入れられるか否か、この“対決”もなかなか味があります。
 「化合物」を切り口に世界史を立体的に眺めることを可能にし、化学についても(好きになるという保証はありませんが)少なくとも敬遠したい気持ちはやわらげることができる、という点で、文系にも理系にも“お得”な本です。強くオススメ。