【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

遊び

2017-02-28 06:47:16 | Weblog

 「遊び」は人間にとって重要なものだと私は思っていますが、遊びにもいろいろあるようです。
 甲 砂遊び、川遊び、浦遊び、雪遊び、水遊び
 乙 火遊び、女遊び、悪遊び、夜遊び、野郎遊び

 甲グループと乙グループでずいぶん遊びの“意味”が違うような気がしますが、これは私の気のせいでしょうか。

【ただいま読書中】『天然原子炉』藤井勲 著、 東京大学出版会、1985年、1400円(税別)

 本書では「放射性同位元素」「核分裂」などについての解説もありますが、ところが文体が硬くて、全くの素人では歯が立たない可能性が大です。その辺については平易な解説書であらかじめ基礎知識を持った上で本書を読んだ方が良いでしょう。
 天然ウランに含まれるウラン235は0.72%です。ところがアフリカのガボン共和国のオクロ・ウラン鉱床ではそれが0.64%と異常に低いことがわかりました。たった「0.08%」の差ですがこれは自然界ではあり得ない違いなのです。
 「あり得ない」を説明するために様々な仮説が立てられました。まず考えられたのが「工場での汚染事故」です。しかし厳密な検証からそれは無いことがわかり、“現場”はガボン共和国それもオクロ鉱床の採石場に絞られていきました。そこで最終的に「ウラン濃度が高い部分で自然発生的に核分裂連鎖反応が臨界に達していた」ことがわかり「オクロ現象」と呼ばれるようになりました。つまり、天然自然に「原子炉」が稼働していた、というのです。「原子炉」が稼働したら、ウラン235は消費されて減ります。だから鉱山から掘り出されて出荷された「天然ウラン」のウラン235の濃度が減っていたのでした。
 「天然原子炉」ははじめは2箇所でしたが、調査が進むとその数はどんどん増えていきました。本書執筆時に13箇所まで数えられています。
 会社からすると、これはありがたくない事態です。科学調査のために採掘にストップはかけられるし、ウラン235が薄いと原発用に濃縮する手間が増えます(原発用にはウラン235が3%になるまで濃縮する必要があります)。
 この「原子炉」が稼働していたのは20億年前(まだ大西洋が生まれる前です)。残されたウランの分析から、発生した熱エネルギーは、100万kW級の原子炉5基を全出力で1年間稼働させたのと等しい、という計算がされています。稼働期間はおそらく10万年くらい。
 地球大気に酸素が無かったころにはウランは酸化されずそのままでした。ところが酸素が出現すると、酸化されたウランは水に溶ける錯イオンとなり沈殿・濃縮されました。20億〜25億年前に形成されたウラン鉱床はウラン235の濃度が3.7〜5.5%もあるのです。そして、地下水が天然の中性子減速材として機能することで核分裂反応が連続しますが、熱で地下水が蒸発すると減速材が無くなるので核分裂は停止することになります。なんとも上手いシステムです。人間が作ったシステムも、天然のと同じくらい安全に停止できるものだったら良かったんですけどね。


守る態度

2017-02-27 06:32:43 | Weblog

 仏壇に手を合わせる時ついつい「御先祖様、お守り下さい」と言いたくなるのですが、ふと「自分が死んだ後に自分の子孫を守ることができるだろうか」と思ってしまいました。死んだら自動的にそんな超常的な力が付与される、というのはあまり期待できないでしょうし、付与されたにしてもそんな超常的な力を平気で振るえる魂というのは、ある意味“社会の迷惑”かもしれません。生きている人間の運命がねじ曲げられるのですから。また、「自分の子孫を守るんだ」と成仏しているはずの魂同士がいがみ合うのもよろしくないでしょう。「守る」ではなくてせいぜい「見守る」程度にしておいてもらった方が良さそうです。

【ただいま読書中】『東芝 終わりなき危機 ──「名門」没落の代償』今沢真 著、 毎日新聞出版、2016年、1000円(税別)

 先日読書した『東芝不正会計 ──底なしの闇』の“続編”です。
 経営危機となった東芝では、大々的なリストラが行われました。早期退職をするべきかそれを断って残留をするか、社員はそれぞれの決断を迫られます。しかし、経営危機の“元凶”となった財務部と原子力部門ではリストラは行われませんでした。また、役員経験者の「社友」の特権的な待遇も保存されました。こういった会社の態度は、社員の士気を下げます。
 さらに、ウェスチングハウスの減損を2年間隠蔽していたことに対して東芝は「発表が遅れた」と言うことで逃げ切ろうとします。
 本来は、不祥事に対して真摯に対峙し、責任者を自ら追及し、構造改革と経営改革をしなければ会社の先行きは無いはずなのですが、経営陣は内部での権力闘争に忙しかったらしく、「自分の満足」が「会社全体の利益」よりも優先していたようです。
 その頃シャープも苦しんでいました。日本の家電メーカーはどこも「白物」が不振となって経営が傾きかけていたのですが、シャープが活路を求めた液晶への投資が失敗し、結局鴻海に身売りすることになってしまったのです(実は東芝がシャープに出資する、という可能性もあったのですが、鴻海の素早い動きにそれは潰されていました)。
 また、三菱自動車は、2000年と2004年のリコール隠しに続いて3度目の不祥事「燃費不正問題」を起こしていました。
 セブン&アイでは人事抗争が勃発。そこで存在感を示したのは「社外取締役」でした。
 日本の企業はどこもかしこも大騒ぎです。本書の著者が働くニュースサイト「経済プレミア」も、次から次へと大きなネタを扱うことになっていました。
 2016年3月末、独禁法を回避するためにちょっとトリッキーな手段を使って、東芝は東芝メディカルシステムをキヤノンに5900億円で売却します。税引き後3800億円を得た東芝の純資産は3738億円。ぎりぎりで債務超過に陥る事態を回避できました。しかし、東芝で数少ない「金を稼げる部門」を手放してしまった以上、東芝にはすでに後がありません。また赤字が続くと、こんどこそ債務超過になってしまうのです。
 最近のニュースサイトには、また東芝とウェスチングハウスの名前が登場するようになりました。こんどこそ東芝は本気で原子力事業について取り組む必要がありそうです。それを先送りするか決断するか、その辺は本書の“続編”で取り扱われるのかもしれません。


本当の笑顔

2017-02-26 09:00:04 | Weblog

 その人の笑顔が本当に素敵かどうかは、その「笑顔」そのものだけを見るのではなくて、その人の相手をしている人の表情がほころんでいるか強ばっているか、も評価の対象にする必要があります。

【ただいま読書中】『東芝不正会計 ──底なしの闇』今沢真 著、 毎日新聞出版、2016年、1000円(税別)

 「めざしの土光」さんが東芝再建を行ったとき、「チャレンジ&レスポンス」を合い言葉にしていました。「厳しい仕事にしっかり取り組め、そしてきちんと答を返せ」という仕事に取り組む態度の話でした。ところがその後、半導体事業がうまくいかなくなったとき、「チャレンジ」は変質をします。佐々木・西田・田中の三代の社長は「チャレンジ」ということばで「粉飾決算」を各事業部門に強制していたのです。
 昔のソ連では計画経済で「ノルマ」が重視されていました。非現実的な生産目標でもそれを達成できなかったらひどく罰せられるため、現場ではとにかく「ノルマは達成できた」という書類だけは提出していました。あとはいかに上手く誤魔化すか、です。それと同様に東芝でも「チャレンジ」は達成していましたが、実際には赤字を誤魔化してそれがばれるのを先送りし続けていました。しかし、「佐々木と西田の対立」は社外にも知られるくらい激しく、どちらかの派が“敵”の足を引っ張るために、内部資料を外に流出させたようなのです。そのため2015年の株主総会は荒れましたが、経営陣は紋切り型の謝罪を繰り返すばかりでした。第三者委員会が調査報告を発表しましたが、その内容は明らかに不十分なものでした。そこで著者は「第三者委員会が発表しなかったこと」に注目します。具体的には「西田と佐々木の対立」「06年に買収したウェスチングハウス(原発企業)の問題」「新日本監査法人がなぜ粉飾決算を見逃したか」です。
 ウェスチングハウスの買収は、当初の目論見より金をつぎ込むことになっていました。しかし長期的にはお買い得だったはずなのですが、11年の東日本大震災(フクシマ)で原発を取り巻く環境は一変、原発建設はリスキーでコストと時間がかかる事業になってしまいます。それが東芝にどれくらいダメージを与えたのか、東芝はなかなか発表をしようとしませんでした。歴代3社長に対する損害賠償請求に関する発表でも、役員は出てこず広報担当者に一任しています。説明責任から逃げ回る東芝の態度は、金では測れない「信用失墜」をもたらしました。そしてついに「ウェスチングハウスで1600億円の減損」という驚きの発表が。それも、子会社のウェスチングハウス単体では1600億円の減損処理を行うが、東芝グループ全体では原子力事業は好調だから連結決算では減損はしない、という意味がわからない行為です。しかもウェスチングハウスの減損処理を東芝は2年間公表しませんでした。これは明らかに東証の情報開示ルールに抵触する行為なのですが、「次から気をつけます」で東芝はあとは知らんぷりです。著者はあきれます。大騒ぎになり、そこでやっと室町社長が出てきて謝罪をします。なんだか、世間をなめた態度に私には見えます。情報を小出しにしては信用を失うことを、何回でも繰り返す体質のようです。
 そうそう、ウェスチングハウスの業績が好調、と言う主張の根拠は、これから原子炉を46基受注する見込みがあるから、だそうです。フクシマ以降の受注は「ゼロ」なんですけどね。バラ色の計画、というか、もうこれは妄想の段階に入っていません?
 金融庁は新日本監査法人に対して「運営が著しく不当だった」という検査報告を公表しました。要するに監査法人として失格、と言うことです。ついでですが、この法人は、11年に損失隠しが発覚したオリンパスの監査も担当していて、金融庁から改善命令を受けています。
 2015年は東芝にとっては「辛い年」でした。そして12月21日、株が全面安となる中、東芝に売りが集中、株価は254円と5月の半値になってしまいます。株式市場が取引を終えてから室町社長が記者会見、1万人のリストラ(全従業員は20万人)と東芝の歴史始まって最悪の5500億円の赤字になったことを発表します。「不正会計問題」は「経営危機」になったのです。リストラには費用がかかる上に赤字ですから、東芝の自己資本は大きく減少します。もう一度巨額の赤字が出たら、自己資本が消滅するくらいまで。構造改革は待ったなしです。ところが東芝は「ウェスチングハウス」には手をつけませんでした。その代わりのように、優良企業である「東芝メディカルシステムズ」を手放すことにします。
 本書は毎日新聞社のウェブサイト「経済プレミア」に著者が15年6月〜16年1月まで書いた記事をもとにした本です。だから繰り返しが多くなりますが、「リアルタイムの緊迫感」がひしひしと伝わってきます。特に著者の主観「東芝問題には『底なしの闇』がある」には、経済問題には疎い私も闇の暗さを共有できた思いがしました。


再軍備の準備  

2017-02-25 07:19:02 | Weblog

 今の日本の若者が精強な兵隊になると思えます? 少なくとも「最近の若いやつらは」と日常的に呟いている人は、そうは思わないですよね? だったら「最近の若者は元気いっぱいで頼もしい」と言えるような社会をまず作る必要があるのでは?

【ただいま読書中】『水素社会の到来 核融合への夢 ──社会をかえる新時代のエネルギー技術』Newton別冊、2015年、2593円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4315520152/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4315520152&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=82956f8e65485ed1f85b6c1418327ae2
 水を電気分解したら水素と酸素になります。ではその逆の反応は……水素と酸素を化学合成すると、水と熱と電気が生じます。それが燃料電池の原理です。
 燃料電池車MIRAI(トヨタ)は、高圧タンク(700気圧)に水素を貯め、それを燃料として燃料電池で発電しながら走ります。1回の充填で650kmの走行が可能ですから、水素ステーションさえ各地にあれば、実用上の問題は解消します。アウディ社は、外部充電が可能な燃料電池車を発表していますが、これはプラグインハイブリッド車の燃料電池車版です。家庭の電源でも蓄電池に充電できたら、使い勝手はさらに増すので、私はこれに興味を持ちました。
 太陽光発電や風力発電などの代替エネルギーの弱点は「発電時間のムラ」です。太陽は夜は地球の反対側だし、風は吹かない日もあります。では、発電できるときの電気で水素を生産して貯蔵したらどうでしょう。そうしたら「水素の形でのエネルギー貯蓄」が可能になり、水素社会で代替エネルギーが大きく役に立つことになります。水素の形で輸送するのが難しい場合、二酸化炭素と反応させてメタンにするやり方もあります。メタンを燃やしたら二酸化炭素が発生しますが、それは最初にメタン合成の時に使ったものと同量ですから、計算上は空気中の二酸化炭素は増えないことになります。
 本書の後半は、水素のもう一つの利用法「核融合」についての特集です。ただこちらは、燃料電池車とは違ってまだ「未来の物語」です。核融合炉が本格的に稼働するようになったら、“危ない”原発はあっさり立場がなくなるはずですが、さて、私たちの子孫はどんな社会に生きることになるのでしょうか。


高級魚の過去

2017-02-24 07:38:24 | Weblog

 私が子供のころには「マグロ」と言えば「缶詰」でした。ツナ缶です。それが今では「高級魚」なんですから、ちょっと不思議な気がします。

【ただいま読書中】『近大マグロの奇跡 ──完全養殖成功への32年』林宏樹 著、 新潮文庫、2013年、490円(税別)

 戦後右肩上がりを続けていた日本のマグロ類漁獲量は、1960年代に頭打ちとなりました。漁場開拓はほぼ終わり、各国がそれぞれの漁獲高を上げ始める時代でした。200海里経済水域も議論されるようになり、日本ではマグロ漁の将来に不安を感じる人もいました。そこでマグロ(特にクロマグロ)の養殖へのトライが始まりました。昭和45年(1970)のことです。
 クロマグロ(一般にはホンマグロと呼ばれることもある)はマグロ属の中では最大の魚です。大きいものでは全長3m、重さ400kgを超えるものもいます。特徴は「一生泳ぎ続けること」。エラを自分で動かして海水を取り込むことができないため、泳ぎが止まるとエラから酸素が取り込めず、死んでしまうのです。遊泳速度は時速80km程度という高速です。
 マグロ漁は縄文時代から行われていました。おそらく一本釣りや銛で突いていたのでしょう。江戸時代には定置網、明治には流し網が採用され、さらに日本独自の延縄漁が大正ころから発展しました。
 江戸時代には「ヅケ」によってマグロの赤身の消費量が増えましたが、脂身の多いトロは腐りやすく商品価値はありませんでした(「猫またぎ」とも呼ばれたそうです)。しかし戦後の高度成長の中で、嗜好は変化し、トロは「高級品」になりました。そこでマグロの「畜養(海で穫ってきたマグロを生け簀で飼って太らせてから出荷)」が行われるようになりました。畜養がもっとも盛んなのは地中海です。
 白浜にある近畿大学臨海実験所では「海を耕す」を理念として、まずハマチの養殖に取り組みました。そこでは「実学」も重視していて、育ったハマチを自分で大阪に売りに行きました。昭和33年には400万円も売り上げています。水産試験場と改名した臨海実験所は、その儲けで日本各地に実験所を開設していきました。そして卵の人工ふ化による「完全養殖」を、ヒラメ・ヘダイ・イシダイ・ブリと次々成功させました(どれも世界初です)。次の目標は、マグロです。
 当時の畜養は、ある程度育った成魚を対象としていました。そこでまず稚魚から育てることに近大実験所は挑戦します。しかし、マグロの稚魚(ヨコワ)はとても弱く、ちょっと触っただけでも皮膚に傷がついて死んでしまいます。海水の酸素濃度が下がっても死ぬし、生け簀を暴風雨が襲っても死にます。4年間「全滅」が続きましたが、ヨコワの捕獲方法を工夫し、昭和49年に捕獲したヨコワの多くが1年以上生き残り、貴重なデータをもたらしました。
 何とかヨコワの捕獲と養殖には成功しましたが、目標は「完全養殖」。ヨコワから育った成魚がついに産卵をします。卵を集めるとやがて孵化、何を飼料にすれば良いのかわかりませんが、とりあえず与えたものは食べました。しかしやがて全滅。また全滅。また全滅。さらに群れは産卵をしなくなります。何年も何年も。
 時代はちょうどバブル絶頂期。近大水産研究所はマダイを売った儲けでクロマグロの研究を続けます。国際的にはクロマグロの規制が始まっていました。研究は熱を帯びます。
 1994年クロマグロの群れがまた自然産卵を始めました。こんどこそ育て上げよう、と研究者たちは意気込みますが、そこにまたもや次々とトラブルが押し寄せます。孵化から246日目に最後の一匹が死亡(体長は42.8cmでした)。しかし研究者はあきらめません。飼料を変え生け簀の形を変え、あの手この手で稚魚を育てようとします。そして2002年についに養殖場生まれのクロマグロが産卵。「完全養殖」に成功です。しかも(実験レベルではなくて)産業レベルでの成功でした。2004年には初出荷。トロの比率が高くて味は評判となりました。しかも値段は天然ものの半額。魚肉に含まれる水銀も天然ものより少ないことがわかりました。
 魚を家畜化することには、天然資源に負担をかけずにすむことのほかにも様々な利点があります。たとえば交配によって好ましい形質を持った魚種を生み出す、とか。また、稚魚の放流事業も始まりました。これは天然資源の回復につながるかもしれません。
 世界中で穫れるクロマグロの8割は日本で消費されているそうです。そういえば回転鮨でも結構マグロやトロが流れています。だけど、そんなに食べてしまって良いのかな? 私個人としては、もしトロが好きだったら「少し我慢しよう」ということで“免罪”を勝ち取れそうですが、あいにくそこまでの好物ではないので、さて、何を我慢したら良いのやら。


強力洗剤

2017-02-23 06:52:10 | Weblog

 「洗剤一滴でこすらなくても油汚れがすっと取れる」といった宣伝を時々やっていますが、日本で売れるためには「ご飯のおねば」についても同じことが言えた方がよいのではないか、と私には思えます。茶碗や炊飯器にこびりついたアレを「一滴」ですっと取ることができたら、とっても嬉しいと思いませんか?

【ただいま読書中】『シンドラーのリスト』トマス・キニーリー 著、 幾野宏 訳、 新潮文庫、1989年(95年10刷)、720円(税別)

 ドイツ軍のポーランド侵攻にくっついてポーランドのクラクフにやって来た実業家オスカー・シンドラーは、メルセデスなどの大きな車が大好き、大酒飲みで金遣いは荒く、妻とは別居中でドイツ人の愛人とポーランド人の秘書ともよろしくやっている(しかもそのことを誰にも隠そうとしない)、軍にはべったり、という「美徳」とはほど遠い人間でした。シンドラーが頻繁に出入りするプワシュフの強制収容所で行われている行為もまた、美徳の正反対でした。
 しかし、本書は「美徳」に関する本です。
 すでに1939年に、シンドラーは、測量技師・警察官・防諜部員など「友人」を周辺に集めていました。共通点は、ナチス体制に居心地の悪さを感じ、ユダヤ人に同情的であること。落ち目だったらわかりますが、ナチス絶頂期です。日本はナチスの勢いに目がくらんで、40年に日独伊三国同盟を締結していますが、すでにこの時期に「ナチスの次」を想定していた人々が活動を開始していたのです。シンドラーはひそかに動き始めますが、それに目を留めたユダヤ人からも協力者が生まれます(彼らはシンドラーを「生きた避難所」と見なしていました)。
 こういった「友人」や「協力者」は、シンドラーの商売(工場を手に入れ拡張し売りさばく)にも役立ちました。そしてその事実は恰好の煙幕としても機能します。どんな行動をするにしても「金儲け」は動機として誰にもわかりやすい理由ですし、特にそこから賄賂をもらう役人たちには、シンドラーの行動はすべて非常に説得力があるように見えました。
 シンドラーは、台所用品製造から、兵器製造にも手を広げます。それで必要なのは「労働力」、特に熟練労働者です。シンドラーはそれをゲットーのユダヤ人に求めます。ユダヤ人には給料を払う必要がありませんでした(食糧配給をすればよかったのです)。ユダヤ人の側にもメリットのある取り引きです。ゲットーに閉じ込められていたら闇市に出かけるのは困難ですし、何より明日の命の保証がありません。しかし工場はゲットーの外ですから通勤途中で物資交換のチャンスがありますし、「工場に必要だ」と“信頼できるドイツ人”に言ってもらえたら、生き延びるチャンスが増えます。
 密告によりシンドラーは親衛隊に逮捕されました。それも二回。一回目は物資横流しの疑い、二回目はユダヤ人女性にキスをした疑い。しかし有力者に口をきいてもらったらすぐに釈放されました。シンドラーはそれくらい“大物”になっていたのです。
 ゲットーからユダヤ人が続々「どこかよそ」に運び出され始めました。シンドラーは駅に駆けつけ、家畜運搬車に詰め込まれていた中から自分の会社の従業員を救い出します。「熟練工はドイツの勝利のために必要だ」と理由をつけて。親衛隊がゲットーに「行動(アクツイオーン)」をする情報を得ると、従業員たちを「夜勤」のために工場に留め置きます。
 親衛隊の内部にさえ、ナチスに絶望して、ユダヤ人を少しでも救おうと努力している人間がいました。自らゲットーに乗り込んで子供たちを救い出したり、ユダヤ人およびポーランド人のレジスタンスのために身分証明書を発行してやったり、自分の命を賭けて行動したボスコ曹長がその一例として本書に登場します。
 そういったソフトなレジスタンスばかりではありません。爆弾テロなどで戦うレジスタンス組織もありました。
 クラクフのゲットーは解体され、その過程で殺されずにすんだユダヤ人は近くに新設されたプワシュフ労働収容所に放り込まれました。ゲート所長は、明確な理由もなく気まぐれに収容者を射殺することを、まるで日課のように行います。従業員が収容所で虐待され、“通勤”にも時間がかかることに耐えかねたシンドラーは、自分の工場の敷地内に「第二収容所」を自費で作ることを親衛隊に申し出ます。収容所のユダヤ人は、シンドラーの工場勤務を熱望します。与えられるカロリーは倍になり、虐待はなくなるのですから(シンドラーは、自分の許可無く警備兵が有刺鉄線の内側に入ることを許しませんでした。警備兵自身も楽な勤務なのでそれを歓迎していました)。
 1943年後半にはユダヤ人の間に「シンドラー神話」が確立していました。しかし、「シンドラーという神」は「絶対善」などではありませんでした。人間臭い、善悪両面を持った「神」だったのです。また「神話」ですから、そこには「事実」と「事実の周辺の物語」と「嘘」とが含まれていました。
 強制収容所の中では、恋も生まれていました。つるつる滑る「死」で舗装された小さな舞台の上で、落ちないように危なっかしくバランスを取り続けるカップルのエピソードには、胸が締め付けられます(密会現場を押さえられたら死刑、妊娠したらその女性はアウシュヴィッツ送りです)。
 ソ連軍が近づき、東部の収容所から囚人が移送され、プワシュフ収容所は混み始めます。ゲート所長は人減らしに腐心します。やがてプワシュフ収容所解体も決定されますが、シンドラーは工場をチェコに移転させることにします。もちろん「熟練労働者」も込みで。そこで誰をつれていくのか「名簿」が作成され始めます。「シンドラーのリスト」です。役人が認めたリストの上限は1100名。こんどは、そのリストに自分の名前を載せてもらうための熾烈な争いが生じました。その混乱の中、シンドラーは三回目の逮捕をされます。さらに「シンドラー・グループ」の男性800名はさっさとチェコに移送されましたが、女性300名はなぜかアウシュヴィッツに送られたのです。しかしシンドラーは彼女らを見捨てませんでした。
 チェコの工場は「信用詐欺」でした。なにしろノルマの兵器をまともに製造しなかったのですから。シンドラーはドイツが負けるまでとにかく時間を稼いで自分の管理下にあるユダヤ人たちを生き延びさせることに集中しました。それどころか、他の収容所のユダヤ人を少しでも引き取ろうと画策します。
 こうして戦中に確立した「神話」は戦後にもどんどん拡大していきました。しかしシンドラーは無一文になり、一旗揚げようとして二度破産をし、イスラエルからは称揚されますが、ドイツでは石を投げられました。「神話」になるのにふさわしい行為をした男は、「きわめて異常な時代」にだけその資質を発揮できたのかもしれません。だけど「実はどんな人間だったか」とか「“その後”どんな人生だったか」よりも「その時どんな行為をしたか」の方がよほど大切ですよね。


プライバシーの侵害

2017-02-22 07:08:54 | Weblog

 「この人が店員に暴力を振るいました」と“犯人”の顔写真を店に掲示したマクドナルドに対してテレビニュースで「プライバシー」とか「人権」とか言っていました。たしかに「私刑」をする権利は誰にもないわけですが、ではそのニュースに続いて別の事件で(犯人ではない、まだ裁判前だから)「容疑者」の氏名や顔写真を堂々と全国に流しているマスコミの態度は、一体何なのでしょう?

【ただいま読書中】『盤上の詰みと罰(2)』松本渚 作、双葉社、2015年、600円(税別)

 名人相手に大盤解説をすることになった都は、名人が予想した「最善手」を否定して「その手は屋久杉さんという人間を成さない……」と言います。「将棋は対話」であって「その手」には「その人」のすべてが現れるのです。
 これは「コンピューター将棋」に対する人間からの“返答”かもしれません。「過去の記録」と「盤面の駒の配置だけ」で最善手を探すコンピューターと違って、人間は「自分」と「相手」の対局で手(=未来)を選択する、というのが都の主張です。
 そこに名人は「愛」を見ます。
 愛による対局? 勝ち負けを競っているのに?
 やっと「最後の対局者」を見つけた都は、自分が記憶障害を負うことになった原因がわかるかもしれない、という期待と、対局者個人に対する異常なまでの興味を覚えながら,対局を始めます。しかし、自分が何を避けていたのかを相手に指摘され……
 なんとも“難しい”美少女将棋漫画でした。いや、美少女も将棋も好きなので、私は楽しめましたけどね。


夜明け前

2017-02-21 07:15:35 | Weblog

 部屋全体が暗いときにはあまり感じませんが、外が微かに明るくなってきたらかえってカーテンのひだの間に夜の闇が深く貯まっているように見えます。

【ただいま読書中】『盤上の詰みと罰(1)』松本渚 作、双葉社、2014年、600円(税別)

 女流棋士として17歳で6冠を達成した霧島都は、謎の相手との対局直後に倒れ、記憶が1箇月ごとにリセットされて17歳に戻るようになってしまい、女流棋士を引退。以後、全国の将棋会館を巡っては、自分が最後に対局した相手を探しています。もう5年も経っているのに、「17歳」ですから女子校の制服姿です。ただ、後ろ髪が一房だけ、5年分伸びっぱなしにしてあります。それだけが「彼女にとっての5年間」なのです。
 本作は連作短編で、各地で都が出会う相手との対局とそれぞれの心の動きが描写されています。ずいぶん変わった将棋漫画です。
 この都が、明るいキャラで、実にのびのびと将棋を指しています。受けるときには鉄板の受け、相手の読みを少しでも上回るように盤に没頭して、おそらくその時にそばで爆弾が爆発しても気づかないんじゃないか、というくらいの集中ぶりです。
 で、私はと言うと、作中に紹介されている棋譜を実際に並べてみて妙手にうなったり(たぶん今回は本を読んでいる時間より将棋盤をにらんでいる時間の方が長かったはず)、詰め将棋を解こうとしてじたばたしたり(結局一つも解けませんでした)、「将棋」の方でも楽しめました。さて、すぐに第2巻を読まなくっちゃ。


アメリカ大統領の必読書

2017-02-20 07:12:51 | Weblog

 トランプさんって、アメリカ独立宣言や合衆国憲法をきちんと読んだことがあるのかな? もちろん面と向かってそう聞いたら「当たり前だ。読んでいる」と答える(そしてそんな質問をした人間を攻撃し始める)に決まってはいますが、文章の「言葉尻」ではなくてその「精神」をちゃんと体得しているのか、が気になります。

【ただいま読書中】『敗北を抱きしめて・増補版 ──第二次大戦後の日本人(下)』ジョン・ダワー 著、 三浦陽一・高杉忠明 訳、 岩波書店、2004年、2600円(税別)

 敗戦後の日本では「さまざまな民主主義」が試されました。GHQから見たら、恰好の実験場だったわけです。
 まず試されたのは「天皇制民主主義」。占領軍は「天皇の名で行われた戦争行為」と「天皇個人」を切り離し、自分たちが作り上げる新制民主主義国家の中心に天皇を据え付けようとしました。。そのためには、天皇個人に「戦争責任」が及んではいけません。そのため、GHQ、宮中の人間、保守派はよってたかって天皇を守ろうとしました。その努力は実りましたが、その結果「戦争責任」追及は焦点がぼやけてしまいます。
 このへんの描写で、著者の天皇に関する筆致はけっこうシビアです。「天皇を神聖視する」ベールが頭にかかっている日本人としては「そこまで言うか?」と思いますが、「天皇を裁判にかけろ」とか「退位させろ」という意見も当時はけっこう現実味を持って語られていたことを知ると、シビアに評価されるくらいは我慢しなければならないのか、とも思います。
 アメリカは明治憲法を問題視していました。そこで新しい憲法の草案がまず英語で書かれましたが、それは、君主制と民主主義と平和主義を結合させる、という前代未聞の試みでした。さらに、形式的には明治憲法の改正、という形を取らなければなりませんし、論拠としてポツダム宣言も用いなければなりません。さらに、日本人が自発的に憲法を改正する、という手続きを踏む必要もあります。幣原内閣は憲法問題調査委員会(通称:松本委員会)を設置しましたが、そこでは「明治憲法の改正」どころか「明治憲法は改正する必要はなし(解釈や運用が悪かっただけ)」という意見が出ていました。政府の外での憲法論議は本当に様々な主張が噴出していましたが、重要なのは「憲法に関する様々な見方がこの世に存在すること」を人々に知らしめたことかもしれません。
 松本委員会の素案は毎日新聞にスクープされ(部屋に入った記者が草案のバインダーを“拝借”して書き写したのです)、それを見たGHQは「日本政府には憲法を作成する能力はない」と判断、民政局が憲法を起草することにします。マッカーサーは「立憲君主制」「絶対平和主義」「封建制度の廃止」などの原則を部下に示してあとはまかせます。特に「天皇の護持」がトップにあげられていたのは、それを切り札にすれば日本の保守派も「少々左がかった憲法」でも受け入れるだろう、という読みからでした。マッカーサーの部下たちは、ボスが示した「抽象」を超特急で具象化します。無名の人間でも歴史に刻印を残せる、という高揚からでしょうか、アメリカ合衆国憲法にさえ存在しない「両性の本質的平等」も書き込まれました。
 外務大臣吉田茂(と側近の白州次郎)は、ホイットニー准将に松本案を一蹴されて驚愕します。そして、渡された「GHQの憲法草案」を読んでさらに愕然。驚きのあまりか、政府は閣僚に「草案」の日本語訳を2週間配布しませんでした。時間を稼いでいたら何か良いことが起きる、と期待していたのでしょう。しかしGHQはそんな甘えを許しません。そうそう、この審議の途中で、社会党の主張で「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」や教員連合からの主張で「義務教育を6年から9年に変更」などといった重要な変更も取り入れられました。さらに「草の根」からの主張により、憲法の記述は「口語体」で行われることになりました。これは本当に重要な変更で、GHQもその重要性には事前には気づいていませんでした。もう一つGHQが気づかなかったのはGHQが入れた「人種や国籍による差別を禁止する条項」の条文で「the poeple」を「国民」と訳した部分で、これによって旧植民地の在日外国人を平等に扱わないことに日本政府は成功しました(「国民」とは「あらゆる国籍の人々」のこと、とGHQには説明をしています)。
 GHQによる検閲と思想統制は、戦前の日本のものと相似形でした。ただ「民主主義」の名の下に行われただけ、罪が深いでしょう。結局これから日本人が学んだのは「沈黙と大勢順応こそが望ましい」という政治的な知恵で、占領軍が去った後もこの態度は続き、外国人はそれを「いかにも日本的な態度」と評することになります。
 そして東京裁判が始まります。「天皇は免罪」ということを正当化しつつ「侵略戦争の罪」を裁く、といういかにもトリッキーな裁判です。そのため「戦争犯罪」は焦点がぼけたものになってしまいました。
 1950年朝鮮戦争勃発。「平和憲法」を日本に押しつけたマッカーサーは、こんどは「再軍備」を押しつけます。「占領」は変質します。ドッジ・ラインによって押しつけられた安定恐慌は、朝鮮特需で吹き飛び、日本は「経済」と「科学」で生きることにします。これが「マッカーサーが日本に確立しようとした原則(平和と民主主義)」に対する日本からの返答でした。
 しかし「敗北を抱きしめている」態度は、結局いつかは「敗北を手放す」ことになってしまいません? 嫌でもそれに食らいついて咀嚼し我が身に同化させなければ、「敗北」から本当に何かを得ることはできないのではないか、と思えるのですが。


普通選挙がもたらしたもの

2017-02-19 07:13:05 | Weblog

 日本で民主主義をもたらしたのは「敗戦」でした。大正の普通選挙がもたらしたのは、昭和の軍国主義でした。すると、「普通選挙をすれば民主主義がもたらされる」とは言えない、ということに?

【ただいま読書中】『敗北を抱きしめて・増補版 ──第二次大戦後の日本人(上)』ジョン・ダワー 著、 三浦陽一・高杉忠明 訳、 岩波書店、2004年、2600円(税別)

 「玉音放送」の目的を著者は「戦いに終止符を打つ」「日本の侵略意図を否定する」「日本国家の残虐行為を否定する」「保身」と読み解きます。ということは「戦争の再肯定」「天皇の超越性の再確認」ということになります。「敗北」はどこかに行ってしまいました(実際にこの詔書では「敗北」という単語は使われていません)。また、この詔書の背後には「革命への恐怖」が横たわっていると著者は指摘しています。
 上が保身をすれば下はもちろん見習います。即座に始まった機密文書の焼却や軍需物資の横領は「保身」目的でした。(おおざっぱな見積もりですが、横領された物資はトータル3億トン内外と言われています。主要な犯人は一人も起訴されていません)
 日本国土の破壊は徹底的でした。調査をした米軍は日本があれだけ抵抗できたことに驚きます。生活レベルは、農村部で戦前の65%、都市部では35%に落ちていました。900万人が家を失っています。日本兵士の捕虜を酷使虐待したのはソ連が有名ですが、実はUSA・イギリス・オランダ・中国も戦争捕虜を労働や戦闘に扱き使っていました。その過程で数十万人の軍人や民間人が“行方不明”になってしまいました。戦後の国内では、傷痍軍人・戦争未亡人・孤児たちは「社会ののけ者」として扱われます(あるいは無視されます)。
 やって来た連合軍は「民主主義をもたらすもの」として歓迎されました。日本共産党でさえ「解放軍」として宣言文を発表しています(のちの冷戦でこの文書は扱いが厄介なものになってしまいましたが)。マッカーサーたちも自分たちを「救世軍」と意識していました。だから最初は理想主義的な政策を連発しますし、「日本人の意志」を重んじようとします。さらに「黄色人種」「異文化」を相手にすることから「宣教師の感覚」も彼らは持っていました。そして「非軍事化」「民主主義化」という行動を正当化するのは「甚大な被害」でした。「GHQの日本支配」は「軍事独裁政権から民主主義が定着するか」という前代未聞の社会実験でもありました。農地解放・女性参政権などの「天降る贈物」を大歓迎して「抱きしめる」日本人もいましたし、嫌悪感を示す者もいました。
 「虚脱」という言葉が流行しましたが、それを体現した周辺的集団は「パンパンと呼ばれた売春婦」「闇市」「カストリ文化」でした。これらは「虚脱そのもの」であると同時に「虚脱を乗り越えていった実例」でもありました。「パンパン」は、文字通り占領軍を“抱きしめて”いて、戦前の肉欲否定の倫理に対する公然とした反抗であり、しかも「少数の純潔を犠牲にすることで一億の純潔を守る」という大義名分さえありました。対して闇市は、女ではなくて男、官能ではなくて暴力、アメリカではなくてヤクザの暗黒世界の反映でした。カストリ焼酎は質の悪い酒でしたが、「酒場のインテリ(カストリゲンチャ)」を生み、さらにカストリ雑誌が続々と生まれます。そこでは「猟奇」「性」などが面白おかしく扱われていましたが、興味深いのは、そこで「魅力的な性の対象」とされたのが「西洋的な体型の女性」で、男性だけではなくて日本女性までそういった「西洋美人」に憧れるようになったことです。
 敗戦は笑いの対象にもされました。戦後も着られた兵隊服は「敗戦服」、軍靴は「敗戦靴」と呼ばれました。「敗戦いろはカルタ」もあります。
 1946年4月坂口安吾は「堕落論」を出し、戦中の体験を「幻影」と片付け、知識人たちがまだ頼っていた戦前の規範(の残骸)をきっぱり否定します。こういった坂口の見方や、太宰治などが人気を博したことに、評論家たちは仰天します。英会話本ブームや夏目漱石ブームが起きます。ただ、「犠牲者意識」や「被害者意識」は強くありましたが「日本人以外に犠牲者があったこと」に対しては驚くほど低い意識しか日本人は示しませんでした。「身内のことにしか興味がない」わけです。
 日本の“伝統”では「革命」は「上からのもの」でした。そこでマッカーサーは「大君主」として人々の前には極力姿を見せず、部下がまるで植民地総督のように職務を遂行し、日本人はそれを受け入れました。そこで「神道の領域への女性参加」などは「下からの革命」として行われていきます。現在各企業で「TQC」が行われているように、全国民が参加しての「日本の変革」が熱心に行われようとしていました。そこで行われた「日本人の仕事の徹底ぶり」はGHQの予想を上回るものでした。しかし、「下からの革命(大衆運動)」は保守派とGHQの危機意識を揺さぶります。大衆運動は抑圧されます。それに対して抵抗を続けたのは、共産党と社会党でした。彼らは、55年体制以降も、アメリカの占領の当初の理念「非軍事化」と「民主化」のもっとも熱心な擁護者であり続けたのです。