明日の日の出は初日の出です。老若男女が一斉に日の出を拝むのは、日本で隠れていた太陽神信仰が日にち限定で復活する不思議な現象ですが、もしも「その年初めての日の出」がそんなにめでたいのだったら、「その年最後の日の出」もめでたいだろうと、今朝しっかり拝むことにしました。あいにく曇り模様でしたが、雲の切れ間がどんどん明るくなり全天を染めた茜色が東の一点を目指して収束していく様には見とれてしまいました。地の向こうから顔を出す太陽そのものを見ることができなくても、こうして「太陽が出たぞ」と世界中が自分に教えてくれるのは、とても嬉しくめでたいことに思えます。
ところで「初日の出」の対義語は何でしょう。「最後の日の出」だと『地球最後の日』みたいですし……ちょっと長いけれど「大晦日の日没」?
※今年も好き放題書きつづった一年でした。読む方もわりと好きに読めました。仕事が忙しくなってきたとか厳しい社会情勢とかありますが、この読書日記は来年以降も続けられるだけ続けます。どうかお付き合い下さい。ありがとうございました/来年もよろしく。
【ただいま読書中】
『ローマ人の物語 XIV キリスト教の勝利』塩野七生 著、 新潮社、2005年、2600円(税別)
キリスト教を公認した大帝コンスタンティヌスの死から本書は始まります。コンスタンティヌスは自分の死後帝国を5分して統治するプランを残していましたが、葬儀の直後粛清が起き、結局帝国は三兄弟によって三分割で統治されることになります。しかしすぐに内紛が起きます。
ローマ帝国は、キリスト教だけではなくて、オリエントからエウヌコスという宦官制度を宮廷に導入していました。軍団は蛮族出身者が主力となっています。ローマ街道の整備も怠られています。ローマは「ローマ」ではなくなってしまったようです。そのせいか、著者の語り口はずいぶん辛くなっています。「こんなの、私が愛するローマじゃない」と言いたいかのように。
コンスタンティヌスの跡を継いだコンスタンティウスは、親戚のユリアヌスにガリアをまかせてそのほかの地域の統治に集中します。コンスタンティヌスの死後の粛清で父親を殺されずっと学究生活だったユリアヌスですが、意外にうまくガリアを管理します。
ローマ帝国の“基礎体力”は落ちています。蛮族の侵入が繰り返されて生産力は低下しインフラは荒廃、兵士と官僚と聖職者という“非生産部門”は増大。コンスタンティノーブルの宮廷では、オリエントの影響で組織の肥大化が進行していました。コンスタンティウスの跡を継いだユリアヌスは「改革」に乗り出しますが、それは二代にわたるキリスト教優遇策に逆らうことであり、かれは「背教者」と呼ばれるようになります。しかしユリアヌスが連発した「キリスト教国家への流れを変えようとする政策」はことごとく失敗。さらに数ヶ月後にはササン朝ペルシアとの戦争が再発します。既得権益を侵された有力者たちのユリアヌスへの反感は募ります。ギリシア・ローマの宗教の信者とキリスト教徒との争乱が起きます。さらにキリスト教内部でのアタナシウス派(カトリック)とアリウス派の対立。戦場に向かう軍隊は、かつては「ローマ人」と「属州民」の多国籍軍でしたが、今回は「ローマ人」と「キリスト教徒のローマ人」との多宗教軍となっていました。
結局ユリアヌスは19ヶ月で“退場”させられ、「異教徒」の勢いは衰退しキリスト教が興隆します。ペルシアは弱体化して東方は落ち着きましたが、そこにフン族が登場。黒海でゴート族を襲い、ドミノ式にゴート族はローマ国境に向かいます。(そのころブリタニアには、ピクト族・スコット族・アングロ族・サクソン族が侵入を繰り返していました。「おお、もうすぐサトクリフが描いた世界だ」と私は呟きます) 大挙侵入してきたゴート族にローマは大敗します(ハドリアノポリスの戦い)。そこでテオドシウス帝は、ブルガリアからセルビア・モンテネグロあたりにゴート族の定住を認めます。ただし、これまで伝統の「ローマ化」は行わずに。著者はこれを「ローマ帝国の“溶解”」と表現します。
「三位一体派」と「アリウス派(キリストは神ではなくて神の子)」の対立は深まります。私見ですが、聖書を素直に読めばキリストは神ではなくて神の子でしょうが、ローマ帝国の支配のためにはキリストを神に近づけておいた方が現世的に有利、という事情が働いてカトリックが優勢になったのではないか、と思えます。現実と相性の悪い教義は広まりませんから。
4世紀のローマでの、知識人階層におけるギリシア古典の教養教育とキリスト教の暴力的な衝突を見ていると、それから千年近く後のスコラ学のご先祖様か、とも思えます(スコラ学は繊細で知的、という違いがありますが)。同時に、中世のキリスト教がどうして知的でなくなったのかの原因もこのローマ時代にあるとも。ローマは変質してもローマだったのでしょう。
そして、ついにローマは東西に分割されます。
ところで「初日の出」の対義語は何でしょう。「最後の日の出」だと『地球最後の日』みたいですし……ちょっと長いけれど「大晦日の日没」?
※今年も好き放題書きつづった一年でした。読む方もわりと好きに読めました。仕事が忙しくなってきたとか厳しい社会情勢とかありますが、この読書日記は来年以降も続けられるだけ続けます。どうかお付き合い下さい。ありがとうございました/来年もよろしく。
【ただいま読書中】
『ローマ人の物語 XIV キリスト教の勝利』塩野七生 著、 新潮社、2005年、2600円(税別)
キリスト教を公認した大帝コンスタンティヌスの死から本書は始まります。コンスタンティヌスは自分の死後帝国を5分して統治するプランを残していましたが、葬儀の直後粛清が起き、結局帝国は三兄弟によって三分割で統治されることになります。しかしすぐに内紛が起きます。
ローマ帝国は、キリスト教だけではなくて、オリエントからエウヌコスという宦官制度を宮廷に導入していました。軍団は蛮族出身者が主力となっています。ローマ街道の整備も怠られています。ローマは「ローマ」ではなくなってしまったようです。そのせいか、著者の語り口はずいぶん辛くなっています。「こんなの、私が愛するローマじゃない」と言いたいかのように。
コンスタンティヌスの跡を継いだコンスタンティウスは、親戚のユリアヌスにガリアをまかせてそのほかの地域の統治に集中します。コンスタンティヌスの死後の粛清で父親を殺されずっと学究生活だったユリアヌスですが、意外にうまくガリアを管理します。
ローマ帝国の“基礎体力”は落ちています。蛮族の侵入が繰り返されて生産力は低下しインフラは荒廃、兵士と官僚と聖職者という“非生産部門”は増大。コンスタンティノーブルの宮廷では、オリエントの影響で組織の肥大化が進行していました。コンスタンティウスの跡を継いだユリアヌスは「改革」に乗り出しますが、それは二代にわたるキリスト教優遇策に逆らうことであり、かれは「背教者」と呼ばれるようになります。しかしユリアヌスが連発した「キリスト教国家への流れを変えようとする政策」はことごとく失敗。さらに数ヶ月後にはササン朝ペルシアとの戦争が再発します。既得権益を侵された有力者たちのユリアヌスへの反感は募ります。ギリシア・ローマの宗教の信者とキリスト教徒との争乱が起きます。さらにキリスト教内部でのアタナシウス派(カトリック)とアリウス派の対立。戦場に向かう軍隊は、かつては「ローマ人」と「属州民」の多国籍軍でしたが、今回は「ローマ人」と「キリスト教徒のローマ人」との多宗教軍となっていました。
結局ユリアヌスは19ヶ月で“退場”させられ、「異教徒」の勢いは衰退しキリスト教が興隆します。ペルシアは弱体化して東方は落ち着きましたが、そこにフン族が登場。黒海でゴート族を襲い、ドミノ式にゴート族はローマ国境に向かいます。(そのころブリタニアには、ピクト族・スコット族・アングロ族・サクソン族が侵入を繰り返していました。「おお、もうすぐサトクリフが描いた世界だ」と私は呟きます) 大挙侵入してきたゴート族にローマは大敗します(ハドリアノポリスの戦い)。そこでテオドシウス帝は、ブルガリアからセルビア・モンテネグロあたりにゴート族の定住を認めます。ただし、これまで伝統の「ローマ化」は行わずに。著者はこれを「ローマ帝国の“溶解”」と表現します。
「三位一体派」と「アリウス派(キリストは神ではなくて神の子)」の対立は深まります。私見ですが、聖書を素直に読めばキリストは神ではなくて神の子でしょうが、ローマ帝国の支配のためにはキリストを神に近づけておいた方が現世的に有利、という事情が働いてカトリックが優勢になったのではないか、と思えます。現実と相性の悪い教義は広まりませんから。
4世紀のローマでの、知識人階層におけるギリシア古典の教養教育とキリスト教の暴力的な衝突を見ていると、それから千年近く後のスコラ学のご先祖様か、とも思えます(スコラ学は繊細で知的、という違いがありますが)。同時に、中世のキリスト教がどうして知的でなくなったのかの原因もこのローマ時代にあるとも。ローマは変質してもローマだったのでしょう。
そして、ついにローマは東西に分割されます。