【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

複数の過去

2016-10-31 19:18:30 | Weblog

 「未来」は「選択」によって「あり得る未来」が複数存在します。私たちはその中の一つだけを選択して生きていくわけです。それと同様に過去も「解釈」によって「複数のあり得た過去」があるのではないか、と私は思っています。過去が複数、というと違和感はありますが、解釈は自由でしょ?

【ただいま読書中】『バウンティ号の叛乱』ブライアン・フリーマントル 著、 新庄哲夫 訳、 原書房、1996年、2200円(税別)

 傑作スパイ小説『消されかけた男』などで知られる著者が「フリーマントル」ではなくて「ジョン・マクスウェル」名義で書いた長篇小説で、実はこれが処女作だったそうです。
 「バウンティ号の叛乱事件」は割と有名な事件ですが、著者は叛乱を起こされてバウンティ号から小舟で流されたブライ船長と、叛乱の首謀者となった副長のクリスチャンと、両方に視点を置いて交互に記述することで事件を小説的に立体化しようとしています。「何が真実か」はわからないわけですから、これはこれで良い手法だと私は感じます。
 西インド諸島のサトウキビ農園は、奴隷のための食料輸入のコストに苦しんでいました。そこで、タヒチからパンノキを移植することにします。1789年、その輸送のためにイギリスから派遣されたのがバウンティ号でした。しかしブライ艦長に対するクリスチャン副長の反感は異常なくらい高まり、タヒチを出発した直後、ついに叛乱が。艦長と彼を支持する乗組員は、小さなランチでバウンティ号から追放されました。
 クリスチャンは直接殺人をする気はなく、ランチが転覆する、あるいはどこにもたどり着けずにのたれ死にをすることを期待していたようです。しかし船には優秀な航海士がいて、海図と羅針盤と六分儀で無事に5800kmの航海を成功させてしまったのです。そしてイギリスに急報します。
 ただちに探索船パンドラ号が仕立てられ、タヒチで叛乱者の多くを逮捕しましたが、クリスチャンは行方不明でした。
 イギリスでは叛乱者の裁判が進行しましたが、ブライはすぐに次の任務を与えられて、海外に出ていました。ブライが「パンノキを西インド諸島に移植する任務」にこんどは成功してご満悦の時、イギリス本国の軍事法廷では裁判が意外な展開を見せていました。
 クリスチャンは、タヒチからも脱出して、数人の仲間と現地妻とともに、イギリスの海図に載っていないピトケアン島に移っていました。しかしそこも楽園ではありませんでした。
 複雑な政治折衝の結果、ブライはオーストラリアの総督に任命されます。自身では最高の昇進です。しかしその影には、クリスチャンの兄の陰謀が働いていました。ブライはそこで“第二の叛乱”に出くわすことになるのです。
 しかし、最後の最後に「残された謎」が解かれるシーンは、静かな衝撃です。なぜブライ艦長があそこまでクリスチャンに辛く当たっていたのか、その理由が明かされるのですが……
 本書は小説ですが、「あり得た過去」の一つかもしれません。そうそう、私は、弟が作った生き地獄に巻き込まれてしまった兄の運命にも共感を覚えてしまいました。家族愛の生き地獄って、あまり嬉しくないですよねえ。


2016-10-30 09:16:15 | Weblog

 祖先が誰かとか過去にどんな業績を上げたか、も私の一部ではありますが、一番「私」として重要なのは「今何を考えているか」「今何をしているか」でしょう。

【ただいま読書中】『蚊はなぜ人の血が好きなのか』アンドリュー・スピールマン、マイケル・ド・アントニオ 著、 奥田祐士 訳、 ソニー・マガジンズ、2002年、1600円(税別)

 「蚊を愛することは難しいだろうが、蚊を深く知ると、その美と価値を知ることはできる」と著者は言います。蚊を愛する? 蚊の価値? 私は首を捻りながらとりあえず「蚊を知る」ことから始めます。なにしろ私は蚊については何も知りませんから。
 蚊の幼虫はお尻の呼吸管で空気呼吸をしています。変態してサナギになると、口がなくなり胸の呼吸管で呼吸をしますが、目と尾は機能していて、外敵の影が上から迫ると水中に逃れます。サナギというとじっとしている、というイメージを私は持っていましたので、これは意外でした。
 吸血をする蚊はメスに限定されますが、メスの蚊の“主食”は血液ではなくて(オスと同様)花蜜や腐った果実などの糖分です。血液は産卵のために必要な“特別食”です。1回の交尾でメスは一生分の産卵に必要な精子を体内に蓄えます。
 蚊は自分の種に特有の「羽ばたき音」に敏感です。これは交尾のために必要だからでしょう。そして、二酸化炭素と乳酸に対する化学センサーと大きな動きに対する視覚センサー、さらに熱感知センサーを活用することで「動いて汗をかいて熱を発しているもの」つまり私やあなたにロックオンしてひそかに近づいてくるわけです。
 蚊の「針」は複雑な構造物です。二対のスタイレット(探り針)に囲まれた二本の束で構成されていて、まずスタイレットが前後に往復しながら皮膚を破りその突破口を束が通過して血流を探ります。細静脈または細動脈に先が到達すると90秒で数マイクログラム(蚊の体重の2〜3倍)の血液を吸い上げます。首尾良くいったら、蚊は45分間くらいの休息を取り、その間に血液から水分を抜き取って尿として排泄します。
 吸血のときに蚊は唾液をこちらの体内に送り込みます。これは止血を妨害する化学物質で、個人的な問題(痒み)を引き起こしますが、中に人の病気の原因となるウイルスが混じっていることがあるのが、個人だけではなくて社会的問題となります。
 ヒトスジシマカは人間以外の動物からも吸血するため、特定の動物に限定されていた病気を人間に持ち込む可能性があります。もともとアジアにいたヒトスジシマカは、アメリカには古タイヤ(の中の水)によって持ち込まれ、テキサス州ヒューストンのネッタイシマカの縄張りを10年で奪い取り、そこからさらに世界各地に“移民”をし続けています。
 “新大陸”に向かう奴隷船には、蚊も積み込まれていました。アフリカ人の多くは免疫を持っていた黄熱は白人を容赦なく攻撃し、そのウイルスはアメリカにも定着します。黄熱は接触性の伝染病とみなされ患者は隔離されましたが、蚊はそんなことにはかまいませんから、病気の伝播は止まりませんでした。黄熱は特に北アメリカの南部で猛威をふるい(蚊が越冬できたからです)、ヨーロッパの黒死病の時のようなパニックを各地で起こしました。黒人が黄熱を発症しにくいことは、「劣等民族だから黄熱にかかりにくい」と人種差別の根拠とされ、「黒人がひそかに黄熱を広めている」と迫害の根拠にもされました。
 マラリアもまたアメリカ南部と中西部に深刻な傷を与えました。「夏」と「水」が病気に関係していることは気づかれていましたが、それがはっきりするのは19世紀末になってからです。
 象皮病の原因はフィラリア線虫ですが、それを発見したマンソンは、フィラリアがどこからもたらされたか、を考え「蚊」に注目しました。マンソンは患者から吸血した蚊の体内にフィラリアの幼虫を発見します。これが「蚊の研究」のブレイクスルーになりました。それまで調べもせずに「蚊なんか病気に関係ない」と言っていた科学者たちが、世界中で真剣に研究をするようになったのです。
 マラリアが原虫で発生することを発見したのは1880年のラベラン。インドで医者をやっていたロスはイギリスに戻ってマンソンにマラリア原虫の顕微鏡標本を見せられて発奮、当時の仮説「マラリアは蚊によって媒介される」を証明するためにまたインドに戻ります。採血検査、患者を刺した蚊の採取、蚊の解剖を延々と繰り返し続け、ついに蚊の体内で原虫が成長している証拠を発見しました。
 1900年には医師のキャロルが黄熱の人体実験(感染した蚊に刺される)で感染に成功。比較試験(防虫テントの中に志願者。一つのテントには黄熱患者の血を吸った蚊を放し、もう一つのテントでは黄熱患者の吐瀉物で汚れた毛布で寝てもらう。発病したのは蚊の方のテントだけ)でネッタイシマカが黄熱の媒介動物であることが明らかにされました。
 各種の脳炎、デング熱、リフトバレー熱、西ナイル熱……実に様々な病気が蚊によって媒介されています。では、その解決策は?
 「殺虫剤で蚊を全滅」が解決策に見えます。第二次世界大戦前にはヒ素剤が使われていました。戦争中からDDTが使われるようになりましたが、興味深いのは、アメリカにとってDDTが「武器」だったことです。冷戦下にこれでマラリアなどを撲滅したら、その国はアメリカの“味方”になるに違いない、という目論見です。だからDDTは重要であり、その重要性に異議を差し挟む者(DDTの効果に疑念を持つ者、DDT以外のマラリア対策法を研究する者)は“反逆者”扱いでした。しかし、アメリカでマラリアが激減したのは、DDTではなくて「経済成長」(網戸の普及、低湿地の排水による土地利用の促進、など)によってでした。さらにDDT耐性の昆虫が次々出現し、『沈黙の春』に代表される「環境の視点」からの批判もあり、こんどは逆に「DDTはワルモノ」になってしまいます。本当は、適材適所で使えばまだDDTには良い使い道があるのに、と著者は残念がっています。
 読み終えて……さすがに「蚊に対する愛」は持てませんでしたが、興味は持てました。蚊もまた他の存在と同じく、非常に興味深い存在であることは理解できましたから。


健全な社会

2016-10-29 08:33:46 | Weblog

 「愚行が一切ない“潔癖”な社会」のことではなくて、「少々の愚行くらいではびくともしない(少々の愚行なら許容できる)強さを持った社会」のこと。

【ただいま読書中】『知られざる宇宙 ──海の中のタイムトラベル』フランク・シェッツィング 著、 鹿沼博史 訳、 大月書店、2007年、3800円(税別)

 「海」に関するノンフィクションですが、「これはスリラー小説だ」と著者は宣言します。
 まず「おととい」から話は始まります。おととい何があったか? ビッグバン。そしてページをめくると「きのう」が始まります。
 この短くショッキングで魅惑的なオープニングで、この分厚い本(600ページ以上)を手に取ったことは間違いではなかった、と私は確信します。
 ビッグ・バン、太陽系と地球、100万年の大豪雨、大陸移動……わずか20ページで著者は駆け抜けてしまいます。そして「進化」へ。「生命」が生まれ、細胞分裂が起き、さらに有性生殖も「進化」は覚えます。そこでバランガー氷期。地球は“アイスボール”となります(現在の議論は「地球はアイスボールになったかどうか」ではなくて「地球表面の100%が白くなったか、90%だったか」だそうです)。氷の下で生命はしぶとく生き続け、ついにエディアカラ紀の到来。海は「豊穣」の時代となります。そして次のカンブリア紀は「爆発」。もっともこの「爆発」には賛否両論あるのですが。海には三葉虫やアノマロカリスなど様々なバリエーションの生命が満ちあふれたのです。ただし、エディアカラ紀ののどかな様相とは違って、「食うか食われるか」の競争の世界でした。オルドビス紀からシルル紀に移ろうとしたとき、地球はまた寒冷化し浅い海で大絶滅が起きます。これに関しては「超新星のガンマ線バーストが原因だ」という説があるそうです。この説にも賛否両論あるのですが、私は賛成に一票。
 生命は大陸に上陸し、そこでも繁栄します。しかしペルム紀に、酸素濃度の急激な低下と同時に大絶滅が。こちらの原因はシベリアでの大噴火。陸上生物には大打撃がありましたが、海中では90%以上の種が絶滅、という壊滅的な被害が生じました。そこで爬虫類の一部が、地面から海に戻って、絶滅した大型捕食獣の地位を受け継ぐことにします。魚竜です。しかし魚竜も、1億8100万年前の大地震(アイルランド西方の海底地震。マグニチュード20! とんでもない大津波とそれに伴うメタンハイドレートの大崩壊によって海水が硫化水素に満たされたこと)によって絶滅します。
 さて、恐竜の時代が到来し、そして絶滅。この絶滅のメカニズムにも、例によって「論争」が登場します。科学者は何かで意見が一致する、ということがあまりないようです。本書でも何かイベントがあるたびに激しく行われた「論争」について紹介されていますが、「歴史」ってつまりは「論争の歴史」のことなのかもしれません。
 「鯨」が海に登場します。鯨(あるいはその祖先)は、クラゲやイカが大好きですが、それは、鯨は陸上生活の名残で淡水を飲む必要があるが、クラゲやイカは「淡水の塊」だから、という指摘は私にとっては新鮮でした。地中海が干上がり、ジブラルタル海峡が再開通して莫大な水が瀑布となって大西洋から流れ込みます。
 そしてやっと「きょう」が始まります。しかし本書はまだ1/3がすんだだけ。今からの方が長いのです。まだまだ読者はたっぷり楽しめます。しかも「きょう」は「もし月がなかったら」という仮定から始まります。そして、波、海流、生物、交通……いくらでも話題が登場し続けます。そして最後に著者はまた宇宙へ出かけてしまいます。
 「海」を時空間の観点から見ると、数億年前に平気で戻らなければなりませんし、地球の中心から宇宙にまで視野を広げる必要があります。著者のこの緻密でしかし幅広い興味を示す態度が非常に印象的です。また、「真面目」と「軽妙」、「正確さ」と「わかりやすさ」を同時に満足させることに成功している点で、著者の力がとんでもないことがよくわかります。私がもし物書きだったら、著者に嫉妬したことでしょう。


国会は何の場?

2016-10-28 06:32:40 | Weblog

 少なくとも「議論の場」ではないですね。個人の口からは「論」にあたいするものは出てこないし、相手との「議」もないですから。「論争」の「争」だけはたっぷりありますけど。

【ただいま読書中】『死刑台のエレベーター』ノエル・カレフ 著、 宮崎嶺雄 訳、 創元推理文庫、1970年(87年13刷)、400円

 映画の方が知られているかもしれませんが、非常に有名な小説です。それでも知らない人がいるかもしれないのでネタバレはしません。
 タイトルが秀逸ですね。「死刑台」と言えば「13階段」と返したくなるのですが、、それが「エレベーター」なのですから。もしかして絞首台でぶらりとさがっている屍体と、ロープに吊されている(そしていつロープが切れて墜落するかもしれない、という“スリル”が楽しめるエレベーターの箱とを対比させているのかもしれません。
 きちんと計画はしたものの、慣れない殺人をしてしまって半分パニックになったジュリアンは、証拠になる書類を置き忘れたことに気づいて慌ててエレベーターに乗ります。ところが途中で急停止。週末でビルは閉鎖されるため、管理人がビルの電源を落としてしまったのです。ビルは無人で誰もジュリアンが閉じ込められていることに気づいてくれません。「なんでそんなところにいるんだ?」と問われますから、気づかれても困るのですが。悪戦苦闘してやっとエレベーターの箱から脱出に成功したジュリアンを待っていたのは……
 偶然に偶然が重なり、ジュリアンの運命はどんどん悪くなっていきます。ギリギリのところで常にジュリアンは「悪い方の選択」をしてしまうのです、というか、それしか選択肢がない状況に追い込まれてしまうのです。まあ、そもそもは、最初の殺人が「悪いこと」なのですが。「スリルとサスペンス」と言いますが、映画的な場面が続くまさに「スリルとサスペンス」の本です。未読の方は、ぜひ。


大暴落と地震

2016-10-27 07:05:50 | Weblog

 この二つはよく似ています。
 どちらも「予言者」は「後」になって「起きることはわかっていた」と言います。
 どちらも「起こす力」を持った人間はいません。残念ながら「防ぐ力」を持った人も。

【ただいま読書中】『森を食べる植物』塚谷裕一 著、 岩波書店、2016年、2000円(税別)

 光合成をせず、カビやキノコを食べて生きる「腐生植物」についての本です。この世の中にはずいぶん変わった植物がいるんですね。
 腐生植物はかつて「腐った死骸などに寄生している」という誤解からこの名前をつけられました。実際に緑色の葉を持たず普通の植物とは一線を画した発想の形です(ギンリョウソウは鱗状の葉がありますが花茎に付着していて、一見茎と花だけに見えます。で、根っこは枝サンゴのような独特の形をしています)。
 腐生植物に近いものとして著者は「ラン」を挙げています。ランの多くは光合成もしますが根のラン菌から栄養を吸収していて、中には光合成をやめて菌類からの栄養だけで生きている「腐生ラン」というものもあるそうです。腐生ランは非常に目立たない形で生きていますが、腐生ランの中のムヨウラン(無葉蘭)は花が咲いていないときでも茎が太くて目立つそうです。「目立つ」と言っても、見る人が見れば、なんでしょうけれど。タヌキノショクダイの写真を見て私がすぐ連想したのは、クリオネです。よくよく見たらクリオネとはずいぶん違うのですが、非常に奇妙な花の形で、どことなく動物を連想させるのです。
 腐生植物は「生きたカビやキノコの菌糸」を栄養源にしています。樹木と菌類は共生関係にありますが、腐生植物はそこに割り込んできて、自分の根に付着した菌類を消化吸収してしまう、という「寄生」を行うのです。自分より小さなものに寄生する、と言われると、なんだか釈然としませんが。
 面白いことに腐生植物は“偏食”のものが多くいます。ギンリョウソウはベニタケ属、マヤランはロウタケ、タシロランはイヌセンボンタケ、と寄生する相手は特定のものだけです。もちろん“雑食”の腐生植物もいるのですが。生育環境で「栄養」が豊富で菌類の勢力が強ければ、腐生植物の種がそこに落ちて菌に寄生しようとしてもあっさり負けてしまいます。だから“偏食”で自分の身を守ろうとしているのかもしれません。
 光合成に頼らない“日陰者の生活”を選択した腐生植物ですが、このライフスタイルには利点もあります。「光をめぐっての他の種との競争」をしなくてすむ点です。せっかく得た栄養を、他の植物より背を高くするための茎や日光をより多く受けるための多数の葉に回さなくてもすみますし、住む場所の“日当たり”も気にしなくてすみます。そして、腐生植物が見つかる森は「良い森(豊かな生態系が安定期にある)」だそうです。人間の社会でも、「良い社会」だったら、腐生植物のような様々な生き方が許容されるゆとりがあるのかもしれません。 


サービスの品質

2016-10-26 07:11:36 | Weblog

 この前入った蕎麦屋で、隣のテーブルのお客さんがざる蕎麦大盛りが目の前に置かれたら、数秒後に店員を呼び返していました。聞くともなく聞いていると「ワサビがない」。ざる蕎麦にワサビがないとやっぱり淋しいですよね。で、店員がすぐに引っ込んで、なぜか別の店員が小皿に載ったワサビを持ってきたのは良いのですが、「失礼しました」も「申し訳ありませんでした」もなしで「お持ちしました」だけ。これがお客の方が「ワサビを大盛りにしろ」と言ったのだったらまだわかりますが、明らかに店の側のチョンボです。コンビニ敬語のように馬鹿丁寧だったりピントの外れた敬語を使うよりも、状況に応じた応対をして欲しいものだなあ、と思いながら、私はずるずると自分の蕎麦をすするのでした。

【ただいま読書中】『ライアーズ・ポーカー ──ウォール街は巨大な幼稚園』マイケル・ルイス 著、 東江一紀 訳、 角川書店、1990年、1900円(税別)

 ソロモン・ブラザーズの会長のジョン・グッドフレンドがフロアにぶらりとやって来て、最優秀トレーダーのメリウェザーに嘘つきポーカーの勝負を挑もうとしました。一発勝負で賭け金は100万ドル。メリウェザーは鼻でせせら笑い賭け金を1000万ドルにせり上げます。ゲームが始まる前から「嘘つきポーカー」が始まっていたのでした。
 著者は1985年度にソロモンに入社しました。ソロモンが大拡張政策を採用して新人を大量採用し始めた年です(それがソロモン凋落の始まりだった時期であることもあとになってから判明します)。5箇月間の新人研修は、一種の洗脳期間でした。「金儲け」を(口には出さない)動機として会社に全身全霊を捧げるように人をプログラムすることが目的です。必ずしも成功しているとは言えませんが(著者のようにそれを批判的に記憶している人もいましたから)。
 やっと研修が終わって現場に配属された新人を待っているのは、幼稚であくどい悪戯の洗礼です。「ウォール街は、川で始まり、墓場で終わる通りだ」という古い戯れ言があるのだそうですが、実はその中間には「巨大な幼稚園」が存在しているのです。ただし、本物の幼稚園は“無邪気”の集団ですが、ウォール街の「巨大な幼稚園」は“邪気”や“邪鬼”の集団でした。自由ででたらめで意地悪で無頓着で悪戯好きな連中ばかりだったので「人間らしい人」は本当にごく少数だけでした。そういった人たちが何億ドル何兆ドルを動かしていたのです。
 著者が入社した頃ソロモンで“最上位”に位置するのは「モーゲージ部」でした。住宅ローンを債権化して売買する部門です。部門が形としてできたのは1978年。最初は債券部門の鬼っ子扱いでしたが、79年に連邦準備銀行が金利を上げたため住宅資金貸し付けのシステムが危機的状況になりそれを救うために租税特別措置法案が可決されたことでモーゲージ部は鬼っ子から“専制君主”になりました。売り手は千人いるのに買い手は一人だけ、つまりソロモンのモーゲージ部門しかなかったので、好き放題できたのです。客の選択肢は二つ、「ソロモンに巨額を強奪される」と「倒産する」だけ。やがて状況が変わって好き放題ができにくくなると、そのころ債券部門に大量に採用されるようになっていたMBA所持者や数学者が、様々な工夫をするようになります。これがのちの「サブプライムローン(とその大惨禍)」を生み出すことになるんですね。
 研修が済んだ著者はロンドン支社に配属され、「下等動物(=新人、見習い)」として働き始めます。先輩からカモにされ、著者は客をカモにしながら、セールスマンとして腕を上げていきます。それにしても「数百万ドルの取り引き」が「下等動物用のごみのような小さな取り引き」で、それで客に損をさせても「どうせ客はすぐに忘れる」なのですから、私の世界の常識とは全然違う世界なんですね。そして1年も経たないうちに著者は「凄腕」と社内で呼ばれるようになっていきます。
 本書は「汚い金儲けの手口の具体的な解説書」として読むことが可能ですが、私は「無知な人間が、“知識を得ること”によって汚い手口を平気で駆使する人間に“成長”していく物語」としても読みましたし、同時に「資本主義社会が、必要な人材をいかに調達しているかの社会システムの物語」としても読みました。ということは、資本主義社会の中に生きている私にとって本書で描かれている人びとの姿は「私の物語」でもあります。


体成分

2016-10-25 06:58:09 | Weblog

 めったに食べることはありませんが、私はトリュフよりは松茸の方が美味しいと感じます。
 西洋人にとってオリーブ油は特別な存在だそうです(オリーブの木の下で生まれたのはアルテミス、アポロン、ロムルス、レムス……と錚々たるメンバーですし、塗油の儀式なんてものもあります)が、私は胡麻油の方が美味しく感じます。
 私の体は、西洋料理よりは日本の料理で出来上がっているようです。

【ただいま読書中】『オリーブの歴史』ファブリーツィア・ランツァ 著、 原書房、2016年、2200円(税別)

 古代にオリーブは、シリア・パレスチナ・クレタ島でそれぞれ独立して栽培されるようになったようです。紀元前2000年頃、バビロニア帝国のハンムラビ王はオリーブ油交易に関して厳格な規則を定めました。油の使用目的は、香油・化粧・灯火でした。ローマ人はオリーブをヨーロッパ全域に移植し(今でも当時のオリーブ畑が残っている場所があるそうです)食用にも用いるようになりました。
 ローマ帝国が崩壊し気候が寒冷化するとアルプスより北のヨーロッパではオリーブ栽培は衰退します。オリーブ油が“再発見”されたのは西暦1000年頃から、キリスト教がヨーロッパに広がるのとほぼ同じ時期でした。ただしその用途はほとんどが食用でした(その他は、灯火用と石鹸の原料です)。
 古代エジプトでは、オリーブの収穫は「純潔」に関する儀式を経た労働者だけが行うことができ、神像に近づけるのはオリーブ油を体に塗った者だけに制限されていました。古代ギリシアでは、処女か童貞だけがオリーブ栽培に従事できると考えられていました(実際にそうしていたかどうかは不明です)。16世紀フィレンツェでは前夜にセックスをしていない男性だけがオリーブ栽培に従事できました。ユダヤ教(とキリスト教)ではオリーブは聖なる存在でした。ノアが放したハトが持ち帰ったのはオリーブの枝でした。これはつまり「神の言葉」です。「香油」は聖書(新旧ともに)に頻繁に登場します。
 宗教と医術は相性が良いものですが、オリーブ油はその両方の機能を果たしました。香油だけではなくて、軟膏の原料としても有用だったのです。さらにスポーツ用として、競技会の前に全身に塗り込む用途もありました。
 油を絞るのに適しているのは、完熟する前の実です。完熟すると油は質が落ちます。しかし未熟な実は苦みがあって食べるのには向いていません。完熟すると苦みが減るのでそれを乾燥させて塩漬けすることで食べることができるようになります。この製法を発見したのは古代エジプト人のようです。
 北アメリカにオリーブを持ち込んだのは、ヒスパニックあるいはイタリア系の移民で、気候が適したカリフォルニアで農園が作られました。しかし多くの人にとってオリーブはあまり人気のある食品ではありませんでした。それが変わったのは第二次世界大戦後。「ヘルシーな食生活」として「地中海式ダイエット」と「エクストラヴァージンオリーブオイル」が注目されるようになったのです。それも異常なくらいの熱心さで。著者は「そもそも『地中海式ダイエット』って、中近東とヨーロッパで全然違うし、ヨーロッパでもギリシアとイタリアとフランスとスペインとで全然違うぞ」と指摘し、オリーブ油がまるで“信仰の対象”に祭り上げられていることから、古代の「宗教の象徴」に戻ったみたい、と皮肉っぽく感想を述べています。もしかしたら歴史は一方向に進歩するのではなくて循環するのかもしれません。


古いズボン

2016-10-24 07:20:34 | Weblog

 最近は「パンツ」と呼ぶのが普通らしいのですが、私は今でも「ズボン」と言っています。
 「お気に入りだけど、さすがに傷んできたな」と普段履きの古いズボンを処分する気になりました。思い出すとこのズボンを買ったのはまだ独身だった33年前。スポーツ用だったので縫製が頑丈だったのでしょうね。よく保ったものだと感心します。それと、大切に扱った自分の態度にも感心しておきましょう。おっと、33年間同じズボンをはける体型を維持してきたことにも自分で感心をするべきかな? もっとも、若い頃には太ももが入らないのでウエストはワンサイズ大きなズボンを買っていた、という“インチキ”のせいもあるのですが(今はこのズボンは太ももはゆるゆるでウエストはきつきつになってます)。

【ただいま読書中】『ウルトラQ(彩色版)』藤原カムイ 作、角川書店、2011年、2020円(税別)

目次:「ペギラが来た!」「地底超特急西へ」「バルンガ」「ガラダマ」「2020年の挑戦」「悪魔ッ子」

 「ウルトラQ」のいくつかの話をマンガ化した本です。
 私はウルトラQを放映時にリアルで見ていますが、姿が記憶に残っているのはカネゴンくらいです。あとケムール人の名前くらい。
 しかしじっくり読むと、脚本が分厚いですねえ。いや、本の物理的な厚みの話ではなくて、エピソードの構成のことです。テーマが複層的に組み立てられ、そこにSF的なアイデアが斜めに挿入されている、といった感じです。
 そうそう、ケムール人のところで「怪獣をやっつけるために東京中の電力を一点に集中させたため東京が真っ暗になる」アイデアは、のちにエヴァンゲリオンのヤシマ作戦で拡張再利用をされていますね。
 しかし最後のおまけマンガ「がんばれユリちゃん!の巻」には笑ってしまいました。江戸川由利子とフジ隊員とが同じ役者さんだったなんて、きれいさっぱり忘れていたものですから。
 たしかウルトラQはビデオソフトがあったはず。貸しビデオ屋にあるかな?(すっかり観る気になっています。でもあれを全部観ていたら読書ができなくなる。これは困りました) もしもこの日記がぱったりと消息不明になったら「ウルトラQに拉致されたか?」とでも思ってください。


やる気

2016-10-23 07:10:04 | Weblog

 「やる気を見せろ!」とよく言われますが、無能な人間がやる気を見せてばりばり実行をしたら、結果は本人にも周囲にも悲惨なことになります。

【ただいま読書中】『かぜの科学 ──もっとも身近な病の生態』ジェニファー・アッカーマン 著、 鍛原多惠子 訳、 早川書房、2011年、2100円(税別)

 アメリカ人は一生で5年間風邪の症状に苦しみ、1年間床につくことになるそうです。風邪の病原は約200種類。たとえ一つのウイルスに抗体を作っても、次から次に新手が襲来して風邪を次から次へとひくことになります。
 風邪ウイルスの主な侵入経路は鼻と目です(口、つまりキスはあまり重要な感染路でないことが実験で確認されています)。では、羽根を持たないウイルスがどうやって鼻と目にたどり着くのでしょう。そこで活躍するのが「手」です。鼻水やくしゃみで悩む人のまわりは、べったりと鼻水(とウイルス)で汚染されています。くしゃみや咳でウイルスは飛び散りますが、それ以外に、患者が鼻をかんだり顔を触って汚染された手でまわりを触ることが大きいのです(それを確認した実験があります)。そして、ウイルスが付着したところを健康な人が触るとその手にウイルスが付着します。意識している人は少ないのですが、人は自分の顔を頻繁に触る癖があります(これを明らかにした研究もあります。それによると人は自分の顔に触る回数は1日に200〜600回! 特にコンピューターで仕事をしている人は回数が多いそうです)。鼻をほじったり目を擦るとそこにウイルスがくっつき粘膜に潜り込みます。くしゃみの飛沫をたっぷり浴びた場合は話は別になりますが、同じ部屋にいて同じ空気を吸う程度では風邪はうつりません(これまた実験が行われています)。
 「風邪の症状」はウイルスが起しているのではなくて「自分」が起こしています。ウイルスに免疫システムが反応して抗体を産生すると同時に炎症性サイトカインがどんどん産生されますがこれが発熱や痛みを起こします。キニンは喉の痛み・鼻づまり・鼻水を、プロスタグランジンは咳を、ヒスタミンはくしゃみ、インターロイキンは眠気。アレルギーは免疫システムの暴発ですが、風邪の症状は免疫システムの過剰反応が起こしているわけです。ということは、サプリの宣伝などで「免疫を強化して健康に」というのは、少なくとも風邪に関しては逆効果になりそうです。免疫が弱い方が風邪の症状は楽なのですから。
 風邪の治療は様々です。古代ローマではネズミの鼻にキスをしました。植民地時代のアメリカでは、冷水に両足をつけたりオレンジの皮を鼻に突っ込みました。第一次世界大戦のはじめにアメリカ化学戦局は「塩素ガス」の吸入を推進しました。毒ガスでっせ。そういえば私が小さい頃に「ビタミンC大量療法」なんてものもありましたっけ。これはノーベル賞(それも化学賞と平和賞の二つ)受賞者のポーリングが晩年に唱えた説ですが、「ノーベル賞受賞者が言った」ということで裏付け調査抜きで世界中でブームになったのだそうです。ブームになった後から臨床検査がいくつも行われましたが、極端な環境下の人(兵士、スキーヤー、マラソンランナー、極寒下の人など)がビタミンCを大量に摂取したら風邪の罹患率は半減したのですが、一般人の場合にはどうも期待は薄いようです。
 風邪の予防に一番確実なのは「一切の人付き合いをしない生活」です。人と接触しないだけではなくて、人が触ったものとも接触してはいけません。マスクはあまり有効ではありません。ウイルスは普通のマスクは楽々と通過しますから。ただ、自分の顔(特に鼻)を触らせないためには有効ですね。「手を清潔にする」も有効な手段です。ただ、正しい手洗いのテクニックが必要で一日に何十回も洗う必要がありますが(殺菌剤入りの石鹸は宣伝文句ほどには意味がありません。そもそも風邪は細菌ではなくてウイルスですし、普通の汚れは普通の石鹸と流水(あるいは流水だけ)で機械的に皮膚から十分剥がすことができますから)。
 「風邪を擁護」する意見も登場します。たとえば疫学調査では、ライノウイルスが流行するとインフルエンザが減ります。これはライノウイルスに対してサイトカインを人びとが産生するのでそれに反応するタイプのインフルエンザが活動しにくくなるのかもしれません。また、風邪のウイルスを癌やHIVの治療に応用する研究が始まっています。さらに、生態系の中でウイルスは何か人類に有用な役目を持っているのかもしれない、という意見もあります。一口に風邪と言っても、一筋縄ではいかないようです。


犬と猫のミスマッチ

2016-10-22 15:02:17 | Weblog

 「負け」も「化け」もよく似た語感なのに、「負け猫」とか「化け犬」とはあまり言いませんね。

【ただいま読書中】『千年前の人類を襲った大温暖化 ──文明を崩壊させた気候大変動』ブライアン・フェイガン 著、 東郷えりか 訳、 河出書房新社、2008年、2400円(税別)

 半世紀前、イギリスの気象学者ヒューバート・ラムは様々な手がかりを集めることで「西暦800年〜1200年は温暖化の時代だった」ことを突き止めました。その後、樹木の年輪や雪氷コアの研究で、ラムの主張の正しさが追認されています(さらにマンなどの研究で、産業革命以後の気温上昇が中世の温暖期を上回っていることがわかったのは、別のお話です)。
 中世の温暖化は、ヨーロッパには好機でした。耕作適地はすでに開発され尽くしていましたが、ヨーロッパ全土はほとんどが森林に覆われていたため、開墾熱がヨーロッパを支配します。人口は増え、増えた人口を食わせるためにさらに開墾が進みます。1100〜1350年でヨーロッパの森林の半分以上が伐採されました。本来は耕地には適していない土地でも、好天に恵まれる夏と穏やかな秋によって集約農業が盛んに行われます。また、海ではニシンの豊漁が続き、これも貴重な蛋白源となりました。
 中世の温暖化は中央アジアのステップに干ばつをもたらしました。チンギス・ハーンが大遠征をして版図を広げた原因の一つに著者はこの干ばつを挙げています。チンギスの孫バトゥはポーランドとハンガリーを征服しオーストリアに侵入したところでオゴディ・ハーン死去、大ハーン選出に備えてオゴディは軍を撤退させました。それと時を同じくして、ステップに寒冷で湿潤な気候が戻り、牧草地が回復しました。オゴディがヨーロッパに戻らなかったのは、それも原因の一つかもしれません。牧草地が豊富にあって南方との交易が盛んなら、征服への野心は薄れてしまうでしょうから。
 本書で面白かったのは、地球規模での空気や海水の流れの描写に文明の盛衰が重ねられ、さらに突然ミクロの「人びとの生活」が具体的に描写されるシーンが挟み込まれる所です。さらに著者の視点は、大陸から大陸へ、ぐるりと地球を一周します。
 温暖な数世紀、ユーラシアとサハラは干ばつに苦しめられましたが、北極は恵みの季節を謳歌しました。海はあまり氷結せず、スカンディナヴィアの民は人口増加の圧力によって、ロングシップでの遠征を繰り返しました。入植は、アイスランド、グリーンランド、そしてついに“新大陸”のラプラドルに広がります。
 北アメリカの西部も大干魃に襲われました。その影響をもろに受けたのが、プエブロ族でした。彼らの生活様式は乾燥に弱く、チャコ・キャニオンに建てられていた立派な「プエブロ(アパート式集合住宅)」を見捨てて移動することになってしまいました。そして、太平洋の大気と海水の相互作用はプエブロ族だけではなくて中央アメリカとアンデス地方の高度な文明にも深刻な影響(混乱と食糧不足)をもたらします。
 マヤ文明は、多様な土地環境をベースとし、細心の水管理によってモザイクを組み合わせたような文明形式を保っていました。それを9世紀初頭から始まった干ばつが襲い、大打撃を与えました。1100年以降、気候は湿潤となりましたが、マヤは復活しませんでした。
 干ばつは南アメリカも襲っていました。「エルニーニョ」は地球の他の地域にも影響を与えますが、ペルーでは「主役級」の働きをしています。エルニーニョはペルーの海岸地域に豪雨をもたらして灌漑施設を破壊し、カタクチイワシを冷たい海域に移動させて、このダブルパンチで人びとを飢えさせます。ペルーのチムー王国は、高原からやってきた新しい勢力(インカ)に征服されることになりました。
 生物としてのヒトは進化の産物ですが、文明や文化はヒトと環境の相互作用によって生まれます。本書ではその「環境」を古気象学の観点から読み解いています。「地球というシステム」から見ると「歴史」はまた別の側面を見せてくれます。またこの読解によって、現在私たちが直面している「地球温暖化」の理解も進みます。少なくとも「地球というシステム」の「自然変動」とそれに私たちが加味している「人為的な変動」とを理解すれば(少なくともそのようなものが存在していることを認めれば)「未来」についてのプランを考えることも可能になります。
 本書は「千年前のできごと」を扱っていますが、実は「人類の未来を述べる本」でした。