ミラーニューロンについて初めて知ったときには驚きましたが、すぐに納得してしまいました。それで説明がつくことが多いように思えたからです。たとえば鳥は、他の鳥が羽ばたきながら飛ぶのを見て、自分が飛ぶ前に「飛ぶこと」を学び、ミラーニューロンが運動神経に情報を渡して準備をしているはずです。それをせずに一か八かで巣から飛び出していたら、ひな鳥の多くは飛ぶ前に落ちていることでしょう。細かい調整などは飛びながら覚えるにしても、「自分は飛べるんだ」を目で見ることで「学ぶ」ことは大事なことでしょう。
【ただいま読書中】『ミラーニューロンの発見 ──「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学』マルコ・イアコボーニ 著、 塩原通緒 訳、 ハヤカワ新書juice、2009年、1300円(税別)
二十年くらい前、イタリアのパルマ大学で、マカク属ブタオザルの脳を研究する4人のチーム(リーダーはジャコモ・リゾラッティ)は不思議な現象に気づきました。サルの目の前で人間が何かをつかむ動作をすると、サルはそれを見ているだけなのにサルの脳のF5野(運動野のものをつかむ領域)でニューロンの発火が起きたのです。これは、それまでの脳神経科学のパラダイム(大脳の知覚領域は知覚を担当、運動領域は運動を担当、認知はその“中間”に位置する)に変更を迫る重大な発見でした。チームは研究を続け、1996年に「ミラーニューロン」を発表します。
人が実際に何か(たとえばオレンジ)をつかむと「つかむ」ミラーニューロンは発火します。しかしパントマイムだと発火しません。ではオレンジをサルから見えない仕切りの向こうにおいてつかむ動作をすると……ミラーニューロンの発火は半々でした。では空っぽの机を見せてそこに仕切りを設置してその向こうでつかむ動作をしたら……サルのミラーニューロンは全然発火しませんでした。
著者はUCLAでの自分たちの研究から、人間は自分の脳内で他人をシミュレートすることによって、他人の心理状態を理解していて、その手段としてミラーニューロンが介在している、という仮説を立てます。
さらに、視覚刺激だけではなくて聴覚刺激にもミラーニューロンが反応することから、「言語」にミラーニューロンが関与している可能性が浮上します(もともとサルのF5野が人間の言語野に相当する場所に位置することから、解剖学的にもその可能性は言われていました)。
ミラーニューロンに関しては、まだいろいろな説があります。最も単純なのは「行動認識だけ」。「だけ」と書きましたが、これはこれですごいことです。他人の「意図」を理解するのにミラーニューロンを使っている、は著者の主張です。社会や文化にまで拡張する説もあります。ミームはミラーニューロンによる、と。
コミュニケーションでの「ことばと身ぶり」の関係でも、発達期の子どもでの「ことばと身ぶりの食い違い」に関して面白い記述があります。ことばで間違えていても身ぶりは“正解”を出していることが多い、と。身ぶりが先行してことばがそれに追いつく成長過程があるのだそうです。
また、ミラーニューロン領域(運動性言語中枢)を磁気で一時的に麻痺させると人間はことばの理解能力が低下しました。つまり他人の発声をそっくり自分の脳内にミラーリングすることが言語理解に必須なのです。ここから著者は「共感」へ突入していきます。著者の主張は論理的ですがちょい過激です。たとえば対面しての会話場面、ミラーニューロンは他人の表情を模倣し、同時に大脳辺縁系の感情中枢に「島」を経由して信号を送ります。感情中枢は送られてきた「表情」に見合った感情を自分に感じさせます。自分の内面でその感情を感じた後私たちは「それ」が存在することを認識します。(鉛筆を口にくわえることで自分の表情を動かしにくくなったグループの人は、自由に表情筋を動かせるグループよりも相手の表情が見分けにくくなった、という実験結果からの仮説で、著者はその経路の活性化をfMRIで確認しました) ということは「無表情な人は、共感が足りないから無表情」なのではなくて「無表情だから共感が足りなくなる」ということ?
話はさらに複雑になります。ミラーニューロンは「他人」にばかり注目しているように見えます。すると脳内では「他人」と「私」が入り交じってしまうのではないでしょうか。では「私が私であること」は脳ではどうやって保証されているのでしょう? あ、乳幼児の全能感は、まだ「私」が未発達だから? 科学の本を読んでいるはずなのに「人間の脳の本質は間主観的であること」とさらっと書かれると、私はしびれてしまいます。
話はそこからさらに不確定な領域へ。自閉症の発症にミラーニューロンが関与(あるいは不関与)しているのではないか、という仮説の検討です。自閉症児の行動観察から模倣障害が認められます。ではミラーニューロンの機能不全の証拠は? 様々な研究で証拠が集められました。そこで著者は次の質問に行きます。機能不全の原因は? そして対策は? ここで提案されているのは「模倣」です。幼い自閉症児が他の子どもたちから孤立している場面で、セラピストがその子の模倣を始め感情豊かに相互作用をすると“即座”にその子はセラピストに対して反応が大きくなるのです。ミラーニューロンの訓練というかリハビリテーションでしょうか。著者は、これはまだ仮説に過ぎない、と言います。ただ、有望な仮説のように私には思えます。
しかし、人の動きやなじみのある音でミラーニューロンが活性化されるのだったら、読書はどうなんでしょう。文字はただの「もの(それも静止したもの)」ですからおそらくミラーニューロンは静かなんじゃないかな。だったら音読したら、その内容は黙読よりももっと深く私の脳に刻みつけられるのでしょうか。
300ページ以上もあるし、脳科学の用語がけっこう“生”で出てくるし、この方面になじみがない人には読みづらい本かもしれません。しかし、苦労する価値がある本だと私には思えます。まるでオマケのように、脳の報酬系の話で「男性の自動車マニアは、スポーツカーをうっとりと見るときと美しい女性を見つめるときと、脳の同じ部位が活性化する」なんてお話も載っています。「車は女性の隠喩」とよく言われますが、脳科学的にもそれは正しかったんですね。「広告の効果」についても面白い記述があります。様々な広告を見せながら脳の撮像をしていると、脳がきわめて活性化する広告と被験者が口で「とても興味が引かれた」と言う広告に解離が見られるのです。どちらの広告が“効果的”なのでしょうか? さらに中傷広告(ネガティブ・キャンペーン)の効果まで。ともかく面白いことは保証します。
人気ブログランキングに参加しました。よろしかったら応援クリックをお願いします。
【ただいま読書中】『ミラーニューロンの発見 ──「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学』マルコ・イアコボーニ 著、 塩原通緒 訳、 ハヤカワ新書juice、2009年、1300円(税別)
二十年くらい前、イタリアのパルマ大学で、マカク属ブタオザルの脳を研究する4人のチーム(リーダーはジャコモ・リゾラッティ)は不思議な現象に気づきました。サルの目の前で人間が何かをつかむ動作をすると、サルはそれを見ているだけなのにサルの脳のF5野(運動野のものをつかむ領域)でニューロンの発火が起きたのです。これは、それまでの脳神経科学のパラダイム(大脳の知覚領域は知覚を担当、運動領域は運動を担当、認知はその“中間”に位置する)に変更を迫る重大な発見でした。チームは研究を続け、1996年に「ミラーニューロン」を発表します。
人が実際に何か(たとえばオレンジ)をつかむと「つかむ」ミラーニューロンは発火します。しかしパントマイムだと発火しません。ではオレンジをサルから見えない仕切りの向こうにおいてつかむ動作をすると……ミラーニューロンの発火は半々でした。では空っぽの机を見せてそこに仕切りを設置してその向こうでつかむ動作をしたら……サルのミラーニューロンは全然発火しませんでした。
著者はUCLAでの自分たちの研究から、人間は自分の脳内で他人をシミュレートすることによって、他人の心理状態を理解していて、その手段としてミラーニューロンが介在している、という仮説を立てます。
さらに、視覚刺激だけではなくて聴覚刺激にもミラーニューロンが反応することから、「言語」にミラーニューロンが関与している可能性が浮上します(もともとサルのF5野が人間の言語野に相当する場所に位置することから、解剖学的にもその可能性は言われていました)。
ミラーニューロンに関しては、まだいろいろな説があります。最も単純なのは「行動認識だけ」。「だけ」と書きましたが、これはこれですごいことです。他人の「意図」を理解するのにミラーニューロンを使っている、は著者の主張です。社会や文化にまで拡張する説もあります。ミームはミラーニューロンによる、と。
コミュニケーションでの「ことばと身ぶり」の関係でも、発達期の子どもでの「ことばと身ぶりの食い違い」に関して面白い記述があります。ことばで間違えていても身ぶりは“正解”を出していることが多い、と。身ぶりが先行してことばがそれに追いつく成長過程があるのだそうです。
また、ミラーニューロン領域(運動性言語中枢)を磁気で一時的に麻痺させると人間はことばの理解能力が低下しました。つまり他人の発声をそっくり自分の脳内にミラーリングすることが言語理解に必須なのです。ここから著者は「共感」へ突入していきます。著者の主張は論理的ですがちょい過激です。たとえば対面しての会話場面、ミラーニューロンは他人の表情を模倣し、同時に大脳辺縁系の感情中枢に「島」を経由して信号を送ります。感情中枢は送られてきた「表情」に見合った感情を自分に感じさせます。自分の内面でその感情を感じた後私たちは「それ」が存在することを認識します。(鉛筆を口にくわえることで自分の表情を動かしにくくなったグループの人は、自由に表情筋を動かせるグループよりも相手の表情が見分けにくくなった、という実験結果からの仮説で、著者はその経路の活性化をfMRIで確認しました) ということは「無表情な人は、共感が足りないから無表情」なのではなくて「無表情だから共感が足りなくなる」ということ?
話はさらに複雑になります。ミラーニューロンは「他人」にばかり注目しているように見えます。すると脳内では「他人」と「私」が入り交じってしまうのではないでしょうか。では「私が私であること」は脳ではどうやって保証されているのでしょう? あ、乳幼児の全能感は、まだ「私」が未発達だから? 科学の本を読んでいるはずなのに「人間の脳の本質は間主観的であること」とさらっと書かれると、私はしびれてしまいます。
話はそこからさらに不確定な領域へ。自閉症の発症にミラーニューロンが関与(あるいは不関与)しているのではないか、という仮説の検討です。自閉症児の行動観察から模倣障害が認められます。ではミラーニューロンの機能不全の証拠は? 様々な研究で証拠が集められました。そこで著者は次の質問に行きます。機能不全の原因は? そして対策は? ここで提案されているのは「模倣」です。幼い自閉症児が他の子どもたちから孤立している場面で、セラピストがその子の模倣を始め感情豊かに相互作用をすると“即座”にその子はセラピストに対して反応が大きくなるのです。ミラーニューロンの訓練というかリハビリテーションでしょうか。著者は、これはまだ仮説に過ぎない、と言います。ただ、有望な仮説のように私には思えます。
しかし、人の動きやなじみのある音でミラーニューロンが活性化されるのだったら、読書はどうなんでしょう。文字はただの「もの(それも静止したもの)」ですからおそらくミラーニューロンは静かなんじゃないかな。だったら音読したら、その内容は黙読よりももっと深く私の脳に刻みつけられるのでしょうか。
300ページ以上もあるし、脳科学の用語がけっこう“生”で出てくるし、この方面になじみがない人には読みづらい本かもしれません。しかし、苦労する価値がある本だと私には思えます。まるでオマケのように、脳の報酬系の話で「男性の自動車マニアは、スポーツカーをうっとりと見るときと美しい女性を見つめるときと、脳の同じ部位が活性化する」なんてお話も載っています。「車は女性の隠喩」とよく言われますが、脳科学的にもそれは正しかったんですね。「広告の効果」についても面白い記述があります。様々な広告を見せながら脳の撮像をしていると、脳がきわめて活性化する広告と被験者が口で「とても興味が引かれた」と言う広告に解離が見られるのです。どちらの広告が“効果的”なのでしょうか? さらに中傷広告(ネガティブ・キャンペーン)の効果まで。ともかく面白いことは保証します。
人気ブログランキングに参加しました。よろしかったら応援クリックをお願いします。