【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

2015-07-31 07:10:14 | Weblog

 西洋のドラゴンは火の生物です。東洋の龍は水の生物。どちらも空を飛ぶ空想上の生物で(少なくとも動物園で見ることはできません)名前が「龍」と日本で呼ばれること以外、まったく共通点はありません。

【ただいま読書中】『そして最後にヒトが残った ──ネアンデルタール人と私たちの50万年史』クライブ・フィンレイソン 著、 上原直子 訳、 白楊社、2013年、2600円(税別)

 現生人類は10万年くらい前にアフリカを出てまず西アジアに定着、そこから全世界に広がりました。ところがヨーロッパに定着したのは、実はオーストラリアよりも後のことです。それはもしかして、ネアンデルタール人がすでにそこにいたので入れなかったからではないか、と著者は冒頭で疑問を提起します。そしてその回答は与えずに、本書は始まります。
 ネアンデルタール人は一時期大成功を収めていました。30万年も生き延びたことだけでも種としては成功と言えるでしょう。しかし地球の寒冷化によりその生息域は縮小し、数万年前に絶滅してしまいました。著者は、ネアンデルタール人だけを見るのではなくて、ネアンデルタール人と一時期共存していた現生人類を対比することで、自分たちのことをもっと理解したい、と考えています。
 500万年以上前、現在の地中海は干上がった塩湖でアフリカは全体的に湿潤で様々な豊かな環境がモザイクのように組み合わされていました。しかし533万年前にジブラルタル海峡が開通。大西洋の水は3kmの高さの瀑布となって地中海に流れ込み、その結果ヨーロッパと北アフリカの気候は決定的に変えられてしまいます。環境の激変は、生命に大きな影響を与えます。「古い環境に適応した種」は「新しい環境には不適応」なのです。するとそこで生き延びることができるのは、「強いもの(その世界の支配種)」よりも「弱者(劣悪な環境に追いやられている少数派)」である可能性が高くなります。もちろん「柔軟性を持っていて新しいやり方をいろいろ試す種」も生き残りやすいでしょう。ともかく、生き残るのは少数で、ほとんどは絶滅します。初期人類も新しい環境に適応しようと様々な試行をおこない、現生人類とチンパンジーの祖先だけが成功したようです。
 約10万年前、中東には、ネアンデルタール人と早期現生人類とが暮らしていました。共存していたのか敵対していたのかそれとも無関係だったのかは不明です。しかし8万年前に早期現生人類は姿を消し、そこにアフリカから現生人類がやって来ました。『5万年前 ──このとき人類の壮大な旅が始まった』には現生人類が中東からヨーロッパを目指さずインドの方向に進出したことが描かれていました。なぜヨーロッパ方向は無視? 人類が南北よりは東西方向の方に動きやすいのは『銃・病原菌・鉄 ──1万3000年にわたる人類史の謎』に書かれていましたが、本書ではネアンデルター人の存在に注目しています。
 7万3500年前にスマトラ島のトバで過去200万年間で最大の火山噴火が起き、1000年にわたる「火山の冬(地球寒冷化)」が起きます。この試練を乗り越えた者だけが以後の繁栄を享受できましたが、現生人類はちょうどその時インドにいました。インドはサバンナとなり、人類にぴったりの環境になったのです。
 本書で特徴的なのは、古気候とそれに伴う地球上の環境の変化、そこで生き抜くためにはどのような食生活をするのが生存に有利か、と「種」を「環境」と「食生活」を総合的に考察している点です。
 最後の間氷期、ヨーロッパは豊かな環境でした。しかし乾燥と寒冷化が進むと、大型動物は減少し、木が減ることで狩猟は難しくなります。生物はそういったとき、避難所にしがみついてこれまでのスタイルを貫くか、自分を変化させるか、のどちらかの戦略を採ります。後者が「進化」です。ただし進化できるのはごく少数で、多くの種は絶滅の道をたどります。それは人類でも同じことでした。ネアンデルタール人は、変化するヨーロッパの“避難地”にしがみつき、そこで静かに滅びの道を歩んでいったようです。それで生じた空白地帯に広がったのが、現生人類でした。
 ネアンデルタール人と現生人類の交流あるいは交配の可能性について、本書では確定的なことは述べられません。著者はきちんとした根拠がなければ断言はしない主義のようです。
 進化論を知れば「その種が優秀だから生き残る」のではないことを学べます。主に偶然と幸運と努力によるのですが、生存のための努力はどの種もおこないますから、あとは偶然と幸運の差によることになります。現生人類は幸い「成功」することができました。できたらその「成功」をもう少し長く種として享受したいものです。自然現象で環境を激変するのは仕方ありませんが、わざわざ人為的に激変させることは「進化」の引き金を引くことになるのです。


お婆さんは山へ

2015-07-30 06:57:32 | Weblog

 昔話でお爺さんが山に行くのは普通ですが、お婆さんは親孝行息子に山に捨てられてしまいます。そこで何とかサバイバルに成功するとこんどは「山姥」と呼ばれて恐れられることになります。

【ただいま読書中】『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』大塚ひかり 著、 草思社、2015年、1500円(税別)

 昔話の多くは「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが……」で始まります。そしてこの二人は、働き者であり子がいないことが共通しています。
 ここに「昔の老人」の「現実」が反映されている、と著者は考えます。たとえば「働き者」であることは、老いても働くことができるくらい元気であることを示しますが、同時に、老いても働かなければ食っていけない生活であることも示している、と(「笠地蔵」のお爺さんなんか、大晦日でもせっせと働いているわけです)。
 「老人」の定義。昔は平均寿命はとても短かったのですが、それは乳幼児の死亡率が異常に高かったからで、ある程度の年齢まで生き抜いたらあとはそれほど死ななかったはず、が著者の推定です。律令では官僚の定年はなんと70歳でした。その頃は、60歳を過ぎたら老人、という決まりだったそうで、その定義は、西洋でもそれほど差がなかったようです。
 「家族」についても意外な事実が紹介されます。鎌倉時代初期の史料(大隅国禰寝(ねじめ)氏が嫡子に譲渡した下人の戸籍一覧)では、94名61家族のうち、三世代同居はゼロ、夫婦と子供で構成された家族は6家族だけ。あとは母子家庭と父子家庭、最多は単身(40名)。当時は「結婚」は庶民にとっては高嶺の花だったようです。結婚が一般化したのは江戸時代から。過半数の人間が生涯に1回は結婚できるようになります。もっとも都市部では生涯独身は当たり前のことでした(江戸では男性の半数、京では男性の6割が独身)。その行き着く先は、孤独死、あるいは孤独な老人の婚活(男は介護目当て、女は財産目当て)です。古典にはそういった老人の姿が様々描かれています。
 昔の日本で老人は、大切に扱われていたわけではないようです。老醜や老人の性愛は容赦なく作品の中で扱われます。「老人を大切に」という儒教思想は中世までの日本には浸透していないようです。
 「良いお爺さん(お婆さん)」のお隣には必ずと言っていいほど「悪いお爺さん(お婆さん)」が住んでいます。これは「人の二面性」の象徴だそうです。善と悪をデフォルメして擬人化するためには、“キャラが立っている”老人が一番適していたのだろう、というのが著者の推測です。
 本書の巻末には「老人年表」が掲載されています。そこに並べられた文献の質量に圧倒されつつ、読んでいたら楽しめます。数日前の「人魚」の時も思いましたが、歴史の切り口って、本当にいろいろあるんですね。


家電のもうけ

2015-07-29 06:40:55 | Weblog

 家電量販店にたまに行くと、その品揃えに圧倒されます。こんなにたくさん売りたいのだ、という迫力に満ちていますから。で、その“前”の段階、製造会社の製造ラインにはもっとたくさんの製品がぎゅうぎゅうに整列しているのでしょう。
 だけど、「家電の販売」で最終的に一番儲けているのは、製造や販売の会社ではなくて、電力会社ではありません?

【ただいま読書中】『空撮JR車両基地』朝日新聞社 編、2015年、3800円(税別)

 鉄道の敷地は線路が敷かれた細長い物ですが、それが駅では少し膨らみます。それがもっと膨らむのが車両基地。 車両基地では、整備や修理、検査、洗浄、清掃、編成の組み替えなどが行われます。もちろん車両を使わないときの保管場所でもあります。
 本書では日本中のJR車両基地を空撮した写真集です。いやあ、迫力があります。特に新幹線車両基地の広大さには息をのみます。SL時代の車両基地では転車台(バックができない、あるいは苦手な機関車を乗せてぐるりと向きを変える機械)とそれを取り囲む扇形や半円形の車庫が特徴的でしたが、新幹線の場合には、フル編成の新幹線車両がずらりと何本も並んでいるのです。これはすごいや。別の意味ですごいのは、関東の幕張車両基地で、通勤電車がもうぎっしりと詰め込まれている光景です。仕事中には電車内が人で満員になるのですが、仕事をしていないときには電車で車両基地が満員です。
 本書に登場する車両基地のいくつかは、実際に車窓から見たことがあります。しかし、全然気にせずに通り過ぎているところもたくさん。ずいぶん目立つところにある“裏方”ですが、あまり注目されることはないでしょうね。だけど今度通過するときに気づいたら、会釈くらいはしようかな。


人魚の解剖学

2015-07-28 06:45:39 | Weblog

 人魚って、要するに半魚人ですよね。ところで、乳房があるところから見ると哺乳類のようですが、海中で体温を維持するためには相当食べて皮下脂肪を蓄えないと保たないのではないか、と思えるのですが、体温はどのくらいなんでしょう。ずっと水中で過ごすための鰓はどこにあるのでしょう。全力で泳ぐときに「前」を見ると首の骨が無駄に傷みそうなんですが、そこはどうやってクリアするのでしょう。

【ただいま読書中】『日本の「人魚」像 ──『日本書紀』からヨーロッパの「人魚」像の受容まで』九頭見和夫 著、 和泉書院、2012年、2500円(税別)

 「人魚」は古今東西人気のある存在らしく、日本では『日本書紀』あるいはそれ以前の「八尾比丘尼の伝説」で人魚が登場しています。井原西鶴も「命とらるる人魚の海」(『武道伝来記』)で上半身が女、顔は美女、金色の鱗、匂いが強い「怪魚」を描きました。それを目撃した船上の人は泣き叫び失神するのですが、それは“日本の伝統(吾妻鏡や本朝年代記など)”で「人魚の出現」と「大事件(大乱とか大嵐)」とが結びつけられていたことの反映のようです。
 『日本書紀』では「魚にも非ず人にも非ず」の生物が漁夫に捕えられていますが名前は与えられていません。『聖徳太子伝歴』には「人魚」ということばが使われていますが、これは『聖徳太子伝歴』を書いた人が9世紀に日本に伝来した『山海経』から「人魚」という単語を拾い出したのではないか、との推測が本書ではされています。
 平安時代になると「人魚の声は小児が啼く声に似ている」という記述が登場します。人魚の形にも、魚の顔だけ人間・魚に人間の顔と手足付き・魚の上半身が人間、など様々なバリエーションがあります。南北朝時代の『太平記』では、人魚の油を照明に使うと昼のように明るくなる、とのことです。
 長崎のオランダ商館からヨンストンの『動物図譜』が鎖国時代の日本にもたらされましたが、その中にも「人魚」があります。その骨には止血効果があるそうです。中国から輸入された『本草綱目』にも「人魚」がありますが、こちらでも骨に止血効果が謳われています。偶然の一致かどちらかがどちらかに影響を与えたのか。新井白石の『外国之事調書』や大槻玄沢の『六物新志』……著者はすごいですね、とんでもなく様々な文献から「人魚」を拾い出しています。ここで特徴的なのは「人魚」が「妖怪」のジャンルに属するもの扱いであるのに「薬効」についても触れられていることです。
 明治になると西洋からさまざまなものがどっと日本にやって来ますが、その中に当然「人魚」もありました。中には「船人を惑わし滅ぼす」といったローレライの影響下かと思える「人魚」もいます。ただ明治時代がそれまでの時代と異なるのは「文学」の中で扱われるようになることです。江戸時代の妖怪は明治の世界には住み処が減っていたようですから、人魚も文学の世界で生き延びるしかなかったのでしょう。北原白秋、森鴎外、南方熊楠などビッグネームが次々登場します。大正になるとアンデルセンの「人魚姫」の影響が日本にも出始めます。谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』は、本書での紹介を読むだけで何かが堪能できた気分になります(図書館に予約をしました)。堀口大学の詩「人魚」(『砂の枕』収載)はセイレーンのような人魚です。
 私は人魚と言ったら「アンデルセンの人魚姫」か「八尾比丘尼の伝説」しか知らなかったのですが、昔々から「人魚」が日本に住んでいたことには、一種の驚きを感じました。そうそう、本書では八尾比丘尼の伝説についても詳しく述べてありますが、残念ながら高橋留美子の「人魚シリーズ」が登場しません。今の日本人(私より若い世代)には、「古典やブンガクの人魚」よりも「人魚シリーズ」の方が馴染みがあるのではないかと思えるんですけどね。


贅沢の公私

2015-07-27 06:49:15 | Weblog

 もしも宝くじの一等が当たったら、贅沢な暮らしをするぞ、なんて夢想をすることもありますが、その賞金をぽんとどこか社会の役に立つところに寄付をする、というのも豪気で贅沢な話ですよね。宝くじは買わなきゃ当たらないし、買っても当たらないのですが。

【ただいま読書中】『酒池肉林』井波律子 著、 講談社現代新書、1993年

 中国の贅沢三昧についての本です。
 まず登場するのは、古代中国「殷」の天子「紂(ちゅう)」。もともと聡明で能弁で有能な紂が、何でも思うがままになってのぼせ上がったところに出会った美女が妲妃(だっき)。紂は妲妃と楽しむために、一大レジャーランドを作り上げ、そこで「酒池肉林」(池に酒を満たし、木々の枝に肉(当時の最高のご馳走)をかけ、その間を裸の男女を駆け巡らせる)の贅沢三昧を楽しみます。ただ、この「贅沢」は“物量作戦”の贅沢であって、著者は「粗野」と切って捨てます。
 殷の話は、それを滅ぼした周によって残されている(こんなに悪い帝だから反乱を起こして殺したんですよ、という周の自己正当化の検閲が入っている)ので、必要以上に“悪さ”が強調されているのではないか、と私は思っていますが、真実がどうだったのかはわかりません。
 秦の始皇帝は阿房宮という広大壮麗な宮殿を作りました。これはただの贅沢ではなくて、「朕こそが全宇宙の中心である」という主張の表れでした。さらに始皇帝は生死も超越しようと、不老不死の霊薬を求めます。これにも巨額の費用がかかりました。しかし阿房宮は項羽によって火をかけられ3箇月燃え続けたというのですから、これまた贅沢な焚き火です。
 隋の二代皇帝煬帝(ようだい)は、賢帝と名高い文帝がため込んだ財産を熱心に蕩尽しました。大運河を開鑿し大庭園や数々の離宮を建築。官僚の服装には羽根飾りを好んだため中国の鳥が減ったとか。しかし、始皇帝も煬帝も「父殺し」の汚名がその贅沢に陰りを添えます。
 貴族の贅沢は、西晋(「三国志」の「魏」を司馬氏が乗っ取って建てた国)から目立つようになります。皇帝の贅沢と貴族の贅沢の大きな違いは、「競争」があることです。各貴族がプライドを賭けて贅沢競争をします。ばかばかしくも真剣な競争(狂騒)が本書で紹介されています。そういった競争の中で、美的なセンスも磨かれていったことではあるでしょうが。科挙によって世襲貴族から官僚に権力が移行した後は、その貴族的なセンスは官僚によって受け継がれることになります。
 中国で商業が本格的に栄え始めたのは、中世の宋の時代頃からです。商人が「力」を誇示するようになったのは明の時代。それが表れているのが、明代の小説『金瓶梅』でしょう。そこでは、主人公の西門慶が、色情狂として“活躍”するだけではなくて、商人としてどんどん成長していく姿が描かれています。そしてそこで描かれるのは“物量作戦”としての贅沢三昧です。とにかく量があれば良い、というコレクションやご馳走攻め。色情狂もまた「女は数さえこなせば良い」という“贅沢”と言えるでしょう。『金瓶梅』はフィクションですが、現実の何かを反映しているはずです。それが清の時代になると、「文化人」としての大商人が登場します。揚州の塩商は、自身が贅沢をするだけではなくて、文化・芸術・学問のパトロンとしても機能していました。ただしこの繁栄は18世紀まででした。
 ここから著者は、歴史的な贅沢は、その王朝が滅亡する直前にそのピークに達する、という“法則”を導き出しています。
 ちょっと毛色が変わっているのは、宦官の贅沢です。子孫が残せない宦官は、金と力に執着する傾向があるようです。それも、国がどうなっても良い、という姿勢で。
 宦官に限りませんが、中国史には「個人的な贅沢で国を傾けた(滅ぼした)」悪人が多数散りばめられています。おっと、国が傾いているからこそ、不都合な現実から目を背けるために最高権力者の地位にふさわしくない人間は贅沢に逃避するのかもしれません。


「○○人」は実在する?

2015-07-26 07:37:14 | Weblog

 「ユダヤ人」は劣等人種だ、と主張してその根絶を画策したのはナチスでした。では第二次世界大戦後「ドイツ人はひどいことをした」と主張して「ドイツ人」を罰することを主張した人々についてはどうでしょう。「ユダヤ人は××だ」と「ドイツ人は××だ」とはそっくりではありません? つまり、ナチスと原理的には同じ主張をしていることになりそうです。
 ところで「ドイツに住むユダヤ人」は「ユダヤ人」ですか?それとも「ドイツ人」? 「ポーランドに住むドイツ人」は?

【ただいま読書中】『われわれの戦争責任について』カール・ヤスパース 著、 橋本文夫 訳、 ちくま学芸文庫、2015年、1100円(税別)

 本書の内容は、著者が1946年1月~2月に講義として行い、その後に出版されたものです。そういえば著者の『哲学入門』も戦後のラジオでの連続講座をまとめたものでしたね。まず語りかける、というスタイルが好きな人だったのでしょうか。
 まず論じられるのは「罪」です。著者は「刑法上の罪」「政治上の罪」「道徳的な罪」「形而上的な罪」に分類します。「罪の結果」はそれぞれ「裁判による処罰」「責任が問われ償いと政治上の権力・権利の喪失・制限」「洞察と罪滅ぼしと革新」「自覚の変化」となります。裁判は司法制度によって執行されます。政治上の罪の場合は、特に戦争の場合は戦勝国が裁く“権利”を持ちます。しかし道徳上の罪は「個人」が自分を裁きます。形而上的な罪は一神教の世界では神が裁くことになりますが行動はやはり「個人」が行うことになります。
 ここで難しいのは「個人」が出てくることです。人は大体「自分が間違っている」とは認めたくないものです。戦争の場合、それにプラスしてひどい目に遭ったという被害者意識がそこに加わります。さらに「自分が犯したのではない犯罪行為」について責任があると言われたらきょとんとしてしまいます。さらに「個人が自分を裁く」ということを大義名分に「自分は自分を裁いた。後悔している。はい、おしまい」と上手く“逃げ”ようとする人も多く登場します。しかし著者はそういった逃避を許しません。「一生重荷を背負い、われわれの魂の本質を成熟の域に達せしめるべき」と言うのです。
 「無法な政府に抵抗をしなかったから、一蓮托生の“有罪”だ」という主張を著者は退けます。強制収容所で殺された人たちは、抵抗をしたから殺されたのですが、これこそが抵抗が無意味だったことの証拠です。組織と指導者がいなければ、有効な抵抗はできないのです。著者自身、妻がユダヤ人であることを理由に大学を追われ、妻の引き渡しを自宅に立てこもることで拒否し、とうとう二人とも強制収容所へ、というギリギリのところで連合軍の侵攻に救われた、という経験を持っていますが、そういった人も「政府に抵抗をしなかった」と扱うのは不当だ、とも思えます。
 「戦勝国にも罪があるのではないか」という疑問には「すべての人間に共通の罪だ」と著者は応えます。ただしそれによって自分たちが免罪されるためではなくて、自分たちの罪をきちんと認識するためにその分析が必要なのだ、と。
 ヤスパースはこの講義で、「ドイツ人」にだけではなくて「全人類」に語りかけているように私には感じられます。そしてその「全人類」には「現在の我々」も含まれている、と。ヤスパースは「敗戦責任」ではなくて「戦争責任」を問います。簡単な回答は出してくれません。個人にかかわる罪は「個人」が考えることだから、「我々」が自分で考えなければならないのです。たとえば「敗戦責任(負ける戦争に国を引きずり込んだ)」は「政治責任」に属すると私は考えますが、するとその責任を問われるのは「政治家や高級軍人」で問うのは「敗戦国の国民」であるべきではないか、なんてことを私は思います。すると「A級戦犯」は「敗戦責任」なのでしょうかそれとも「戦争責任」?
 こういったややこしいことをもうこれ以上考えなくてすむ一番簡単な方法は、もう戦争をしないことかな、なんて「過激」なことを私は思います。


プロレスは八百長?

2015-07-25 13:51:34 | Weblog

 高校の頃だったかな、プロレス好きの級友の間で「プロレスは真剣勝負をしている」「いや、あれは八百長だ」という論争がありました。論争よりも実技が好きな連中は、プロレス同好会を立ち上げて、文化祭では公開試合をおこなったりしていました。あばら骨の浮いたひょろひょろの学生が、テレビでやっているプロレスの試合の物まねを真剣にやっているのは、なんともユーモラスなものでしたっけ。
 ちなみに私は、プロレスは筋肉で演じられるミュージカルのようなもの、と思っています。筋書きのある舞台で、歌の代わりにマイク・パフォーマンス、ダンスの代わりにプロレスの技を繰り出しているもの。観客はその“演技”の素晴らしさを楽しむために集まっている。
 たとえばアメリカ最大のプロレス団体WWEの「E」は「Entertainment」です。団体名からして真剣勝負か八百長か、といった単純な対立構造を越えていることを示しています。
 ただ、いくら筋書きがあっても、プロレスの技はきついですよ。きわめてシンプルなボディ・スラム(相手を担ぎ上げて背中からマットに叩きつける技)でも、一度食らったらわかりますが、衝撃で息が止まります。しかも首を折ったりしないようにするためには、技をかける側とかけられる側の“協力”が必要です。やっぱりプロレスは、見て楽しむ方が良いです。

【ただいま読書中】『仕事師たちの哀歌(エレジー)』夢枕獏 著、 集英社、1989年、971円(税別)

目次:「ギミック」「サブミッション」「ケーフェイ」「シュート」「ナックルビジネス」

 タイトルにプロレスの世界での専門用語が並んでいます。そして登場人物は、微妙に重なりながら日時と共に流れていく連作短編集です。
 「ギミック」には「東大出のプロレスラー」が登場します。読んでいて私は「キックが危険すぎる」と団体を首になったレスラーのことも思い出していました。
 「ケーフェイ」では、上に書いた「真剣勝負か八百長か」の“議論”が登場します。そしてそれを越える「真剣さ」と「強さ」も。
 本書の全編に充満しているのは「プロレスが好き」という気持ちです。だよねえ。好きでなきゃ、あんな辛い商売に参加しませんよねえ。こんな面白い小説を書きませんよねえ。


人はミスをするもの

2015-07-24 07:41:25 | Weblog

 私はブログでは「95%以上の正しさ」を目指しています。最初から「間違えること」は目指しませんが、変換ミスとかタイプミス、思い込み、勘違い、書いた内容が古い、参照資料自体が間違っていた、などはどうしても混じり込むと覚悟しています。
 ところでこんなことを書くと烈火のごとく怒る人が登場することがあります。「100%の正しさを目指すべきだ。間違いを書いて平気なのか」と。平気じゃありません。ただ「常に100%正しいことしかしない人間」はこの世には存在しない、と思っていて、自分もそういった普通の人間に過ぎない、と思っているだけ。ただ、ミスの確率を減らすための努力は続けます。もし余裕があったら「どうか間違いがありませんように」と祈ることもします。祈ることもできないくらい切羽詰まっていると、さらにミスをする確率が増しますから。
 そうそう、烈火のごとく私のことを怒る人は、ミスはしないのかな?
1)自分はミスをしないと確信している(から他人を叱りつけることができる)。
2)自分はミスをするが他人のミスは許せない。
 1)は自己と人間一般に対する認識が甘いし、2)はただの傲慢ですね。
3)「99%以上の正しさ」を維持している。
 うん、このタイプの人の意見だったら聞いても良いです。ただ「99%以上の正しさを維持するための努力」について。自分が向上するための参考になるかもしれませんから。

【ただいま読書中】『砂漠の電撃戦 ──アラブとイスラエル、憎しみの戦い』エルンスト・トロースト 著、 松谷健二 訳、 早川書房、1969年、450円

 第二次世界大戦前、ヨーロッパから逃れたユダヤ人の多くはパレスチナを目指しました。支配者のイギリスは自分の利益を最優先し、ユダヤ人を特殊部隊員として訓練します。アラブは枢軸側と組もうとしました。戦後は中東の石油をアメリカとソ連が狙い、イギリスは自分の立場を守るためにアラブを味方につけようとユダヤ人の移民制限を行いました。それに対してユダヤ急進派はテロで応えます。イギリスは手を引き、パレスチナは暴力と暴力の対決の場となりました。48年4月9日、エルサレム近郊のアラブ人のジル・ヤシン村(ユダヤ人に好意的でアラブ義勇軍に協力しないという例外的な存在)が見せしめとしてユダヤのコマンド部隊に襲撃され250人が惨殺されました。アラブ人はパニックとなり何十万人もが逃げ出します。かくして50年前には存在していなかった「敵意」が確立されました。48年5月14日イスラエルの建国宣言。直後にシリア軍・レバノン軍・エジプト軍・イラク軍などが周囲から殺到します。しかしアラブは協力して軍事的優位を生かすことができず、結局イスラエルは6月11日まで国を守り切り、休戦協定が結ばれます。7月、10月、そして49年はじめにも戦闘が再燃し、国境がほぼ確定し、100万のパレスチナ難民が生まれます。アラブは憎悪に燃え、イスラエルは愛国心に燃え、国連は無力で、欧米諸国やソ連はそれぞれの思惑で武器の援助や販売などを行います。
 そして56年のスエズ戦争。ここで世界的に有名となった黒い眼帯のモシェ・ダヤン少将は、11年後にまた脚光を浴びることになりました。
 スエズ戦争で敗北を経験したナセルは、イスラエルに戦争を仕掛けないという条件で受けたソ連の軍事援助で軍を充実させます。しかし自信の威信を高めるためにイスラエルを挑発するために軍を出動させます。開戦のためではなくて示威のために。シリアは本気でイスラエル相手にテロを仕掛けていました。国連のウ・タントは各国から圧力を受けていたようです。そのため、休戦監視をしていた国連軍は肝腎の時に引き揚げてしまいました。その隙間が軍隊によって満たされます。
 当時のイスラエルの常備軍は5~7万人。しかし緊急呼集がかかると72時間以内に23~25万人の予備役が銃を取ります。予備役兵士たちも定期的に訓練が継続されていて、即戦力となるのです。それも高度に機械化された軍隊の。兵士の平均知能指数はおそらく世界で最高、さらに将校は命令の背後についての説明もします。その結果が「ゴリアテ」に勝つ「ダビデ」です。
 フランスはミラージュ戦闘機などを送り込みます。ただし開戦をしたら補給部品は送らないという制裁付きで。イギリスとアメリカも開戦を制止します。ジョンソン大統領は、チラン海峡封鎖に対抗して多国籍海軍によるイスラエル艦船の防衛を提案します。ただしその実行開始には数週間かかります。ソ連はイスラエルに警告します。イスラエル国内では不安が広がります。政府は「待つ」ことにします。ただし政府内では、平和派のエシュコルと新しく国防相になったダヤンとの仲は良好ではありませんでした。アラブの側でも対立と和解が繰り返されます。
 電撃戦にすべてを託している小国にとって、敵の準備がすべて整うまでじっくり待つことはできません。必要なのは自己を正当化するための“きっかけ”です。盧溝橋の一発のような。さらに重要なのは、イスラエルにとって「防衛」とは「敵地で戦うこと」であることです。56年の奇襲攻撃で得た教訓からアラブ側はそれなりに防衛を固めていました。イスラエルは、新たに得た空軍力を生かしてさらなる奇襲を考えます。兵士として使える人間には総動員をかけているため、国の運営が難しくなっています。だから戦争に長い時間はかけられません。また、国連や大国の介入の前に戦果を上げておく必要もあります。これまた時間の余裕はありません。
 67年6月5日、レーダーに映ったアラブの機影がイスラエルを目指していることを理由にイスラエル空軍はアラブ連合の空軍基地を掃討しました。数時間で地上はミグ・イリューシン・ツボレフの残骸でいっぱいになります。ついで戦車戦。ここでもイスラエル側は劣勢のはずでしたが、スピードと戦術の意外性と柔軟性によってソ連製の戦車は次々撃破されてしまいます。
 ヨルダン軍が強固に守るエルサレムは聖なる都ですが、それを少しずつ聖なる残骸に変えてイスラエル軍は侵攻しました。司令部は兵を急がせます。休戦協定が発効する前に占領を完了したかったのです。
 イスラエルにとってこの戦争の目的は勝利ではありませんでした。もちろん敗北してはいけませんが、10年ごとに3回も戦争をするのはいくら何でも多すぎます。もう戦争をしなくて良いように、アラブ連合の軍を完全に叩きつぶし、イスラエルの“存在”を認める政治体制をアラブ連合に作らせること、これが究極の目的です。しかしナセルは失脚せず、目的の半分は達成できませんでした。
 一番損害を受けたのはヨルダンです。国土の肥沃な部分1/3を失い、エルサレムとベツレヘムを取られて観光収入の95%を失いました。アンマン周辺には40万人の難民キャンプが設置されました。
 本書では、最後に“両者”が、片方は「サラーム」、もう片方は「シャローム」と挨拶することが紹介されます。どちらも意味は「平和」です。


○かさ

2015-07-23 06:29:28 | Weblog

 若者には、経験も知恵も豊かさもあまりありません。だったらせめて馬鹿さのない若さに、なんの価値があります?

【ただいま読書中】『チェーホフ短編集』チェーホフ 著、 沼野充義 訳、 集英社、2010年、1600円(税別)

目次:「かわいい」「ジーノチカ」「いたずら」「中二階のある家」「おおきなかぶ」「ワーニカ」「牡蠣」「おでこの白い子犬」「役人の死」「せつない」「ねむい」「ロスチャイルドのバイオリン」「奥さんは子犬を連れて」

 私はチェーホフで読んだことがあるのは『桜の園』と『シベリアの旅』程度のチェーホフ初心者なので、単純に作品だけを楽しみましたが、本書では各短編ごとに訳者の詳細な解説がつけられています。下手すると解説の方が本編より長かったりします。中には雑誌初出時との異同比較なんてものも。ですから、チェーホフ入門として作品と解説を合わせて読んで“学習”するという使い方も本書にはありそうです。ただ、初心者が最初からあまりに詳細な解説を読んでしまうと「自分なりのチェーホフのイメージ」を持てなくなって他人のイメージを借用するだけの人生になってしまう危険性もありますが。それが嫌な人は、作品だけを読めば良いでしょう。
 チェーホフに限りませんが、優れた短編は一つの鋭い疑問符なのかもしれません。チェーホフの短編は、読者に疑問符を次々突きつけているような気がします。それを発見してその疑問符に対して自分なりの回答を試みるのも読書の楽しみでしょう。「他人の回答」を読むのは、自分の人生の楽しみにはなりません。
 「私の回答」も一つ示しておきましょう。冒頭の「かわいい」では、何回も結婚するがそのときの夫によって自分の意見や生き方をころころ変える女性オーレンカが主人公です。これを「女の愚かしさ(かわいさ)」と捉える人もいるでしょうが、私は「人間の愚かしさ(かわいさ)」と捉えました。男でも女でもそんな人はいる、と。そして、「自分の意見」を持たないことによって得る「安定」は実は「不安定」だ、とも感じました。たとえば最近の日本だったら「郵政民営化」「政権交代」「アベノミクス」でつねに「多数派」に属した人は「オーレンカ」の一種ではないかな。


第二次アベノミクス

2015-07-22 07:09:30 | Weblog

 そろそろ発動させる必要がありそうですが、とりあえずの目標は「2年で支持率を2倍に、不支持率を1/2に」でどうです?

【ただいま読書中】『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』J・ケイン 著、 田中小実昌 訳、 講談社文庫、1979年、160円

 流れ者のフランクは、ギリシア人ニックがやっている店(軽食堂とガソリンスタンド)に雇われ、ギリシア人の女房コーラ(高校の美人コンテストでは優勝できるレベルのセクシーさ)とすぐに関係してしまいます。人の良いニックはそんなことには気づかず、盛んにコーラに子作りをせがみます。ニックが邪魔になった二人は、彼を“排除”することにします。事故に見せかけて殺すのです。
 フランクは、自分はいっぱしの悪党だと思っているけれど実はただの小物です。最初にニックを殺そうとするときだって、殺害そのものは女にやらせようとするのですから。
 次は、見え見えの「自動車事故」。首尾良くニックの殺害には成功しますが、フランクも重傷を負います。そして検死陪審。そこでフランクとコーラは起訴されることに。二人についた弁護士は、あろうことか保険金殺人に関しての罪状認否の場で有罪を認めてしまいます。しかしそこで(最初の)どんでん返しが。
 アメリカの検察官を主人公にしたテレビドラマ「Law & Order」ではアメリカの司法制度の奇々怪々さ(法を遵守することと正義を守ることの乖離)が活写されていますが、本書でもその奇怪さは大いばりです。ともかく、“無罪放免”となった上に、予想外の生命保険金1万ドルまで手に入れてしまった二人は、自分たちが「チンピラ」であることを自覚してしまいます。ここで「罪の意識」ではなくて「自意識」の方が表に出てくる点が実に“ハードボイルド”です。
 冷酷非情な殺人鬼が計画的に淡々と犯罪を犯し続けるのは不気味ですが、感情的で計算ができないチンピラが表面的にはそれと同じように淡々と犯罪を犯し続けるのも、けっこう不気味なものです。内面は全然違うのに外形的には似ているのですから。ただ、無計画のツケが回り回ってとうとう最後のどんでん返しが……
 ところで、このタイトルの意味って、何です?