【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

公私と生死と/『奇想の20世紀』

2009-07-31 06:54:16 | Weblog
 「自由」と「平等」を両立させることは難しい、は以前書きました。
 ところで、「公私」と「生死」と「平等と自由」はそれぞれ対応しているように思います。「私」は死ぬし、プライベートでは自由でありたいと思います。しかし「公」は死なないし平等を是とします。
 ということは、「自由と平等」とは「死すべき自由な私人が集まっていかに個人の寿命を越えた公(パブリック)を形成するか、のスローガン」なのかな。

【ただいま読書中】
奇想の20世紀』荒俣宏 著、 NHK出版、2000年、2200円(税別)

 本を開く前に「惜しいなあ」と私は呟きます。定価が2000円(税別)だったらキリが良かったのに、と。
 19世紀末には「未来予測」が大ブームでした。たとえば万国博は、「未来の予測」を具体的にヴィジュアル化するものでした。そしてそこで予測された「未来」は20世紀の間に次々実現されていきます。
 19世紀の「未来予測家」として有名なのはジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズですが、著者はロビダという風刺作家に注目しています。そこではきわめて具体的に「ハイテク」によって薔薇色となった「未来の日常生活」が描かれますが、同時に、細菌兵器や毒ガスなどの新兵器によって戦われる世界大戦も描かれています。リアルに暗い未来も予測されました。1910年のハレー彗星です。この接近で地球は彗星の尾に接触することが予想され、観測で彗星の尾にシアンが存在することから「地球最後の日」が予測されたのです。
 万博では産業」「流通」が重要なキーワードでしたが、1900年パリ万博では「エンターテインメント」が加わりました。20世紀はエンターテインメントの世紀になる、という予言だったのです。その他にも本書にはたくさんのキーワードが登場します。「スポーツ」「特許」「速度」「観光」「集中」「開発」「収益性」「ショッピング」「セクシー」「機械化された労働力」「若さ」「健康」「美食」「ファッション」、そして最後が「公共と個」。真ん中にある特別付録(70ページの総天然色図像の集まり)も、過去の人の未来への思いがぎっしり詰まっていて、魅力的です。欧米の20世紀が、いかに「未来志向」だったかを、著者は独特の切り口と語り口で語ります。まるで私たちが生きていたのとはまるきり違う世界のように。

 そして今、私たちはどんな「未来像」を持てるのでしょう。そもそも最近「未来予測」は流行っていましたっけ?


情けは人のため/『119 STORY』

2009-07-30 18:43:37 | Weblog
 親切は、感情的にも経済的にも、しておいた方が良いものですが、恩知らずに対しては、例外です。

【ただいま読書中】
119 STORY ──救急119番物語』澤田祐介 著、 荘道社、2001年、1600円(税別)

 本書は子どもに語りかける体裁で作られています。
 1998年には1年間に救急車の出動は3,701,315回でした。日本に住む人で36人に1人が救急車に乗った計算になります(リピーターもいますけれど)。(本書出版後にどんどん増加し、2007年には527万件となっています)

 1881年12月8日、ウィーンの歌劇場リングテアトルで火事が起き398人が死亡した事故がきっかけで公的な救急医療制度が創設されます。中心となったのは、眼科医ムンディ・伯爵ウィルツェク(ハプスブルグ家の一員)・資産家ラメツァンのトリオでした。救急用の車として救急馬車も備えられました。
 救急馬車については、それからさらに100年くらい前、ナポレオンに従軍していたラレーに話が戻ります。腕の良い外科医(四肢の切断がきわめてスピーディー)と評判だったラレーが1798年に戦地のエジプトで「救急ラクダ」を考案しました。ラクダの背中の左右に大きなかごを下げ、そこに怪我人や病人をいれて砂漠を運搬する「システム」です。フランスに戻ったラレーは、そのアイデアをそのまま生かし、二頭立ての救急馬車を作り「アンビュランス」と名付けました。このアイデアはすぐに各国に広まりました。南北戦争でも「病院馬車隊」が大活躍していますが、それは馬車に医者が乗っている「ドクター・カー」でした。ただしあくまでこれらは軍隊専用です。それを民生用に採用したのが、上述のウィーンでした。ちなみに当時すでに蒸気自動車は存在していましたが、数や性能や乗り心地などに問題があったのでしょう、馬車が採用されています。
 1885年に、ドイツのダイムラーがガソリンエンジンで動く二輪車を、ベンツは三輪自動車を作ることに成功しました。1887年には(自転車用としてですが)ダンロップが空気入りゴムタイヤを発明します。世間では自転車が大ブームとなり、自転車の宣伝のために1903年からツール・ド・フランスが始まりました。タイヤやサスペンションの進歩により自動車の性能も上がり、ウィーンでは1905年に馬車を廃止して救急自動車を採用しています。
 日本で初めて救急自動車が走ったのは、昭和七年(1932)大阪です。日本赤十字社大阪支部が二台の救急車を使い始めました。公的な救急車はその翌年、横浜市です。配属されたのは山下町の警察署(警察部救急隊)。フォード車で、写真が載っていますが、ナンバープレートに「車急救」と書いてあります。昭和九年には名古屋が救急車を導入しますが、ナンバープレートは「愛99」。
 第二次世界大戦後、警察から消防と救急が分離します(東京の警視庁だけは最初から警察部と消防部を分けていました)。それに伴い、「110番」が警察専用として新設されました。ちなみに日本で統一の「119番」が設けられたのは昭和二年(1927)でした。それまでは交換手につないでもらうしかありませんでした。
 東京オリンピックの時代は交通戦争の時代でした。救急車の「需要」は急増し、昭和三十八年(1963)に救急業務は各市町村の義務とされます。翌年には「救急病院等を定める省令」が施行されます。「たらい回し」ということばが登場し、昭和六十二年には省令は改正され、それまで「事故による傷病者」に限定されていた救急車の対象が「急病人」も含めることになったり救急病院の定義が改められたりしました。さらにDOA(到着時心肺停止状態)の社会復帰率に日米であまりに大きな差があることから、救急救命士法が平成三年(1991)に作られました。これによって救急車の中での医療行為がいくらか可能になったわけです。
 ちなみに1998年当時、全国で救急隊は4554隊、救急隊員は55717名、救急車は5521台となっています。救急救命士になる方法も子どもたちのために紹介されています。
 そして最後、これが著者が一番訴えたいことでしょうか。救急車の将来です。ドクターカーやドクターヘリ、そして救急隊員にできることをもっと拡大すること。そして、一般人がもっと救急(制度だけではなくて、実際の救急処置)に関する知識と実践経験を持つこと。倒れた人の一番近くにいる人が的確な処置を始められたら、その分救命率は確実に上昇するのですから。「誰か早く来てくれ」ではなくて「自分に何ができるか」を知っている人が増えれば、それだけ社会復帰できる人は増えるはずです。


安全な悪口/『マンボウ最後の大バクチ』

2009-07-29 06:52:26 | Weblog
 他人の悪口を言うにはそれなりの覚悟が入ります。少なくとも悪口の対象とした人の機嫌を損じる程度の覚悟は。「悪口は言いたい、でもそのことで自分は“損”はしたくない」というのはただのヘタレでしょう。で、そういったヘタレはたとえば影でこっそり言うとか、あるいは「数」の中に自分を埋没させようとします。
 ネットでの匿名の悪口(それも集団で言うもの)はその両方を満足させています。だから「炎上」が起きたらわらわらわらわらといろいろ集まってくるのでしょう。
 マスコミでの無署名の記事での悪口は、自分が持っている“(第4の)権力”を使っているので、ヘタレよりもっと卑怯ですな。

【ただいま読書中】
マンボウ最後の大バクチ』北杜夫 著、 新潮社、2009年、1300円(税別)

 人生の大体をうつ病で過ごし、ときどき躁状態になって周囲に迷惑をかけてきた老作家が、人生の最後に近づいてきたことを読者に報告した、というか、一種の遺書として出した本のようです。内容は、家族・人生の思い出・そして人生最後の躁状態の中でおこなった賭博行為……
 しかし、作家的な技巧と韜晦が入っているとは思いますが、ここで述べられる「愚行」の数々には笑ってしまいます。だけどきっと「愛される老人」なんでしょうね。回りは(おそらくは苦笑しつつ)著者に付き合ってるところがなんとも微笑ましい。
 ペンネームの由来とか著者を世に知らしめた『どくとるマンボウ航海記』の執筆の契機とか、私は本書で初めて知りました。学生時代には著者のほとんどの作品は買って読んでいるはずですが、熱心なファンではなかったということなのでしょう。星新一さんが実に面白い人だったというのは本書だけではなくて他の人のエッセイなどでも読んだことがありますが、星さんの奥さんが「(家では)なんてつまらない人だと思っていました」と著者の奥さんに語ったエピソードを知ると、作家(というか、人間一般)の外面(そとづら)と内面(うちづら)について、一瞬でも考えてしまいます。あるいは、倉橋由美子さんが亡くなったときの追悼文に「私が『夜と霧の隅で』で芥川賞をとったとき、正直のところ倉橋さんの『バルタイ』のほうがずっと良かった」とあり、自己評価と他からの評価についても私は考えてしまいました。
 著者の文章は平易ですらすらと流れていきますが、実はけっこう重層的でいろいろなものがその中に仕組まれています。学生時代に集中的に著者の本を読んで、そういった構造を見つけ出すのが楽しかったことをふと思い出しました。また読み返してみようかな。


へんてこしりとり/『ウィルキンズの歯と呪いの魔法』

2009-07-28 18:45:50 | Weblog
 私の一家は一緒に出かけると車中でよくしりとりをします。いつも同じだとつまらないからその時限りのローカルルールをしばしば作るのですが、先日はやっているうちに「二重のしりとり」とでも呼ぶルールになりました。前の単語の「しり」が次の単語の「あたま」になるのはふつうのしりとりと同じですが、さらに、その頭を抜いても意味が通る単語でないとダメ、というルールです。わかりにくいかな。具体的にやってみましょう。
 「しり」が「り」だとしましょう。普通は「りんご」とか言いたくなります。しかし今回のルールでは「りんご」から「あたま」の「り」を除くと「んご」になって、そんな単語はないからダメ、なのです。これが「りくつ」だったら「理屈」と「靴」のどちらもことばとして成立していますからOKです。これ、大変です。ちゃんと成立する単語を探すだけではなくて、それがダブリでないかどうかも思い出さなければなりませんし、できることなら次の人を困らせる「しり」にしたい。そんなことをいろいろ考えていたら「り……り……リボン。ボンはお盆ね……ああああ、んだぁ」でドボンです。
 ちなみに個人的に「本日の最優秀賞」は、「しり」が「み」に対して私が言った「ミカンジュース」でした。みを抜いたら「缶ジュース」。きれいでしょ? 家族にはみな別の意見があるようですが。

【ただいま読書中】
ウィルキンズの歯と呪いの魔法』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 原島文世 訳、 佐竹美保 絵、早川書房、2006年、1500円(税別)

 椅子を壊した罰としてお小遣いを停止されたフランクとジェスの姉弟は、「仕返し有限会社」を思いつきます。そのものずばり、仕返しを請け合って小銭を稼ごうというのです。早速お客がやって来ますが、それは長いトラブルの始まりでした。収入は一切なく、トラブルは連鎖し拡大し、とうとう魔女とのごたごたに発展してしまいます。魔女なんかいない? いるのですよ。大人たちは誰も信じませんけれど。
 フランクとジェスをいじめていたいじめっ子一味は、まとめて魔女のしもべにされてしまいます。それどころか、「仕返し有限会社」に依頼に来て二人の友達になった姉妹の親も、魔女のしもべとなっている様子です。
 問題はどんどん大きくなっていきますが、結局すべては「仕返し有限会社」が最初に引き受けた(そして成功させた)ウィルキンズの歯に話が行き着いてしまいます。フランクとジェスは、いじめっ子一味を仲間にすることに成功しますが、まとめて魔女に囚われてしまいます。魔法によって身動きもできなくされた彼らに、脱出と魔法を解くための手段はあるのでしょうか?
 DWJの最初期の作品で、プロットは単純ですが、キャラが立った登場人物が次から次に登場して読者の頭の中を複雑にかき回してくれます。本当にいろんな人(や動物)が登場するので、どんな人でも自分が感情移入できる対象を見つけられるのではないかな。



時空/『経度への挑戦』

2009-07-27 18:44:42 | Weblog
 時計は距離ではなくて時間を測定するための装置です。だけど……
 「光年」を距離ではなくて時間の単位と見なしている人(「だって、年じゃないか!」)に初めて会ったのは私がまだ中学生のときだったと思います。こちらも「知って」はいてもそのソースがSF作品でしたから、説得力を持って説明ができませんでした。
 GPS衛星が積んでいるのは精密な時計で、そのデータを地上で受け取ることで位置がわかるんだ、ということは「知って」いますが、やはり知らない人にその原理をきちんと説明することはできません。
 そして今日の読書報告「経度」。この測定にも精密な時計が使われています。さて、どんな時計でどうやって「位置」を知るのか、それは読んでのお楽しみ。

【ただいま読書中】
経度への挑戦 ──一秒にかけた四百年』デーヴァ・ソベル 著、 藤井留美 訳、 翔泳社、1997年、1400円(税別)

 大航海時代に問題なのは「今どこにいるか」でした。コロンブスのように緯線に沿って航行するのならともかく、あちこちに寄港したりあるいは難破しかけたり壊血病が蔓延して少しでも近い港にたどり着きたいとき、現在位置がわからないのは致命的なことなのです。当時、緯度は天体観測でわかりますが、経度を容易に正確に測定する手段がありませんでした。
 理論的に最も容易なのは、母港の時刻と船の現時刻の差(時差)から経度を計算する方法でした。
 木星の衛星の食から、ついで地球の月から正確な時刻がわかるとガリレオは主張します(月距法)。ホイヘンスは振り子時計を考案します。ただし海が荒れたら振り子は不正確となりました。そこで渦巻き状のバネ(ヒゲゼンマイ)をホイヘンスは考案しますが、それはフックとの特許争いになってしまいました。
 ほかにも地磁気を利用するとか傷ついた犬の鳴き声を使うという(怪しげな)ものもありましたが、決定打は登場しませんでした。
 ニュートンとハレーの助言をうけ、1714年にイギリスでは「経度法」が成立します。精密な経度測定法に二万ポンド(現在の価値で数百万ドル)の賞金が設定されていました。方法の評価のために経度評議委員会が設立され強大な予算権限などを握ります。莫大な賞金に引かれて様々なアイデアが委員会に寄せられました。その中には、舵の改良法・飲料水の浄化法・永久運動機関・円周率の出し方など見当外れのアイデアも多数混じっていました。ジェレミー・サッカーは「クロノメーター」のアイデアを出します。サッカーの作品はそれほど優秀なものではありませんでしたが、良いアイデアも二つありました。真空の容器に密閉することで気圧や湿度変化に対抗し、ネジを巻いている間も時計が動き続ける「駆動力維持機構」を組み込んだことです。ただし温度変化はどうしようもなく、サッカーのクロノメーターは1日に6秒の誤差が生じました。それ以前の時計は1日5分の誤差が当たり前でしたから、サッカーのものは大変優秀とは言えます。ただし、二万ポンドを獲得するために必要なのは「1日3秒以内」の誤差でした。
 そこに登場したのがジョン・ハリソンでした。貴族や科学者などから見たら吹けば飛ぶような身分の大工です。ただし、どうやってか読み書きができ(当時のイギリス庶民としてはきわめて異例のことです)、20歳前には独力で時計(大工らしくほとんどが木製)を作り上げた「庶民」でした。彼が弟と完成させたグランドファーザー・クロックは一日1秒の誤差でした。人間が作った時計が、神が作った完璧な時計(天体運動)とほぼ肩を並べたのです。
 ハリソンは委員会のハレーに話を持ち込みます。ハレー自身は月距法での解決を目指していましたが(他の委員とは違って)それ以外の説も受け入れる度量があり、一番正しく評価ができそうな有名な時計製作者グラハム(のちに「正直者のジョージ・グラハム」と評される)を紹介します。グラハムはハリスンのアイデアに夢中になり、大金を貸し船舶用時計を完成させるように励まします。実際に第1号が完成したのはそれから5年後のことでした(この「Hー1」は現在グリニッジの国立海事博物館に展示されているそうです)。1736年にH-1はリスボンまでのテスト航海に送り出され、結果は上々でした。ところが完全主義のハリソンは満足しません。
 そのころ四分儀が発明されました(のちに改良されて六分儀になります)。それまでの直角器では船員が太陽を見て目を痛めることが多かったのが改善され、さらに星と星の角度も計測が可能になりました。
 月距法を確立させるのに必要な要素は3つあります。1)星の位置の確定、2)船上で天体測定をする手段、3)天体暦。ハレーなど天文学者の努力で1)はできていました。四分儀2)も満足されました。残りは天体(特に複雑な動きをする月)の運動を細かく記載した早見表です(ここで功績があったのが数学者のオイラーです)。
 1759年にH-4が完成します。ハリソンを待っていたのは、賞賛の嵐ではなくて、不愉快な試練でした。もとい、不愉快な試練の数々でした。(よく子どもで、当然自分がするべきことなのにそれを嫌がって「じゃんけんで決めよう」なんて言い出す奴がいません? で、回りが譲ってじゃんけんをしてそれで負けてしまったら「今のなし。じゃんけん3回勝負で」とかさらに言い出すの。そんな態度を、本書ではいい大人が示すのです)
 H-4はコンパクトな時計でした。その前のは真鍮製のどっしりした(27~36kg)ものでしたが、これはわずかに直径13cm、重さは1.4kg。摩擦はダイヤモンドとルビーが引き受け、バイメタルによって温度調節をしていました。展示されているH-1からH-3までは美術工芸品のようで見た人はうっとりとするけれど、H-4では驚きで凍りつくそうです。一度実際に見に行きたいものです。
 しかしそこで「敵役」が登場します。月距法のシンパである科学者や航海者たちがH-4に難癖をつけ始めたのです。まずは試験航海の妨害。それが成功裡に終わると、条件の不備を言い立てて再度の試験航海を強制します。試験航海中も経度評議員からの攻撃は続きます。なにしろ自分の人生をかけて月距法を研究してきた(そして時計の原理はまったく理解していない)人たちが「H-4が有効かどうか」を審査するのです。ひどいハンディキャップレースです。二度の実験航海が終わっても委員会は動きません。放置です。その次は、情報を全部委員会に伝えろ、と要求します。まるで反逆者扱いです。しかもその機密情報を委員は平気でフランスに漏らしてしまいます(ハリスンがもしそれをやったら縛り首だったでしょうに)。さらにそれまでの試作品を押収します。しかも運び出すときに床に落としたりします。「そこまでするか?」と言いたくなる「悪辣さ」ですが、そこまでしたのです。結局科学好きの国王ジョージ三世が乗り出して、自体の「解決」をしますが、「権威」と「時流」に逆らう(しかもとても優秀でそれ自体には誰も反論できないもの)に対してはどのような扱いがされるのか、読んでいると体が震えるくらいの怒りを感じますが、それは「昔のこと」ではない、とも思えます。これは「階級」間の闘争なのかもしれませんが、もしかしたら「科学」と「技術」の間の闘争なのかもしれません。
 ただし、時代は新しくなります。クロノメーターによって大英帝国は海を支配し、時計産業は興隆します。そして、忘れ去られていたH-1からH-4も救い出されます。ここのエピソードも心をゆさぶります。
 本書の最後、海事博物館で著者はこのクロノメーターを眺め、ハリスンが何を時計に閉じ込めたのかを思います。それは、本来なら小さな時計には収まりきらないはずの、とてもとても大きなものでした。



タッチパネル/『ユダヤ警官同盟』

2009-07-26 17:25:24 | Weblog
 私がよく使うセルフのガソリンスタンド(ガスステーションの方が今風?)は、タッチパネルの所定の場所を触って起動してから、支払い方法(カード)の選択、ガソリンの種類、入れ方、などを選択します。そこで「静電気除去シートに触ってからタンクの蓋を開け……」と音声ガイドされるのですが、あれだけタッチパネルを触っているのだから、そのときに静電気を逃がす仕組みは作れないのでしょうか。タッチパネルにアースの配線、が難しいのなら、最初の起動のところをタッチパネルに隣接したスイッチにしてそこに静電気除去を組み込むのでも良いと思うのですが。何かを触る回数は1回でも少ない方が快適度が上がると思うんですけどね。

【ただいま読書中】
ユダヤ警官同盟(上)』マイケル・シェイボン 著、 黒原敏行 訳、 新潮文庫、2009年、590円(税別)
ユダヤ警官同盟(下)』マイケル・シェイボン 著、 黒原敏行 訳、 新潮文庫、2009年、629円(税別)

 一応ジャンルはミステリなのでしょう。エドガー賞長編賞とハメット賞の最終候補に残った作品だそうです。ところがそれと同時に、SFのヒューゴー賞・ネピュラ賞・ローカス賞を受賞しているそうで……八重洲ブックセンターで見つけて「なんだ、これは?」と呟いて5秒後に、さっさと購入してしまいました。(レジのすぐ前に並べられていて、レジが空いていたのです)
 アラスカ州シトカ特別区、ユダヤ文化が栄えている地の安ホテルで殺人事件が起きます。シトカは2ヶ月後にUSAに復帰することになっており、警察はやる気がありません。しかし、酔いどれだが腕の良い殺人課の刑事ランツマン(離婚後そのホテルに住み込んでいる)は、殺しの手際の良さと部屋に残されたのはチェス盤に注目します。
 ちょっと待て、と私は呟きます。ユダヤ人の特別区……シトカで万博……1948年にイスラエルが消滅……これは一体どこの話だ、と。
 明らかに歴史改変ものでしかもハードボイルド。さらにユダヤ文化の世界が舞台です。わざと「敷居」を高くしてあるように思えますが、私はこんな場合「異邦人」(あるいは観光客)として振る舞うことにしています。背景が理解できなくても良いから、ともかく目に見えるものをすべてそのまま受け入れて、著者が案内してくれるままにそこで行動をしてみる、という態度です。
 チェスに対して屈折した思いを持っているランツマンは……というか、チェス以外にも様々な屈折を持っているのですが……相棒のベルコとともに捜査を始めますが、そこに別れた妻が街に戻ってきます。自分たちの上司として。USAに“復帰”して向こうの警察に引き継ぎをする前に、未解決の難事件を何とかしておけ、が彼女の要求です。
 二人の刑事はシトカの暗部に踏み込みます。ユダヤ人の中でも最強のヴェルボフ派の本拠地へ。そのリーダーに、あなたの息子が殺された、と伝えるために。
 ランツマンとシトカをさ迷ううちに、私はここがゲットーであるかのような気分になってきます。ワルシャワなどのゲットーとは違って、ユダヤ人は武力でそこに閉じ込められているわけではありません。しかし、やはり「自由」はないのです。シトカだけではなくて、地球の表面全体で。
 さらに「不安」がランツマンを包みます。警察の仕事は形だけとなり、USAに復帰したあとの生活などの保障は一切なく、シトカにいられるのか他の場所に移動するのかも不定。別れた妻への思いは心の中にしっかり存在していますが、すぐそばにいる彼女にその思いは届きません。そして密かに囁かれる「救世主」の噂をランツマンは聞きます。

 実際の歴史では、ヨーロッパがごたごたし始めたときに北米は「ユダヤ人お断り」でした。(そのあたりを描いたのが『絶望の航海』(映画は「さすらいの航海」)です。そこがなぜか「アラスカのシトカで60年ならいて良いよ」となって街が大発展した、が本書がベースとしている「歴史」です。ユダヤ人は民族として「故郷喪失者」です。(ついでですが、この世界では「満州国」がまだ存在しています。太平洋の向こう側ではなにがどうなっているのでしょう?)
 そしてもう一つの「歴史」が物語られます。殺人(いや、処刑)の被害者メンデルの個人史です。世界(ユダヤ人の世界)を救う義務を子ども時代に負わされ、そこから逃亡した人間の、悲哀に満ちた物語。それはメンデル個人だけではなくてその家族の物語でもありますが、それを聞き出す刑事ランツマンにもまた彼とその家族(特に、死んだ妹)、そして(別れた)妻との物語があります。物語はネットワークをつくり、そしてある日、被害者の物語と刑事の物語がつながり重なります。その瞬間、「メンデルの物語」は「ランツマンの物語」にもなります。
 空港の片隅でランツマンとメンデルの二人の物語がつながった瞬間を読んだとき、不思議な静謐が私を包みました。一体ランツマンは(そして読者は)どこに連れて行かれるのだろう、と疑問符に覆われてしまったのです。
 アルコールを抜いたら出てきたのは禁断症状、ろくに食べずろくに寝ないから体調も最低。相手に回したのはどうやらユダヤ人社会で最強最凶のマフィア組織、対してランツマンは警官バッジと拳銃を上司に押さえられているから捜査の公的な根拠はなし。もう、絵に描いたようなというか、小説に書いたような絶望的な状況です。普通だったらくじけるのが当たり前。ところがさすが「ハードボイルド」の主人公、行っちゃいます。そして彼が出くわしたのは、なんと国際的な陰謀、下手すると大惨事世界大戦につながるかもしれないでかいヤマでした。徒手空拳で一体どうやって?
 ハードボイルド仕立てですが、ランツマンはちっとも「ハード」ではありません。

 舞台をアラスカに設定したのは、著者の慧眼でしょう。先住民が多く登場するのですが、これがユダヤ人のネガとして非常に上手く機能しています。どちらも「故郷喪失者」ですが、ユダヤ人は流浪し、先住民はそこに居続けている、という点での対比が効いています。この両者は、時に激しく対立し、時に協力し、おおむねは平和共存、という不安定な関係を保っています。さらに、忘れた頃に繰り返される「今はユダヤ人にとっておかしな時代だ」のセリフ。この「今」とは、一体いつのことなのかなあ。


地方分権/『図書館の興亡』

2009-07-25 19:27:55 | Weblog
 県知事会や民主党がさかんに地方分権を言っています。するとたとえば「町内会」にも権限を持たせることはできないでしょうか。町内の道路で危ないところに信号を設置する場合でも、今は警察や市役所に陳情に行っていますが、予算と監督権限を町内会が持っていたら、町内の一般道(国道や市道ではないところ)に信号機を設置することも自分たちで決定することが可能になります。これこそが、地方分権では?
 ただ、どこにもかしこにも信号ができて勝手気ままに赤青とやっていたら無駄な交通渋滞の原因になりますね。するとやはり中央の監督が必要なのかな。

【ただいま読書中】
図書館の興亡 ──古代アレクサンドリアから現代まで』マシュー・バトルズ 著、 白須英子 訳、 草思社、2004年、2625円(税込み)

 図書館は「文化の豊かさ」を保存する場です。
 人類初の図書館は、メソポタミア。「書物」は粘土板でした。紀元前3000年にはイラク南東部の町ニップールの神殿に、粘土板でいっぱいの文書保管庫が複数ありました。紀元前7世紀、アッシリア王国の首都ニネヴェに立派な図書館ができます。紀元前331年アレクサンドロス大王はアレクサンドリアの都市計画を作ります。彼の死後その都市を支配したソーテール(プトレマイオス一世)はギリシア文化圏の成果を集める図書館を建設します。「書物」はパピルスの巻子本。70万巻の巻子本が収蔵されていたそうです。
 秦の始皇帝は焚書坑儒で知られていますが、当時の「書物」は主に竹簡でした。高価ですが絹布も用いられます。ただ、漢王朝の末期頃から「石碑」がよく用いられるようになりました。仏典が多かったのですが、石碑や洞窟の壁にぎっしりと大量の文字が刻まれて保存されました。これは拓本を取ることですぐにコピーが取れます。印刷技術のご先祖様、と言えるでしょう。
 アステカではコロンブス到着より1000年以上前から書物が作られていました。材料は鹿皮やリュウゼツランの繊維で作ったシートです。そこに書かれた絵文字は、文字・絵・数字などの異なる概念を一つの視覚表現にまとめたものだそうで、歴史・民族誌・言語などの貴重な文化的な集積でした。征服者や宣教師たちは、それらを徹底して焚書しました。野蛮人の所業です。
 保存を目的とするアレクサンドリアの図書館には閲覧室がありませんでした。今のような公共図書館は、カエサルの発案です。彼の死後その遺志によりフォロ・ロマーノに二つの閲覧室(ラテン語用とギリシア語用)をもつ図書館が建設されました。以後の皇帝たちもカエサルに倣い図書館を建設し続けます。ローマでは図書館が繁栄したのです。
 ペルシアはギリシアと長い抗争を続けたため、ペルシアの図書館にはギリシアの書物もたくさん保存されていました。ムスリムがその「資産」を受け継ぎさらに発展させます(モンゴル人・トルコ軍・十字軍の来襲まで、ですが)。さらに「書物」自体もイスラム世界で発展します。冊子本が普及し、中身だけではなくて豪華な装幀も喜ばれました。豪華な本は、中世のキリスト教世界では社会の最上層階級のためのものでしたが、イスラムでは個人のコレクションの対象となっていました。ムスリムのエリートは「本」ではなくて「図書館」をコレクションしようとしていました。イスラム支配下のスペインには一時期70の図書館があり、そのうちで最大のものはコルドヴァにありました。蔵書数は数十万冊。当時のヨーロッパ(キリスト教圏)の図書館では数百冊の蔵書が標準的な数だったことを思うと、驚異的な数と言えます。
 初期のルネサンスは王侯たちの虚栄心に支えられた、と本書では挑発的に述べられます。キリスト教のくびきから逃れた彼らは過去のテキストに自分たちの誇りの根拠を求めましたが、やがてその虚栄心は「公共」に昇華されます。大量の書物の需要が生じ、そこに印刷本が登場します。イスラムは没落し、ヨーロッパでは、大学の発展にも伴って図書館が発達します。蔵書が増えれば分類が必要となります。アラビア数字ははじめ、数学ではなくて、この分類番号として採用されました。

 図書館と言えばついつい私は「建物」を思いますが、そこになにが所蔵されるか、どう所蔵されるか、誰がどう利用するか、で図書館は歴史的にも地理的にも大きな変遷を経験してきました。歴史を「図書館」を切り口に見る、というのは新鮮な視点でしたが、本好きにはわくわくする本です。上で紹介したのはまだ本書の半ばまで。近代に入ったらまた別の面白い話題(本の分類方法とか司書の成立とかナチスや人民解放軍や各地の民族主義者による焚書や図書館破壊とゲットー内の図書館とか)がてんこもりです。「読書」「本」「図書館」に興味のある方は、ぜひ。ぜひ。


シール集め/『名犬ラッシー』

2009-07-24 18:02:02 | Weblog
 行きつけのパン屋では、「お買い上げ300円ごとにシール1枚」をつけてくれます。それを台紙に張りつけていくと100枚で1冊が一杯になります。つまり最低3万円はそこで買っているわけ。で、この4~5年ずっと貯めていたら、とうとう8冊になりました。こんどお目当ての景品に交換に行きますが、なんと最低24万円買っているわけですか。1回1回は大したことありませんが、これは上得意ですよねえ。

【ただいま読書中】
名犬ラッシー』エリック・ナイト 著、 高瀬嘉男 訳、 岩崎書店、1973年(86年13刷)、680円

 ヨークシャーの寒村、サムの家で飼われているラッシーは、とても頭がよいコリー犬でした。たとえばサムの息子ジョーが午後4時に学校から帰ることをちゃんと覚えていてその5分前に学校に迎えに行きます。サムの家族だけではなくて村のみなが、ラッシーを愛していました。しかし、サムが働く炭坑は潰れ、失業手当だけでは暮らしていけず、ついにサムはラッシーを公爵に売ってしまいます。ラッシーはなんども脱走して学校にジョーを迎えに行き、そのたびに公爵家に連れ戻されます。ラッシーははじめは檻に閉じ込められ、ついには鎖につながれてスコットランドに連れて行かれてしまいます。しかし「午後4時」になるとラッシーはそわそわし始めます。公爵の孫娘は、ラッシーを逃がしてやります。ラッシーは南を目指します。直線距離で640km(巨大な湖などの迂回を重ねたら1600km)も向こうの「主人の家」を。飼い犬のラッシーにそれは苦闘の旅でした。人間に近づくと嫌なこと(捕まえようとしたり石を投げたり銃で撃ったり)が起きるため、人を避け、餌をなんとか自力でとり、本能だけに従って進路を決めます。しかし、とうとう野犬狩りにあい、ラッシーは収容所に入れられてしまいます。
 人間はラッシーの「敵」だけではありません。「味方」もいます。野犬狩りから守ろうとする人や倒れたラッシーを看病する人など。こんな場合、効果を上げるためには、金持ちを嫌な奴にして貧しい人間を優しい人間にしたら良さそうですが、本書ではそんな単純な手は使いません。人は様々、犬も様々、です。特に本書の後半、老夫婦や旅回りの瀬戸物屋のエピソードは著者の筆が冴えます。
 そしてラスト。いやもう、これは読むべし。泣き笑いのみごとなエンディングです。

 私はテレビの影響で「名犬ラッシー」と言えば、アメリカの田舎町の物語と思っていました。いや、本書を読んで良かった。『黒馬物語』もそうですが、これは動物物語であると同時に、その周りの人間、そして「その時代」を活写した物語でもあります。



死活問題/『鍼灸医学を築いた視覚障害者の研究者たち』

2009-07-23 18:35:27 | Weblog
 第二次世界大戦後、GHQは様々なものを日本で禁止しましたが、「按摩・鍼・灸」もその中に入っていました。「按摩・鍼・灸は全面的に廃止。存続するなら現行医療制度の中に包含」という指示を出しています。これは当時の盲人には文字通り生きるか死ぬかの死活問題でした。福祉制度がない状況で「金を稼いではいけない」と言われたわけですから。
 ただし、充実した福祉制度があったとしてもやはり「障害者は金を稼いではいけない(福祉に飼い殺しになっていろ)」と言われたら怒る障害者は多かったはずです。それはおそらく今でも同じでしょう。

【ただいま読書中】
鍼灸医学を築いた視覚障害者の研究者たち』松井繁 著、 社会福祉法人桜雲会、2008年、2600円(税別)

 本書は最初点字で発行されたものを「晴眼者にも読める文字」に“翻訳”したものです。そういえば、「盲」の文字について「差別意識がどうのこうの」と言う人がときどきいますが、本書には「盲」がいくらでも出てきます。少なくとも本書に関係する視力障害者は「盲」の文字に忌避感情は持っていないようです。

 盲人として初めて鍼術を業としたのは、慶長十五年(1610)頃鍼を学んだ山瀬琢一です。その弟子杉山和一は管鍼法(細い管に鍼を入れ、その頭を指で打って皮膚に刺す方法)を開発しました。腕が評判となり、四代将軍家綱に召され五代将軍綱吉の治療に成功して屋敷を拝領、侍医となります。綱吉は鍼治講習所を設け、杉山はそこで6年のカリキュラム(最初の3年が按摩、後半が鍼)で盲人たちを教育しました。講習所の学問/技術教育はハイレベルで、優れた鍼医を輩出しました。杉山が盲人の幕府医員への道を開き、さらに後進を育てたことで、幕府鍼科二五家のうち九家が盲人となりました。
 明治政府は、幕府が公認していた盲人団体「当道座」を廃止し、鍼治療を「科学的ではない」と弾圧しました。ところがそれに抵抗する人たちがいて、結局盲学校での鍼治療教育は継続されました。ちなみに、やはり当時盲学校の技藝科で教えられていた按摩はのちに「マッサージ術」に進化しています。さらに鍼を「民間医術」から「医学」「科学」にしようとする人が登場します。たとえば、リンパ液の環流に注目した平方龍男です。(ちなみにこの人、ふだんの練習に火鉢や瀬戸物の手あぶりに鍼を刺していたそうです) あるいは灸の人体実験を行なった木下和三郎。(全盲でどうやって灸に火をつけたのでしょう?) 影山儀之助は、鍼の施術後の赤血球や白血球数の変化を研究し、また、体内で折れた針先がどう動くかの研究も行ないます(授業で生徒たちに鍼の練習をさせている最中に影山の体内で鍼が折れる事故が二回あり、それをレントゲンで20年以上追跡したのです)。
 全盲で初めて医師国家試験に合格したのは森田稔(2001年)ですが、二人目の大里晃弘(2005年)は、合格時になんと50歳でした。東京医科歯科大学在学中に目を患い失明、しかし1982年に卒業して盲学校に入り水戸で鍼灸院を開業していたのですが、一念発起国家試験の勉強をして合格をした、というものすごいストーリーです。また、全盲で初めて医学博士号(東大)を取得した長尾榮一の話もすごい。盲学校を卒業後東京教育大学附属盲学校の教師になったあと早稲田の英文科を卒業。そのあと理学療法士の免許を取り、そこで研究に3000時間かけて書いた論文での博士号取得です(論文を提出したのは東大でした)。これまたすごい人生です。結局この人は筑波大学の教授になっています。定年退官後は自宅で鍼灸院を開業……って、不謹慎な言い方ですが「芸は身を助ける」? ご本人は「今は自宅開業しているが、我が意を得たり、とうとう落ち着くところに落ち着いて、天職を楽しんでいると言うところである。盲人になったからこそ鍼灸で人の病を癒すことができるのだ」と述べられています。

 本書での引用には特徴があります。様々な雑誌や本からだけではなくてて、テープからの引用が大量にされているのです。これは著者の目が見えないという特質からのものでしょう。しかし、目が見えなくてどうやって参考文献の整理をしているのだろう、と私は想像して頭がくらくらします。私の場合、文献一覧のリストを目に見えるように作ってさえ、頭の中が混乱してわけが分からなくなります。それを、目を閉じた状態でやるなんて、とんでもない人がこの世にいるものだ、と感じ入ると同時に自分自身に関して恥じ入るのみです。そういえば時々「むつぼしのひかり」という雑誌から引用されていますが、この「むつぼし」は「点字」のことでしょうね。麻雀の盲牌も怪しい人間からすると、6つの点の配置から世界を読み取ってしまう人たちは知的な意味で別世界の人間に思えます。やれやれ、あっさり負けてばかりはいられないな。こちらも頑張らなくては。



暗い一日/『クリスマスイブの出来事』

2009-07-21 18:33:03 | Weblog
 今日は朝から夕方までずっと薄暮の雰囲気でした。月のかわりに厚い雨雲がずっとお日様を食っているようです。「水不足だ」とか「梅雨明けだ」とか人間が言ったのが、誰かの機嫌を損ねてしまったのでしょうか。
 さて、明日は日食。雲は退いてくれるでしょうか。それとも誰かの機嫌を損ねないように、「日食が見られなくてもいいよ。ふん」とでも言っておきましょうか。

【ただいま読書中】
クリスマスイブの出来事 ──星新一ショートショートセレクション(13)』星新一 著、 和田誠 絵、理論社、2003年、1200円(税別)

 本書では「犯罪」がけっこう多く扱われています。警官が魔法のランプに願った願い、火災保険詐欺、完全犯罪のはずの強盗、研究所に押し込んだ強盗、アリバイ工作専門会社、クリスマスイブの押し込み強盗……
 いやもう、よくもこれだけいろんなアイデアを思いつくものだ、というか、思いついたアイデアをきちんと作品化できるものだと感心します。アイデアを思いつくだけだったら、ある程度の才能とひらめきと努力があれば、「数」はしぼり出すことができます。その中で使い物になるものを選び出すセンスと作品としての「形」にするところが、まさに「星新一」なのだろうと私は思っています。
 本書は子どもが小学校の夏休みの読書課題として図書室から借りてきていたのでちょいと読んでみましたが、やはり良いですね。ついでに子どもには「魔法のランプ」とか「悪魔との契約(三つの願い)」の話をして、自分だったらどんな作品を書くか、と「課題」を出しておきました。締め切りはありませんが、なにかいろいろ自分で考えてみてくれたら良いのですが。