テロや暗殺は、一部の人には(ドラえもんのひみつ道具のように)人気があります。しかし、テロや暗殺で思うような結果が出せたことってどのくらいあるのでしょう? 少なくとものび太はドラえもんの道具で思うような結果を出せたことはないですよね。
【ただいま読書中】『暗殺が変えた世界史(上) ──カエサルからフランツ=フェルディナントまで』ジャン=クリストフ・ビュイッソン 著、 神田順子・田辺希久子・村上尚子 訳、 原書房、2019年、2000円(税別)
世界史から様々な「暗殺」について取り上げていますが、著者は「暗殺された人」と「暗殺した人」の両方をほぼ同じ態度で取り扱います。「暗殺」はそれぞれ違うので、簡単に「共通点」とか「教訓」とかは得られません。それぞれ個別のケースを「ふうん」と感心しながら読むしかなさそうです。ただ「正義」によって実行される、とか「警備の穴(不備)」と「暗殺者の幸運」が重なると成功しやすい、とかは見えてきます。
上巻で取り上げられるのは「ユリウス・カエサル」「アンリ三世」「ロベスピエール」「リンカン」「マクシミリアン・フォン・ハプスブルク」「アレクサンドル二世」「オーストリア皇后エリーザベト(通称シシィ)」「オーストリア皇太子フランツ=フェルディナント」。おや、ハプスブルク家から三人もエントリーしています。
カエサル暗殺で目立つのは、暗殺者たちの子供っぽさです。キケロに「大人の勇気と子どもの知恵をもって実行に移された」と辛辣に評されるわけです。アンリ三世には私は同情します。あまりに周囲の政治(と宗教)情勢が複雑で、どのように行動しても敵を作るしかない状況ですから。アレクサンドル二世はある意味お気の毒です。6回も暗殺未遂があったのですが、逆に言えばそれだけ暗殺行為が実行できた、ということです。銃撃や爆弾など、次から次へと襲撃があるとは、どれも「未遂」つまり命が助かったのは皇帝にとってはラッキーですが、警備は何をしていたんだ?という疑問が当然浮かび上がります。さらに、ついに成功した暗殺で、瀕死の皇帝を宮殿に運ぼうとする人々の中に、とどめの爆弾を所持したテロリストが“予備”として混じっていた、というのを読むと(死ぬのは明らかだったので、その爆弾は使用されませんでした)、人を殺そうと誰かが真剣に思ったらそれを止める手段はないのか、とも思えますが。
上巻の最後は「ヨーロッパが終わった日」と副題がついたサラエヴォでの暗殺。最初にこのことを私が知った世界史の教科書には「セルビア民族主義者にオーストリア皇太子が暗殺され、それがきっかけとなって第一次世界大戦が始まった」と実に簡単に書かれていましたっけ。当時バルカン半島は「火薬庫」でした。オスマン帝国の弱体化、セルビア・ブルガリア・ルーマニア・ハンガリー・クロアチアの民族統一主義、ロシア・ドイツ・オーストリアの三帝国の利害の衝突、これらがすべて絡み合っていたのです。なおイタリアは当初三国同盟(ドイツ、オーストリア側)でしたが、のちに三国協商(英仏露)に鞍替えすることになります。イタリア独立とドイツの台頭で「西」で失ったものを「東」で取り返そうとオーストリアはボスニアを併合。その二日後にベオグラードに「ナロードナ・オドブラナ(民族防衛団)」が誕生。ボスニア独立どころか、南スラヴの統一を目標とします。そして、オーストリアの皇位継承者(皇帝の甥)がサラエヴォを訪問することに激高した青年たちは、組織の上部に話を通して暗殺の支援を取り付けます。組まれたチームは2つ、メンバーは7人。5人は未成年で、一人はイスラム教徒でした。この若きテロリストたちは「フランツ=フェルディナント」を名前と属性でしか知りませんでした。その実像が「皇帝とは仲が悪く、ボスニア併合に反対していて、南スラヴ自治連邦創設に熱心だった」ということを知ったら「暗殺の標的としては完全に間違っていた」ことがわかったでしょうに。さらに彼は「オーストリアとロシアの戦争が起きたら、どちらかあるいは両王家が消滅する」と見抜いてもいました。あらあら。