【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

世界連邦と地方自治

2015-11-30 06:35:39 | Weblog

 将来世界連邦ができたら、現在の「国の政府」はアメリカだったら州政府のような立場になるのでしょう。ということは、アメリカはけっこうすんなりと世界連邦制度に移行できるでしょう。「自治」がしっかりしていますから、憲法を一部改正するだけで済みそうです。日本はどうかな? 現在の県庁のような機能しか果たせない「日本政府」では、日本の「自治」は成立しないと思えます。だとすると、世界連邦のために準備するべきは、真の地方自治の確立、かな。

【ただいま読書中】『日米開戦(下)』トム・クランシー 著、 田村源二 訳、 新潮文庫、1995年、777円(税別)
 戦争というのは大きな物語(というか、巨大な愚行)ですが、本書では細部の積み重ねでそれが表現されます。たとえば東京で孤立した三人のCIAの非合法工作員。友好国が突然「敵国」に変貌してしまった状況で、国際電話もかけられず大使館にも近寄れません。しかし彼らは重要な情報を握っています。ワシントンから彼らにどのような手をさしのべることができるのか、そもそもどうやって「助けが行くぞ」との連絡をするのか、ここは知恵の絞りどころです。
 日本の奇妙な“宣戦布告”も意味不明です。その“意味”を解こうとアメリカ政府は知恵を絞ることになります。
 しかし「日米開戦」と言われるとぎょっとしますが、本書の舞台は我々の地球とは違う世界のようです。日本国内に有効に機能する米軍基地はない様子ですし、北朝鮮は崩壊しているし、日本は核武装、それも核弾頭を搭載した大陸間弾道弾を20発保有しているのですから。……やっぱりぎょっとした方が良さそうです。
 こちらの自衛隊と同じく、あちらの自衛隊も武装はアメリカから主に調達しています。しかしそれを独自に改良してもっと優れたものにしました。さらに核武装は、自衛隊の知らない話です。民生目的でロシアが放出したミサイルを大量に買い付け、それを改造して“国産”の核弾頭を据え付けた者がいるのです。
 諜報活動で何かの全貌がわかることはありません。まるでジグソーパズルのかけらを一つ一つ集めてそれぞれの真贋を確かめながらパズルを完成させようとする努力です。それでもある程度「これは真実らしい」というピースが集まれば、全部が揃わなくても全体像や欠落部分に何があるか推測することは可能になります。推測できる者の手元にそのピースが集まれば、ですが。
 ついにアメリカは反撃を始めます。まずは「円」に対する攻撃(しかし、アメリカの銀行などだけではなくて欧米諸国の政府と中央銀行がすべて組んで攻撃に参加するとは、攻撃力(と獲得できる利益)はすごいのですが、倫理的にはどうなんだろ?とは思います)。ぼろぼろになった太平洋艦隊は使い物にならないので、輸送機一機分の落下傘部隊と攻撃型潜水艦が一隻、日本に忍び寄ります。
 しかし、ジャンボジェットの“特攻”では、ぎょっとしてしまいました。まさかビンラディンはここからヒントを得ていたのかな、と。


クリミア戦争は19世紀

2015-11-29 08:01:53 | Weblog

 ロシア機撃墜でトルコ側は「国境侵犯機に10回警告した」、ロシア側は「国境は侵犯していない。警告は聞いていない」とまったく言い分が食い違っています。もしかしたら「これまで10回も警告したのに無視しやがった。こんど来たら落としてやる」とトルコ側が固く決心していたところに、ロシア機が「ちょいとかすめてやれ」と国境のギリギリの所を攻めてしまった、というのが“真相”かもしれない、と私は思っています。で、その情報がトルコ大統領に伝えられるところで、伝達ミスか意図的な改竄かで「5分で10回も警告したのに侵犯を続けたから」になったのではないか、と。
 しかし、トルコとロシアの対立でフランスも関係している、と言って私がすぐ思うのは「クリミア戦争」です。そういえば最近ロシアががたんと国際的な“人気”を落としたのはクリミア併合によってでしたね。
 歴史は“変奏曲”を繰り返すのかな。

【ただいま読書中】『日米開戦(上)』トム・クランシー 著、 田村源二 訳、 新潮文庫、1995年、777円(税別)

 トム・クランシーの本で今までに読んだことがあるのは『レッド・オクトーバーを追え』くらいだと記憶していますが、そこでの主人公ジャック・ライアンがこちらでも主人公を張っています。CIAをやめて株で金を儲けていたライアンは、大統領から安全保障問題担当補佐官就任を要請されます。
 「日米もし戦わば」といったタイトルの本は、戦前の日本で盛んに出版されていたそうですが、こちらでは舞台は戦後です。ちょうどこ本書が執筆されていた時代は日米貿易摩擦が派手に報道されていた時。思い出すとずいぶん遠い目になってしまいますが、まだほんの20年ちょっと前のことなんですね。
 太平洋戦争で家族を奪われた日本人が、復讐のためにサイパンで行動を始めます。インドはスリランカに対する領土的野心を抱き、警戒のためにインド洋を遊弋するアメリカ海軍の空母群にちょっかいを出そうとします。そこでなぜか、3年前の副大統領によるレイプ事件が登場します。これが“本線”とどうつながるのか、私は不思議に思いながら読み進めることになります。様々なエピソードが乱雑に登場しますが、どうせすべて“伏線”だろう、と思うのです。でも先は長いのです。上巻だけで700ページ以上あるのですが、現時点でまだ100ページにも到達していないのですから。さらにさらに、日本経済のバブルの破裂、円高、核廃絶の動き、自動車の欠陥燃料タンク、日本で政権交代……さまざまなものが織りなされて、世界は戦争へと突き進みます。
 「攻撃」はまず米国債の大量売り浴びせから始まりました。慌てたFRBは緊急利上げ。これは株価の低下をもらたしますが、そこに第二の攻撃が。株式市場は崩壊寸前となります。そこに金融市場を管理するコンピューターの中で“イースター・エッグ”が孵ります。次は日米合同演習で「不幸な事故」が。さらにサイパン島の占領。
 精密に練り上げられた戦争計画が発動されたのです。米露の諜報機関は、これまでの確執を棚上げとし、(一時的かもしれませんが)協力することにします。世界は変わったのです。
 話を進めやすくするために真に影響力を持つ「統治者」は本書では単純化されています。アメリカではロビーイストと有権者とマスコミ。日本では経済界の大物。ちょっと単純化しすぎではないか(いくら首相就任という“餌”があっても、それで開戦の決断はしないだろう)とは思いますが、日本の政治が不透明で経済からの影響が大きすぎる、という見方はあながち大間違いでもないのではないか、とも思えます。


反ユダヤ

2015-11-28 07:55:16 | Weblog

 ユダヤ人に対する人種差別は「ヨーロッパの伝統」のはずですが、いまはナチスがすべての「罪」をかぶっているようです。でも、第二次世界大戦中にユダヤ人はドイツ本国よりもポーランドやフランスでの方がたくさん殺されたはず。そしてフランスでは、フランス人が熱心にその「仕事」を遂行したはずです。これはフランスにあった「ユダヤ人差別」がとっても大きなものだったからでしょう。ナチスはそれを実に上手に煽っただけだろう、と私は考えています。
 ということは、現在のヨーロッパで「ユダヤ人差別」は、まだしっかり生き延びているのでしょうか? それとも別の人種に対する差別に形を変えている?

【ただいま読書中】『ドレフュス事件のなかの科学』菅野賢治 著、 青土社、2002年、3200円(税別)

 ドレフュス事件の発端となった「明細書」では、筆跡鑑定が行われました。フランス銀行専属筆跡鑑定しアルフレッド・ゴベールは「ドレフュスの筆跡とは一致せず」、パリ警察司法人体測定課のアルフォンス・ベルティヨンは「完全に一致」と結論を出します。銀行がなぜ登場するかと言えば、小切手の筆跡鑑定のためです。意見が割れたので他の三人を加えての再鑑定では「別人」が2、「ほぼ一致」が2、「完全に一致」が1、でした。軍法会議は「2対3で“一致”」と結論します(5年後に「ほぼ一致」とした一人は「あれは間違いだった」と認めました)。しかし「完全に一致」としたベルティヨンの「論拠」は奇々怪々です。「証拠の明細書をドレフュスに口述筆記させ、筆跡が似ていたら有罪の証拠、似ていなければ(有罪を免れるために)わざと筆跡を変えた証拠、どちらにしてもドレフュスは有罪。ドレフュスが有罪である以上、筆跡鑑定の結論は『完全一致』となる」というのは、ひどくありません? 当時の筆相学は科学の一種のはずですが、いくらでも恣意的に運用できるものだったようです。
 ドレフュス事件で冤罪を成立させるために権力が用いた手段は1)非合法の裁判手続き2)証拠書類の捏造・改竄・もみ消し3)反ユダヤ主義を標榜する新聞による情報操作、とされていますが、本書では4)科学・学術性について考えよう、としています。取り上げられるのは、筆相学、犯罪心理学、人体測定法、心理測定法などです。
 ロンブローゾは『筆相学』(1895年)で「筆跡を見たら、犯罪者や精神異常者であるかどうかがわかる」と唱え、一部に熱狂的なファンを得ました。これは「筆跡鑑定」ではなくて、広義の心理学の一種です。
 ベルティヨンは「統計学」「人類学」「骨相学」などの専門用語に取り巻かれて成長し、パリ警察で人体の様々なパラメーターを測定・記録することで、初犯者を装う再犯者を見抜く技術を磨きました(たまたま本人を見知った警官がいなければ、逮捕された人間の「自分はどこそこの誰誰で今回が初犯です」という申し立てを信じるしかなかった時代です)。当時の“ハイテク”であった写真も活用したこの「人体計測学」はフランス警察で活用され、アメリカにも1888年には導入されています。さらにベルティヨンは「カード」を活用しました。パリ国立図書館でさえカードによる分類を導入していなかった時代です。すごく先進的な人だったわけです。するとベルティヨンが「ドレフュスの筆跡鑑定」で見ようとしたのは「証拠の明細書をドレフュスが書いたかどうか」ではなくて「ドレフュスが、明細書のような内容の文章を書く人かどうか」だった、ということになりそうです。それを「筆跡」から鑑定しようというわけです。
 「人体」を測定することでその内面を明らかにしよう、というのは、いかにも19世紀的な発想には見えます。だけどそういったへんてこりんな「科学」を私は笑えません。21世紀の今でも、血液型性格占いとかが流行しているのですから。そういえばドレフュス事件の時に大きな役割を扇情的な新聞が果たしましたが、21世紀の今それは扇情的なネット世論が果たしている、とも言えそうです。
 人類は進歩しているのかな?


読んで字の如し〈草冠ー18〉「葉」

2015-11-27 07:00:42 | Weblog

「紅葉」……黄葉は含まれない
「青葉」……青ざめた葉っぱ
「本葉」……偽物ではない葉
「中葉」……手頃な大きさの葉
「千葉」……999葉の次
「万葉」……千葉×10
「秋葉原」……春夏冬の姿は誰も知らない
「巻葉」……そのまま乾燥させたら葉巻になる
「売り言葉」……言がプリントされた売りものの葉

【ただいま読書中】『きょうも上天気』大森望 編、浅倉久志 訳、 角川文庫、2010年、629円(税別)

目次:「オメラスから歩み去る人々」(アーシュラ・K・ル・グィン)、「コーラルDの雲の彫刻師」(J・G・バラード)、「ひる」(ロバート・シェクリイ)、「きょうも上天気」(ジェローム・ビクスビイ)、「ロト」(ウォード・ムーア)、「時は金」(マック・レナルズ)、「空飛ぶヴォルプラ」(ワイマン・グイン)、「明日も明日もその明日も」(カート・ヴォネガット・ジュニア)、「時間飛行士へのささやかな贈物」(フィリップ・K・ディック)

 古手のSFファンにはおなじみの作品が並んでいます。ただ、冒頭の「オメラスから歩み去る人々」を読む前に私は深呼吸をしました。昔(たぶん数十年前)に読んだときには「なんか、すごい思弁」とだけ思いましたが、数年前に読んだ『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル)でこの短編についての言及があって、それ以来ずっと脳になにかが引っかかった気分なんです。それが解消できたら、とやっと思えて本を手に取ったのですが……
 ひとりの人間(それも子供)に世界のすべての不幸を背負わせ、その代償として喜びと幸福を約束されている“理想社会”であるオメラス。心の疚しさとか倫理とか正義とか、そういったことばの“意味”を具体的に考えさせることを読者に強いる、本当に思弁的な作品です。でも、やはり「何か引っかかった気分」は解消されませんでした。
 他の作品も、古いけれど読み応えがあるものばかり。で、このアンソロジーのコンセプトは「翻訳者」です。すべて浅倉久志の訳。翻訳者と編者に、「こんな良いものを読ませてくださって、ありがとうございます」と平伏したくなります。


うそ発見器

2015-11-26 06:31:38 | Weblog

 ポリグラフって結構な率で嘘を見破るのだそうですが、私は「真実発見器」の方がよほど人類の役に立つのではないか、と思えてなりません。

【ただいま読書中】『ドレーフュス事件』ピエール・ミケル 著、 渡辺一民 訳、 白水社、1960年、120円

 19世紀末、国外では仏露同盟、国内ではカトリック教会が共和制に協力を表明し、普仏戦争後「共和制」がやっと軌道に乗ったフランス。左派と右派の対立に加えて、まだ未熟とはいえ社会主義者が勢力を伸ばしているのがフランス社会の不安定要因でした。
 軍の大規模動員が可能となって作戦はどんどん変容します。銃器もどんどん進歩していました。そういった時代に、諜報活動はその重要性を増していました。しかし「紳士」はそういったものを毛嫌いしていました。
 理工科学校・陸軍大学というエリートコースは閉鎖的でした。差別されているユダヤ人で、若くて優秀で頑張り屋で愛国心が強い人はそのエリートコースに入りますが、そこで彼らを待っていたのはやはり差別でした。そういったユダヤ人将校の一人に、ドレーフュス大尉がいました。
 1894年、発端はいかにも怪しい「明細書」。スパイの存在を示唆する内容です。情報部は興奮します。「砲兵隊の人間が書きそうな内容だ」「砲兵隊にユダヤ人はいるか?」「ドレーフュス大尉はユダヤ人? ならば奴がスパイだ」「あとは裏付けだ。白状させろ」。はい、一件落着。
 ちょっとあきれた人がいます? ならばあなたは「ユダヤ人スパイの味方」です。はい、逮捕。
 本当はここで事件をもみ消すことは可能でした。しかし新聞にたれ込みがあります。陸軍内部にたしかに「スパイ」がいました。新聞に情報を漏らすスパイが。かくして輿論は沸騰します。こうなったら「犯人」か「責任者」を差し出すしかありません。
 新聞が煽り立てる中、軍法会議ではドレーフュスに、位階剥奪と悪魔島での無期禁固が言い渡されました。事件終了……ではありませんでした。少数の人が、「事件」と「裁判」のあまりのおかしさに異議を申し立てます。再審請求をしますが、司法も政界も新聞も、再審を考えるどころか、それを言う人たちを迫害して事件を終息させました。しかしそこに、エミール・ゾラが「弾劾状」という爆弾を新聞紙上で爆発させます。これがあまりに効果的だったため、ゾラは起訴されます。それに対して「知識人」(このとき作られたことばだそうです)が連帯して立ち上がります。旗印は「反ユダヤ主義への敵意」「真実と正義」。新聞は圧倒的な比率(数百万部対20万部)で反ドレーフュスの立場でした。しかし、すこしずつ“転向”する新聞が現れます。上流階級のサロンも二分されます。フランスは真っ二つに割れたのです。ゾラには1年の禁固と300フランの罰金が言い渡されます。しかし、裁判の過程で、政府はダメージを負います。証人の証言は支離滅裂で、明らかにドレーフュス事件で何か変なことが行われたことが明らかになってしまったのです。しかし、一度確定した軍法会議の結果にいちゃもんをつけるのは、反軍行動で非愛国的だ、という論法は大変有効でした。ゾラの名前をレジョン・ドヌール勲章名簿から削除し、ゾラの仲間を根こそぎ起訴しようという動きが始まります。
 しかしそこでドンデンが。ドレーフュスを有罪とした決め手となった書類が偽造であることがわかったのです。しかし偽造犯人のアンリは、独房で剃刀で喉を切り裂いて自殺してしまいます。独房の中に剃刀? ともかくアンリ偽書は、参謀総長と閣僚三人の辞職をもたらします。危機感を抱いた反ドレーフュス派は、なりふり構わず攻撃に出ます。口では「愛国的偽書」という“論理”を唱え、実力行使もためらいません。ドレーフュスの名誉回復を第一義とする「人権同盟」に対抗して結成された「祖国同盟」「愛国者同盟」は「ドレーフュスが有罪か無罪かは些細な問題」としました。彼らの第一義の問題は「軍の志気阻喪による祖国の危機」です。つまりドレーフュスが無罪でも、彼の擁護者たちは“有罪”なのです。しかし、いくら自分たちの主張が覆されようとしているといって、暴動やクーデターまで計画するとは穏やかではありません。さらに「再審でドレーフュスが無罪になったら、彼をかつて有罪にした軍が断罪されることになる。責任者出てこい」という新聞の論説で参謀本部は追い詰められます。で、再審では減刑して10年の刑に。
 これでは国内の騒動は収まりませんし、国際社会も眉をひそめます。さすがに政府も放置できず、ドレーフュスに特赦を与えます。すると輿論はあっさり冷めてしまいました。覚えていたのは、政治家と知識人だけでした。議会は反ドレーフュスの右派に対して左派が優勢となりますが、フランスの思想はナショナリズムがなぜか優勢となります。新聞・教会もそれぞれダメージを負います。もしかしたらこの事件に“勝者”はいないのかもしれません。だったらなぜこんな事件が引き起こされたのだろう、と私は不思議に思います。たぶん何か「フランスのため」という愛国的な理由があるはずなんですけどね。だけど私には「愛国者」が国家に一番損害を与えたようにしか見えないんですよ。


西洋の丼飯

2015-11-25 07:10:47 | Weblog

 温かいご飯の上におかずを乗せたものは、日本では「丼物」ですが、これを「デンプン質の“主食”の上に“副食”を乗せたもの」と一般化したら、ピザは西洋の丼、ということになりません?

【ただいま読書中】『ピザの歴史』キャロル・ヘルストスキー 著、 田口未和 訳、 原書房、2015年、2000円(税別)

 焼いた石の上で発酵させない生地を焼くフラットブレッドは、大昔の世界ではありふれた食品だったはずです。古代のどこかの誰かが、フラットブレッドを「食べることができる皿」として使うことを思いつきます。これは便利です。皿洗いも不要ですし。古代ギリシア人はパンに直接具材をのせてから焼くことを思いつき、これを「プラクントス(皿)」と呼びました。古代ローマのプラクントスは、丸い小麦のパンで、チーズ・蜂蜜・ローリエ・オリーブオイルの混合物をトッピングしてありました。
 中世イタリアでは「フォカッチャ(身近な食材を何でもフラットブレッドに乗せたもの)」「トルタ(生地に他の材料を混ぜて焼いたパイ)」が社会階級に関係なく、広く食べられていました。他にも「スキアッチャータ」「ピアディーナ」「ファリナータ」「パネッレ」など各地で様々なフラットブレッドが食されていました。そして「ピザ」はナポリで始まりました。
 ナポリの初期のフラットブレッドは、地元の食材、パン・チーズ・トマトの組み合わせでした。最も安いものは、フラットブレッドに、ニンニク・ラード・塩をトッピングしたものです。トマトは、新世界からやって来たときには不人気でしたが、18世紀にはイタリアの食卓に定着していたようです。
 アレクサンドル・デュマがイタリア旅行をしたとき「ナポリのラッザローニ(下層民衆)は、夏はスイカ、冬はピザで生き延びている」と書き残しました(『ル・コリコロ』)。貧民と労働者は三食「ピザ」を食べていたのだそうです。モールス信号のモールスはピザを「不快な郷土料理」と書き記していますが、要は、貧しいラッザローニのみすぼらしい食事だったのです。当時すでにパスタは上流階級にも受け入れられていたのにねえ。貧民は調理用具を持っておらず、安い外食で済ませるしかなかった……って、江戸時代の江戸で外食産業が流行ったのと事情が似ています。
 そうそう、上流階級にも変わり者がいて、ピザを愛好する人がたまにいました。その代表がマルゲリータ王妃で、彼女のお気に入りが「ピッツァ・マルゲリータ」です。
 第二次世界大戦後、奇跡の経済復興と観光産業の発達で人の動きが激しくなるにつれてイタリア全土に「ナポリのピザ」が広まりました。食べたのは、イタリア人だけではなくて外国人も。特にアメリカ人は「ピザ」を求める傾向がありました。
 アメリカにも移民によってピザは持ち込まれています。はじめは「イタリアのエスニックフード」でしたが、イタリア本土と同様、第二次世界大戦後にアメリカ全土で人気の食品になりました。ただし、様々な“実験”が行われて「アメリカのピザ」が生まれ、現在では世界で一番ピザが食べられる国になっています。「アメリカのピザ」と言っても、地域や食べる年代層や社会階層によってバラエティーが非常に豊かなのですが。
 アメリカだけではなくて、全世界でピザは人気となっています。しかし、かつての「ローカルな食品」が「グローバル」(チェーン店の規格化されたもの)になると、面白い現象が起きます。逆に世界各地で「ローカルなピザ」が発生しているのです。本書には各国の「ピザ」が紹介されていますが、日本のお好み焼きも「日本のピザ」として登場するのには笑ってしまいます。
 「真のナポリピッツァ協会」認定の店、というものは私が住む市にもあります。そこに行けば「真のナポリピッツァ」を食べることができるのですが、さて、どうしたものか。かつてのナポリのラッザローニが食べたらどう言うかな、なんてことも思いますので。まあそんな“原理主義的(あるいは知ったかぶり)”なことを言っていたら「江戸前の鮨とは、屋台・おにぎりくらいの大きさ・魚介は江戸湾限定」なんてことになっちゃいますし、さらに「醤油やワサビは使用禁止」なんてことにもなっちゃいそうです。やはりあまりうるさいことを言うのはやめておきましょう。食べたいときに食べたいものが食べられる、それが食の幸福ですよね。


今は何ビット?

2015-11-24 06:44:57 | Weblog

 私が1987年に購入したパソコンNECのPC9801-VX2には、なぜかCPUが二つ搭載されていました。日本電気のV30とインテルの80286です。286の方がメモリー空間が広くて“高性能”という触れ込みでしたが、それまでのソフト群はV30用に開発されていて286と互換性がないものがあるため、起動するたびにスイッチでどちらのCPUを使うかユーザーが選ぶことができる、という使いやすいのか使いにくいのかわからないシステムでした。どちらにしても「16ビットCPU」で、今から見たらそれほど差はないだろう、と言いたくなるものではありますが、当時のパソコン雑誌では「それぞれのCPUの利点や欠点」について熱く語られていましたっけ。
 やがて32ビットの80386マシンが発表され「時代は32ビット」になったのですが、NECの最初の32ビットマシンXL2では「32ビットはオプション」で、16ビットを32ビットにしたければあとから別のCPU(機能拡張プロセッサ)を購入しないといけない、という阿漕な商法が平然と行われていました。「最初からついている386は、じゃあ、何なんだ?」と私は不思議に思ってVX2を使い続けました。というか、その頃から「パソコンで何ができるか」よりも「私はパソコンで何がしたいのか」の方が重要になっていたのです。
 ところで皆さんは、使用しているパソコンやタブレットやスマホ、CPUというかMPUが何ビットか、ご存じです? 実は私は知らないんです。

【ただいま読書中】『超マシン誕生 ──コンピュータ野郎たちの540日』トレイシー・キダー 著、 風間禎三郎 訳、 ダイヤモンド社、1982年、1800円

 60年代末から1970年代に“ゴールドラッシュ”がありました。厳密にはゴールドではなくて“シリコン”でしたが。つまり「コンピューターを開発することで金を手に入れる」競争です。
 1968年「データゼネラル」もこのラッシュに参入します。当時の小型コンピュータ市場は急成長中で、そのトップはデジタル・エクイップメント社(DEC)でした。65年に「PDP-8」という小型コンピュータを市場に送り出して成功しています。そのDECから退職した若手技術者たちがデータゼネラルを興しました。1年で100社以上という起業ラッシュの時代でした。その過当競争の中で、データゼネラルが発表した「NOVA」は安くて優れていました。他社製品との差異はささやかなものでしたが、NOVAはヒットします。
 データゼネラルはそこまで特異な会社ではなかったようです。ただ、設計・製造・販売・宣伝・経営など、すべてに目配りが効いていたことによって、会社は成功しました。「目配り」というか、もしかしたら「幸運」だったのかもしれませんが。ともかく「荒っぽい」手法でデータゼネラルは成長しました。著者は会社の決算報告書を専門家に分析してもらい、この会社の目的は「成長そのもの」であると結論します。「もっと速く」「もっと大きく」「もっとたくさん」「もっと新製品を」です。そのためには行動が荒っぽくなるのも当然でしょう。
 しかし、70年代が深まるにつれて、データゼネラルは“踊り場”に到達してしまいます。そこからどこに向かうのか。昇るのか落ちるのか、どちらかしかありません。その状況で著者は一人の若者に焦点を絞ります。トム・ウエストです。
 DECは32ビットコンピュータVAXをヒットさせていました。しかしデータゼネラルにはこのジャンルのマシンがありませんでした。78年ウエストはチームを召集します。VAXを越えるマシン「イーグル」の開発チームです。ウエストはVAXをリバースエンジニアリングし、それが複雑すぎる、と感じます。自分たちのチームならもっとシンプルで安いマシンが開発できる、と。しかし、社外の競争だけではなくて、社内政治の駆け引きから、ウエストは社内で半ば秘密プロジェクトとしてチームを動かすことになります。ウエストは学校を出たての新人を大量に雇用します。優秀でボスに逆らうことを知らず何が不可能とされているかも知らない、しかも給料が安い、という理由です。彼らは生活のほとんどを新しいマシン開発に捧げます。著者に対してその生活のひどさを切々とこぼしますが、その口調はどこか楽しそうです。
 設計の第一段階はアーキテクトです。16ビットマシンのメモリーの論理アドレス空間は65000ですが、32ビットだと43億。それをどう管理・保護するのかを決めなければならないのです。取り組んだのは、これまでに開発した5つの優れたマシンをすべてお蔵入りにされてきた、不遇のワラック。紙と鉛筆を駆使してワラックは非常にエレガントな方法を考え出しますが、そのすべてが採用されたわけではありませんでした。会社の上層部からの“縛り”があったのです。といって、理不尽な命令ではなくて、それまでの16ビットマシンとソフトの互換性を保つためのものだったのですが。優秀でやる気満々の若手を揃え訓練をし、ウエストはプロジェクトをスタートさせます。非常識なくらい短期間に新しいマシンを生み出すために、プレッシャーに満ちた日々が始まります。
 しかし、35歳の人間がじいさん扱いされるとは、なんという世界でしょう。「ナノ秒」とか「2進法」が生きて使われている世界だからかな。
 開発チームに密着した著者は、物理的なコンピュータがプログラミング言語で直接動くのではなくて、それがアセンブリ言語(機械語に一番近い言語)やマイクロコードに翻訳されてから動く、ということを学びます。ここでFORTRANが登場して、私は懐かしさでいっぱいになります。私がFORTRANやCOBOLを知ったのはやはり70年代のことですから。
 著者は「開発過程」にずっと付き添っているから、実際に自分で見たことが豊富に本書には書かれています。現場に密着していて、各人の人間像についても詳しく描かれていますが、近い分、客観的に突き放して見ることは難しくなったようです。
 すべての人が様々なプレッシャーを感じています。「時間の制約」「予算の制約」「自分の能力を証明したいという欲望」「肉体的な制約」「権力闘争」「的外れの批判」「正しい批判」「失敗の予感や不安」「実際の失敗」「資源不足」「欲求不満」……まるで戦時下の人々のような印象ですが、彼らは自ら志願してそんな生活を送ったんですよねえ。なぜでしょう。
 今、データゼネラルは存在しません。32ビットミニコンピュータも存在しません。そう言えば「イーグル」が開発されていた頃には、後に私が買ったAPPLE][が開発・販売されていました。結局ビジネスコンピューターというジャンルはパソコン(APPLE][の子孫)に浸食されてしまったわけです。で、パソコン自体もまた、これから別のものに置き換えられていくことでしょう。ということは、現時点で、「イーグル開発チーム」のような生活をしながら「明日のマシン」を開発している人たちが、世界のどこかにいるのでしょう。


会社の傭兵

2015-11-23 07:28:51 | Weblog

 企業が従業員に忠誠心や忠義心を求める態度は、傭兵に忠誠や忠義を求めるのと同じ態度に、私には見えます。だって会社に雇用しているのは、先祖代々の忠臣ではなくて、“傭兵”でしょ? 価値のあるすごいものを購入するためには、それなりに支払いが必要なのでは?

【ただいま読書中】『エデンの恐竜 ──知能の源流をたずねて』カール・セーガン 著、 長野敬 訳、 秀潤社、1978年(83年18刷)、1200円

 先日読んだ『宇宙の扉をノックする』(リサ・ランドール)では、最新の物理学の知見を“数式を使わず”に読者に伝える手際に感心しました。専門用語や数式を駆使した方が「正確」に表現できるのは明らかです。私自身、もし自分の専門分野を“素人”に説明しようとしたら「一般日本語」よりも「専門用語」を使える方が楽だと感じるでしょう。ただ、素人は専門用語を正確に理解していないから、無雑作に専門用語を使うわけにはいかないのですが。
 さて、本日の本は生物学です。ただし「1970年代の生物学」。さらにそれを解説しているのが、カール・セーガン。彼は科学の解説者としてはプロですが、生物学ではプロではないはず。ただ、自分がプロではないことをきちんと意識していたら、「自分がどのような説明なら理解しやすいか」をまず設定して、それをさらにかみ砕く形で、とてもわかりやすい科学の解説書が出来上がるだろう、とは予想できます。
 実際、本書は見事な出来です。今から40年前の生物学の最前線がどのようなものだったか、非常によくわかります。私はもうこのあたりの知識はほとんど忘れてしまっていましたが、“初心”に帰って読むことができました。知識そのものは古くなりますが、本の語り口や科学や読者への誠実な態度は古くならないんですね。
 しかし、どんな話題を扱っても、ちょっときっかけがあればすぐに「宇宙」に話が結びつこうとするのは、やはり“カール・セーガン”でした。


在宅介護

2015-11-22 07:40:52 | Weblog

 医療費などの削減のために、老人や病人は病院や施設ではなくて家庭で面倒を見ろ、と厚生労働省は言っています。しかし、徘徊をする認知症の老人が家から抜け出して踏み切りで電車にはねられると、JRから賠償請求が介護者に来ます。少なくとも愛知県の事象では、まだ判決は確定していませんが、地裁と高裁ではJRの請求が認められました。つまり介護者は、24時間献身的に完璧な介護をすることが社会から求められています。
 ところがアベノミクス2ndステージでは「介護離職ゼロ」だそうです。家族の人数が少ない現在の日本で、仕事を辞めないで誰がどうやって24時間介護をできます? 介護保険を使う? 使えば使うほどお金がかかりますし、他人が自宅に入ることを嫌う老人はとっても多いんですよ。さらに「お金がかかる」は財務省からは明確に否定されています。
 日本政府と日本社会は、介護をする人たちに対して「面倒は見ろ、仕事は辞めるな、金をかけて日本社会に迷惑をかけるな」と要求しているように見えます。一体どうしろと?
 マリー・アントワネットの「パンが食べられないのなら、お菓子を食べれば良いのに」を私は思い出しています。「24時間介護が自分でできないのなら、誰かに無料で助けてもらえば良いのに」と言うのが、政府と日本社会の言い分かな、と。

【ただいま読書中】『月にハミング』マイケル・モーパーゴ 著、 杉田七重 訳、 小学館、2015年、1600円(税別)

 サバ釣りに出かけたジムとアルフィの父と息子は、誰もいないはずの小さな無人島でたった一人で泣いている幼い少女を発見します。飢餓と脱水と感染症で瀕死の状態。言えるのは「ルーシー」の一言だけ。
 スリリングで魅力的なオープニングです。
 そこでやっと“今”がいつかが明かされます。ドイツにカイザーがいて「1年前にフランスとベルギーで戦争が起きた」ということは、第一次世界大戦が始まってすぐ。そして、島民がドイツ人を敵視していることからここは連合側、というか「セント・メアリーズ島」とか「セント・へレンズ島」という地名から、英語が通用する場所であることは明らかでした。
 戦争の話題と島民の戦死や負傷で暗くなっていた島は、「ルーシー・ロスト(迷子のルーシー)」に飛びつきます。明るい話題、とは言えませんが、少なくとも気晴らしにはなりますから。彼女の由来について様々な説が立てられますが、一番奇想天外なのは「人魚説」でした。
 ここで突然、ニューヨークに住む少女の手記が登場します。学校の勉強、特に文字を読んだり書いたりするのが大の苦手だけど、ピアノを弾かせたらピカイチのメリーです。しかしパパは志願して戦場へ。メリーはパパとの約束で、「二人のテーマソング」モーツァルトの「アンダンテ・グラツィオーソ」を月に向かってハミングします。パパは負傷してイギリスで療養。メリーは学校をやめママとイギリスに向かいます。豪華な客船、当時最速の船で。
 ルーシーは自分の殻に閉じこもっていました。しかし、「音楽が効くはずだ」という信念を持つ医者が持ち込んだ蓄音機が、本当に効きます。一歩ずつ、一歩ずつ、ルーシー・ロストはアルフィ一家に“近づいて”きます。まるで野生動物が餌付けをされて少しずつ人に慣れる過程のように。
 アルフィの目からは“過小評価”されていますが、母親のメアリーが非常に重要な役回りを果たしています。自分の双子の兄ビリーが心を病んで社会からドロップアウトをしたとき、なりふり構わず非人道的な精神病院から救出し献身的に面倒を見て回復の道筋に乗せています。そして、ルーシーに出会ったときもまた同様に「自分が救う」と決心したのです。一家だけではなくて、島全体がメアリーによって影響を受けています。
 二人で手をつないで、ぐっとこちらに迫ってくるような満月に向かってハミングをする、奇跡のようなため息が出る美しいシーンがあります。ここを読むだけで、本書を読む“元”は取れます。
 そして「奇跡のような」ではなくて「奇跡そのもの」がじわじわと動き始めます。ルーシーが回復し始めたのです。相変わらず口はきけず、自分が何者かも思い出せませんが、少なくとも生きる意欲を取り戻したのです。
 しかし、ルーシーがドイツ人かもしれない、という妄想が島を支配し、人々は憎悪をむき出しにします。言い返せない相手には、いくらでも強いことが言えるのです。
 ここでやっと真相が明らかになります。ルーシーが乗っていた船は、潜水艦に魚雷攻撃を受け、沈没したのです。海の藻屑と消えるはずだった彼女がどうして無人島で発見されたのか、驚くような話がそこから展開します。「生きなさい。子供は生きなければならないの」と言ったおばあさん。海に浮くピアノ。そして、規則を破る艦長。ドイツの毛布。
 「物語」の凄みを感じさせる作品です。戦争とそれが人々に与える影響について、じっくり考えることができます。BGMにはぜひ「アンダンテ・グラツィオーソ」(モーツァルト)をどうぞ。


三と四

2015-11-21 07:07:58 | Weblog

 晴れたかと思うとすぐに天気が不順となり、空気は少しずつ冷え、秋は着実に冬に向かっているようです。春先には三寒四温と言いますが、今は四寒三温なんでしょうか。

【ただいま読書中】『筆算をひろめた男 ──幕末明治の算数物語』丸山健夫 著、 臨川書店、2015年、2400円(税別)

 現在「順天堂」と言えば、津村順天堂とか順天堂大学を思いますが、それとは別の順天堂がかつての日本にありました。大坂で福田理軒が経営する算学塾です(「算学」とは、今で言う「和算」のこと)。ペリーが来航して日本が大騒ぎとなったとき、理軒は黒船を見物に出かけ、2年後に『測量集成』を出版しました。各国の黒船のデータを集め、さらに船までの距離測定の方法や大砲の発射方法などが詳細に論じられています。「黒船」をテーマとして測量技術や海防について論じた本で、ロングセラーになったそうです。
 理軒は文化十二年(1815)大阪で生まれました。師匠筋をたどると、高橋至時(伊能忠敬の師匠)が出てくる、という“由緒正しい”学統で学び、独立して自分の算学塾を開きます。
 さて、突然「昔の算数の問題」が登場します。「銭三貫四百六十文は、丁銭(バラの銭)では何枚か?」。「貫」は「千倍」ですから3460枚、と言いたくなりますが、それは不正解。江戸時代「96枚の一文銭を紐に通してまとめたら『百文』として扱う」というお約束がありました。だから正解は「34×96+60」です。
 次は両替の問題。銀は重さ(匁)で取り引きされていました。1匁は3.75g(面白いことに、現代の5円玉の重さです)。その1/10が「分(ふん)」、その1/10が「厘」。ところが金はまた違う体系で動きます。基本単位は「両」。その1/4が「分(ぶ)」。その1/4が「朱」。「分」と「分」がややこしいので、『算学速成』という本では金では「歩」と表現して区別しています。これは計算がややこしい。両替商が必要になるわけですし、商業の町大坂で算学塾が繁盛するわけです。こういった実学とは別に「大人の趣味」としての和算もありました。暦や天文学の計算、あるいは純粋数学の世界です。「順天堂」では、そのどちらにも対応していました。
 そこに黒船ブーム。『測量集成』では、誰でもできそうな簡単な測量技法だけではなくて、三角関数を用いた精密な測量法も紹介されています。この本には三角関数表も載っているのですが、小数点以下7桁の数字が書かれています(もちろん正確な数字です)。私が高校時代に使っていた表はたしか小数点以下5桁くらいだったから、とってもまともな本だと言えます。江戸時代なのにねえ。
 安政四年(1857)西洋数学書が二冊、日本で出版されます。思わず笑っちゃうのは「十二と二十四の合計を、アラビア数字で計算式を書いて計算しろ」という問題があること。「アラビア数字」自体が「未知の言語」だった時代ならではの「数学の問題」です。その一冊が理軒の『西算速知』で、西洋数字を紹介しますが、同時に「筆算」を指導しています。当時の日本では、ソロバンあるいは算木(あるいは暗算)で計算していましたから、紙に計算式を書く、というのは日本人にはとても新鮮な体験だったことでしょう。今見ると、漢数字で計算式が書いてある部分が、こちらには逆に新鮮です(ゼロの代わりに「空白」が用いられています)。二桁以上の掛け算は、九九表を応用して一桁の九九を計算した後はすべて足し算に還元しています。ああ、これは普段の計算でやっていることを、漢数字でやっただけですね。ただ、九九表の上でやるものだから、非常にユニークなやり方に見えるだけです。
 『測量集成』と『西算速知』で理軒は「時の人」となります。そして、その弟子や知人たちが、明治維新で大活躍することになりました。
 本書に登場するのは「単なる算数の問題」ではありません。単純な引き算や足し算の問題に見えても、そこに「当時の日本の総人口」とか「米の生産高」の生々しい数字が使われています。驚いたのは「太陽までの距離」と「光速(輿地里単位で秒速四万二千里(約29万9792.5km))」を示して、太陽からの光が何秒で地球に届くか、の計算問題です。こんな問題を解いていたら、「世界認識」に重大な影響が出ませんか?
 明治維新により理軒は新政府に採用され、改変を繰り返される天文暦道の組織で幹部とされていました。明治四年、理軒の息子福田半が『筆算通書』を出版します。それとタイミングを合わせたかのように、理軒は政府を辞め、新しい塾、順天求合社を開きます。塾の理念は「数学」の研究と教育。しかしその翌年「学制」が施行され、義務教育の中に理軒が教えたかったことはほとんど含まれてしまうことになりました。さらに改暦。明治五年十二月三日を明治六年元日とし、同時に時刻もそれまでの不定時法から西洋式にカウントすることにしました。理軒がこれまで蓄えた算学や暦学の知識はことごとく無用のものにされてしまったのです。しかし理軒は、改暦からわずか1箇月後に『太陽暦俗解』という新しい暦の解説本を出版しています。さらに理軒はその本で、明治政府が布告し忘れていた「太陽暦とはグレゴリオ暦のことである(だから閏年にややこしい規則がある)」もきちんと指摘しています。最終的に理軒は時代の変化の中で忘れられていきましたが、ただ古いものを忘れるだけを「進歩」と呼ぶのだったら、それはずいぶん淋しい進歩だとも私には思えます。自分が立脚している基盤を忘れちゃいけないでしょ?