僕がそもそもAPFの山路さんと知り合ったのは
長井さんの紹介です。
長井さんの紹介がなければ
彼と僕が知り合うことは、多分なかったような気がします。
今でも新宿のホテルに長井さんと一緒に来た
山路さんの背の高い姿を僕はよく覚えています。
それからものすごく多く一緒に仕事をしたわけではありませんが、
長井さんが生きていたころまでは
APFとは、オウム取材など、いくつかの良い仕事はしています。
長井さんがなくなってからは
逆に仕事の関係は消えました。
長井さんのビデオカメラとテープを取り戻す活動を
僕がはじめたことで
その活動をはさんでの協力関係でした。
一部のメディア関係者で
誤解している人がいるので明言しますが
この「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の
発足と署名活動は、
完全に僕個人が単独で決めてはじめたものです。
これをスタートさせるための相談も
僕が、事前に僕の周辺数人にしてはいますが
APFの山路社長やAPFメンバーには相談していません。
「やる」という連絡を直前にしただけです。
彼は当時それどころではありませんでしたし。
また呼びかけ人を追加していく過程で
APFに「誰かいないの?」と問い合わせました。
APFより紹介されたのは
鳥越氏と田丸さんの二人です。
この会の活動とAPFとは最初の一年間は
ゆるやかな協力関係にあったというのが実態です。
ただし、お互いに完全に独立していました。
署名や講演などで部分的な協力関係がありました。
講演会では、東京での最初の講演会と
APFがセッティングした仙台講演会。
さらに提出する署名用紙のコピーなど。
しかし2008年9月の一周忌以降、具体的な協力関係は
実は、ほとんどなかったような気がしています。
実際、APFの担当者とのメールのやりとりなどを
さっき確認しましたが、なんと数回だけでした。
ほんとに事務的な情報交換が三回
(長井さんのカメラの種類確認とかバンコクホテル住所確認など)。
そしてこちらからの三回忌(まる二年)の連絡位でした。
そして当会が2009年9月に
四谷の真成院で開催したこの三回忌には
APFメンバーはどなたもいらっしゃいませんでした。
山路さんとも去年の前半に、
数回は携帯で世間話をした記憶はありますが
最近はほとんど話をしていません。
テレビの仕事では、
僕は少なくとも二年以上、何も一緒にやっていないので、
今回なぜ、彼らがこのようなやり方の取材をおこなったのか
実はよくわかりません。
しかし、APFのメンバーはかなり少人数です。
また今回のことが下っ端のADによる
単独行為というレベルではないのです。
また、郵便物の無断開封はどういう理由にせよ、
許されることではありません。
僕はよく「取材はギリギリまで」と言いますが、
僕のギリギリの感覚の中に
郵便物の無断開封は昔から全くありません。
僕の勤務先の仕事仲間に誰に聞いても「当然アウト」です。
法的には刑法の信書開封罪(133条)に
該当する話です。
まず去年12月にAPFがTBSで報じた詐欺事件の内容が
ある意味、取材によって犯人が逃げたような内容に
放送が見えたらしく
視聴者がBPOに問い合わせて
BPOが動いているらしいことが
半ばオープンになっていました。
いつかはそのことを多少はブログに書くべき必要が
有るや無しやを僕は色々考えていましたが、
とりあえず先延ばしにしていました。
そしたら今週になって
突然TBSが郵便物無断開封を
夕方のニュースで報じたので、かなりびっくりしたのです。
「なんで長井さんが死んでまだ二年なのに
こんな馬鹿なことをするのか」という憤りが
こみ上げてきました。
それでも、いろいろ情勢も確認したかったですし、
元々の報道特集NEXTが番組で詳しく伝える
可能性も考えましたし、
APFから万が一、何か連絡があるかもしれませんし、
記事にあげるまで数日待ちましたが、
結局連絡も特になく、
TBSのテレビでの説明もかなりさらっとしたものだったのでした。
こういう事態を受けて、僕としては色々な思いが
心の中にはあるのですが、
やはりこの長井さんのビデオカメラとテープを取り戻す活動を
きちんと続けていくためにも
スタンスを明示することが大切だと思いました。
この会の活動は常に荊の戦いが続くのですが
更なる重石を背負わされても
戦い続けるしか道がないことを
また確認した次第です。
しかしながら、なぜ彼らが死んだ長井さんの遺志を
損なうような行為をしたのか、
本当に情けなく思うばかりです。
悲しいです。
追伸
『〈ミャンマーで銃弾に倒れた写真家一人あなたの勇姿で我が夢決まる〉。
千葉県の高専1年中島武忍(たくま)さんの歌だ。
長井健司さん(享年50)は帰らぬが、若者の心に多くを残した。』
おととい金曜の朝日新聞天声人語の記述です。
どんな状況でも
僕も想い続けなければいけないと感じています。
長井さんの紹介です。
長井さんの紹介がなければ
彼と僕が知り合うことは、多分なかったような気がします。
今でも新宿のホテルに長井さんと一緒に来た
山路さんの背の高い姿を僕はよく覚えています。
それからものすごく多く一緒に仕事をしたわけではありませんが、
長井さんが生きていたころまでは
APFとは、オウム取材など、いくつかの良い仕事はしています。
長井さんがなくなってからは
逆に仕事の関係は消えました。
長井さんのビデオカメラとテープを取り戻す活動を
僕がはじめたことで
その活動をはさんでの協力関係でした。
一部のメディア関係者で
誤解している人がいるので明言しますが
この「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の
発足と署名活動は、
完全に僕個人が単独で決めてはじめたものです。
これをスタートさせるための相談も
僕が、事前に僕の周辺数人にしてはいますが
APFの山路社長やAPFメンバーには相談していません。
「やる」という連絡を直前にしただけです。
彼は当時それどころではありませんでしたし。
また呼びかけ人を追加していく過程で
APFに「誰かいないの?」と問い合わせました。
APFより紹介されたのは
鳥越氏と田丸さんの二人です。
この会の活動とAPFとは最初の一年間は
ゆるやかな協力関係にあったというのが実態です。
ただし、お互いに完全に独立していました。
署名や講演などで部分的な協力関係がありました。
講演会では、東京での最初の講演会と
APFがセッティングした仙台講演会。
さらに提出する署名用紙のコピーなど。
しかし2008年9月の一周忌以降、具体的な協力関係は
実は、ほとんどなかったような気がしています。
実際、APFの担当者とのメールのやりとりなどを
さっき確認しましたが、なんと数回だけでした。
ほんとに事務的な情報交換が三回
(長井さんのカメラの種類確認とかバンコクホテル住所確認など)。
そしてこちらからの三回忌(まる二年)の連絡位でした。
そして当会が2009年9月に
四谷の真成院で開催したこの三回忌には
APFメンバーはどなたもいらっしゃいませんでした。
山路さんとも去年の前半に、
数回は携帯で世間話をした記憶はありますが
最近はほとんど話をしていません。
テレビの仕事では、
僕は少なくとも二年以上、何も一緒にやっていないので、
今回なぜ、彼らがこのようなやり方の取材をおこなったのか
実はよくわかりません。
しかし、APFのメンバーはかなり少人数です。
また今回のことが下っ端のADによる
単独行為というレベルではないのです。
また、郵便物の無断開封はどういう理由にせよ、
許されることではありません。
僕はよく「取材はギリギリまで」と言いますが、
僕のギリギリの感覚の中に
郵便物の無断開封は昔から全くありません。
僕の勤務先の仕事仲間に誰に聞いても「当然アウト」です。
法的には刑法の信書開封罪(133条)に
該当する話です。
まず去年12月にAPFがTBSで報じた詐欺事件の内容が
ある意味、取材によって犯人が逃げたような内容に
放送が見えたらしく
視聴者がBPOに問い合わせて
BPOが動いているらしいことが
半ばオープンになっていました。
いつかはそのことを多少はブログに書くべき必要が
有るや無しやを僕は色々考えていましたが、
とりあえず先延ばしにしていました。
そしたら今週になって
突然TBSが郵便物無断開封を
夕方のニュースで報じたので、かなりびっくりしたのです。
「なんで長井さんが死んでまだ二年なのに
こんな馬鹿なことをするのか」という憤りが
こみ上げてきました。
それでも、いろいろ情勢も確認したかったですし、
元々の報道特集NEXTが番組で詳しく伝える
可能性も考えましたし、
APFから万が一、何か連絡があるかもしれませんし、
記事にあげるまで数日待ちましたが、
結局連絡も特になく、
TBSのテレビでの説明もかなりさらっとしたものだったのでした。
こういう事態を受けて、僕としては色々な思いが
心の中にはあるのですが、
やはりこの長井さんのビデオカメラとテープを取り戻す活動を
きちんと続けていくためにも
スタンスを明示することが大切だと思いました。
この会の活動は常に荊の戦いが続くのですが
更なる重石を背負わされても
戦い続けるしか道がないことを
また確認した次第です。
しかしながら、なぜ彼らが死んだ長井さんの遺志を
損なうような行為をしたのか、
本当に情けなく思うばかりです。
悲しいです。
追伸
『〈ミャンマーで銃弾に倒れた写真家一人あなたの勇姿で我が夢決まる〉。
千葉県の高専1年中島武忍(たくま)さんの歌だ。
長井健司さん(享年50)は帰らぬが、若者の心に多くを残した。』
おととい金曜の朝日新聞天声人語の記述です。
どんな状況でも
僕も想い続けなければいけないと感じています。