社会全体にしろ、ネット空間にしろ、何というかどうしようもない方向にどんどん進んでいます。
「震災は東北でよかった」と言う復興大臣、それを更迭することでガス抜きを図る安倍総理、そしてその更迭すら文句を言う二階幹事長。
正気の話はこの国になく、戦時下の匂いが濃く漂っています。
何の意味もない戦争危機が強まっていて、そのことを止めるべきという当たり前の話すらおきません。
しかも、そこに核戦争危機が存在しているのに、反原爆側も、反原発側も、反被曝側も全てがとろい動き。
2011年の震災後、原発事故後に立ち上がった筈の人々、大半は別目的か、自己満足だった輩が大半なのは、この深刻化に意味ある反応がないことでも明らかです。
僕のメルマガ読者ですら、僕が書くことが辛くて耐えられないから購読を止めると言ってきた東京の人もいます。
放射能リスクでメルマガを読んでいても、更なる大きなリスク(核ミサイルも放射能)が迫ると、耐えられない神経。
これではダメです。
本当に日本人という存在の意識は、弱すぎる人が多すぎると思っています。
こんな時代の日本人に何を話しても届かないだろうという絶望しかありませんが、そういう人にも見てほしい映画があります。
こういう映画を見る人が増えると、戦争を止めることをもっと考える人は増えると単純には思います。
少なくとも止めることを強く考え始めないと何もなりませんから。
そして、貴女も少しは強い意識を持てる可能性もあると思います。
僕は、数週間前にこの映画の存在を偶然に知って、先日実際に見て大変に驚きました。
これだけ、他民族や宗教との劇的対立を描き、その中で若者が苦闘しながらも、歌も含めた世界の中で、次の関係を見出し喜ぶ様を、とても情緒豊かに伝えています。
しかし、これはユートピア、存在しない希望の世界なのですが、それを通じて、戦時下の下僕に落とし込まれつつある我々に、精神の可能性を示す映画と思います。
マレーシア映画の中でも際立って傑出した ヤスミン・アハマド監督の遺作『タレンタイム』。
映画祭のみで公開されDVDも日本にほぼ存在しなかった映画、各地で初めて劇場公開されています。
貴女が行くことのできる劇場で、自宅などよりミサイルやテロなどによる生存リスクが著しく下がるなら止めた方が良いですが、そんなリスクが特に上がらなくて映画代が支払える経済状態なら、かなり無理しても見た方がよいと思います。
そんなにレベルの高くないとされるマレーシア映画にすら、10年近く前で、日本は足元にも及んでいないことも確認できますから。