長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

待て、而して希望せよ

2010年07月12日 18時00分00秒 | フリーク隠居
 スペインの歓喜の陰で、私は泣いた。…だってオランダを応援していたのだもの。
 決勝戦を途中から見始めたときは、どちらでもよかったのだが、実況放送解説者が、どうやらスペイン優勝のスタンスで解説しているらしい感じをうけたので、一挙にオランダに傾いたのだ。
 …判官びいき。メジャーなものをあえて応援する必要はない、というのが、実は日本古来からの正統な、勝負に対する応援スタンスなんである。敗者に情けを持て、という心やさしい思想である。

 日本人は異様に、TPОを気にするが、あれは、日本人の優しさの表れなんじゃないかと思う。だって、落語を聞いてても分かるでしょ。祝儀不祝儀に、みな羽織を着ていく算段をする。礼儀に外れて恥ずかしい、ということもあるが、それ以前に、着て行かないと、だれかが心配するからだ。
 これが、個人主義が発達している欧米とかの国なら、だれがどんな服をどんな場面で着ていようと、一向に気にしない。つまり、冷たい。日本人なら、あら、あの人、こんな席なのに、あんな恰好して、大丈夫なのかしら、と、必ず心配する人がいる。
 …そんな、心やさしい、ある意味お節介だけど、他人の不幸を他人のものとして捨て置くことができない、やさしい心持ちの人種が日本人で、だからこそ、必要以上に心配する人が発生しないように、あらかじめ、TPОを決めて、横並び精神というものが発達したんじゃないかな……と、最近思うようになった。
 まあ、すべてが、そんな性善説的な見解で解釈できるものでもないのだが。

 アナウンサーが「悲願の優勝」とスペインのタイトルを比喩した。
 しかしこれは、オランダが優勝した場合に喩えていう言葉だろう。
 オランダはもう三回も準優勝しているらしい。…ということは、つまり三度も険しい山の頂上まで、血を吐くような思いをして這い上がり、天国へもうちょっとで指先が届く、という、まさに天にも昇る気持ちを味わいながら、三度、地獄へ突き落されたということだ。
 彼らの絶望感を想うと……もう、私は泣かずにはいられない。

 日本の鎖国時代、欧米系で唯一交易を許されたのが、オランダである。
 江戸幕府が幕藩体制を固めようとしていた1600年代初頭、オランダはバリバリのカトリック国家だったスペインから独立した。
 日本に交易を求めてやってきたオランダは、貿易に宗教を持ち込まなかった。キリスト教の、神の下の万人の平等思想は、徳川幕府の厳然たる身分制度のもとでの国家の秩序・安定を図る方針とは、根本的に相容れないものである。
 オランダはそんなわけで、日本が開国するまで定期的に、世界の情勢・出来事をまとめた『阿蘭陀風説書』という白書のようなものを、日本に提出してくれていたのだ。

 あまり知られていないが、明治政府は設立当初、キリスト教を、やはり国家的に禁止する方針を打ち出していたのである。新しいものが誕生するときは、世の中はいろいろゴタゴタするのであるから、人民はあまり性急に結果を望んではいけない、と思う。

 そんなわけで、オランダ。オレンジ色の憎いヤツ。…そりゃ夕刊フジ。
 二週間前、行李の中をガサゴソして、青シャツと一緒に発掘されたのが、オレンジ色の半袖カーディガンだった。
 オレンジ色が流行る年が時々あって、私が覚えているのは昭和62年ごろと平成7年ごろ。…さすがにこのカーディガンは後年買ったものだったが、そのカーディガンと一緒に出てきたのが、昭和の終わりに拵えたオレンジ色のスカート(その頃ハイウエストのミニスカートが流行り、凝り性の私は自分で縫ったのだった。このミニスカはさすがにどこかに行ってしまった)に合わせる、オレンジと黄と緑のバラの花が、ビュッフェの絵のように黒い縁取りで配されているシャツ…。
 強烈な印象を与えてしまう原色系の服は、一度着てもう一度ぐらい着ると、またあの服着てる…という印象を周囲に与えかねないので、結果、あまり着ないことになる。そしてそれで消耗することがなく、新品のままさらにますます化石化していくことになる。
 たぶん、一生着ないかもしれない。…いや、着よう。四度、オランダが決勝戦に這い上がってきたとき、こんどこそ着てみようと思う。

 昭和50年前後、よくあることだが、とある出版社が破綻して、普通の書店の店先に、その版元の全集本が、安価で並んでいたことがある。そこで私は『モンテ・クリスト伯』の上下巻を手に入れ、大デュマの勇猛果敢で壮大な世界に浸り込んだ。
 モンテ・クリスト伯は自分を陥れた者たちへの復讐という悲願を達成すると、表題の言葉を残し、帆船に乗り込み南洋へ去っていく。

 中学1年のクラス替えのお別れ文集や寄せ書きに、やたらと書いていたこの言葉。
 「待て、而(しこう)して希望せよ」
 けさ、三十数年ぶりで思い出した。

 

コメント
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