我が家では農業をしている訳ではなく、(農繁期の方は8月の旧盆)7月13日がお盆の入りです。
先祖や亡くなった方の霊を祀る行事です。
「薮入り」とは、住み込みの奉公人や嫁いできた嫁が実家へ帰る事ができる休日のことで、お正月の1月16日とお盆の7月16日から数日間は自由気ままに出来る日と聞いていました。
国民の祝日にしても良いような気もいたします。
さて、我が家も伝統にのっとって、迎え火を焚いてご先祖様をお迎えいたしました。
昨日の夕刻ですが、雨がポツポツ降り出してきました。
若い親も(子どもたちも)何をしているんだろう?と通り過ぎて行きます。
時代は変わりました。
こんなことをする家も無くなってきました。
ただ、昔から行っていることを継承しているだけです。
道志ではどうしているのですかね?
仏間兼居間ですが、道志から持ち帰ったユリやアジサイカスミ草などを飾っています。
我が家にはお曼荼羅が3幅掛けられています。
中央に南無妙法蓮華経の文字が、周りには家内安全とかいろいろと書かれています。
ご本山である身延山にご寄進(ご奉納)した時に書いていただいたものだと、言い伝えられています。
古いものは慶應二年と書かれていますので、今から153年前のものです。
五代将軍の徳川慶喜が活躍した時代です。
大政奉還や黒船がやって来た時代ですね。
更に明治5年と明治15年と書かれたお曼荼羅が掲げられています。
先代の名は○○市右衛門と言う名だったのでしょう。
戦争を何度も経験して、この曼荼羅と下のお千部教(長いお経を千回読んだものを記してある)どんなことがあっても持ち出して大事にしていたのでしょう。
それらが、我が家の家宝になっています。
これらの歴史ある行事をただ継承しているだけです。
今の方々には、それをやって何の意味があるの?とお思いでしょう。
本来はキュウリで作った馬とナスで作った馬を飾るべきなのですが、今ではいろいろなところで売っていますからね。
キュウリ馬はご先祖様がこれに乗って早く来てほしい。
ナス馬はゆっくりとお帰りになってほしいとの意味合いです。
すべて、感謝する心の意味合いだと思っております。
最近、女房とも話していますが、私たちは時代遅れなのかも知れないね?と会話しています。
冠婚葬祭も含めてです。
俗に言う、四十九日までは霊として故人は俗世界にお世話になったあいさつ回りをしているとしています。
したがって、その時に使うのし袋は「ご霊前」、その後仏様になられるので、「ご仏前」を使うのです。
この喪に服するときは、祝い事などはしない仕来りになっていました。
現在では、喪中のご挨拶(はがき)くらいしか残っていません。
別に、どうのこうのと言っている訳ではありません。
時代は変わったな?と思うだけです。
昔、農業を営んでいた頃とは違いますね。
近所(村)の人が集まって、川掃除や土手づくり、田植えなどを手伝っていた時代の人付き合い(人間関係)と異なっています。
人の世話(頼らなくても)にならなくても、生活はできます。
近所にはコンビニもありますしね。
そう、石灯籠のことを知っていますか?
今では飾り物になっていますが、昔は道標でした。
丸く掘られたものは太陽を表し、東に向いています。
お月さん型に掘られたものは西に向けています。
昔の人が方位を間違えないように置いたのです。
これも人さまのためにです。
私も含めて人付き合いも変わりました。
○○のOB会などはすべて休会にさせていただきました。
年賀状も半分にさせていただきました。
私が母親への想いとして書いた「長楽萬年」と言う題です。
上手い字ではありませんが、気持ちなのです。
ものを慈しみ、今ある自分を考え、それなりの形で人さまとお付き合いさせていただき、その時代を大事にしたいからなのです。
お盆さんも来ましたので、散らかっている庭では申し訳ないと庭師を入れました。
こんな環境に居れるのも父母を含めて先代のお蔭です。
もっと合理的に生活する方法もあるのでしょう。
時代を守ることは、時代遅れなのかも知れませんね。
昨日に道志に入りました。
蒸していますね。
一人でこの雑草と戦うには、エンドレスです。
今日は古くなった階段を直しています。
Hiro