自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

子どもの頃遊んだ公園も整備されて

2021年09月23日 | なかま道志

自転車10分くらいのところに野川公園があります。

散歩がてらに行って来ました。

この日は敬老の日だったんですね。

どおりで、普段と違って人出が多かったようにも感じます。

私はどちらに入るのでしょうか?

特に何も祝いが無かったので、敬老ではないようです。

我が家では母の日はあっても、父の日(私)はありません。

節分の豆も歳の数だけ食べきれなくなりました。

愛用の自転車です。

以前もこの野川公園についてお話ししたことがありますが、戦時中は中島飛行機(富士重工)の工場がありました。

ゼロ戦の格納庫(コンクリート覆われた楕円形の屋根)もあちこちにあり、周辺地域は下請け工場や社員社宅が町を作っていました。

東野住宅、西野住宅、大沢住宅などもその名残なのでしょう。

その敷地がICU(国際基督教大学)になり、当時の本館?軍(中島飛行機の本社?)の建物だったと記憶しています。

北海道大学の次に広い面積で、構内でよく遊んだものです。

今の野川公園部分はICUの牧場でした。

川の上流には土の練り物工場があって(今の西武是政線付近)、川のその排水でいつも茶色く濁っていました。

その近くの川で粘土を持ち帰っては遊んだものです。

ザリガニなどはバケツ一杯取れたものです。

湧水も多く、少し下流に行けば清流になっていました。

地名も大沢と言う地域の一部ですので、土器や貝塚なども掘れば出てきました。

また、戦時中の防空壕があちこちにあって、まさに私たちの遊び場(60年以上前)でした。

防空壕の探検ごっこも良くしましたね。

ブリキの缶にロウソクを灯りにして、消えたら危険(酸素がない)とドキドキしながらの遊びです。

その後、東京~八王子(東八)道路が造られました。

ちょうどあの下には土器や防空後があり、遊び場がなくなった感がありました。

その後、ICUの経営難?からかゴルフ場として売却されました。

それを東京都が買収し現在の野川公園になったのです。

この案内図を見ても、ゴルフ場の形になっていますよね。

アンジュレーションなどはそのままです。

今では近くの都民の憩いの場になっています。

少し下流には、近藤勇の生家があったり、味噌づくり?大きな樽もありましたね。

その近くでは、水車があったりワサビ田もあったのを記憶しています。

今でもワサビ田はあるようです。

湿原が多い場所は「自然観察園」として、保護のために囲われ管理されています。

今は彼岸花の最盛期ですね。

園内も歩くところは整備されています。

白い彼岸花が群生しています。

時折、調布飛行場から飛び立つ軽飛行機はこの真上を飛んで行きます。

赤色の彼岸花が群生している場所ですが、見ごたえがあります。

多くのカメラを持った方が訪れています。

かがみ池との表示がなされていますが、私たちの子どもの頃は爆弾池と呼んでいました。

爆弾が投下され穴になった場所に湧水が溜り池になったのです。

もっと、広かったような気もいたします。

私が小さかったからなのでしょう。

真ん中に小さな島みたいなものがあって、寄せ集めの木材で舟を作って渡ったりして遊んだものです。

当時は、小刀(肥後の神)は子どもたちの必需品でした。

・・・

夕刻はダンスの練習会です。

こんな広い場所を4組で練習しています。

大体育館ですが、昼間は半分くらいがワクチン接種会場に使われていると聞きました。

もう一つ、多目的ホールもワクチン接種会場になっています。

おかげさまで早期に終えましたが、私はかかり付け医で接種しました。

体育館を出ました。

この夜は中秋の名月でした。

早い時間のお月さんは明るく大きかったのですが、この時間では少し小さくなったような気もいたします。

ついに秋本番になりました。

今日の道志は朝から晴れていて、畑仕事(片付け)に精を出しています。

 

Hiro