心を病む
2004年に私は突然、会社の有休を使い果たして、会社に行けなくなった。
過度の重圧とのしかかる残業の嵐。
これは1992年に入社以来、ずっと続いていたことで、今に始まった話ではない。
その都度、体調不良で有休を取っては休んでいた。
だから有休を使い果たしたところで、それは私にとっては日常的なことだった。
しかし仲の良い部長から、電話がかかってきて、お前はおかしいと言われ、
寮住まいだった私の部屋にタクシーで来て、産業医の前に連れていかれ、
うつ病と宣告されたときには、ただ頭を項垂れるしかなかった。
うつ病は全く想定外であったが、抗議する気力すら、私にはなかった。
それ以来、心療内科を渡り歩いた。大量の抗うつ剤を飲まさせ、仕事中に
気絶して倒れるという経験までした。
副作用で全身が痙攣して階段も満足に降りれない、ペン先が震えて
自分の名前すら満足に書けない時期もあった。
そして2016年、6度目の休職に入り、2018年に通ったリワーク施設で初めて、
自分が双極性障害Ⅱ型であることを知った。
思えば、自分の本当の病因を知るまでに12年の月日を要したのである。
結局、会社の上司とそりが合わず、会社を退職して、今の会社で教育事業に
足を染めている。
大分、心境は変わったが、今でも心の病は治ったとは思っていない。
いつまた体調を崩して、社会から遠ざかざるを得ないとも限らない。
心とは繊細な硝子細工である。
だから絶えず私は自分の心と対話しながら、この病に向き合う。
2004年に私は突然、会社の有休を使い果たして、会社に行けなくなった。
過度の重圧とのしかかる残業の嵐。
これは1992年に入社以来、ずっと続いていたことで、今に始まった話ではない。
その都度、体調不良で有休を取っては休んでいた。
だから有休を使い果たしたところで、それは私にとっては日常的なことだった。
しかし仲の良い部長から、電話がかかってきて、お前はおかしいと言われ、
寮住まいだった私の部屋にタクシーで来て、産業医の前に連れていかれ、
うつ病と宣告されたときには、ただ頭を項垂れるしかなかった。
うつ病は全く想定外であったが、抗議する気力すら、私にはなかった。
それ以来、心療内科を渡り歩いた。大量の抗うつ剤を飲まさせ、仕事中に
気絶して倒れるという経験までした。
副作用で全身が痙攣して階段も満足に降りれない、ペン先が震えて
自分の名前すら満足に書けない時期もあった。
そして2016年、6度目の休職に入り、2018年に通ったリワーク施設で初めて、
自分が双極性障害Ⅱ型であることを知った。
思えば、自分の本当の病因を知るまでに12年の月日を要したのである。
結局、会社の上司とそりが合わず、会社を退職して、今の会社で教育事業に
足を染めている。
大分、心境は変わったが、今でも心の病は治ったとは思っていない。
いつまた体調を崩して、社会から遠ざかざるを得ないとも限らない。
心とは繊細な硝子細工である。
だから絶えず私は自分の心と対話しながら、この病に向き合う。