今日の“ひぶすまプール”
毎年、妹母子がアメリカに帰った後は「祭りの後」といった気分です。
一か月余り、それも暑い時期に、「非日常的暮らし」に追いまくられるので(笑)、二人が発った後はなかなか正気に戻りません(o|o)
去年は悪天候も重なり、心身共にバテたまま8月が終わってしまいました。
今年はその教訓を生かし、エアコンや薬を使ってバテる前に休み、ほどよく運動も心掛けています、ワタクシメ。
というわけで・・・今日もまたプールに連れて行ってもらいました。
本日“ひぶすまプール”は意外に空いていました。
スタッフさんの話だと「夏休みに入ってからは何故か空いている」とのこと。
ーーでも、でも、先週までは「イモ洗い」でしたよーん。
特に先週、芋助と行った時はかなり混んでいました。
今まで何度か芋助とも“ひぶすまプール”に行っています。
プールの中に芋助と同じ位の年恰好の子がいると、あれこれ思い出しセンチメンタルになりました。
プールにサメがいる
芋助が5才位の頃、オヤジ様が付き添って“ひぶすまプール”に行きました。
その時の水深は0.9cmでしたが、未就学の子には深かったようです。
おまけに芋助はチキンボーイで、ジーチャン子なので
「ジーチャーン、ジーチャーン」と、オヤジ様にへばりついて、浮き具を与えても、ちっとも遊ぼうとしませんでした。
そのうち、
「このプールにはサメがいる。コワイ!」と言い出しました。
芋助は今どき珍しい「昭和の風貌」(笑)、だから芋助を見ていると彼が「アメリカン」であることを忘れてしまいますが、
「サメがいる」と怖がっている姿を見て、私はつくづく
「こいつは日本の子ではないんだー!」と認識したのでした。
その翌年、芋助に、
「プールにサメはいなかったか?」と尋ねると、
「いるわけないじゃん」と答えました。
今年(4年生)は、サメの話をすると胡散臭そうに、
「いるわけないだろう! 第一どうやって、プールまでサメを運ぶのさ?」と。
ーーアメリカの子どもでも成長するにつれ「プールにはサメはいない」とわかるのかw
ーーそれとも芋助は5才の頃から「プールにサメはいない」と知っていたのかぁぁぁ
芋助発言の真意はわかりませんが、「プールにサメがいる」というのは我が家の歴史に残る名言となりました(^○^)
芋助、屈辱のプール?!
芋助は夏に来日すると半月ほど近所の学校に通わせてもらっています。
(ワタクシメも芋助が就学期になるまで知りませんでしたが、一時帰国する子どもを受け入れてくれる親切なシステムがあるのです)
さて・・・
1年生の時は“担任の不手際”で(怒)芋助はプールの準備をしていったにも関わらず、「プールサイドでの見学」をするはめになりました。
この一件の全容を書くと長くなるから省きますが、芋助に悲しい想いをさせてしまったのです。
なので2年生の時は「先手、先手」で準備して、芋助に「小学校のプール指導」を受けさせることができました。
芋助も最初は喜んでいました。
プールに入る度(検定の度)に級が上がり、水泳帽のリボンの色が変わるからです。
学校から帰ってくるなり芋助が、
「明日はオレンジになるよ」と自慢しました。
最初の2回は1年生の分「飛び級」となるので毎回リボンが変わりましたが、芋助にしては上手く行き過ぎるな~と、ワタクシメは思っていました。
オレンジのリボンをもらう予定だった日、帰宅した芋助に、
「(検定に)パスしたの?」と聞くと、芋助は、
「悪い先生がいたんだ!」とグチリ始めました。
芋助が言うには、
「先生がラインにつけば合格と言ったから手がラインについたので立ち上がったら、体全部がラインについていないので不合格になった」そうです。
また、
「先生は『今度はオレンジね』と言ったのに、オレンジにしてくれなかった」と、ぶーぶーで、翌日からプールに行かなくなりました^m^
これは「先生が悪い」のではなく、日本語のニュアンスのむずかしさだと思いました(笑)
リベンジの4年生!
3年生の時は来日前から「登校拒否」していました。
妹も関西旅行を予定していたので、無理に学校に通わせませんでした。
日本にいる40日位の間、地元の学校に入れるメリットはたくさんありますが、滞在中半分は「学校」に拘束され、日本を旅する時間がないからです。
芋助には他にも「学校に行きたくない理由」はあったみたいですが・・・(苦笑)
登校拒否児の芋助が、今年は早い時期から、
「学校に通う!」と張り切っていたので、
「親に似ず勤勉な子だよ~(笑)」と感心していました、ワタクシメ。
芋助は一日だけずる休みをしましたが、ちゃんと学校に通い、帰って来たらカバンを置いて児童館に直行!
我が家に眠っていたスポーツタイプの自転車を引っ張り出して、チャリで近所を徘徊。
すっかり「地元の子」になっていました。
夏休みに入ってからは毎日「水泳教室」に通い、1~2年の時のリベンジを果たしたようです。
しかし・・・
勉強はしませんでした(泣)
担任先生がわざわざ補習授業の案内をくださったのに(^_^メ)
ーーやっぱり親の子(メーコの子w)。DNAは正直だ!
だーばぁに見せる。プールに行こう
芋助は日本に来る前にパパとママとキャンプ(?)に行き、日本に来てからもいとこたちと海に行ったので、コンガリいい塩梅に焼けていました。
「泳ぎ」には、かなり自信が持てた様子でした。
ワタクシメが、
「芋助が泳いでるのを観に行こうかな」というと、
「ぼくの学校のプールは3階だよ。階段だよ。だーばぁ、上れないよ」
ワタクシメに乱暴ばかりする芋助ですが、気を遣ってくれて、ママ(メーコ)も付き添って“ひぶすまプール”に行くことになりました。
例年、妹母子が帰国すると、弟一家も一緒にお出掛けするのですが、母の状態の悪化や子どもたちが大きくなるにつれ、「お出掛け」が難しくなり、今回は一度もありませんでした。
だから、この「プール」がワタクシメにとっては唯一の夏の想い出だったわけです。
ーーこの後、前回書いたFNS歌謡祭につながるんですぅーー
話を戻すと・・・
芋助はよく泳ぎました。
よほど「泳ぎ」を見せたかったらしく、ワタクシメがトレーニングしているウォーキングコースに入ってきてしまい注意されるほどでした。
もう少し滞在期間があれば、ジーチャン(オヤジ様)も孫とプールに行きたかったことでしょう。
「サメがいる」と縮こまっていたチキンボーイとは思えないほど、芋助は成長しました!
妹母子は今ロサンゼルスで、バカンスの最後を楽しんでいるそうです。
ついさっき届いた写真。
ロスでも芋助は泳いでいるとのこと。
あぁ、ワタクシメもこんな広い所で泳いでみたい\(~o~)/
毎年、妹母子がアメリカに帰った後は「祭りの後」といった気分です。
一か月余り、それも暑い時期に、「非日常的暮らし」に追いまくられるので(笑)、二人が発った後はなかなか正気に戻りません(o|o)
去年は悪天候も重なり、心身共にバテたまま8月が終わってしまいました。
今年はその教訓を生かし、エアコンや薬を使ってバテる前に休み、ほどよく運動も心掛けています、ワタクシメ。
というわけで・・・今日もまたプールに連れて行ってもらいました。
本日“ひぶすまプール”は意外に空いていました。
スタッフさんの話だと「夏休みに入ってからは何故か空いている」とのこと。
ーーでも、でも、先週までは「イモ洗い」でしたよーん。
特に先週、芋助と行った時はかなり混んでいました。
今まで何度か芋助とも“ひぶすまプール”に行っています。
プールの中に芋助と同じ位の年恰好の子がいると、あれこれ思い出しセンチメンタルになりました。
プールにサメがいる
芋助が5才位の頃、オヤジ様が付き添って“ひぶすまプール”に行きました。
その時の水深は0.9cmでしたが、未就学の子には深かったようです。
おまけに芋助はチキンボーイで、ジーチャン子なので
「ジーチャーン、ジーチャーン」と、オヤジ様にへばりついて、浮き具を与えても、ちっとも遊ぼうとしませんでした。
そのうち、
「このプールにはサメがいる。コワイ!」と言い出しました。
芋助は今どき珍しい「昭和の風貌」(笑)、だから芋助を見ていると彼が「アメリカン」であることを忘れてしまいますが、
「サメがいる」と怖がっている姿を見て、私はつくづく
「こいつは日本の子ではないんだー!」と認識したのでした。
その翌年、芋助に、
「プールにサメはいなかったか?」と尋ねると、
「いるわけないじゃん」と答えました。
今年(4年生)は、サメの話をすると胡散臭そうに、
「いるわけないだろう! 第一どうやって、プールまでサメを運ぶのさ?」と。
ーーアメリカの子どもでも成長するにつれ「プールにはサメはいない」とわかるのかw
ーーそれとも芋助は5才の頃から「プールにサメはいない」と知っていたのかぁぁぁ
芋助発言の真意はわかりませんが、「プールにサメがいる」というのは我が家の歴史に残る名言となりました(^○^)
芋助、屈辱のプール?!
芋助は夏に来日すると半月ほど近所の学校に通わせてもらっています。
(ワタクシメも芋助が就学期になるまで知りませんでしたが、一時帰国する子どもを受け入れてくれる親切なシステムがあるのです)
さて・・・
1年生の時は“担任の不手際”で(怒)芋助はプールの準備をしていったにも関わらず、「プールサイドでの見学」をするはめになりました。
この一件の全容を書くと長くなるから省きますが、芋助に悲しい想いをさせてしまったのです。
なので2年生の時は「先手、先手」で準備して、芋助に「小学校のプール指導」を受けさせることができました。
芋助も最初は喜んでいました。
プールに入る度(検定の度)に級が上がり、水泳帽のリボンの色が変わるからです。
学校から帰ってくるなり芋助が、
「明日はオレンジになるよ」と自慢しました。
最初の2回は1年生の分「飛び級」となるので毎回リボンが変わりましたが、芋助にしては上手く行き過ぎるな~と、ワタクシメは思っていました。
オレンジのリボンをもらう予定だった日、帰宅した芋助に、
「(検定に)パスしたの?」と聞くと、芋助は、
「悪い先生がいたんだ!」とグチリ始めました。
芋助が言うには、
「先生がラインにつけば合格と言ったから手がラインについたので立ち上がったら、体全部がラインについていないので不合格になった」そうです。
また、
「先生は『今度はオレンジね』と言ったのに、オレンジにしてくれなかった」と、ぶーぶーで、翌日からプールに行かなくなりました^m^
これは「先生が悪い」のではなく、日本語のニュアンスのむずかしさだと思いました(笑)
リベンジの4年生!
3年生の時は来日前から「登校拒否」していました。
妹も関西旅行を予定していたので、無理に学校に通わせませんでした。
日本にいる40日位の間、地元の学校に入れるメリットはたくさんありますが、滞在中半分は「学校」に拘束され、日本を旅する時間がないからです。
芋助には他にも「学校に行きたくない理由」はあったみたいですが・・・(苦笑)
登校拒否児の芋助が、今年は早い時期から、
「学校に通う!」と張り切っていたので、
「親に似ず勤勉な子だよ~(笑)」と感心していました、ワタクシメ。
芋助は一日だけずる休みをしましたが、ちゃんと学校に通い、帰って来たらカバンを置いて児童館に直行!
我が家に眠っていたスポーツタイプの自転車を引っ張り出して、チャリで近所を徘徊。
すっかり「地元の子」になっていました。
夏休みに入ってからは毎日「水泳教室」に通い、1~2年の時のリベンジを果たしたようです。
しかし・・・
勉強はしませんでした(泣)
担任先生がわざわざ補習授業の案内をくださったのに(^_^メ)
ーーやっぱり親の子(メーコの子w)。DNAは正直だ!
だーばぁに見せる。プールに行こう
芋助は日本に来る前にパパとママとキャンプ(?)に行き、日本に来てからもいとこたちと海に行ったので、コンガリいい塩梅に焼けていました。
「泳ぎ」には、かなり自信が持てた様子でした。
ワタクシメが、
「芋助が泳いでるのを観に行こうかな」というと、
「ぼくの学校のプールは3階だよ。階段だよ。だーばぁ、上れないよ」
ワタクシメに乱暴ばかりする芋助ですが、気を遣ってくれて、ママ(メーコ)も付き添って“ひぶすまプール”に行くことになりました。
例年、妹母子が帰国すると、弟一家も一緒にお出掛けするのですが、母の状態の悪化や子どもたちが大きくなるにつれ、「お出掛け」が難しくなり、今回は一度もありませんでした。
だから、この「プール」がワタクシメにとっては唯一の夏の想い出だったわけです。
ーーこの後、前回書いたFNS歌謡祭につながるんですぅーー
話を戻すと・・・
芋助はよく泳ぎました。
よほど「泳ぎ」を見せたかったらしく、ワタクシメがトレーニングしているウォーキングコースに入ってきてしまい注意されるほどでした。
もう少し滞在期間があれば、ジーチャン(オヤジ様)も孫とプールに行きたかったことでしょう。
「サメがいる」と縮こまっていたチキンボーイとは思えないほど、芋助は成長しました!
妹母子は今ロサンゼルスで、バカンスの最後を楽しんでいるそうです。
ついさっき届いた写真。
ロスでも芋助は泳いでいるとのこと。
あぁ、ワタクシメもこんな広い所で泳いでみたい\(~o~)/