奈良散策 第1380弾
12月1日は源九郎稲荷神社と薬園八幡神社に行った後、北に向かって歩いてみました。しばらく歩いていたら、光慶寺という大きなお寺がありました。普段、入り口が締まっているのですが、この日は開いていたので、ちょっと覗いてみることにしました。
これは光慶寺の門です。「寺院神社大事典」によると、このお寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、江戸時代は大和における京都西本願寺の役寺という地位にあり、郡山藩に対する使者の役割を務め、また、領内の西本願寺末寺との窓口的な役割を果たしていたそうです。もともとは京都府八幡市に皇慶寺として開かれたのですが、その後、あちこち移動した後、江戸初期に現在地に移ったとのことです。この日はちょうど報恩講の日でした。報恩講とは親鸞聖人の命日を記念して行われる法要で、もっとも大きな法要のことです。
門をくぐるとすぐに大きな本堂がありました。色とりどりの五色幕が飾られています。お寺の関係者の方がおられ、本堂の中も見てよいですよと言われるので、中に入ってみました。
本堂内部は金色に輝いていて、大変豪華な感じでした。報恩講のためか椅子が並べられていました。
奈良県立図書情報館のHPによると、ご本尊は阿弥陀如来立像で、室町時代初期の作だそうです。
本堂から境内を撮ってみました。
本堂の周辺を写してみました。一番下の写真の奥にあるのが鐘楼だと思うのですが、梵鐘は市指定の文化財になっているそうです。
本堂の柱の上にはこんな像がありました。
光慶寺のすぐ近くに「修羅と石展示場」があったので行ってみました。
お城の城壁用の石を運ぶ修羅の展示です。修羅のいわれについても載っていました。古代インドの神の「阿修羅」は正義を司る神でしたが、力を司る「帝釈天」に何度も戦いを挑んだそうです。激闘の末に敗れるのですが、何事にも動じることのなかった帝釈天を動揺させたことから、帝釈(=大石(たいしゃく))を動かした「阿修羅」ということで、大石を動かす木のそりのことを「修羅」と呼ぶようになったそうです。
こんな大きな石をコロの原理で引っ張っていくのですね。