奈良散策 第1378弾
11月27日になら歴史芸術文化村に行きました。ちょうど天理市共催展「ワニ氏の源流を探る 和爾地域周辺の古墳時代」が開かれていたので見てきました。
なら歴史芸術文化村の駐車場で撮った写真です。見えている建物は芸術文化体験棟です。
すぐ隣には幾坂池という池があります。
ハシビロガモがいました。
芸術文化体験棟の横を歩いていくと、文化財修復・展示棟が見えてきました。ここで共催展が開かれています。
展示室の中に入ったところです。大きな埴輪が並んでいるのが目につきます。
これは赤土山古墳で埴輪が発見されたときの出土状況の再現です。樹脂で型を取って実物同様の彩色をしたものだそうです。古墳の頂上部にあった埴輪群が地滑りで落ちてきたのでこんな格好になっていたようです。
これは東大寺山古墳で見つかった刀です。金象嵌により24文字が刻まれていたのですが、そこに「中平」という西暦2世紀後半の後漢の年号があったことで注目されています。
これはその刀の束の部分で、青銅製環頭と言われています。この刀は製作後150年経って、東大寺山古墳に埋葬されたものだと思われています。
これは先ほどの赤土山古墳の円筒埴輪と朝顔形埴輪です。かなり大きなものです。
これは家形古墳でやはり赤土山古墳から出土されたものです。
これは櫟本チトセ遺跡から出土されたものです。この遺跡は弥生後期から古墳前期にかけての遺跡と思われています。もともと和爾氏は5世紀から6世紀にかけて成立した氏族と考えられていて、応神天皇から敏達天皇に至る7代の天皇に后妃を出していた有力な氏族と思われています。6世紀後半には今の天理市和爾のあたりから春日に移り、春日氏を名乗り、その後、大宅、粟田、小野、柿本、櫟井などの氏族を生み出しました。しかし、和爾氏のいたとされる場所でさらに古い遺跡が見つかっているので、すでにこのころから和爾氏の源流となる集団が存在していたと思われています。
これは上殿古墳から出土された農工具です。上殿古墳は古墳時代前期後半から中期にかけて古墳です。
これはいずれも赤土山古墳から出土されたもので、冠帽形埴輪、甲冑形埴輪、草摺形埴輪です。
これはベンショ塚古墳から出土された甲冑です。ベンショ塚古墳は帯解駅の近くにあって、古墳時代中期の前方後円墳だとされています。
同じくベンショ塚古墳から出土された鞍金具、鉄鏃、鉄鑿・砥石です。これら豊富な出土品から、この地方の首長の墓だと思われています。
展示物はもっといろいろあったのですが、気の付いたものだけ出すことにします。これは櫟本高塚遺跡から出土された土馬です。古墳時代後期後半だとされています。
これは和爾下神社社家に伝わる伝柿本人麻呂像で、室町時代の作とされています。
これは柴屋丸山古墳で出土されたガラス製勾玉です。綺麗な色なので、思わず撮ってしまいました。この古墳はベンショ塚古墳の北側にある古墳時代中期の古墳です。
共催展を見た後、もう一度幾坂池の方に行きました。
ハシビロガモが泳いでいました。
これはカワウです。
対岸から、なら歴史芸術文化村を撮ってみました。